2-6 終

「こんにちはー」


 まずは製造場から抑えるべく、松本と志登は〈イータ〉の工場に出向いていた。身分証を提示し、受付の社員に入れてもらう。南鐘を呼んでくると言い残してその社員は応接室を出ていった。


「なんかスムーズすぎない?」

「そういうときもある」


 ふうん、と相槌を打って松本は軽く肩を回した。運転にはだいぶ慣れたが、長い時間同じ姿勢でいるのは苦手だ。


「おまたせしました」


 数分して、南鐘と思しき人物が部屋に入ってきた。三十代後半から四十代前半といった見た目の彼はどことなく慌てた様子で、こんにちは、と挨拶をした。松本と志登は身分証をもう一度提示し、時間を割いてもらったことに礼を述べた。南鐘はそれを汗を拭きながら聞いて、構いません、と手を振る。


「それで、二日前の夜のことをお聞きになりたいんだとか」

「ええ。情けない話ですが、〈アンダーライン〉の隊員が職務質問をかけようとしたところ、アルコールとおぼしき液体をかけられたあと、危うく殺されかけた事件がありまして」

「それで、うちの醸造所を疑っていらっしゃると?」


 先ほどの慌てた様子とは一転して剣呑な声を出す南鐘にいいえ、と志登が言う。


「ただ、このトラックに見覚えがないかと思いまして」


 志登は櫻井が血眼になって解析した監視カメラの映像を見せる。各地区から別地区へと渡るゲートに設置されている監視カメラは暗視対応しておらず、ずいぶんと苦労したが『南鐘運送』と書かれたトラックを発見することができた。


「これ、南鐘さんのご親戚が営まれている会社ですよね」

「そうですが」

「……南鐘さん、〈ゼータ〉に入る運送業者が厳しく管理されているのはご存知ですか?」


 志登に続いて松本がデータを提示した。〈ゼータ〉に酒を運搬する業者は厳しく管理されている。どの会社がどの運送業者を使っているかは予め登録されており、変更する場合にも手続きが必要になる。


「このリストの中で『南鐘運送』を使って〈ゼータ〉に酒を入れている業者は『恵雨ブルワリー』だけなんです」

「……あの日、通常商品以外にあなたは何を運び入れたんですか?」


 静かに訊ねた松本に、南鐘は押し黙った。


「――じゃあ、話を変えましょうか。この工場ですけど、ずいぶん敷地登録面積が広いですね。ですが、ビール工場として稼働しているのは一棟しかない。向こうに見えるもう一つの工場は、なんですか?」


 志登の問いかけに南鐘は口を開く。


「お客様にはお出しできない試作品を作る場所ですよ」

「なるほど。例えば、工業用アルコールから醸造する酒とか、ですか?」


 志登が問いかけると南鐘の顔色が変わった。当たりだ、と志登は確信して話を続ける。


「最近、〈ゼータ〉の酒商売を取り仕切っている『長峰流水』という人物が亡くなったのはご存知ですか」

「はい。彼を通さないと、商売できませんからね」

「――彼?」


 志登のつっこみに南鐘は慌てて口を押える。


「長峰は性別すらほとんど知られていない人間です。あなたは、長峰に会ったことがあるんですか?」

「……」


 南鐘は観念したように肩を落とした。


「……長峰は、僕の祖父です」

「そうでしたか」


 名前が似ていると思った直感は間違っていなかったようだ。


「一般企業で働いていたんですが、やはり酒造りをしたいと思ってこの世界に飛び込みました。血は争えない、と皆さん思われるでしょうから彼と僕の関係は明かしていませんでした。ですが、この世界においては長峰が絶対だった。それが、だんだんと僕には枷になってきた」

「……南鐘さん、あんた」


 松本が声をかけると南鐘は先ほどの慌てた様子が嘘のように穏やかに言った。


「祖父がどうして死んだと思いますか?」

「――殺したのか」

「いいえ。酒の試飲をお願いしたんです。新作だって言って。孫としてお願いしたら、彼は快く引き受けてくれました」


 そのあと、気が付いたら亡くなっていたんですと南鐘は言う。


「南鐘……」

「残念ながら僕が彼に飲ませた証拠も、彼が酒で死んだ証拠もない」


 長峰の遺体は即座に火葬されており、解剖なども当然されていない。南鐘の言うことが事実か確かめる術はなかった。


「……もう一つ、二日前にうちの隊員を襲ったのはなぜですか」

「それは、申し訳ないことをしました。たまに酒強盗が出ることがあるんです。それで、搬送ルートを二つ用意していたんですが、それと間違えたようで」


 酒の流通はきっちりと制限がかけられている。特に【住】地区二十一番街以降の街への流通量はかなりおさえられているため、時折強盗事案が発生するのは松本たちも知っていた。暗がりの職質の仕方を変えるしかあるまい、とため息をつく。


