君の秘密と僕の選択

金石みずき

あの日、VRで僕は君に出会った。

 ――15歳の春。

 僕が入学したのはVR――Virtual仮想Reality現実空間に設置された高校だった。


 最近では会社も学校もVR空間上にあるのが主流だ。

 だから珍しくもなんともない。

 むしろ高校に至ってはVR空間にないほうが珍しいくらいだ。


 最初の登校日。

 僕は指定された席でホームルームが始まるのを待っていた。


 しばらくは暇を持て余していたのだが、隣の席に誰か来た気配を感じて横を向いた。


 ――そして僕は運命と出会った。


 僕の隣の席に座ったのはアイという少女だった。


 初めての高校生活。

 よく知らない、初めて出会った女の子。


 可憐なアバターのアイに、僕は恐る恐る話しかけた。

 アイは突然声をかけた僕に少し驚きつつも、柔らかな笑みで応えてくれた。


 その表情、仕草、声色――それらすべてが僕の琴線に触れた。

 僕はすぐに恋に落ちた。


 それから授業中には先生の目を盗み、休み時間にもアイが一人のときを狙って話しかけた。

 僕の願望込みかもしれないが、アイも憎からず思ってくれているように見えた。


 そのうち僕たちは二人で過ごすことが自然になった。

 友人たちにはたいそう揶揄われたが、僕の隣にはアイがいたからへっちゃらだった。


 やがてクラス内では半ば公認カップルのような扱いになり、その当然の帰結として僕はアイに告白することにした。

 僕はこの初めての告白が成功するとしか考えていなかった。

 どれだけ囃し立てられてもアイが決して僕を「好き」だと肯定しない理由をまるで考えていなかった。


 ――好きだ。付き合ってくれ。


 格好つけて言いたかったのに、僕の声は震えていた。

 手に汗握るとはこのことかと初めて実感したものだ。

 心臓がバクバク音をたて、まるで体の内側から僕を食い破らんとしているようだった。

 

 悠久の時が過ぎる。

 だけどこの緊張を超えた先にはもっと素晴らしい世界が待っている。

 そう確信していたのだ。


 だけど何かを思いつめたような顔で僕の正面に立つアイから帰ってきた答えは、僕の想像とは全くの真逆だった。


 ――ごめんなさい。


 心臓が止まったようだった。

 肺はなにか強い力に押しつぶされたかのようで、ゆっくりとか細い息を吐きだすので精一杯だった。


 僕はさっきとは違った理由で震える声でアイに尋ねた。


 ――理由、聞いてもいいかな。


 その瞬間、アイはわっと顔を両手で覆って俯いた。

 顔の端から大粒の涙が一粒、二粒と地面に向かって落ちていくのがはっきりと見えた。


 ――私ね、私ね。


 アイの声は嗚咽混じりだった。

 呼吸はさっきの僕以上に苦しそうで、何か言おうとしているのはわかるのだが口をぱくぱくとさせるだけで言葉になってはくれないようだった。

 その様子を見ているとさっきまでの苦しさはすっかりどこかへ行ってしまって、代わりにアイを心配する気持ちや苦しめてしまったことへの申し訳なさでいっぱいになった。


 ――無理しなくてもいいよ。もう何も言わなくてもいい。


 僕は心の底からそう言ったのだけど、アイは首を左右に振るばかりで、聞いちゃくれなかった。

 だからせめてと僕はアイの隣に立ち、落ち着くまで背中を擦ってやった。


 やがて焦燥した表情ながらもアイは落ち着いた。

 そして「もう大丈夫」と言ったので、僕は隣でその小さな手をとって「うん」と頷いた。


 ――私、ずっと秘密にしていたことがあるの。その秘密を言ったら、きっと今までみたいな関係ではいられない。それでも訊いてくれる?

 ――当たり前だよ。何を言われたって、僕はアイが好きだから。


 アイは僕の返答を聞いて、なぜか寂しそうに眉尻を下げた。

 そしてすぅっと息を吸うと、吸い込んだ息の量に見合わない小さな声でぽつりと漏らした。


 ――私、AIなの。


 何を言われたのか僕にはさっぱりわからなかった。



 Artificial Intelligence――通称AI。

 人工知能とも呼ばれるそれは、その名の通り根源は人工物であり、僕たち人間の脳のような自然物ではない。

 ちなみに僕たちのような自然発生した知性のことはNI――Natural Intelligenceと呼ぶらしい。


 つまりAIは作り物だ。

 だけどアイが作り物で、実際には存在していないなんて、僕には信じられなかった。


 アイの話を総合すれば、アイはAIの中でもボトムアップ型AIと呼ばれる、世界で初めて作られたタイプのAIらしかった。


 ボトムアップ型AIとは僕たちがよく想像するような機械学習とは異なり、コンピュータ上で疑似的な脳を再現することで人間と同じような過程を踏んで知性を獲得していくタイプのAIのことだ。

