【料理経験ゼロの男が1kgのハンバーグ作って丸ごと焼いて食ってみるwww】
中村汐里
夢見がちな男
『――それではこちら、超特盛豚骨ラーメンの方ですね、実際に食べていきたいと思いまーす。今日もおいしく食べられることに感謝! いただきます!』
バカみたいに元気な声と、手をぱちんと合わせる音が耳障りなほどデカかった。ノートパソコンの画面内でガタイのいい男がラーメンを啜り始める。首から上は見えないが、どんな顔で食っているのかは簡単に想像がつく。
映っている豚骨ラーメンにはチャーシューが10枚、味玉が3個、さらに大量のネギと紅ショウガが乗っていた。画面内の情報はギトギトの重量級。間違いなく、女にモテないタイプの絵面だ。
『いやぁうんめえ! 見てくださいよこのチャーシュー、ジューシーで分厚いのがこんなに乗ってる。これはゼッタイ食う価値あるわー』
うまいうまいと連呼しながら肉を頬張る男を見ながら、俺は39円のコッペパンをちびちび齧る。元値は78円だった。賞味期限は昨日だ。食えれば別に構わない。
『はい、スープも飲み干しました。今回も無事に大盛り完食、ごちでしたっ! これで三日は食わなくても生きていけるわー、なんてな』
なんてな、じゃねえよ。手の中で消しゴムのように小さくなったコッペパンを口に放り込み、俺は内心でツッコんだ。どんなに大食いしたって次の日にはまた腹が減る。生きてるんだから当たり前だ。食い溜めなんかできねえ。
『ってなわけでね、またデカ盛り料理に挑戦していきたいと思いますので、チャンネル登録と高評価の方よろしく! それでは、eiterでした!』
最後までデカい声だった。俺は一時停止ボタンを押してため息をついた。このラーメンが3000円もしたせいで、今日の俺は半額のパンしか食えなくなったんだ。
空っぽになった器を見せびらかす男の手は、さっきまで安いパンを握っていた手と同じものだ。ゴツすぎてモテないタイプの手に、いちごジャムとマーガリンのコッペパン。まるで似合わなくて笑えてくる。
「……さすがに足りねえな」
明日の朝飯にとっておくつもりだったソーセージパンも食っちまおうか。少し悩み、まあなんとかなるだろうと立ち上がった。
そのときだった。スマホがデカい音で喚き始めた。名前を見ると母さんだった。
いつぶりだろう、わざわざ電話を寄越してくるなんてなにかあったのか? 嫌な予感がちらりとよぎる。
『もしもし、
飛び込んできたデカすぎる声に、思わず端末から耳を離してスピーカーに切り替えた。よくこんな大声が出るもんだ。俺の声量はたぶん母さん譲りなんだろう。
「いや普通に元気だけど。なんか用事あった?」
『
旦那さんもいい方でねえ。縁談がなかなかまとまらなくてねえ。しばらく会っていない3つ上の姉にまつわる話が、母さんの口からつらつらと流れ出てくる。
そんな話なら心配して損したな――俺は適当に聞いているふりをした。
『瑛汰の仕事はどうなの。まだフリーターなんかしてるんじゃないでしょうね』
「悪いかよ。俺にはデカい夢があるわけ。会社勤めなんかしてる暇ねえや」
『まだそんなこと言って。あんたもうすぐ25でしょう、そろそろしっかり足元固めなさいよ。美紗の旦那さんはいい会社に勤めててねえ……』
まただ。さすがにうんざりした。知らない奴を引き合いに出して俺と較べるな。
「そういうのいいって。話はそれだけ? 忙しいからもう切るけど」
『そうなの? たまにはこっちにも顔出しなさいよ。どうせちゃんとしたもの食べてないんでしょ、帰ってきたら張り切ってごはん用意するからね。それじゃ、身体に気をつけて』
あれだけ喋り倒していたのがウソのように、電話は呆気なく切れた。母さんの声は最後までデカかった。嵐に見舞われた心地だった。
一体なんだったんだ――ため息をつきながら、お預けを食らっていたソーセージパンを取りに立ち上がる。レンジで温める手間が惜しかったので、歩きながら袋を開けた。座椅子に腰を落とすと正面のモニタが自然と目に入り、俺の視線は画面の左下に吸い寄せられる。
そこにあったのは『32』と表示された数字。
