タマゴ旅をする
イツミキトテカ
第1話
ここは暗い森の中。青年が一人、地図を見つめ、深いため息をついていた。どうやら道に迷ったらしい。何か目印になるものはないかとあたりを見回す。すると、黒くシュッとした木々の梢越しに何かがキラリと煌めいた。
「行ってみるか」
青年はずり下がったリュックを背負い直し、重い足を引きずって、光に向かって歩いていった。
光の正体は案外すぐに分かった。それは王冠の光だった。楕円形の建物のてっぺんに金色の王冠が載せられ、それがキラキラと太陽の光を反射しているのだった。不思議なのは建物の方で、つるりとした白い壁はぷにぷにと弾力があり、窓はないが、これまた楕円形のドアが1つ付いているだけだ。建物のそばには『営業中』、『グランドオープン』、『うまい!』ののぼりが乱雑にたてられていた。
『うまい!』から察するにレストランなのだろうか。人がいれば道を聞けるかもしれないと思い、青年は勇気をだして、このへんてこな建物に足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ!」
扉を開けると恰幅の良い丸顔の男がにこやかに出迎えた。中年のその男はコック服をきていた。客は一人もいないようだが、やはりレストランだったようだ。青年はそさくさと地図を差し出した。
「すみません、どうやら道に迷ってしまったようで。ここに行くにはどうしたら良いでしょうか」
丸顔の男は、客じゃないのかと少し残念そうな顔をしたが、すぐに営業スマイルを取り戻し、丁寧に道を教えてくれた。
「なるほど、ここで間違えたんだな。ありがとうございました」
「いえいえ、お気をつけて」
青年は頭を下げてその場を立ち去ろうとした。名残惜しそうに見送る男の視線が心に痛い。青年は小さく息を吐いて、仕方なく回れ右をした。
「ここはレストランなんですよね?」
「はい、そうです!」
丸顔の男が年甲斐もなく嬉しそうに笑う。青年は思わず苦笑いした。
「何か食べていってもいいですか。僕はその日暮らしの旅人なのであまりお金はないのですが」
その瞬間、男の顔がパァッと音が聞こえそうなほどあからさまに輝いた。
「本当ですか?! 本当に?? やったー! 初めてのお客様だ!!」
男はもはや小躍りしていた。見た目に反して身軽な動きに青年は驚いたし、自分が初めての客だということにも驚いた。
「このお店、最近オープンしたんですか?」
青年は『グランドオープン』ののぼりを思い出していた。青年の質問に男は踊りを止め、明らかにしょんぼりした。その姿だけで青年は全てを察したので、慌てて話題を変えた。
「メニュー表はありますか。何かおすすめは」
「当店のメニューは『タマゴの気まぐれごはん』のみになります!」
タマゴの気まぐれ? メニュー一択? そもそもシェフはこの人?
気になることはたくさんあったが、男のうるさいほどの元気溌剌っぷりに、青年はもう早く片付けてこの場を去りたくなっていた。
「じゃあそれで。おいくらですか」
「100億円です!」
「高いな!」
青年は声を出して笑った。この手の冗談はたまに言われるが、まさかこの男がこんな冗談を言うとは思っていなかったので油断したのだ。青年が笑っている間、男は不思議そうに首を傾げていた。
「高いですか?」
青年は面食らった。どうやら本気の100億円だったようだ。言葉を無くし、呆然とする青年を見て、丸顔の男はまたしてもしょんぼりと肩を落とした。
「そのぐらい価値があると思ったのですが…」
男は真面目に悩んでいるようだった。見かねた青年は腕を組み、困ったように鼻をならした。
「珍しいタマゴを使っているのかもしれませんが、100億円を料理にだせる人は世の中にそうそういませんよ」
男がはっと顔を上げる。
「もしかして、今までお客さんが来なかったのもそのせいなのでしょうか」
