第15話 ルル

 堀内は、ひどい死に方だったらしい。見えない何かと戦ったように部屋はぐちゃぐちゃ、顔や腕、腹や背には自分でかきむしった痕がついていたってさ。思い切り耳をひっぱたいたのか、鼓膜は両方破れていたそうだ。両親が出掛けていて、止める者がいなかったのも悪かった。そうやって発狂したあとで、堀内は手近にあったハサミを喉に突き立てて自殺をしたそうだ。


 その話を友人に聞いたとき、僕は心臓が止まるかと思うほど衝撃を受けた。真夏だというのに、寒気がしたほどだった。なにも、堀内の無残な死に方が怖かったわけではない。僕にはその原因、いや犯人に心当たりがあったからだ。たぶん、同じクラスの冴島の仕業だろう。


 僕は、趣味で小説を書いていて、資料として図書室の本をよく借りる。少し前、あるオカルト系の本を借りたときだった。何気なしに記録を見て、僕の直前に冴島がその本を借りているのに気がついた。女子の中でも大人しいというか、恐がりな印象のある冴島がそんな本を借りているのが意外で、それで記憶に残っていたのだ。しかも、その本にはしおりが挟みっぱなしになっていた。当然、前にこの本を開いた冴島が残した物だろう。

 僕がそのしおりをたどると、人の呪殺方法が書かれたページが出てきた。

 黒い紙の面で顔を覆う。そして呪いたい相手の名札をつくり身に付ける。そして「私は誰々、お前を殺すのは誰々」と呪いたい相手の名前を名乗りながら、あらかじめ描いた魔法陣の上で犬や猫など、生き物をできる限り残酷に殺す。そうすると勘違いした霊に呪われた者が殺されるという。

 そして冴島は堀内達のグループからひどいいじめを受けていた。動機だったら十分だろう。


 きっと、彼女がやったんだ。そうに違いない。そう思いながらも、一方ではそれを否定している自分がいた。まさか呪いなんてあるわけない。きっとたまたま堀内が自殺しただけだ。なにより、あんな優しそうな冴島が呪いの儀式なんてやるはずがない……

 まさか本人を問いただすわけにもいかないし、誰かに相談なんてできるわけもない。忘れてしまおうかと思ったけれど、どうしても気になって仕方なかった。


 だから僕は、休みの日を狙って、冴島の家にむかった。もちろん、チャイムなんて鳴らさない。通り過ぎるふりをして、ちょっと外から眺めるだけ。一番暑い時間帯で、みんなクーラーの部屋に閉じこもっているのか、通りにあまり人影がいないのがありがたかった。

 冴島の家は庭があり、小さな花壇と犬小屋があった。その小屋に『ルル』という小さな表札がかかっているから、犬の名前はルルなのだろう。

 小屋の中の暗闇に目をやると、鎖が小屋の床でメチャクチャな線を描いている。つながれているはずの犬はそこにいなかった。

 黒い、四角い紙の面をつけた冴島の姿が僕の頭に浮かんだ。きっと冴島はルルを人目につかない場所に連れ出したに違いない。真夜中に、こっそりと。そしてじゃれついて来るルルの足を縛り、動きを封じる。

 魔法陣を描いた紙を広げ、その上にルルを寝かせる。ルルは、縄を解こうと大きな毛虫のようにもぞもぞと体をうねらせる。そして冴島は細い手に長いナイフを握りしめ、それを振り上げて……

 思わず早足になりながら僕は彼女の家を通り過ぎた。そして曲がり角に体を隠し、顔を少しだしてもう一度家を見てみた。玄関が開き、冴島本人が出てきて、慌てて顔を引っ込める。今、彼女はこっちに気づいたか? いや、すぐ顔を隠れたし、少なくとも目をあわせたりはしていないはずだ。駆け出したくなるのを抑え、できる限りさり気ない感じで僕は逃げ出した。

 

