2-5
『飲み処
「こんばんは」
二人が入店すると、カウンターの裏からスキンヘッドの老年の男――多久が顔をのぞかせた。二人の顔が見えると破顔する。
「おう、稲堂丸から聞いとるよ。さ、座れ座れ」
カウンターを手で示してくれた彼の言葉に甘えて二人はカウンターに座る。
「ありがとうございます」
「飲んでくか?」
「いやまだ仕事中なんで」
志登が断るが、松本は「志登さん飲めるなら飲んでいいよ。俺が運転して帰るし。営業邪魔してるのに悪いだろ」と付け加えた。松本は酒に弱いが志登は強い。
「じゃあ、一杯だけ。おすすめの芋焼酎ロックでください」
「俺は運転手なんでウーロン茶にします」
志登の酒の強さに苦笑しつつ、多久は二人に飲み物を出すと、自分も手に水を持って話を始めた。
「値上げしたのは、ここ数年で新しく入ってきた業者が最初やった。まあ、長峰のやり方は少し古かったし、新しい業者の方が反発が大きかったんやろうな」
「古かった?」
「ある種ワンマンやろ。長峰の言うことは絶対、みたいな空気に嫌気がさしてた連中もおった。長峰は酒に関する不正を許さんかったから、なんとかまとまっとったが」
ちなみにわしは嫌いやなかったな、と多久は付け加えて、懐かしむような顔をした。その顔に松本は訊ねる。
「やっぱり長峰ってもう、死んでます? あと、生前に会ったことありますか?」
「ああ。数週間前にな。死んだあとも早かった。火葬ができるようになってさっさと火葬された。本人によって通夜も葬式も告別式もするなという遺言がしっかり作られとったらしい」
証拠については火葬場の使用記録の閲覧申請出したらいい、と多久は言った。
「それと、長峰自身に会ったことはない。やつの代理人ならあるが、そいつも長峰のことはほとんど知らんと言っとった」
「……そうですか」
「不思議だよなあ」
そんな不思議なやつがどうしてこの街の酒の製造・販売ルートを管理してたんだろうな、と多久は言った。
「……不思議だからこそみんなが畏怖の念を持って接していたんでしょうね」
うーん、と志登は考え込んでしまった。松本は志登に声をかける。
「志登さん、ごめん、俺ちょっと外に出る」
「おう」
店内では煙草を吸う客も多い。松本には刺激が強かったか、と志登はその背中を見送った。その様子を見た多久がもしや、と志登に声をかける。
「……あいつ、星野の秘蔵っ子か?」
「秘蔵かどうかはおいておいて、星野教官に世話してもらったって言ってましたよ。あ、多久さん星野教官の同期でしたっけ」
「おう。時々話は聞いとったが、そうか。あいつか」
「ずっと第五部隊にいたみたいで、俺も数か月前に初めて会いました。いいやつですよ」
「ああ、星野が最初の配属部隊に口添えしたって言ってたっけな。たしかに【住】地区で働くのはちときつそうやな」
多久はやや心配そうに松本が出ていった先を見た。
「でも、今のところ本人は楽しそうにしてますから大丈夫ですよ、多分。……あの、ところで俺たちもう一つ聞きたいことがあるんですけど」
「ああ、悪い。話脱線させたな」
「最近、新しくこのあたりに入ってきた酒造元でも、卸業者でもいいんですけど、なにか知りませんか」
「おう。知っとるよ。この間名刺を渡してきた兄ちゃんがおった。新しくクラフトビール?作り始めたってさ」
ほれ、と言って多久は志登に名刺を見せた。『ブルワリー
「なんかちょっと長峰に名前の響き似てませんか?」
「似とるな。でも、それだけや」
「……そうですね」
似ているからといって、南鐘に揺さぶりをかけるわけにはいかない。明日以降に聞き取りをするしかあるまい、と判断して志登は手元のグラスを空にした。
「ただいま。悪い、任せっぱなしにして」
「いやこっちは大丈夫。お前は大丈夫か」
「あーおかげさまで。なんかわかった?」
松本はカウンターに再び座り、すっかり氷が融けてしまったウーロン茶に口をつけた。