「んー、それもでしょうけど、そもそも立地がね」
そう言って、青年は楕円形のドアを見た。そこを開ければ、たちまち目の前には鬱蒼とした森が広がっている。青年も道に迷ってたまたま見つけたくらいだ。こんな辺鄙な場所に誰が好んでやってくるだろうか。
「もう少し人気の多いところに構えないと。それと―」
青年がそう言いながら振り返ると、男が真剣な顔つきで何やらメモをとっていた。のぞき見ると、丸っこい字で『価格設定』、『立地』と走り書きしている。青年の視線に気づいた男は、キラキラと瞳を輝かせた。次の言葉を早く聞きたいと言わんばかりだ。
「それと?」
青年は思わぬ期待を受けて動揺した。しかし、少しくちごもりつつも、店内を見回して言った。
「それと、窓はあったほうがいいと思います」
男は眉を八の字にして、メモしていた手をピタッと止めた。
「窓は駄目です。固ゆでにはしてますが、あまり穴を空けると崩れてしまいますので。ドアを作るのも一苦労だったんです」
「はぁ」
二人の間に沈黙が流れた。すっかり気まずくなった青年はペコリと頭を下げた。
「では、これで。道を教えてもらったお礼、できなくてすみません」
「ちょっと待っててください!」
男は何か思いついたようだった。弾けるように店の奥へ走り、きれいに整理された棚からタマゴを1つ持ってきて、青年にさっと差し出した。
「どうぞ!」
「えっと、これは…」
懐から財布を取り出そうとする青年に、男は、ビシッと手を突き出した。
「お代は結構です」
「そういうわけには。だってこれ…」
差し出されたタマゴはラグビーボールくらいの大きさだった。100億円は言い過ぎにしても、そんじょそこらのタマゴよりお高いだろうことは容易に想像がついた。
貰えないと頑なに断る青年に、男はそれでもむりやりタマゴを持たせ、幸せに満ちた笑みを浮かべた。
「当店の初めてのお客様ですから、サービスです!それにお店へのアドバイスも頂きましたし」
青年はついに根負けした。
「はぁ。ではありがたく。これはダチョウのタマゴとかですか?」
男は首をかしげた。
「ダチョウってのは聞いたことがないですね。それはタマゴを生むんですか」
「はぁ」
青年はそれ以上聞かなかった。店を後にする青年に、男は思い出したように付け加えた。
「食べ時もタマゴのきまぐれですので」
「はぁ」
何から何までへんてこだったな。青年は、そう思いながら、旅路に戻っていった。
◇◇◇
青年とタマゴの旅はなんだかんだで続いていた。花びら舞う草原も、汗のしたたる灼熱砂漠も、紅葉散らす滝川も、目も眩むような銀世界も、一人と一つはいつだって一緒に旅をしていた。
実を言うと、旅を始めて3日目に、青年はタマゴを食べようとした。ちょうどお腹が減ったので大きな目玉焼きを作ってやろうと思ったのだ。
ちょうどいい真っ平らな石。ギラギラと音が聞こえてきそうなほどの真っ赤な太陽。ころんと丸い大きなタマゴ。必要なものは全て揃っている。大きなタマゴの割れる音、白身がジュッと焼ける音。目を瞑れば聞こえてくるし見えてくる。その日は絶好の目玉焼き日和だった。
なのに、それなのにだ。残念ながらタマゴが全く割れなかったのである。ぐーで殴っても、トンカチで叩いても、尖った岩に投げつけても、崖から突き落としても、タマゴにはひび一ついれることが出来ない。空腹と疲労とで苛立ちMAXの青年は、肩で息をしながらタマゴに指を突きつけた。
「それでもタマゴか!」
当然タマゴからの返事は無く、青年はタマゴをいそいそとしまって、また旅を続けることになった。
それ以来、青年はタマゴを食べようとはしなかった。食べられないからといって捨てることもしなかった。ただでもらったものとはいえ、食べられないままなのはなんとなく悔しかったし、背負ったり、小脇に抱えたり、服の中にいれて雨風をしのいだり、肌見離さず一緒に旅をするうちに、この不思議なタマゴに愛着が湧いてきたからでもあった。
