異端
■は何もない荒野をただひたすらに歩いていた。虚空に向かっているのか、はたまた楽園になのか、それとも向かっているというのは自分の心だけであって、体は今も硬直しているのか。そんな中自らの罪の詳細を忘れたと自負していた■だが、そんな事はいくら■■されようが忘れることは出来ず、■は罪から逃れる事を許さない。そんな気持ちが足枷となっているのか、■は歩行すら困難に見える。少し歩き続け、遂にはその足枷が邪魔をし、何もない荒野の中、ただ一人ポツンと誰に見守られるわけでもなく転げ落ち、気を失った。
「痛った....」
朝の7時 タイマーの音がリーンと鳴り響いている中、ズキン!という腕の痛みでたたき起こされた。
朝からこんなに痛みが出るなんて、いつぶりだろうか。俺の知りうる限りでは、あの病院生活以来だろう。
「ふぅー......はぁー.......」
ベットに座り直し深呼吸を始めた。慣れたように右腕だけに意識を刷り込み、痛みを緩和していく。朝の早くからこんな腕の痛みが出るなんて、たまったものじゃない。おかげで朝は思考をせずとも、傷の痛みで、脳が覚醒していた。
「早く見てもらわないとな」
今日は定休日なので仕方ないが、明日は必ず部活帰りに早急に病院に走ろう。
「刹兄起きて~......って今日は珍しくもうベットから出てるんだね」
昨日は無意識のうちに扉を開けっぱなしにして眠っていたらしい。気づけば音が無いまま凜がモーニングコールをしてきていた。
「ん、あぁ今日はたまたま傷の痛みで起きてただけだから大丈夫」
右腕を抑えながら寝ぼけた頭で答える。
「本当に大丈夫なの腕の傷?」
凜は本気で心配した顔をして俺の傍に歩み寄ってくる。
「あぁ今のところは対処方もちゃんとあるし、念のため明日いつもの病院で見てもらうことにする」
凛には無駄な心配を掛けさせたくない。慢性的とは言え、少しは緩和できる治療を受けないと、痛みでは耐えられてもいつ痛みが来るのかという恐怖に苛まれて生きていくのは正直しんどい。
「それならいいんだけど、あんまり無理しないでね」
俺の右腕を優しくさすりながら囁く。その声が今は何にも変えられない心地よさがあった。
「あぁもちろん。無理は大っ嫌いだからな」
部活は何とか正当な理由だから休めるとして、バイトに穴を開けてしまうのは他の人に迷惑が及ぶ。次のバイトまでは、無理せずゆっくりとすごしていよう。
「刹兄らしいね」
その言葉に安心したのか、俺の右腕から離れカーテンを開け始めた。
「らしいって、どんな感じなんだよ」
あまり聞いた事はなかったが、妹の瞳に俺はどのような感じに映っているのか。不甲斐ない兄として映っているのか、それとも....
「だ~か~ら、刹兄は刹兄って感じ!」
そう言うと同時に、カーテンが凜の手によって”バサッ”と一気に広がっていた。その後も余韻を残したのか、カーテンは落ち着きを見せず、未だなびいている。”その刹兄らしいって何だよ”とツッコもうとしていた口は塞がり、今はただ、カーテンから入る陽ざしに照らされる。
「どうしたの、そんな顔して?もしかして急にカーテン開けちゃったからびっくりした」
唖然としている俺に向かって今日二度目の心配。
「カーテンを開けられただけでびっくりする高校生がいてたまるか。ただ単に寝起きだからただ、ぼーっとしてただけだ」
カーテンをいきなり開けてびっくりする人なんて先輩ぐらいだ。
「そ、それならいいけど。ご飯、もう出来てるから」
「分かった、着替えてから行く」
俺の言葉を聞き届けた後、颯爽とリビングの元へと帰っていく。おそらく、今までの朝のモーニングコールの中で一番早く終わったであろう。
パジャマのまま朝ごはんを食べるというのはやはりだらしないのない為、いつもと同じく制服のような堅苦しい恰好ではないが、例の用事の事もあるので、少しでも身が引き締まる格好にしないと。そして己を引き締めると同時にクローゼットの方へと向かう。
「う~ん、どうしよかこれ」
両手開きのクローゼットを開いた瞬間に、右から春服、秋服、冬服と多種多様に並んでいるのが目に飛び込んできた。自分で買った物もあれば、生前父さんが着ていたもののおさがりもあり、服の量でいえば、そこら辺の女子高校生をも上回る量ではないかと自負している。いつもならパッパッと似通った服をつまんで着ているのだが、この夏だけは例外。本当は今の時期には半袖を着るというのが当たり前なのだが、その分の露出が激しくなり火傷痕が目立ってしょうがない。だから夏でも薄い長袖を着るので春服と秋服のコーナーに目を落とす。