「一応俺たち腕章もしてるんですが」


 松本が腕章を見せるが「暗がりで見えなかったのだと思います」と南鐘は素っ気ない。夜の見回りには蓄光の腕章を採用しておくべきか、とこちらにもため息をついた。


「酒を飲ませたのはなぜですか」

「それは、ちょうどよかったんで試飲してもらおうかと。あまり大々的にはできないことですし」

「……ちょうど、よかった」


 彼の言い分は筋が通らず、松本は頭痛を覚えた。この人間にこれ以上何を言ってもきっと響かないのだろう。


「一歩間違えれば死人が出ていたんですよ」


 声を荒げそうになるのを必死に抑えながら松本は言う。


「それは、大変申し訳ありませんでした」


 殊勝に頭を下げる南鐘に、志登が厳しい声をかけた。


「南鐘さん、あなたは今回、我々の業務妨害と傷害で罪に問われます。長峰の件は、あなたが何を言ったとしても、立証できない」

「そうですか」


 南鐘はにこやかに言う。


「ただ、いつかこの行いを悔やむ日が来てほしいと俺は思っています。あなたがやり直すために」

「……」


 志登の言葉は祈りだった。彼もまた、この組織に身を置いて、他人のために祈る人間なのだと松本は思った。

 カチャン、と軽い音がして南鐘の手首に手錠がかかる。


「――午前十一時二十八分、業務妨害および傷害容疑で逮捕する」


 南鐘は手錠をかけられたあとも、穏やかに志登と松本を見つめていた。





「ああいうのって、いつの時代もいるんですね」

「?」


 隊舎に戻った松本は精神的な疲労からくったりと業務机に突っ伏していた。隣で作業していた櫻井が松本を見る。


「なんて言うんですか、倫理観のない人間」

「ああ。いますね。教育の欠如なのか、元々の性質なのか、残念ながらわかりませんが」

「……ああいう人間には俺たちの言葉も行動も感情もきっと届かないと思うんです。でも、志登さんは諦めず言葉をかけた。それが俺には少し不思議です」


 松本の言葉に櫻井はそうですねえ、と相槌をうった。


「言葉が届くかどうかはわからなくても、声をかけたいって思ったんじゃないですか」

「……言葉が届くかわからなくても」


 櫻井の言葉をおうむがえしに松本は口にした。


「その時はわからなくても、あとになって響くこともあると思うんです。副隊長にはそんな経験ありませんか」


 ――大丈夫、いつかその能力を評価してくれる人が現れるよ。


 不意によみがえる声があった。


「あります、ね」

「そういうことです。きっと」


 いつか届けばいいと思ったんですよ、志登副隊長も。

 そう言って櫻井はにこやかに笑った。そして、松本の端末を指摘する。


「さっきからずっとバイブが鳴ってますよ。出てきたらどうですか」

「――あ、すみません。お言葉に甘えます」

 松本の私用の端末には「幹夫さん」という表示が出ていた。珍しい、と思いながら松本は端末を持って執務室を出た。





「――もしもし、幹夫さん?」

『おう、山次。解決したか?』


 報道を見たのか、はたまた多久からの連絡か。こちらをうかがう言葉に松本は返事をする。


「うん。無事に解決した。あ、持たせてもらった夜食ありがとう。梅干し相変わらず酸っぱかった」

『はは、そうやろう。あいつらしい味しよる』

「うん。あと隊長からもお礼を言っておいてくれって言付かってる」

『はは、ほうか』


 星野は電話の向こうで朗らかに笑った。しばらくして笑いを引っ込めた彼は松本に言う。


『また、いつでも帰って来い』

「今度は事件が起きないように祈っておいて」


 それはお前の運次第や、と星野は電話の向こうで笑った。つられて松本も笑いながら、ありがとう、と礼を述べた。


「また帰るよ」

『身体に気をつけろよ』

「幹夫さんもね」


 じゃあまた、と言って松本は通話を終了した。先ほどまでのクサクサした気分が少し晴れたようで、もう少しがんばるか、と松本は背筋を伸ばした。



【2-6 END】

【第二話 Moonshiner 完】

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