それに、青年には少しの期待もあった。もしかしたらこれは有精卵なのではないかという期待だ。
(「鳥かな? ワニかも。いや、カモノハシ? もしかして恐竜かも!…って、そりゃないか」)
古い考えにいつまで縛られた田舎での生活に嫌気が差し、単身飛び出て世界を旅すること幾星霜。青年はすっかり一人に慣れているつもりだったが、自分でも気づかぬうちに、この不思議なタマゴという思わぬ同行者を心の拠り所にしていた。これからもずっと一人と一つ、もしくは一羽、一匹、一頭と旅するものだと思いこんでいた。
しかし、別れは突然訪れる。
それは、山越えの最中、突然の吹雪に襲われて、運良く見つけた洞窟に身を潜めたときのことだった。
「ふぅ」
かじかんで思うようにならない指先でなんとか火を熾すと、くすんだ煙がどこかへ流れていく。風の通り道はあるようだ。ほっと息をつき、体にまとわりついた融けかけの雪を払い落とす。脱いだマントを敷物代わりにして、そこに服の中から取り出したタマゴを優しく置いた。
「ここでしばらくやり過ごそう」
タマゴは焚き火を前にして朱く染まっている。青年とタマゴの影が洞窟に長く伸びていた。ぱちぱちと炎が爆ぜる音を聞きながら、青年は自分の両手を見下ろした。けして楽ばかりではなかった旅を経て、爪は欠け、ひび割れ、節くれだった無骨なその手は、青年に田舎の母を思い出させた。
朝から晩まで畑仕事に精を出す母の手は、汚れが染み付き、洗っても洗ってもきれいにはならなかった。それに比べ、都会で出会った女性たちの美しさときたら。聞けば母親と変わらないほどの年だという。小綺麗で、華やかで、ギラギラしていて。母親にだってああいう生き方があったのに、彼女はそうはしなかった。昨日も今日も明日もさして変わらない、そういう生活を母は選んだ。青年にとって、それはつまらない人生に思えた。まるで、田舎の息苦しさを凝縮しているような人生。だけど―
「どうしているかな…」
その時、どこからともなく音が聞こえてきた。トントン、トントンと小気味良い音はどこか懐かしくもある。耳を澄ますと、その音の出どころはどうやらタマゴのようだった。と同時に、この音は、包丁がまな板で何かを切る音だと、青年は気がついた。
「なんだなんだ」
青年はタマゴを持ち上げ、耳をピタッとくっつけた。今度はグツグツと何かが煮えたぎる音がする。心なしかタマゴも熱を帯びている気がする。そのうち、ジュウジュウと何かを焼き、パチパチと何かを揚げる音もしてきた。
青年はぽかんと口を開け、タマゴを見つめていた。一体何が起きているのか、彼なりに考えていたのだ。しかし、何も思い浮かばない。考えに考えて、「これはタマゴから離れた方が良いのではないか」とようやく思いいたった時、今までせわしなく音を奏でていたタマゴが急に無音になった。
「ひっ!」
青年はタマゴを持ったまま思わず身をすくめた。爆発するのではないかと思ったからだ。しかし、実際は、タマゴから電子音で『キラキラ星』が流れただけだった。
本来ならば、それも大問題だが、青年は少しほっとした。ほっとしたついでに、タマゴをまじまじと見てみると、なんとてっぺんにひびが入っているではないか。あんなに頑丈だったのに、と驚く青年を尻目に、タマゴのひびは少しずつ大きくなり、ついにその時は訪れた。
バリバリッと殻を破る音とともに、中からスプーンとフォークが飛び出し、大きく穴の空いたタマゴから白い湯気がほわっと漂ってきた。
青年は恐る恐るタマゴに鼻を近づけた。最初はすんすんと控えめに。しかし、すぐさま、大きく大きく息を吸い込んだ。温かいごちそうの香りが青年の胸をいっぱいに満たした。
ぐぅー!