 そこに宿る知性もその過程も手段も僕たち人間と変わらない。


 ――であれば、アイと僕たちの違いとは一体なんなのだろうか。

 ただ単に思考する器官が「脳」か「コンピュータ」かといった違い以外に、一体何があるというのだろうか。


 最後まで話を聞いた僕にとっては、アイはやっぱりアイであって、AIなのかもしれないけれど、そんなことはどうだっていいことのようにしか思えなかった。


 だから僕は言った。


 ――それを聞いても、やっぱり僕はアイが好きだよ。


 アイはまた泣いた。

 こんなに温かい涙を流す少女にこれほどの苦悩を与えた神様を僕は恨んだ。

 だけど僕とアイを会わせてくれたことに対してだけは感謝せざるを得なかった。



 アイと付き合ってから何年もの時が過ぎた。

 僕とアイは高校を卒業後は同じ大学に進学した。

 学校以外の生活のほとんどはVR空間にある二人の部屋で過ごし、愛を育んだ。


 やがて僕とアイはそれぞれ就職した。

 一緒に過ごす時間こそ減ったものの、僕たちの互いを想う気持ちは増すばかりだった。


 そして就職から二年後、僕はアイにプロポーズした。

 アイはまた泣いて、今度はしっかりと頷いてくれた。


 僕はアイを両親に紹介することにした。

 交際している人がいること自体はそれとなく告げていたが、実際に会わせたことはなかったので、いざその機会が訪れると知ったときにはとても慌てていた。


 来たる約束の日。

 そわそわと落ち着かない両親に、僕はAR――Augmented拡張Reality現実ヘッドセットを渡した。

 二人は訝しんだが、僕が説得すると渋々装着してくれた。


 ――そこからは大変だった。


 MR――Mixed複合Reality現実という技術を使って現実と重なるように描写されたアイを見て、ふざけてるのかと両親は怒り狂った。

 僕とアイは必死に宥めようとしたが、その全てが徒労に終わった。

 僕はたまらずアイを連れて家を飛び出した。


 飛び出して、閑散とする電車に乗って遠くの街まで逃げた。

 そしてそこで家を借り、僕は生まれて始めて両親と離れて過ごすことにした。

 無論寂しさはあったが、理解されない以上はどうしようもなかった。

 両親は大切だが、僕にとってはアイが何よりの一番だった。


 新しい生活にも慣れ、落ち着いた頃、アイの創造者とも会った。

 まさか結婚したい相手を連れてくるとは露ほども思っていなかったらしく、アポイントをとったときには大変に驚いていた。

 アイの親は僕のことをとても歓迎してくれ、涙まで流して喜んでくれた。

 アイの優しい性格はきっとこの人譲りなんだと思い、そう伝えると、また泣いた。

 泣き虫なところまでそっくりだった。



 それから一年が過ぎたころ、アイの親から連絡があった。

 出向いてみれば、何やらキューブ状の記憶媒体のようなものを渡された。


 これはなんですかと尋ねてみると、返ってきた答えは驚くべきものだった。


 ――これは君とアイの子どもになるかもしれないものだ。


 渡されたものはアイと同じ人工知能――全くの無垢のボトムアップ型AIの卵とも呼べるものだった。

 これをVR空間上で起動することで、文字通りこの子は「生まれ」、そこから生命の営みが始まる。


 ――これをどうするかは君たち二人でよく考えるといい。


 僕とアイは一二もなく受け取った。



 それから三年。

 僕とアイは変わらず……いや、一人増えて三人で暮らしている。

 子どもは「ゆかり」と名付けた。

 僕とアイの偶然の縁から生まれた新しい命だ。

 この子もいつか誰かと大切な縁を結んで欲しいという願いも込めた。


 子供の成長というのは恐ろしい。

 最近は日々いろんな言葉を覚え、驚かされるばかりの毎日だ。

 この前なんて、なんと数字を100まで数えられたのだ。

 うちの子は天才に違いない。


 だけど少し不満なのが、一番好きなのはママで、二番目に好きなのはパパなのだそうだ。

 僕としてはどちらも一番に据えて欲しいところだけど、やっぱりママには勝てないらしい。

 だけど「はい、そうですか」とその座を簡単に明け渡すつもりは毛頭ない。

 出来る限りの愛情を篭めて育て、いつか「どっちも一番好き」と言わせてやるのだ。


 僕の周りの、同じくらいの年回りの子供を持つ親と話をしてみても、やっぱり似たようなことで喜び、悩んでいる。

 この時代において、AIとNIの違いとは一体なんなのだろうか。

 僕ははっきりとアイを愛しているし、縁のことも心底愛おしいと思う。


 僕にとっては現実の肉体の有無なんて些細なことだ。

 誰が何と言おうと、僕とアイと縁は大切な家族なのだから。




 ――とそんなことを考えていると、また貢物が届いた。

 僕の両親からだ。

 最近は縁の顔を見に週に一回は訪ねてくるし、こうして何か物を贈ってくるのだってしょっちゅうだ。

 もちろん会いに来るのはかまわないのだが、猫可愛がりして徹底的に甘やかすのはいただけない。

 まったく。祖父母というものは無責任なものだ。

 今度来たときには少しお灸を据えなければならないかもしれないな。


 ――パパ、遊んで!

 ――お、よしよし。そら、高い高い!

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君の秘密と僕の選択 金石みずき @mizuki_kanaiwa

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