第44話 死体
僕は、友達の雅富(まさとみ)と一緒に動画を投稿している。
といっても、大したものではない。おまけつきの菓子を開封しレア物が出るか試したり、ゲーム実況をしたり、と他愛もないものだ。
前回の動画でみごとゲームに負けた僕は、罰ゲームとして真夜中の心霊スポットに行くことになった。
車で向かったのは、廃病院だ。そこでは、病気を苦に自殺した少女の霊が出るという。駐車場は、割れたアスファルトから草が生え、入口のガラス戸は割れ、見るからにおどろおどろしい感じだった。
「じゃ、行ってこいよ。録画、忘れんじゃねえぞ」
運転席で、ひらひらと雅富が手を振った。
もちろん、この突撃の様子も動画にするつもりだった。
「はいはい、分かっていますよ」
僕は、スマホを手に、僕は外に出て行った。
空気中に漂うホコリが頭につけたライトの光を反射して、心霊写真のオーブのようだった。呼吸をするたびにこれを吸っているのかと思うとぞっとした。
「はい、侵入開始です~」
照らしだされた壁には、意味の分からない英語がスプレーで落書きされている。所々漆喰(しっくい)がはがれているところもあり、そのかけらがエントランスの隅に積もっている。ライトがあっても薄暗くつまずいてしまいそうだった。
奥に入ると、夏だというのに病院の中はうすら寒かった。その割りに、空気がじめじめとして気味が悪かった。使われなくなってから結構たつはずなのに、まだ消毒薬と血の臭いがしている気がした。
幽霊はあまり信じていないが、さすがに僕も気持ちが悪かった。
覚悟を決めて足を進める。まわりが静かな分、足音が大きく響いた。天井から、ぼろ布のようにクモの糸が垂れ下がっていたのを覚えている。。
ミッションは、最上階の三階まで行って、帰って来ること。怖くてできませんでした、では雅富に笑われる。
ナースステーションのカウンターが、スマホの光に照らし出される。奥で、机がいくつか、ホコリがかぶっていた。
その横を通りすぎると、廊下の両端に病室の戸が並んでいた。診療室か手術室か、ドアの色が違うものもいくつか。
進むごとに左右の扉が後ろの闇に消えていく。
天井では、死んだ蛍光灯が天井で等間隔に並んでいた。
左手に上階へむかう階段が見えた。
僕はゆっくりと階段を登り始めた。
すぐ横に、誰かが立っているような気がして振りむいた。
汚れてクリーム色になった白い壁が照らし出される。まるで人が埋まってでもいるような黒い染みが浮かびあがっていた。天井にも染みがあるから、雨漏りのせいでカビが生えたのだろう。きっと、シミの形から、人がそばに立っているように勘違いしたんだ。
「なんだ、気のせいか」
そのまま、ざっと二階を見てまわり、三階へと登って行く。
「はい、いよいよ、最上階です」
風にのって入り込んできたのか、細かい砂が足の下で鳴った。
三階も他の階と同じような作りのようだ。廊下を挟んだ左右の壁には、入院患者用の病室の扉が並んでいる。そのころには、だんだんと恐怖も薄らいでいた。
階の奥まで行ってみたが、特に異変はない。
「あー、残念ながら幽霊には会えそうにないな~」
スマホに話しかけながら、僕は引き返し始めた。
階段を半分ほど戻った時だった。
駆け上がってくる足音がしたと思ったら、目の前が急に何かに塞がれた。円い光の中に、黒い影が浮かびあがったのだ。
ぬっと現れたのは、少女。鼻同士が触れ合いそうなほどの近距離で。
『この病院には、病気を苦に自殺した少女の霊が出る』
「うわああ!」
思わず悲鳴をあげて、反射的に彼女を目の前から払いのけようとする。
たしかに重い手ごたえを感じた。
「あ!」
自分の物ではない悲鳴。そして、大きい何かが転がり落ちる。
ざわざわと、どこか遠くで木が揺れている。ゴクリと自分がツバを飲んだ音。
円い光の中、階段の一番下に、等身大の人形のようなものが放り出されていた。
床に広がる、長い茶色っぽい髪。見開いた目と、軽く開いた口は驚いた表情のままだ。 倒れているのは、黄色いぴったりとしたセーターと長いスカートをはいた女性だった。頭につけたライトの青白い光のせいで、すべてが色があせて見える。
(嘘だろ、突き落としちまった!)
