第2話 別れ 2

 ニジャイの後について歩くうちに、マルの不安がつのって来た。

「ねえ、どこに行くの?」

「森さ」

 森、と聞いて、マルはゾクッと体を震わせた。森には恐ろしい妖怪がたくさん住んでいる。マルは自分が幼い頃、森に入り込み妖怪に食べられそうになった事を思い出した。

「どうして森に行くの? 怖くない?」

「別に怖くねえ。俺らの仲間には妖怪ハンターもいるからな」

「仲間? 仲間って、みんなで集まって何かしてるの?」

「まあ、来てみりゃ分かるさ」

ニジャイはそれ以上何も言わなかった。マルは黙って彼について行くより他無かった。森の入り口で、ニジャイは足の遅いマルがついてきているか気になったのか、振り返った。マルは足の裏にまで覆いつくしているイボを潰しながらせっせとニジャイに追いついた。

「お前、びびってんのか?」

「うん。ちょっと」

 正確に言えば、森の妖怪よりニジャイの方が怖かった。

 森の中に足を踏み入れたとたん、しん、とした空気が体を包んだ。とたんに頭上からザバザバッと葉っぱが落ちてきた。見上げると、案の定、木の枝には真っ黒でピカピカした目をした妖怪「森の番人」が二匹、マルの方を見下ろしている。新参者が入って来ると、すぐこんな悪さをするのだ。

「カサン人はこんな目にあったら大慌てさ。奴らは森に近付こうとしねえ。だから都合がいいんだ」

「カサン人に知られたらまずい事してるの?」

 マルは尋ねた。

「別にそういうわけじゃねえ。だけど、カサン人ってのはうるせえからな。あれはダメ、これはやっちゃいけねえ、朝から晩まで働け、約束守れ、ごみは散らかすな。よそからやって来たくせに、あれこれルールを決めて威張りやがって」

 マルは、ニジャイの言う事が分からないでもなかった。マルもあまり細かい決まり事やルールが好きじゃない。たとえそれがアジェンナを強く立派な国にするために必要な事だと言われても。しかしだからといって、カサン人に危害を加えたり物を盗ったりするような事をするのはとんでもない事だ。ニジャイの父さんのビンキャットは悪人や罪人をつかまえる仕事をしている。ニジャイがまさかそんな悪い事を企てているわけではあるまい、マルはそう信じようとした。

森の中には踏みしだかれた径があり、ニジャイはそこをずんずん進んで行く。もう何人もの人がこの径を行き来したのだろう。しかしそんな径でも、イボだらけの足のマルは歩くのに難儀した。マルがせっせと下を見ながら歩いていると、先を行くニジャイが

「よう」

 誰かと言葉を交わすのに気が付いて、顔を上げた。話している相手はマルの友達のカッシだった。マルは驚いた。確かにカッシは森で過ごす事が多いけれども、こんな所でカッシに会うのは意外だった。カッシの方もマルに気が付き、ぐりぐりした丸い目を大きく見開いた。やがてマルとカッシは、ニジャイから少し遅れて、並んで歩き出した。マルはカッシにそっと尋ねた。

「カッシはニジャイの仲間なの?」

カッシは大きく頭を振って言った。

「違う。仲間じゃねえ。違う。ただおらは奴らに道案内を頼まれた。おらはしょっちゅう森ん中入ってて、森にゃ詳しいからな。マル、おめえはカサン語が出来るから呼ばれたんだろ?」

「そうみたい」

「奴ら、すげえ金持ってんだ。すげえうまい物も。協力したらいい事あるぜ」

 そのお金やうまい物はどうやって手に入れてるんだろう、とマルは思った

 やがて、少し木を切り開いた空き地にたどり着いた。空き地には一軒の小屋があり、小屋の前にはまるで木のように背が高く、色の黒い「のっぽおばけ」が立っていた。

「あのでかい奴には見張りをやらせている。俺らの敵が来ねえようにな」

 ニジャイが並んで歩くマルとカッシの方を振り返って言った。

「敵って誰?」

 マルはわけが分からなかった。ニジャイはもったいぶったように肩をすくめただけで何も答えなかった。

ニジャイは素早く高床式の小屋の前の梯子段を上り、それからマル達の方を振り返った。マルは、カッシの後ろについて梯子段を上った。扉から中に足を踏み入れたとたん、マルはとっさに顔に手を当てた。なんという匂いだ! ニジャイとカッシの背中の向こうは濃く煙が立ちこめている。そのためすぐには分からなかったが、次第に中の様子がはっきり見えてきた。七、八人の年齢も様々な少年達が、床にごろごろ寝そべっている。少年達はみんなキセルを手にして煙を吐き出していた。寝そべっている少年の一人が、顔をこちらに向けて言った。

「おいカッシ、あれを持って来たか」

「うん」

 カッシは頷き、背負っていた袋の紐をほどいた。少年の目は、腐った卵のようにドロッとしていた。

「それにしてもきったねえよな。おめえら山のもんは。もうちょっときれいな袋に入れて持って来いよ」

「これしかねえもんだから」

カッシは自分に向けられた揶揄に対し怒りもせずに淡々と返事しつつ、袋の中から細かくちぎった新聞紙の小さな包みをいくつも取り出した。マルはその時、少年達が吸っているのはカッシら「山のもん」が栽培して売っている「魔法の粉」だろう、と思った。マルはヒサリ先生からそのような物に決して手を出してはいけない、と言われている。なぜなら魔法にかかっている間は天国にいるような心地がするけれども、魔法が切れたとたんに地獄に突き落とされたような気分を味わう事になるから、と。しかもその魔法の粉を手に入れるためにはたくさんお金がいる。カッシは一度マルにただでくれると言った事があるけれど、マルが断るとそれ以上勧めてはこなかった。その時カッシはがっかりしたような顔をした。マルを喜ばせるつもりだったのだろう。しかしマルは「地獄の気分」というのが恐ろしかったし、ヒサリ先生がダメだと言う事をしたくなかった。

 その時、部屋の中で寝そべっている少年のうちの一人がマルに気付き、荒っぽい声を上げた。

「おいおい! 汚ねえイボイボの奴なんか中に入れるなよ!」

 マルは、人からそう言われる事に慣れていたけれど、普段からそう言いそうな人には自分から近寄らないようにしていただけに、慌てて部屋の入口の梯子段を数段下りた。

「我慢しろ。こいつはカサン語が読めるから連れて来たんだよ」

「ニジャイ、お前だってカサン語の学校に行ってたじゃねえか」

「俺はたいして勉強してねえ。だけどこいつはカサン人の先生にえらく気に入られてたからな」

 ニジャイの言葉を聞きながら、マルはもう既に一刻も早くここから立ち去りたい気分だった。

「本当かよ。こいつを『ねずみ』に紹介したらがっぽり稼げるのか?」

「『アレ』が読めるんならな。『アレ』はどこにあるんだ?」

「知らねえよ。ブダイが持ってったんじゃねえか」

「ブダイ! ブダイ! どこだ!」

 ニジャイがブダイを探して梯子段を降りて外を見に行ったその時だった。部屋の奥の暗がりから、

「マルゥ? マルが来てんのぉぉぉぉ?」

 という、女の子のねっとりした声が聞こえた。マルが驚いて部屋の中に目を凝らすと、少年達ばかりだと思った中に女の子が一人いて、むっくり体を起こしたのが分かった。声には聞き覚えがあったが、その姿を見ても一瞬誰か分からなかった。

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