第14話 同居人
前に買ったブルーベリーヨーグルトが、いつの間にかなくなっていた。三日前、確かに買ってきたはずなのに。
風呂上がりに冷蔵庫の前で、私は首をひねっていた。
「おかしい……私、いつ食べたっけ?」
私は一人暮しなので、勝手に人の物を食べてしまうような同居人はいない。三十代OLで、食べたことを忘れてしまうほど歳をとっているわけではない。
(いや、いや、待て。ひょっとしたら、飲み会でベロベロに酔っ払って帰ってきたことがあるから、その時に食べちゃって覚えてないに違いない)
これ以上考えると色々不気味な考えが出てきそうで、私は自分にそう言聞かせた。
朝になり彼女が出勤して、忘れ物を取りに戻ってくる心配もなくなるほど十分な時間が開いたころ。天袋がゆっくりと開いた。そこから破れた靴下をはいた足が二本、ぬっとたれる。天袋から現われたのは不精ヒゲをはやした男だった。
ホームレスだった自分が、空き巣に入ったこの部屋を気に入り、天袋に隠れ住むようになって三ヵ月ほど前だ。もちろん、それだけ長い間ばれずに過ごすには、細心の注意を払った。
あの女は朝になると仕事に出かけるから、本来なら帰ってくるまで大きな音を出さなければそれなりにのんびりできるだろうが、男は必要最低限の時にしか戸棚の中からでなかった。マンションの三階とはいえ、誰がガラス窓からこの部屋を見ているとも限らない。うろつき回る自分の姿が見られ、「アイツは誰だ」とでも女に告げ口されたらたまった物ではない。
また、部屋にある物は極力触らないようにした。テーブルの上を動かして、女に「これ、ここに置いたっけ」と不審がられてはいけない。
用足しと冷蔵庫の物を失敬する以外は自分の居場所にこもる生活は、多少キュウクツだが雨風は防げるし、暑い夜には女がクーラーをかけてくれる。路上で寝ていた時に比べれば天国のような生活だった。それに、風呂上がりに半分裸のような格好で歩く女を隙間から見下ろすのは何ともいえない楽しみがあった。
が、そろそろ潮時のようだ。女は薄々こっちに気づき始めているようだ。女はずぼらな性格で、買いためた商品の内訳を忘れてしまい、パンやソーセージなどいただいていたのだが、さすがに不審に思い始めたようだ。そろそろ家を出ていくべきだろう。けれど、ここを出たらまたこんな風にちょうどいい隠れ家が見つかるとは思えない。またアスファルトの鉄板で焼かれる生活になるかと踏ん切りがつかなかった。
やっぱり、何かがおかしい。
一度疑問に思うと、疑念は女の中でどんどんと膨らんでいった。今も、誰かに見られているような。
残念だけど、私の稼ぎではオートロックの高級マンション、というわけにはかず、古いアパート住まいだ。防犯が万全とはいえない。玄関の鍵なんて、下手したらピッキングで開いてしまうかも知れない。
どこかのバラエティで見た、恐いニュースの再現VTRが頭によぎる。アメリカの一軒家の屋根裏部屋に、見知らぬ同居人が住んでいたという話。
思わず、戸棚や戸口に目を向ける。ひょっとしたら、私の部屋にも同居人がいるのだろうか? それとも何度もストーカーが忍びこんでいた? だとしたら、誰が? ひょっとして、別れたF? 確かにゴネで別れるのに苦労したけれど、彼がそんなことができるとは思えない。それとも子離れしてない父がこっそり見にきている? それも考えづらそうだ。
とにかくなんとかしなければ。警察にいう? けれど実際に誰かを見たわけではないし、盗まれたのはちょっとした食べ物だ。それに、警察とはいえ知らない人に部屋の隅々までチェックされるなんてとんでもない!
ネットカフェで隠しカメラをぬいぐるみに仕込む。録った映像をリアルタイムでスマホに飛ばしてくれるという便利なモノだ。
ぬいぐるみを部屋に置くと妙に緊張してきた。明日は有給を取って、自分の部屋を見張ってみよう。
ようやく出ていく決心がついた男は、この部屋を立ち去る前に何か金目の物でもお土産に持って帰ることにした。
とりあえず、タンスの引き出しを開け、アクセサリーをいくつか失敬する。続いておしいれの中を開けた。途端に腐った魚に下水の匂いを足したような悪臭が体を包んだ。洗っていない洗濯物でもため込んでいるのだろうか?
「うわ! なんだ?」
押入に入っていたのは大きめの衣裳ケースだった。半透明の箱の中には、赤黒い、ゼリーのような物が入っていた。
「気持ち悪い……」
半分怖い見たさで衣裳ケースのフタを開けた。とたんに匂いが強くなる。フタを開けた振動で、中身がかすかに揺れる。それはたぶん、消臭剤だろう。
その赤黒いゼリーの中に、荷物のように紐で縛られたブルーシートが沈んでいた。
ごくりと唾を飲み込んで、手近にあったハンガーで包みをつっ突いてみる。もとは大きかった中身が小さくなったのか、結び目は硬いものの紐とシートの間はかなりゆるかった。紐が外れ、ブルーシートが開きかけ、隙間ができる。
ピンポン玉のように濁った瞳が、その隙間から男を見ていた。
思わず仰け反った男の背に、何かが背に当たった。振り返ると、この部屋の女が立っていた。手にバールを持って。女が手のバールを振り上げ、男の頭に、
倒れた男を前に、私はため息をついた。まさか本当に部屋に住み着いている奴がいるなんて。スマートホンの着信を見て駆けつけてみたらこのザマだ。
腐ってほとんど原型のない生首が、恨めしげに私をにらんでいる。元彼のFは、本当に別れるのに苦労した。ゴネてゴネて、あの世に強制送還しないとならなかった。死体を処分する空き地なんかなく、焼くわけにもいかず、コンパクトに切り分けてしまっておいたのだけど。
さすがに二人分の死体を収納する余裕はない。さて、どうしよう。
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