第4話 W(ダブリュー)のリング
後妻である明美の死は、間抜けなほどあっけないものだった。駅で、落ちた指輪を拾おうとして身を屈めたひょうしにホームから落ち、やって来た電車に切り刻まれたのだ。普通、指輪なんてすぐに外れるものではないだろうに、運が悪いとしかいいようがない。
前妻の優子と別れ、不倫相手だった明美と結婚したのは数年前のこと。二人の妻の間に子供はなく、明美が死んだ今、家族と言えるのはペットの犬のブロックぐらいだ。しかしその犬も獣医の世話になりっぱなして、もう長くはないだろう。
「これが奥様の遺品です」
そう警察から渡された物の中に、小さな指輪があった。黄色がかった宝石がはまっている。妻は、これを拾おうとして命を落としたのだ。
間接的に妻を殺したその指輪の存在が、俺には不気味に思えて、まともに見るのも嫌だった。
それにこれは俺の買ってやったものではない。あまり高そうな物ではないし、明美が自分で買ったのかも知れないが、それでも俺に一言あってもいいのに。
ひょっとしたら、他の男からの贈り物だったのだろうか。離婚した後も前妻の優子をののしるほど嫉妬深い性格だったのに、浮気をしていたのだろうか?
そう考えると、我ながら自分勝手だが前妻の優子が懐かしくなった。彼女は、俺の浮気がバレるまで、ずっと俺のことを愛し続けてくれたのだから。
気がついたら俺は優子の墓の前に立っていた。優子は、俺と離婚してから数年後、不意の病でこの世を去っている。墓参りの時期ではなく、優子の実家のM家の墓には誰もいない。線香を手向け、祈り終わって顔をあげたとき、妙な違和感があった。
優子の墓の前、骨壷を入れる空間のふたが少しずれていた。
「え……」
思わず線香をつけるためのロウソクを近付け、中をのぞきこんだ。
針金でくくられ、変色した骨壷が整然と並んでいる。
おかしい。前妻の家の墓だから何人の先祖が納められているか知らないが、優子が亡くなったのは比較的最近だ。それなりに新しい物がなければおかしい。それなのに入っているのはどれも何十年も経っていそうな物しかない。それが、なぜ?
ありえないとは思いながら、優子の幽霊が自分の骨を抱いて墓から抜け出る様がつい頭によぎった。
警察や優子の実家に連絡を入れてから、俺は自宅へ戻った。
暗い居間の電気をつけると、ソファの上で愛犬のブロックが死んでいた。まだ子供の頃から一緒にいたシュナイツァー犬。そっと背中を撫でてやりながら、涙が止まらなかった。
けれど、いつまでも泣いているわけにはいかない。ペットの葬儀をしてくれる業者を探さなければ。
毛布を敷いた段ボールにブロックを寝かせて、パソコンを立ち上げる。
かわいらしい犬や猫のイラストや写真で飾られたサイトをめくると、メモリアルジュエルというのが目に入った。
ダイアモンドは突き詰めれば炭素の塊だ。動物の骨にも炭素が含まれている。つまり、愛犬の骨を使い、特殊な技術で記念のダイアを造ってくれるという。そのサイトに載っている宝石の写真は、淡い黄色をしていた。
マウスを持つ手が汗で湿ってくる。机の上に置いていた明美の指輪が輝いた。輪の中に、アルファベットが刻印されているのに気が付く。
『Y・M WWW』
Y・Mは優子のイニシャルだ。そして優子の骨壷がなくなった墓。口が乾いて、俺は唾を飲み込んだ。
この宝石は前妻だ。優子の骨で作った宝石だ。優子は、明美で自身の身を飾ったのだ。でも、明美はなんでそんな事を。そしてこの『WWW』は……
開きっぱなしのサイトの隅で、広告がちかちかと瞬いている。ギャグマンガらしいイラストの上を、あおり文句が右から左へと横切っていく。
『うはWWW こんなんでも主人公WWW』
笑いと嘲笑を表わすw(ダブリュー)の連打。
泣きも笑いもできない石になった相手に、自分の幸せを見せびらかすための指輪。でも明美は結局この指輪を拾おうとして……
遠くで電車の警笛が鳴った気がした。どこかで勝ち誇った優子が笑っている気がした。
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