ごちそうの匂いに釣られて、青年の腹が自己主張し始めた。舌の付け根から次々に唾液が溢れだしてくる。青年はごくりと唾を飲み込むと、無意識にスプーンを手にとっていた。
「いただきます!」
タマゴの中から最初に出てきた料理は黄金色のスープだった。スプーンからさらさらと零れるその具なしのスープは、焚き火を受け、キラキラときらめいていた。それはまるで、タマゴと一緒に見た、いつかの天の川のようだった。
青年は、しばし黄金色に輝く『天の川スープ』に見惚れていた。だが、見ているだけで腹は膨れない。青年は恐る恐るスプーンに口をつけた。その瞬間、温かな湯気が鼻を通過し、味わい深いスープが口いっぱいに広がった。野菜だろうか、肉だろうか、それともどちらもだろうか。調味料に頼らない素材本来の甘み、旨味。食材の旨味がギュギュッと凝縮され、複雑に絡み合い、味の深みを醸し出している。
「うまい…」
青年の手は止まらなかった。黄金色のスープが、舌から食道へ伝い、旅で疲弊した五臓六腑に染み渡る。青年の体は喜びに打ち震え、芯からぽかぽかと温まってきた。
青年はあっという間に『天の川スープ』を最後の一滴まで飲み干していた。恍惚のため息をつき、余韻もそのままにタマゴの中をのぞきこむ。すると、不思議なことに次の料理がいまかいまかと待ちわびていた。
『雪融け間近の春色草原サラダ』
『外はカリッと中はフワッと、シャンデリアサボテンのフリット』
『火山トビウオのアチアチ溶岩釜焼き』
『エトセトラ』
どれもこれも青年とタマゴが旅してきた光景をなんだか思い起こさせる、不思議で、だけども、デリシャスな料理だった。そんな数あるメニューの中で青年がとりわけ気に入ったのは、ずばり『コロリンサイコロステーキ』だ。
あれはいつのことだったか。青年とタマゴがよくある遺跡を探検した際に、大量の四角い岩が転がってくるトラップに引っかかったことがあった。『コロリンサイコロステーキ』はまさしくその時のシーンを再現していた。いまにも転げ落ちそうに積まれたサイコロステーキと、それらから逃げるようにちょこんと置かれた大小2つの付け合わせ。青年は思わずにやりとした。
「あの時は間一髪だったな」
ジュウジュウと焼き立ての音がする。青年は生唾を飲み込み、サイコロステーキにフォークを指した。フォークと肉の隙間からじわっと肉汁が染みだす。豊潤なその肉汁は口に運ぶまでにフォークから滴り落ちてしまいそうなほどで、それがさらに青年の食欲をかきたてた。いざ、実食。
「ふぉわぁ…」
噛んだ瞬間肉汁がこれでもかと溢れ出し、口いっぱいに広がる。あまりの旨さに唾液腺が刺激されて、頬の奥からよだれもどばどば出てきている。口を開くと汁だか唾だか、今にもこぼしてしまいそうだ。青年は肉の塊を存分に味わった。程よい弾力、噛む度に溢れる肉汁、肉本来の甘さと絶妙な塩味。フォークは休むことなく、次から次に青年に肉を運んでいく。青年はあっというまに『コロリンサイコロステーキ』をたいらげしてしまった。
こうして、全ての料理が青年の腹に収まった。いっぱいになったお腹をさすり、青年は我に返った。空虚な洞窟に揺らめく炎。そこにあるのは影が一つに空になったタマゴのみ。
青年は急に、自分がちっぽけな存在でこのまま消えてなくなってしまいそうな感覚に襲われた。
その時、タマゴの殻がコロンと傾いた。すっかり空になったと思っていたが、タマゴの中からうずらの卵のような球体が転がり出てきた。青年は、小さな球体をつまみ上げ、しげしげと眺めたあと、ありがたそうにそれを口に含んだ。
そして、目を見開いた。
「これは…!『ヌヌグンマッソ』!!」
青年は思い出していた。色あせた木のテーブル、どことなく古臭い空気の匂い、洗っても取り切れない土の詰まった短い爪。その手が差し出す『ヌヌグンマッソ』の皿。昔はその手を汚いと目をそばめていたが、今は全くそう思わない。人間が人間らしくあるための労働の対価とも言える皺の深く刻まれたずんぐりとした手。それをむしろ美しいとさえ感じる。窓から差す陽光が母親の屈託のない笑顔を照らし出す。
青年の頬を一筋の涙が伝った。ふと、外に目をやると吹雪は止み、厚い雲越しに陽の光がうっすらと透けて見えている。
青年は涙を拭い、勢いよく立ち上がった。次の目的地が決まったのだ。
「うちの『ヌヌグンマッソ』は、たしか、もっとしょっぱいんだよ」
青年はタマゴの殻を片手に洞窟の外へ一歩踏み出した。懐かしい味、懐かしい人へ会いに行くために。
タマゴ旅をする イツミキトテカ @itsumiki
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