 結局決定的な確信がないまま経った数日後。

 教室の隅で、硬い音と小さな悲鳴が聞こえた。どうやら教室に飾ってあったカビンが風で倒れて割れてしまったらしい。女の子達が割れたカビンと小さな水溜まりを囲んでいる。

「ああ~もう。誰か雑巾持ってきて」

 岩崎がしゃがみこんでカケラを拾い始めた。

「ホウキでやれば? 危ないよ」

「大丈夫だって。あ、痛っ!」

 友達の注意も虚しく、岩崎は指を切ってしまったようだ。

「ああ、結構深いみたい。保健室いかなきゃ」

 ティッシュで傷を押さえながら、岩崎が廊下に出ていった。ついでのように冴島がふらふらと廊下にむかった。付き添うつもりなのかと思ったけれど、どうも違うようだった。顔が真っ青で足もふらふらしている。

 冴島の異常な様子にクラスメイトの何人かも気づいたらしい。皆なんとなく戸口にむかう冴島を視線で追った。

「そういえば、冴島さん、小さいとき交通事故に遭ったトラウマで、血がダメになったって言ってたっけ」

 誰にともなく森井が呟いた。じゃあ、岩崎の血を見て気持ち悪くなってしまったのか。

 だとしたら、やっぱり冴島は儀式なんかしていないのだろうか? あんなに血が苦手なら、生きモノを切り裂くことなんてできないんじゃないか? 冴島の様子は演技とも思えない。

 じゃあ、あのカラの犬小屋は? 


 その答えがでたのは、またしばらくしてのことだ。塾の帰り、僕は通りで冴島の姿を見かけた。辺りはもう薄暗くなっていたが、彼女が手に子犬や子猫を入れるケージを提げているのは見て取れた。

 まだ、冴島をいじめていたけれど、罰を受けていない奴はいる。きっと、そいつらに復讐するつもりだ。ここまできたら確かめないと。足がすくんでいたが、僕はついていった。

 冴島は公園の中に入っていった。きっと、茂みの奧に魔法陣を描くのだろう。そしてケージに入れてきた犬か猫を……

「美貴ちゃん!」

 声が聞こえて、僕は木の影に隠れた。美貴とは冴島の名前だ。向かいからスーツを着た冴島の母親が手をあげて向かいからやってきた。

「お母さん!」

 冴島がうれしそうに手をあげた。

「お母さん、早くルルを迎えにいこう! きっと待ってるよ!」

「そうだね、元気になってよかったね。獣医さんにお礼を言わなきゃ」

 僕はその言葉を聞いたとき、思わず笑いだしたくなった。ルルが犬小屋にいなかったのは、儀式の犠牲になったからではなかった。ただ単に、病気になって入院していただけだった。

 僕は今までしていた想像が、急にばからしい物に感じた。冴島は犬が大好きだし、そもそも血がダメなのだ。そんな奴が、自分になついているルルを八つ裂きにできるはずがない。もちろん、自分のペットではない犬や猫だって。

「あら!」

 冴島の母親が僕に気づいて頬笑んできた。

 冴島が振り返って、少しびっくりした顔をする。

 今まで疑っていた事とか、つけていたのがバレた事とかで気まずくなって僕はひとつお辞儀をして駆け出していった。


 冴島は母親の後をついていきながら、ポケットに手を突っ込んだ。折り畳んだ紙の感触がする。

(またこれに魔法陣描かなきゃね。まだ私をいじめていた奴は残ってるし、色々嗅ぎまわっている人はいるみたいだし)

 頬にとまった蚊を叩き潰す。

 血を見るのは苦手だ。子犬や子猫を殺すことなんてできない。でも、蚊ぐらいなら殺せる。捕まえた蚊を魔法陣に擦り付けるようにしてつぶすのは気持ち悪いけど、我慢できないほどではない。

 あの本には『生き物』を殺すとあった。蚊だって生き物だ。

(蚊の幽霊に取り憑かれる。言葉にするとバカっぽいけど、こんなにうっとうしくて嫌な物ってそうないと思うけど)

 耳元を、目の前を、いつもいつも飛び回る、殺せも追い払いもできない蚊。それと戦って、結局堀内は狂い死にしてしまった。

「ねえ、お母さん」

「何?」

「アメーバとか、プラネリアとか、体が切れて分裂したら、それぞれ違う生き物になるんでしょ? そうなったら、魂も二つに分かれるのかしら」

「フフ、なによいきなり?」

「ううん、別に。ただちょっと思っただけ」

 もう日が沈んでいるのに蒸し暑い。まだまだ蚊はいなくならないようだ。

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