社会不適合者と高嶺の花

土屋シン

社会不適合者と高嶺の花

 何が社会不適合者だ、社会の方が俺に不適合なんじゃ。何故俺がこんな社会に合わせにゃならんのか。こんな奴らはこっちから願い下げよ。そんなことを思っていたせいだろうか、高校生活の半ばで今だにトモダチの1人もいないのは。


 仲間意識というものに心底憧れていて、それを見るたびに心震えるほど求めてしまうが、いざ、それが近くまでくると気味悪く、吐き気を催すほど、軽蔑してしまうそれが俺。


 何がいけないのは全部わかっているつもりだ。だからといってそれを今更改善したとて、何が得られるだろうか。どれほどの頑張ったところで、せいぜい卒業式とともに途切れる中途半端な交友関係とわずかばかりの社会性が身につくだけだろう。そんな痛々しさを抱え続けて今後生きることに比べれば、「ただ死んでないだけ」という今の状況は実に素晴らしい。劇的な興奮こそないが、深い絶望感もない。


 アタラクシア、平静なる心とはこのことだろうか。


「エピキュリアン名乗るなら、友達の一人くらいつくりなさいよ」


 そう言ったのは花村咲。俺の同級生であり、俺と同じ読書クラブの会員だ。読書クラブと言ってとその実態はほとんどが幽霊部員であり、かくいう俺も学校にパーソナルスペースが存在する心地よさで入り浸っているだけで大して本を読むわけではない。このクラブでちゃんと読書をしているのはそれこそ花村くらいである。


「人の心を読むな」

「声に出てるのよ」

「あいにく俺の世界には人間が俺1人しかいないものでね」

「傲慢」


 花村は口にかかった艶やかな黒髪を耳に掛け直す。その口元からは呆れとも哀れみともとれる笑みが溢れる。月下美人のように透き通る白い肌。薔薇色に染まった血色の良い唇。どこを切り取っても絵になる。


 俺はこの花村を見るたびに胸が痛くなる。これは決して恋ではない。どちらかといえば嫉妬だろう。もし俺が花村のように恵まれた容姿に生まれていたなら。もしも、花村がいるような場所に生まれていたなら……。もしも……。


「いっそもっとわかりやすく、狂えたら楽なのにな」


 花村は本に目線を残したまま何も言わずにページを捲る。花村とはそういう女である。普段のどうでもいい話は茶化したり、辛辣に答えたりするのに、俺の心の底からどうしようもなく溢れてしまう言葉には触れようとしない。俺にはそれがとても心地よかった。


 きっと花村なら俺の悩み事を解決するくらいわけないだろう。きっと花村が同情して憐憫してくれたならば、俺の心は救われてしまうだろう。きっとそれはとてもいいことで、ある人から見れば正解なのだろう。けれど俺はそれをよしとしない。劣等感に塗れて足掻いている現状を平静なる心なんて取り繕いはしたが一言で言えば絶望そのものだ。


 俺は少し前まで、自分のことはウサギだの思っていた。才能あるが怠惰ゆえに競争に負けるウサギだと思っていた。しかし、この年まで生きているといやがおうにも、自分が亀であると悟らされる。才能もないくせにグズで、ノロマで、しかも怠惰ときた。考えうる限り、最低の存在だ。それでいて、最悪なことにこんな俺はありふれた存在だと気づいてしまった。こんな人間他にもいっぱいいるのだとわかってしまった。最低だ。


 ただ、そんなありふれた俺にもプライドってものがある。自分の絶望感を女の子に優しく頭を撫でてもらって大変だったねなんて言われて心安らぐなんて、クソ喰らえだ。俺の絶望は俺だけのものだ。他の奴らに勝手にされてたまるか。俺の怒りは俺だけのものだ。他の誰かが俺の代わりに怒って悲しむなんてごめん被る。


