第21話 呪いにもにて
断じて言う。こんなバカげた事を考えついたのは俺じゃない。ユリだ。
目的の心霊スポットにむかう道は、街灯もろくになかった。ヘッドライトだけが行先を照らしている。両端に並ぶ木々は、すっかり葉を落としていた。細い道の上に枝を伸ばし、自分達の車を押しつぶそうとしているように見えた。
緊張で、手の平に汗がにじむ。隣でハンドルを握るユリも、こめかみに汗を浮かべていた。
しばらく山道を行くと、カマボコ型のトンネルが見えてきた。その前で、ユリは車を止めた。入口にいた猫が、びっくりして走りだす。そして「どうなっても知らないぞ」と言いたげに振り返り、また逃げて行った。
「ここだね」
ユリは堅い声でいった。
この場所の話を、ユリは小さい時に祖父から聞いたという。祖父は若いころ、仕事で慣れない道を使い、この山の中まで迷い込んでしまったそうだ。そして当時すでに使われていなかったこのトンネルに入り込み、怪異に遭ったという。確かに、半円型の闇からは異様な空気が漂ってくるようだった。その感覚は、高校生の時野球部が打ったボールが髪をかすめて通り過ぎていった後とよくにていた。つまりは、身の危険を感じてぞっとするということ。
実は、俺とユリは俗に言う「見える人」という奴だ。小さいとき、俺は半透明の女の子と遊んでいて母に心配をかけた事もあるし、ユリは顔が半分焼けただれた男に数週間つきまとわれたことがあるらしい。
そもそも、俺がユリと付き合うようになったきっかけも、その共通点があったからだ。中には霊感がある振りをして、人の気をひこうとする奴もいるみたいだが、実際見えない物が見えるというのは結構つらい。自分は皆と違う、普通ではないんだと思ってしまうから。例えば友人と食事中、ノドから血を滴らせる霊がこっちをうらやましそうに見ていたとして、その恐怖を訴える事はできない。言った所で変人扱いされ、「楽しんでるのに空気読めよ」の冷たい視線をあびるハメになるのが分かっているから。
そんな孤独を理解してくれたのがユリだった。同じ体質の彼女を見て、自分は一人ではないと思えるようになった。
まあそれはともかく、だからユリと俺には今目の前にあるトンネルが本当にヤバいと分かる。
ちなみに、世の中にはたくさんの心霊スポットがあるが、本当に危ない場所は雑誌やネットに紹介されない。おそらく、人間にはそういった所を避ける本能があるのだろう。ありとあらゆる負の感情が渦巻いている所は、いきがる大学生だって無意識に避けるものだ。俺達の目の前にあるのは、まさしくそういう場所だった。
「ここ、相当やばいぞ。本当に行くのか?」
そうユリにそう聞いてはみた物の、返ってくる答えはもう分かっていた。
「当たり前よ。これ以外に方法はないんだから」
予想通りの返答をして、ユリは、ゆっくりと、だがためらわずにアクセルを踏んだ。車が半円形の入口をくぐる。心なしか、車内の気温まで低くなったようだった。普通なら、一定の間隔でオレンジ色の光が灯っている物だが、さすがに使われていないトンネルに電気を通す無駄なことはしないのだろう。真っ暗だった。所々、壁に入ったしみから液体がたれている。
トンネルの中ほどまで進むと、まるで地面から生えてきたように目の前に老人の姿が現れた。クリックを連打して画像を拡大したように、男の上半身が大きくなっていく。異常事態に会うと時間の感覚が狂うと聞いたことがあるけれど、これの事だろうか。ほんの数秒のはずだったのに、俺は老人がぶつかる直前にこちらをむいたのをしっかりとみた。そして干し柿のようにしなびた顔をゆがませ、たしかに笑った。
ようやくブレーキが利いて、俺はつんのめった。シートベルトが肩に食い込む。だが、バックミラーにひいたはずの老人の死体はない。
「来た……」
ユリが小さな声でつぶやいた。ユリはこめかみに汗を浮かべていたが、やはりその唇の端は不敵に吊り上っている。
その余裕を消そうとするように、車がゆれた。誰かがドアを平手で叩く音がする。
また車が揺れて、茶褐色の手形が窓に叩きつけられた。少しずつ、透明なガラスが血の手形で塗りつぶされている。
「ひっ!」
俺は思わず悲鳴を上げた。
どこからか垂れてきた血が一筋、フロントグラスに縦の線を引く。
「あははは! やっぱりおじいさんの言った通り!」
ユリがのけぞって大笑いをした。
俺には車をつぶそうとしているようにボディを叩く見えない手よりも、ユリのその笑い声の方が恐ろしかった。
それから数日後、俺はユリの様子を見に彼の家へいった。庭の入口に入ると、玄関先でユリと警察が話をしているのが見えた。
ドラマの者よりもきっちりとスーツを着た中年の刑事が、ユリにうかがうような視線を向けている。
「実は、この近くで交通事故がありまして。もし何か知っている事があれば教えて欲しいのですが」
「へえ、誰かひかれたの?」
ユリは素知らぬ顔で応えている。
「かわいそうに、被害者は小さな女の子ですよ。小学生の。亡くなってしまいました」
その事故の事ならよく知っている。何せ、ひいたのはユリで、俺もその助手席に座っていたのだから。ピンクのカーディガンを来た、ツインテールの女の子だった。ポシェットには、母親が作ったらしい手作りの熊のマスコットがついていた。
ユリがひいた時、その子はまだ生きていた。
『あの歳なら、ナンバーだって覚えてられるわ』
ユリはかすれた声で言った。そういって、とどめを刺すために車をバックさせたのだ。
「そうですか。それはかわいそうに」
何とも痛ましい事だ、というようにユリは顔をしかめてみせた。
「実は、あなたの車と似た車種が現場で目撃されまして。少し、調べさせていただけますか?」
「ええ、かまいませんよ。でも……」
ユリは顎で庭の奥に止めてあった車を指した。
「でも、だいぶ汚れていますよ」
あれから、もちろんユリは車を洗ってはいない。彼女の車は、誰とも知れない血と、どこの物とも知れない泥で汚れていた。
ユリの祖父は、トンネルで何が起こったのか、事細かに孫に語っていた。だから、車がこういう結果になるのはユリもわかっていた。そもそも、そうするためにあの場に行ったのだから。
関係のない血と泥の中から、あの少女をひいた痕跡を探し出すのは警察も苦労するだろう。果たして警察は付着したすべての血が誰の物か、すべて特定できるだろうか。おまけに、いきなり出てきた第三第四……の血の持ち主は、たぶん俺らが産まれる前には墓の中に違いない。
これから、どうなるのだろう。決定的な証拠が出てこない限り、逮捕はされないのだろうか。それともこれほど明らかに異常な状態になっているのだから、調べ終わるまで拘留されるのだろうか?
どっちでもいい、とユリは笑っていた。
逃げ切れるとは思っていないけど、黙って捕まるのはつまらないじゃない。ちょっとした嫌がらせよ。
汚れきった車を見て、刑事の目が驚きにどんどんと見開いていくのを、俺は不安な気持ちで見つめていた。
トンネルの霊の中には、あの少女と同じようにひき逃げにあって死んだ者たちもいるだろう。そんな幽霊が、ユリの犯罪をごまかすために利用されて黙っているだろうか。
そして、それよりも恐ろしいのは、人を一人殺してもあまり後悔しているように見えず、幽霊すらも利用しようとするユリだ。そして、どうしようもない事に、俺は彼女が好きなのだ。
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