「最近これ来てなかったしな....でも」
春服の中であまり着てこなかった物達が”俺を着ろ”と言わんばかりにちらつかせてくる。一方で機能面で言えば、秋服達の方が薄くて着心地が良い。正直、この前明と服を買いに出掛けた時に、買うのに数時間も悩んでいた明を見て馬鹿にしていたが、どうやら馬鹿は俺もだったようだ。
「もうこれでいいか!」
パッ!と勢いよく取ったのは春服コーナーにあった、上はくすんだピンク柄のTシャツ、そして下は真っ白のズボンとそれっぽい物をチョイスできた気がする。下では凜も朝食を作って俺を待ってる頃だし、早く着替えて向かわなければ。
「よい....,......ん?」
上のTシャツはスッと通ったくせして、下のズボンがやたらと窮屈だ。
「そっか、これ買ったのって高校入って間もなくだっけ」
確か、明と初めて服を買いに出かけた時に上下で似合うやつを買ったんだっけな。あの時はちょうどいいサイズを選んだはずなのに一年も経ったせいで、運動してないせいでもあるがサイズが変わってきた。
「まだ、いけない事はないよな、流石に....」
若干の焦りを見せつつも、無理やり足を通すことに成功した。
「さ、いい加減向かわないと凜に失礼だ」
男にしては長い服の選定を終え、朝食のあるリビングへと向かう。
「今日は今日とて朝から凄い豪勢だな」
テーブルに並べられている料理は誰をもてなすという訳でもないのに、皿一杯の焼き肉が盛られていた。
「刹兄、最近元気なさそうだったじゃん。だから、少しでも体力付けてほしくってさ」
それでこの雑に盛られた焼き肉が出てきたという訳か。確かに気持ちとしてこの上ないぐらいにありがたいのだが、朝からこれは、流石に胃の方が持たない気がする。
「ん?どうしたの刹兄。もしかしてこんなにいらなかった?」
まじまじとテーブルを見つめる俺をハッとさせるように問いかけてくる。
「いや、そんな訳じゃないけど....」
ここで、朝食は白米と魚と卵焼きに限るよなぁ~なんて言ってしまえば、折角用意してくれた物を台無しにせざるを得ない。ここは一つ.....
「いやぁ~朝から焼肉が食べれるなんて幸せだなぁ~と思って」
凜が傷つかないようにフォローする。
「刹兄嘘ついてる」
「え?」
だが、そんな俺の演技も虚しく、あっさりと嘘だと凜にバレてしまった。
「え?ってまさかあれで演技したつもり。嘘をつくならもうちょっとマシな演技出来るようになってからした方がいいよ刹兄」
そんなにも俺の演技は下手だったのだろうかと振り返るが、そもそも演技が下手ならば振り返った所で何処が駄目だったかなんて分かりやしないだろうと思考を放棄した。
「ていうかなんで嘘なんてつく必要があったのさ刹兄。正直に量が多い~とか焼肉の気分じゃない~とか言ってくれれば良かったのに、そうすれば私全然作り直せてあげるよ」
ぷく~と頬を膨らませながら注意してくる。
「せっかく作ってくれたのに、他の料理が良かったなんて言ったら失礼かと思ってさ」
こっちは料理を作ってもらえるというだけで本当に助かってるのに、出てきた料理が何であれ、いちゃもんをつけるのは甚だしいってもんだろう。
「確かに、私以外の人に言ったら失礼になっちゃうけど、でもここは私達の家で、そして勝手に料理を作ってるのは私。刹兄の意見も聞かずに料理を作った私の責任あるし、そこはお相子って感じでさわがまま言っても良かったんだよ」
「それは流石に人が良すぎないか」
そんな性格に育ったのは兄として嬉しい限りではあるが、悪い人であろうとも理由があれば間違いなく許してしまう気がする。
「ううん私はそうは思わないよ、だって刹兄が無理して私の料理を食べてる方がよっぽど嫌だもん」
「でも、作り直すのにも手間とか....」
朝起きの不得意な俺は、凜が朝食を作っている光景を一度だって見たことはないが、二人分作るのでも相当時間がかかるだろう。
「刹兄から見て、私が料理をしている姿は義務的に映っているかもしれないけどそれは違うよ。私は好きで料理やってるんだし、それに作り直したとしてもこの焼肉昼か夜に回せばいいし」
「でも....」
「”でも”はなし。元々いつもの献立とは違う物を用意した私のミスだったんだから」
そう最後に言い放ち、今日はどの卵にしよっかな~と切り替えながら台所に立つ。
「ふぅ――――」
凜が台所に立った瞬間にリビング全体の雰囲気が一変した。台所を起点にして広がるその圧は厨房そのものだった。食材を取り出す冷蔵庫の開閉には無駄がなく、確実に使うであろう食材だけが選別され厨房に置かれる。鍋を扱うその手腕は洗礼された料理人そのもの。空中で舞う卵は凜の思うまま、グリルで焼く魚達は凜の絶妙な火加減のおかげで痛そうには見えない。
「.......ぁ」
唖然とした。今までこれを見ずに2年以上過ごしていたのを後悔するぐらいに、凜の料理を作っている姿に圧巻された。
俺が起きる前にあの料理達は提供されるのかと。それを思うだけで背中に冷や汗をかく。あれは一般人が持っていい素養を遥かに凌駕している。母さんでさえも凄いと思ったのに、凜のは次元が違う。一体何処でそれを学んだ。
「はい、できたよ刹兄」
俺が口を開けている間の時間に料理は既に完成されていた。予め、用意してあったものもあるがそれでもこのスピードはおかしすぎる。
「凜、お前....」
「だから言ったでしょ、私は料理が好きって。好きだからこんなに早く作れるの」
好きこそものの上手なれではなく、好きこそものの早くなれ、という造語がこの空間においてだけ体現されていた。
「好きでって、限度ってもんがあるだろ」
それは呆れからくるものとは正反対に、単純な驚きによって出た言葉であった。
「限度なんかないよ、好きに限度なんてあったらたまったもんじゃないし」
「.....」
あぁ、人間は驚く事象に会った時、本当に硬直してしまうのだと凛の料理を作る工程を見て思わされてしまった。
「さっ、冷めない内に食べよ」
当の本人はその偉業に気づいていないのか、そんな事よりもご飯が冷めないかの心配をしている。
「あ....あぁ」
動揺しっぱなしだが、食べない事には何も始まらないので、ありがたく食べさせてもらう。
「いっ.........」
そうして食べようと箸を持った瞬間、また右腕に痛みが走った。朝のよりかは軽めだったが、驚きの連続の後に来たもんだから、つい、箸を離してしまった。箸はころころとテーブルの上を転がってゆく。
「刹兄!本当に大丈夫?」
持っていた茶碗から手を離し、俺の右腕を優しく撫でる。
「大丈夫、ちょっと痛くなってびっくりしただけ」
少しでも凜を落ち着かせるため吉報を届ける。
「私刹兄までいなくなったら嫌だよ....」
震えた声で言う。その言葉にどれ程の辛い思いを抱えてきたかを知っていたからこそ俺は....
「安心しろ、いなくなったりしねぇって」
凜の撫でている手を右手でぎゅっと握った。凜の左腕は微かに震えていた。凜の方も医者に軽度のパニック障害を抱えていると診断され、俺の腕が痛くなるのを見ると、当時の事がフラッシュバックするらしい。だから今はただ凜の手を優しく、でも強く握る、こうやって互いの体温を感じあうことで落ち着かせる。
「.................................うん」
余程フラッシュバックした映像が綿密に描かれていたのか、目尻に少し涙を浮かべながら小さな声で返答していた。
「腕の事は明日ちゃんと見てもらうからさ、今は凜の作った朝食を食べないと、せっかくの料理が冷めちゃうだろ」
「そうだね....早く食べないとせっかくの料理が冷めちゃうもんね」
俺の言葉をそう反復し、今度こそ朝食に手を掛けていた。
俺に出来るのはこれくらいだけの事。凜の役割に比べて見劣りしてしまうが、兄としてそして亡くなった親の代わりとして、俺は凜の傍に居続ける。それだけは変わらない。
「私が頼んだ事だけど、本当に大丈夫?」
朝食を食べ終えてすぐに、約束していたマヨネーズを買いに玄関へと歩いて行ったが、その最中に凜に引き留められた。
「大丈夫だって。今は何ともないしすぐ帰ってくるから、お前は課題に集中しろ」
「課題は昨日徹夜して終わらしたし~」
どうやらあれから3時間ぶっ通しで課題に取り組んでいたらしい。あの凜でさえ3時間かかるのなら、一般生徒は何十時間かかることやら。それを思うだけで悪寒が走る。
「くれぐれも無理しちゃだめだからね」
「はいはい」
お前は俺のお母さんか。これじゃまるで非行少年が親に心配されているみたいじゃないか。と内心思いながら、玄関の扉を開ける。
「ふぅ..流石に熱いなぁ。もうちょっと涼しい恰好にしたほうが良かったなぁ」
玄関を開けたと同時に入る陽ざし。カーテン越しに伝う陽ざしとは違い、直に浴びるこの陽ざしは人間をも焼くようなん勢いで外に出る者を照り付けてくる。
「お茶用意する?」
出た後に少し静止していたのに気付いたのか、熱中症予防のためにお茶を注ぐかと聞いてくる。
「いや、ありがたいけど直ぐ帰ってくるからいいや」
それに水筒を持って歩く方が余計に体力を食いそうだし。
「分かった気を付けてね」
その言葉と同時に玄関の扉が閉まる。
「運動がてら歩きで行くか」
本当は腕の事もあり自転車に甘えたくてしょうがないが、それよりも一年前に買ったズボンが窮屈なのがショックで、少しでも運動になるような事をしないと、更に一年後にはもっと痛い目をみそうと、己に厳しく徒歩で行くことにした。
「ていうか、今って7月のはずだよな、なんでこんな暑いの」
5分程歩き、絶賛自転車で行けば良かったと後悔している最中、これからくる猛暑に絶望していた。今は7月初旬、夏はいよいよやってくるというのに、ギラギラと照り付ける太陽のせいで、気温は30°付近になっている。植物達もこの暑さに堪えられなく、風邪に揺られながら人間たちに対して水を恵んでくれ、と言わんばかりに信号を送っているが、最低限の恰好で家を出てきた俺は水なんて贅沢なものは持っておらず、無情にも水を欲している植物達の横を通り過ぎる。
「これじゃ、明の気が滅入るのも無理ないな」
明は極端な暑がりであり、陸上が終わった後は、いつも地球温暖化の話について専門家並みに話をしてくる。
「にしても、休日にしちゃ人が少ないなぁ」
今の時刻は8時半、早朝ということもあり人の出が活発じゃないのは分かるが、にしても人はおろか車すら走っていない。俺がこの街の中心なのかと思わせる程に....
「おっと、あぶないあぶない」
俺のよそ見しながら歩いている行為を律するように、信号が青から赤に変わる。信号で止まるのは俺だけ。青になっている方の道路や横断歩道に車や人の影はなく、ただ信号の”カッコー”とい音だけが辺りを覆い、奇妙なオーラを放っていた。
「う~ん渡りたいけど....」
今にも前へ進もうとする足を必死に抑える。誰も通っていないのならば、赤信号関係なしに進めばいいと、負の心が体の輪郭をなぞってくるようにして誘惑してくる。信号は言わば秩序の代表格みたいなものだろう。今の状況と同じく誰も通っていない時に行きたいけど....赤信号だし....という葛藤があると思うが、これはまさしく自分に秩序があるかどうかを試されているものだと。今この瞬間に迷わず、赤信号のまま渡っても、何の支障もなく目的地に到着でき、なんなら信号を待っていた時よりかも早く到着出来てラッキー的な感じで終わると思う。けれど次に同じ状況に出くわした時も、前者の方はまた迷わず赤信号のまま渡る。そしてその時も事故に遭うことなく目的地に到着する事が出来るだろう。しかしそれを段々と繰り返していくうちに、車がきているのにも関わらず、目的地に急ぎたいがために、赤信号のまま身を投げ出し、その結果事故にあってしまうという悲惨な結果になる。だからこういう事を起きないようにするため、信号という名の秩序は守らなければいけない。
そうこう心なのかで独白している内に体をなぞる負の心は消え去っており、信号はの方もいつの間にか赤から青へと変わっていた。結局赤から青に変わるまでの間、車や人が通るといったことはなく、結果として赤の時渡った方が早く着いていたけれども、今日もまた己の秩序を守れたのだと自分自身を褒めながら、横断歩道に歩を進めた。
「すごい髪の色だな」
歩を進めた先には、ようやく今日初めての人らしき影が見えた。
前から歩いてきたのは、緋色の髪をした男と可愛らしい笑顔を浮かべている水色の髪をした女性だった。お互い軽めのラフな恰好をしていたが、二人ともとてつもないオーラを放っていたので有名人かと勘違いしてしまいそうだった。何を話しているかは聞き取れないが、とにかく楽しそうに話しているのは目に見えて分かる。そんな中を一人歩くのに何故か罪悪感を感じた。
「..........」
徐々にお互いの差が縮まってきてるのが分かると変な緊張感が漂ってきた。このまま方向転換して避けようともしたが、
「落ち着け、いくら髪の毛が派手でも、緊張しちゃだめだ」
緊張するしないじゃない、緊張する理由がないのだ。お互いここで、挨拶を交わすという以外にはなにもないただのそんだけの関係なのだから。変に意識するからダメなんだここは意識せずに....
「おはようございます」
「おはよう少年」 「おはようございます」
そうこれでお終い。ただそれっきり.........そうなれば良かった。
「!!???!!?」
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