書く読む以外つまらない

籠り虚院蝉

小説家になろう という強迫観念をやめた話

今までもそこまで強く願ってはいなかったですし、小説家になるために公募やコンテストに作品を出した経験も数えるほどしかありません。それでも頭の片隅にいつでも巣くっている(あるいは燻っている)小説家になりたいという漠然とした夢が本当に本意であるかどうかをまっすぐ心に問うてみた結果、「そういう意味ではない」という答えが返ってきたので小説家になろうという強迫観念をやめます。


これは夢をまるっきり諦めることを示しているわけではなく、むしろもっと自身の書く作風に対して自分自身が寛容になるべき態度を指しています。宣伝用のTwitterでぽつりと呟いたように、もともと小説を書きはじめたのは特定の物語や意図、もしくは思惑に対する反論やアンチテーゼによるものでありましたし、その意味では書き味も非常に尖っており、なんらかの思いを確かに作品に込めていたと思います。当時書いていた作品をいま積極的に読み返す気にならない、もしくは読むと吐き気がするのは、なる前に書かれた作品だからかもしれません。


当時は文字どおり寝る間も惜しんで日がな一日小説を書いていましたが、今やその情熱は衰え、しばしば筆が止まっては物語とはなんの脈絡もないことをあることないこと無作為に書き連ねる悶々とした作風になってしまっています。読まれもしないし読まれることを意識してもいないのに「どうしたら読まれるのか」をいちいち気にして迷子のような作風になっていたことに自分自身うんざりしていたのかもしれない、という憶測。


すなわち「強迫観念をやめる」ということは、小説家になるためには当然有しうる素質──読者を意識する──を自ら棄却することを意味します。


ともすると受け手によっては今までと変わらずただのひとりよがりだとか、末端作者が読まれないことの言い訳と認識されてしまうかもしれません。ある側面ではそうですし、いつかは読者を明確に意識しなければならないと思います。ですがまず取り組むべきは作品を自分の手に今一度取り戻すこと、そこから作品を再び独立させるという順序を自分は踏むべきです。


自分の作風は究極的に「作品がその作品である必然」を大切にしています。ジャンルの選択から物語の設定、文体や表記の面、作品が作品として作者の手を離れ一身独立するためのあらゆる部分をなるべく叶えられるよう意識しています。しかし、作品の大きな立脚点は籠り虚院蝉という作者(=自分)であり、ここだけは作品がどんなに変化しても容易に変えうるものでありません。籠り虚院蝉という作者はひとり、観ている世界もひとつの脳髄から導き出されています。残念ながら、自分の脳髄はあらゆる読者、多数の読者の目を意識することには到底向いていません。


恥ずかしながら勝利したことなど一度もないですが、これは明白な敗北宣言です。


だからといって今後の執筆活動にまったく展望がないわけではありません。欲求的に書きたい物語は山ほどありますし、自分が書かねばと思う作品もあります。あらかじめ宣言すると、今後公開する作品の中にはそのようにして徹頭徹尾支離滅裂か、あるいは強く尖ったメッセージ性を多分に孕んだものになります。ですがこれは自ら頭に冷や水をかける現状のやり方ではなく、執筆活動に熱心に取り組んでいた自身の執筆の原点に立ち返るだけなので、個人的に恐れていることはなんらありません。


現在自分をフォローしていただいている中で、もし陰ながら応援されている方にはもしかしたら残念な思いや不愉快な思いもさせてしまうかもしれません。作品と作者は別といいつつも、ある時点で作品から作者が透けて見えてしまうこともあるかもしれません。「いまも十分そうだ」とか「きみの作品にはいつもがっかりさせられる」というのなら話は早いのですが、今後はそうしたこともあまり念頭に置かずに執筆したいと思います。


つらつらとりとめなく書いていたところ1700字になってしまいましたが、これでこのお話は終わりです。自分は腑に落ちましたが、みなさんへのオチはありません。

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