3日前に投稿した動画の再生回数だった。
こんなはずじゃない。俺はソーセージパンに大きく齧りついた。
冷えたパンは口の中で温まり、塗りたくられたマヨネーズがじわりと溶けた。そこへいかにも加工肉といったチープな香りが追いかけてきて、鼻に抜け広がっていく。
これだ、この味でいいんだ。俺はこの飯に満足している。
どんなに安っぽくてもうまいものを毎日食ってるし、3日に1回は動画のための大食いメニューにありついている。普段の食事が質素だからこそ、充分に腹を減らした状態で大食いができるんだ。戦略的と言ってもいい。だから俺は食生活について口を出されるのが嫌いだ。
半分ほどに減ったソーセージパンをまたちびりちびりと口にした。初めのひと口を勢い任せにかぶりついたことを少し後悔した。もう少し長く食べられたのに――そう考えた途端、ひどく惨めな思いが沸き上がってきた。
本当はわかっている。満足しているなんて嘘だ。
3日おきにしか腹一杯食えない暮らしなんて、どこからどう見たって貧相でしかない。メシ物の人気動画投稿者になる、その夢のためならいくらでも耐えられると思って3年やってきた。本当なら、今頃はチャンネル登録者が1万人はいたはずだし、フリーターをやめて動画一本で食っていけるようになっていたはずなんだ。
だけどこれが現実だ。俺は32を睨みつける。夢を抱いて生きている俺の足首に絡みついた、逃れられない現実。
動画の再生回数は200を超えればマシな方で、チャンネル登録者も200人とちょっと。俺がそれなりに努力したつもりの3年間は、非情で無機質な数字となって目の前に叩きつけられている。
「俺ってセンスねえのかな。そろそろ辞めろってことかな……」
心細さを振りほどきたくて、背もたれに体重を預けて天井を仰ぐ。
安い6畳のワンルームは、ベッドやらこたつやらごちゃごちゃの棚やらでぎっちり埋め尽くされている。足の踏み場もないほど物で溢れているというのに、見上げたてっぺんはスカスカだ。俺の姿がそのまま重なり、また少し嫌になった。
「実家の飯か……めちゃめちゃ量あるんだよな、いつも。作りすぎだっつの」
拗ねた感傷に呼び起こされたのか、さっき聞いたばかりの母さんの声が耳の奥によみがえってきた。最後に母さんの飯を食ったのはいつだったっけ。
俺が大飯食らいになったのは母さんが原因だと思っている。学生時代、食卓には山盛りのから揚げやら、何皿もの餃子やらがいつも出てきていた。米も丼でおかわりしても余るほど炊いてあった。
俺は成長期の運動部だったからいくらでも食えたが、俺がいなかったら残りまくって困ったんだろうな。なんであんな大量に作ってたんだろう。
「待てよ……? もしかしたら、これってアリなんじゃねえか」
閃いた俺は身体を起こしてパソコンに向き直り、自分の投稿動画リストを開く。
最新から遡ること数十本、そのどれもが店で食べた料理の動画だった。店で撮影した動画に自宅で音声を当て、簡単なテロップと効果音を乗せたもの。サムネイルも内容もあまりにワンパターンだ。これじゃ伸びるどころか飽きられてもおかしくない。
「食うだけじゃなくて、作るところからやってみるか。自炊男子とかいうタグ付けてさ。これなら新規層も来るんじゃねえか」
我ながら名案だ。俺のチャンネルも少しは伸びそうだ。夢にまた近づける。
とはいえ――ひとつだけ問題があった。俺は料理をまともにしたことがない。素材の切り方も、火の通し方もまともに知らない。
そんな奴に、料理動画なんて出せるのか?
「――やってみるしかねえ。もう後がないんだ」
迷いを打ち砕くように拳を固める。
俺は今までデカい夢を叶えるつもりで生きてきた。だが実態はこのザマだ。親に言われたからってわけじゃないが、そろそろ見切りをつける頃合いなのかもしれない。
部屋の壁に貼られたカレンダーを見つめた。25歳の誕生日まで、あと2週間。
それまでに何かしらの結果が出せなかったら――俺はこの夢を諦める。
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