「明日の仕事ができたぞ」
志登は松本に南鐘の名刺を見せる。みなかね……とつぶやいた松本がそのあとに、
「なんかちょっと長峰に似てない?」
と続けたので、それはもう俺がやった、と志登は先回りして発言を封じた。
「いくら長峰が死んだとはいえ、密造酒なんて作ろうとするやつはこの街にはほとんどおらん。おるとしたらおそらく新参者、って捜査の筋書きはいいと思うぞ。またなんぞあったらいつでも来てくれ。あ、いや、何もなくても普通に飲みに来い」
多久はそう言うと、財布を取り出そうとした二人の手を止めた。
「いいよ。久しぶりにわしも楽しかった。おごったる」
その代わりまた来い、今度は仕事抜きで、と再三念を押されてしまった二人はわかりました、と返事をするほかなかった。
「ご協力、ありがとうございました」
「気をつけて戻れよ」
店を出た二人へ優しい声がかかる。その声に深々と頭を下げて、二人は隊舎へと戻る自動車に乗り込んだ。
○
翌日――事件発生日をゼロとして二日目の朝、ようやく全員の生活リズムがそろい、日勤の時間帯に集まることができた。昨夜、隊舎に帰還した松本と志登が、南鐘のブルワリーについて調べたところ、【住】地区七番街〈イータ〉に製造場があり、経営者――南鐘の自宅兼研究所は【住】地区五番街〈イプシロン〉にあることが判明した。
「……これでなぜ、隊員が襲われたかがおよそ予想出来るな」
「そうですね」
電子ボードに浮かんだ地図の点を松本は指さす。
「おそらく、〈イータ〉にあった工場から運ぼうとしたものと、〈イプシロン〉の研究所から運ぼうとしたものがあったんでしょう。出所が二つあれば、誤魔化しが効くと思ったのかはわかりませんが」
「少なくとも、我々の調査の手間は増えるな」
少し腹を立てたような声で六条院は言う。その横から志登が口をはさむ。
「そういえば、思い出したんだけど、松本お前、変なニオイがするってずっと言ってなかったか?」
「あ、そうだ。してたよ。俺には嗅ぎなれないニオイ」
「……それ、こぼれたクラフトビールとかビール酵母の可能性ないか」
アルコールを普段から摂取しない松本には嗅ぎなれず変なニオイと認識されてもおかしくない。
「でも、隊員からはしませんでしたよ」
松本が首を傾げながら言うと、六条院が助けを出した。
「運搬中にこぼれた可能性はゼロではない。それとお前の鼻は利きすぎるからな。隊員を発見した現場はもしかすると、〈ゼータ〉内のビール保管庫か納品先が近かったのではないか?」
隊員からではなくその場特有のニオイならば、つじつまは合う。地図を見ると、確かに発見地点は『ブルワリー恵雨』の〈ゼータ〉内拠点だった。
「え、じゃあ俺たちがあいつらを発見できたのって割と奇跡的な確率なんですか?」
「そうなるな」
もし、彼らが正直に〈ゼータ〉内拠点に隊員を放置しなければ、彼らは見つかっていない。昨日から指摘されていたことだが、相手の詰めが甘いことが幸いしている。
松本は自身の思いがけない強運に感謝しつつ、志登に声をかけた。
「さて、じゃあ、南鐘に話聞きに行くか」
「そうだな」
「あ、行ってもいいですよね?」
訊くのを忘れていた、と顔に書いたままの松本が六条院を振り返った。
「……松本、わたしたちに許可を取ってから志登に声をかけろ」
「すみません」
叱責に謝罪を返す。六条院は松本の謝罪にため息をついて、一つの書類を出した。〈アンダーライン〉への強制協力に応じるよう要求できる書類だった。
「一応渡しておこう。相手がごねるようだったら、これを見せればよい」
「いつの間に作ってたんですか」
松本の問いかけに六条院は答えず、いいから行け、と言って書類を持たせて、会議室を追い出した。
【2-5 END】
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