 花村は丁寧なスピンを挟み込んで本を机に置くとカーディガンのポケットから自動販売機で買ったのであろうミルクココアの缶を取り出した。

 俺の視線に気づいた花村が言う。


「カイロ代わりに買っておいたの。ここ結構冷えるから」

 俺は「そうか」とだけ答えた。


 花村がプルタブの起こすと「何よ」と言ったので、彼女がそのミルクココアに口をつけた瞬間、「そのココア飲むとゲロとおんなじ匂いするぞ」と答えた。


 花村はココアを一気に飲み干すと「最低」と口にした。

「だろ?」

「匂いのほうじゃない。言うタイミングってもっとあるでしょ」

「でも、ゲロだろ」

「ゲロよ。しかも、牛乳と一緒に出した時のゲロの匂いよ」

 花村は苦笑した。


 俺は花村の閉じた文庫本に目を落とした。

「花村は今何読んでたんだ」

「うーん。恋愛小説? 女の子に自傷癖があるの」

「リストカットねぇ」

「私はしたことないから、ちょっとわかんないかな」

「俺もしたことはねえなあ。けど、ああいう自傷行為というか自罰的行為って罪悪感や無能感が満たされるんじゃないのかな」

「?」

「ええと、まず何が嫌なことがあると心が傷つくだろ。たけど傷つくのは心だけだ。体は綺麗なまんまなんだよ」

「ええ」

「心はボロボロなのに、体は綺麗。そんな矛盾した状態が長引くと、それを解消したくなる」

「だから、リストカットに及ぶと?」

「そう。心はボロボロなのに体が綺麗なままであることに耐えきれなくなる。だからといって心のほうを治す方法はない。ならバランスを取るためには体を痛めつけるしかないんじゃないかな」

「なるほどね。さすが、それっぽいこと言わせたら一流ね」

「一言多いな。まあ、リストカットが救いになるなら俺は反対は出来ないな」

「あんまり、かっこいいこと言われると好きになっちゃうじゃない」

「だろ。でも俺はモテるから」

 どうせお世辞だろうたかを括りと俺はそう茶化した。しかし、花村から帰ってきた言葉は意外なものだった。


「あらそう。今の言葉、結構本気だったのに。じゃあ残念だけど、他の方々には暴力で諦めてもらいましょう」

 花村は握り拳を作ってみせる。

「いやいやいやちょっと待て。暴力はいけない。ていうか本気?」

「本気も本気超本気よ」

「いやいやいや、ちょっと待ってくれよ」

「学校一の美少女の一世一代の告白よ。返事はYES orはい、しか許されないわ」

 俺は意味がわからなかった。あまりにも唐突だ。文脈も脈絡もあったもんじゃぁないその言葉への返事はこうしかなかった。


「何でだ。何で俺なんだ。意味がわからない」

「あら? ワンワン以外の返事は許した覚えはないのだけれど」

「さっきよりもひどくなっているぞ」

 ますます意味がわからない。部室で2人きり、たわいもない会話をしていたら唐突に美少女に告白される。まるで、出来の悪いライトノベル。あるいは神の悪戯か。


「私はね、貴方の言葉に救われたの。救われるって最大の好意じゃない? だから告白したの」

 そういうと花村は制服の左腕を捲って見せた。彼女の手首にはうっすらと傷跡が見える。普段であれば目立つような代物ではないが、さっきまでの会話の後だとそれがとても深い意味のあるようなものに見えた。


「あんまり深くやってないのもあるけど、運が良かったのよね。ほとんど目立たないし、きっと大人になれば消えて無くなる。何にしてもこれはわたしにとっての救いではなかったわ」

 花村の憂いに満ちた目が俺を捉える。

「私にとって貴方の言葉が救いになったわ。そして、貴方は捻くれた考えはきっとこれからも私を救ってくれるってそう思ったの」

「そんなのただの依存じゃないか」

「依存も愛の一形態よ」

 俺はため息をついた。だがしかし、自分でも驚くほどに心が軽くなっていることを感じ、あぁこれが恋なんだと理解した。そして同時に吐き気を催した。


「花村、俺は今お前からの告白にとても浮かれている。天にも登る心地とはまさにこのことだ。だけどな、俺はついさっきまで、自分の感情を他人に動かされることにクソほど寒気を感じていた。自分の感情は自分だけで支配するべきだと思っていた。それなのにだ、お前からの告白された、ただそれだけのことで考えを曲げるなんて……」

「つまり、私に告白されただけで簡単に心動動かされてしまい、自分の人生哲学の軽薄さに気がついて気持ち悪くなった。そういうこと?」

「……そういうことになるな」

「はぁ……。貴方って完璧主義すぎて生きるのが下手っていうか。根っからのぼっちなの

 ね」

 花村は頭が痛いといった素振りでそう言った。


「いいわ。もし貴方が私と共に来るならば、貴方が私を救ったように今度は、私が貴方を救ってあげる。人と関わること。そこから学び取ること。そういったことの尊さを教えてあげる」

花村は俺に間を与えず、話し続ける。

「私ははね置かれた場所で咲きなさいと言う言葉が嫌いなの。人間の精神なんて悪い場所にあると簡単に腐るから。むしろ、人間の強さとは、本質とは、自分のいる場所を選ぶ黄金の精神のことなの。だから選びなさい。今いる場所で自分一人で花を咲かすのか。私と共に来て花畑を探すのか」


 唐突に俺の目の前に現れた究極の二択。自己矛盾とともに薔薇色の生活を目指すのか。千載一遇のチャンスを振り切って自己を完徹するのか。どちらを選ぶかだって? きっとどちらを選んでも後悔はするだろう。だからといって何も選ばないということはもはやできない。


「それなら俺はこちらを選ぶよ」

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