第4話 井上長官と宇垣司令官

「せめて、井上長官と宇垣司令官がもう少し仲良くなってくれれば良いのだが」


 松田は呟きを続けた。問題は大和だけではなかったからだ。

 援英艦隊司令長官である井上成美中将と宇垣纏少将の間が険悪だった。

 井上中将は海軍大学出の理論家で空母優先の航空派。

 宇垣少将は海軍大学校を出ているが砲術科出身で現場重視、戦艦優先の艦隊派。

 対照的な二人はソリが合わない。

 日本にいた時は宇垣少将は前職が連合艦隊参謀長で山本長官の下にいたし、井上長官は山本と主に航空主兵を進める実働要員であり二人とも山本長官の前では静かにしていた。

 だが、編成を完結し日本出撃した後は険悪な関係が続いた。

 特に去年夏にフランスが降伏した後、ドイツの接収を恐れてフランス艦艇の処理中――自由フランスへの参加か撃沈させる処置の過程で起きたダカール沖海戦は酷かった。

 イギリスの要請に基づき井上長官によりフランス艦隊攻撃を命じられた第一戦隊は戸惑った。

 特に


「昨日までの味方を、ドイツに降伏したフランス海軍の艦艇を攻撃してきていないのに撃つなど出来かねる」


 と宇垣司令官が井上長官面と向かって言って攻撃命令を拒絶する事態が起きた。

 この事件の後、井上司令長官は大和を降りて、ロンドンの日本大使館へ移動。

 そこから英国と調整しつつ艦隊に命令を下すような形になっている。

 半ば逃げ出したように見える上に、指揮下の艦艇を英国の船団護衛に付けるようになったため


「陸に上がった腰抜けが俺たちを下働きのように働かせている」


 と士官室で公然と話されるほど艦隊内での井上中将の評判は悪い。

 指揮官先頭の伝統があり日本海海戦で旗艦の露天艦橋から指揮を執った東郷を神格化している日本海軍では、陸に上がるのは良しとされていない。


「いまや戦域は広大化し一戦域に戦力を集中し指揮する事は出来なくなった。通信、連絡体制の盤石な拠点から指揮を執ることが今後の戦争には肝要である」


 と言って井上がはね除けたことも、井上長官の評判を一層悪くした。

 確かに対馬海峡で、敵の艦隊を待ち受けるのみなら伝統に従っても良いだろう。

 だが、大西洋という広大な海域を監視するには、例え英国の大艦隊を以てしても点にすぎない。

 ならば、各地の部隊から情報を集め、それを元に指揮するのは合理的だ。

 実際、欧州各地の情報を纏めるため、井上長官の艦隊司令部は拡大を重ね、大使館では手狭になり、41年の年明けからロンドン郊外の英国海軍の通信基地近くのホテルを借り上げ、司令部にしている。

 ホテル暮らしとなってから井上長官の評判はさらに下がり、艦艇乗員から顰蹙を買っている。


「実際情報はありがたいが」


 通信網が完備された今、いや情報通信技術が飛躍的に高まったからこそ、より司令部の役割は重要になっている。

 各地から集まる情報を適切に管理、評価する必要があり、何十箇所から送られてくる何百という情報を適宜処理するには、大和ほどの艦でも人員を収容する事は出来ない。

 何より作戦行動中の軍艦は無線封止を行う。

 指揮は命令を下すことであり、無線発信が不可能になると、遠隔地で行動する指揮下の部隊に命令を下せない。

 だが陸上ならば無線封止はなく、しかも軍艦とは比べものにならない強力な通信設備を使える。

 実際、司令部から送られてくる情報は過不足無く不安に思った事は知将の誉れたかい松田には一度も無い。

 しかし、海軍の中ではその価値を理解している人間は少ない。

 結果、皮肉なことに井上の評判を更に下げることになっている。


「どうにかして欲しいが」


 日本海軍最大最強の軍艦大和艦長とはいえ一艦長の身では、提督達の間に立ち入ることは憚られた。

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