女の人がどうなっているか、確認しないと。そろそろと階段をおりていく。足が震えた。
落ちたときに脱げたのだろう、階段の途中に彼女のスニーカーが転がっていた。
大丈夫かと声をかけようと、のぞき込もうとした時だった。
女性の頭の影が、ジワジワと床に広がっていった。
いや、違う、血だ。血が広がっていっているのだ。サスペンスドラマの、撲殺された被害者のように。
さびた鉄のような臭いが埃っぽい空気に混ざり始める。
こめかみを、汗が滑り落ちていくのを感じる。
まるで得体の知れない何かに触れようとするように、彼女の唇の前に手の平を近づける。
息を感じない。呼吸をしていない。
足元が崩れ落ちるというか、意識がふぅっと遠のいていく気がした。吐き気がするほど、鼓動が激しくなる。
(嘘だろ? 死んでる? 人を殺してしまった?)
このまま逃げるか?
正直、最初にそんな考えが浮かんだ。
でも、車には雅富がいる。どうやってごまかす? それに、今夜この廃墟に行くことは、前の動画を通してネット上に発表してしまっている。いずれ死体はすぐに見つかるだろう。そうなれば、動画を関して疑われることは間違いない。
逃れることはできない。終わりだ。
いくら過失だと訴えても、おとがめなしというわけには行かないだろう。
終わりだ。
事故だとしても、噂というのは広まるものだ。しかも悪い風にゆがめられて。故意に突き飛ばしたとか、襲ったとか言われるに違いない。就職も結婚も難しくなる。
終わりだ。
それより何より、自分は罪もない人を殺してしまった。
倒れた格好のまま、動かない女性から目が離せない。
この女性だっておいしい物を食べたり、友達と遊んだり、楽しいことをたくさんする権利があったはずなのに、それを自分が奪ってしまった。
体がガタガタと震える。あえぐようにしないと息ができない。まるで高熱が出たときのように寒気がする。
ふらふらと死体に背を向け、階段を登っていた、のだと思う。この辺りではあまりよく覚えていない。
気づいたのは、グッと手首を引かれた時だった。
「おい、何やってるんだよ!」
真っ青な顔で、雅富が僕の手首をつかんでいた。
そこで、自分が屋上の手すりに片手と片足をかけているのに気がついた。まるで――まるで飛び降りようとしているように。
話を聞いてみると、雅富は僕の帰りが遅いので、様子を見に来てくれたらしい。雅富には感謝してもしきれない。
「僕、僕、人を……」
僕は今まであったことを雅富に言った。
いきなり現れた女性に驚き、突き飛ばして殺してしまったこと。
雅富は、どう反応していいのか困っているようだった。ほんの少し、恐れるようにこっちを見ている。
「いや……死体なんてなかったぞ」
「え?」
(確かめないと!)
スマートホンはすぐ足元に落ちていた。
何かの拍子で画面に触ってしまったのか、録画はもう終わっていた。画面の明かりで足元を照らす。
まだ混乱しているせいでもつれる足をはげまして、あの女性の倒れている階段に向かう。
雅富は心配そうについてくる。
階段は、闇に沈んでいた。
女性の死体も、血だまりどころか血の一滴も落ちていなかった。
怖いよりも、死体がないことにほっとした。
僕は、人を殺していないのかも知れない。また、いつも通りの生活に戻れるかも知れない。
(でも、一体なにが……)
そうだ。映像があるはずだ。
そう思いだした僕は、スマホを操作した。
歩きに合わせ、画面が軽く上下する。階段しばらく降りたとき、急に動きが止まった。
『うわあああ!』
自分の悲鳴が響く。
ここで、女性を突き飛ばしてしまったのだ。
血まみれの女の子を思いだし、体が震える。
けれど、映像では女性の姿なんてちらりとも映っていなかった。
画面はしばらく動かない。そして、不安定に揺れながら屋上へ登っていった。
屋上についた辺りで、手からスマホが滑り落ちたのか、そこで映像が途切れた。
「一体、何を見たんだよ、お前?」
雅富にそう言われても、僕にも分からなかった。
再び階段に視線を戻す。
やはり、女性の死体はない。ただ、一つまみの獣の毛が一筋落ちていた。そして、鼻を覆うほどの獣臭。
あとから聞いた話だけれど、その辺りには、昔物の怪が住んでいたという。人をたぶらかして命を奪う物の怪が。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます