第2話 3

 アリシア様のご指導は苛烈でした。


 姿勢から始まり、言葉遣いの端々に至るまで、逐一修正なされるのです。


 お陰でいまではこの口調が染み付いてしまいました。


 なにより驚いたのが。


「――アリシア様、そのロープのようなものはなんですの?」


 わたしの問いに、アリシア様は手にしたそれを見下ろして微笑まれます。


「寝姿矯正具ですわ」


「ねすがたきょうせーぐ?」


「ええ。令嬢たるもの、寝ている時でさえ美しくあらねばなりません。

 シーラ。

 モニカさんに聞きましてよ。

 あなた、寝相がひどいそうですわね」


 おのれ、親友。


 あたしを売ったな!?


「い、いえ。ちょっと個性的なだけですわ」


 なんとか誤魔化そうと笑みを浮かべて言い募るわたしに、アリシア様は首を振ります。


「その個性で、いざ旦那様をお迎えすることになって幻滅されたらどうなさるの?

 また、滅多にある事ではありませんが、暗殺者などに寝所を襲われた際、そのひどい寝姿を見られてもよろしいと仰るの?」


 結婚には憧れるけど、今のところ殿方に興味を抱けないというのが正直なところです。


 また、暗殺者などが近づいたなら、たとえ寝ていても部屋に踏み込まれる前に目覚める自信が、わたしにはございます。


 そう言い張ったのですけれど、アリシア様は聞き入れてくださいませんでした。


「お黙りなさい。

 出来て言い訳するのと、出来ないのに言い訳するのとでは、その意味が変わってくるのです。

 まずは正しい寝姿を取れるようになってから仰いなさいな」


 その晩から、わたしは身体を寝姿矯正具に拘束されて眠る事になったのです。


 ――また別の日。


 アリシア様はお付きのメイドに、大量のお茶缶を抱えさせてやってきました。


「これはお茶会参加者の領地の茶葉と彼ら彼女らの好みの茶葉です。

 あなたにはこれを匂いと味だけで、わかるようになってもらいます」


 と、利き茶ができるようになれと仰られて。


 これがアリシア様ができない事なら、不満も言えたのでしょうけれど、アリシア様は見事にすべてを的確に的中してみせたのです。


「……かしこまりましたわ」


 アリシア様が仰られるには。


 お茶会において、地元の特産茶葉や好みの茶葉を褒められて気分が良くならない貴族はいらっしゃらないそうで。


 わたしは利き茶だけではなく、茶葉の美点に関しても叩き込まれたのです。


 おかげでわたしはお腹がお茶でタポタポになる日々が続きました。


 時にはお茶とお菓子でお腹がいっぱいになってしまって、ご夕飯が食べられなかったのが辛かったです。


 ――また別の日には、社交辞令などの定型文を。


 基本的に招待客で、マナーも付け焼き刃のわたしは自分から話題の中心にならなくても良いそうで。


 主催となられるアリシア様のフリへの受け答えと、他の招待客の皆様の言葉に当たり障りのない返答ができれば、今回は上等なのだそうです。


 ですが、覚える事があまりにも多いのです。


「――クラスメイトの御家や領地の特産や特徴くらい、覚えていて当たり前でしょう?

 なにも親族の交友関係まで記憶しろと言っているのではないのです」


 確認してみたところ、アリシア様はクラスメイトの四親等親族の交友関係まで把握してらっしゃって、それをトークに織り込むことができました。


 さすが公爵令嬢です。


 さすがアリシア様としか言いようがありません。


 けれど、アリシア様のお求めになる段階が高すぎます。


「――人ができる事などやれても当たり前で終わります。

 人ができない事ができてこそ、評価は覆るのですよ」


 ……ぐう。


 正論すぎる。


 こうしてわたしはひと月近くをアリシア様に徹底的に鍛え上げられて、お茶会の日を迎える事になったのです。


 お茶会はオルベール公爵家のタウンハウスの中庭で催される事になりました。


 わたしが配置されたテーブルは、アリシア様の他はわたしに否定的な方が主で。


 この配置だけでも、アリシア様のこのお茶会に対する意気込みがひしひしと伝わってくるようでした。


 要するに見返してやれという事なのでしょう。


 アリシア様が招待されたクラスメイト達に挨拶を告げて、お茶会は幕を開けました。


 気になったのは、アリシア様の右側の席が空席のままだった事なのですが、アリシア様がお気になさってないので、わたしも特に尋ねずにいました。


「――あら、このお茶はミリーナ様のご実家の茶葉ですわね」


 わたしは口に運んだお茶の香りと口当たりから、そう当たりをつけて呟きました。


 クラスメイトの顔と名前は当然、アリシア様に叩き込まれています。


 話した事のない相手でも、同じ学園に通っているのなら名前と顔を一致させてこそ貴族令嬢なのだそうです。


「え、ええ。そうですわね。オホホ……」


 ふたつ隣に座ったミリーナ様は、なぜか顔を引きつらせてそう返答なさいました。


「シーラ、こちらのケーキも召し上がってみて」


 アリシア様に勧められて、わたしはベリーソースの乗ったクリームケーキをひとすくい口に運びます。


「ほどよい甘さにベリーの酸味が引き立ちますね。

 そうそう、クリームと言えばルクシア様の領は畜産が盛んなのだそうですね。

 このケーキに使われているベリーはノイン様の領の特産でしたかしら」


 わたしが尋ねると、ふたりともやはり引きつった笑顔で。


「そ、そうでしたかしら」


「ぼ、僕はまだ家の事業に携われていなくてね」


 という言葉に、アリシア様が笑みを濃くなさいました。


 その時になってようやく、わたしも気づきます。


 この人達は、わたしやアリシア様ほど、ご自分の領の特産について知識がないのです。


 マウントを取れたと感じた瞬間です。


 アリシア様を見ると、かすかに顎をしゃくって『やっておしまいなさい』と示されました。


 やったぜ。


 アリシア様の許可が出た!


 おっと、いけない。


 興奮すると素が出てしまうのは、わたしの悪い癖ですね。


「まあまあ、のわたくしでも存じ上げている特産品を――まして自領のものをご存知ないなんて、そんなわけがないではありませんか。

 ――ああ、のわたくしの為に、あえて皆様、無知なフリをなさってくださってるのかしら?」


 わたしは隣に座るモーリス様に視線を向ける。


「モーリス様? 侯爵令息のあなたならば、きっとそちらのパイに使われてらっしゃる食材もわかりますわよね?」


 アリシア様の鍛錬のおかげで、わたしは内心を微塵も表情に出さずに尋ねた。


 ――おまえらここから、言葉の暴力でフルボッコだ。


 わたしの鍛錬の成果を思い知るが良い!

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