第10話 見守る愛
美香を追いかけてきたあきらは、店からそう遠くない公園で彼女の姿を見つけた。
キーコ、キーコと小さな金属音を立てながら微かに揺れているブランコに近づくと、その前に膝まづいて彼女の顔を覗き込む。
「美香さん……。大丈夫?」
彼女の肩は小刻みに震え、美しい顔は涙で濡れていた。そっと人差し指でその涙を拭ってあげると、美香があきらの方を見た。
「あきらくん……。私ついに振られちゃった。樹は灯さん一筋だったから希望はないって分かってたけど、でもまさか、あんなふらっと現れた女に取られるなんて……。あー悔しいな」
今にも消えてしまいそうな程、悲しみに打ちひしがれている彼女を見てあきらまで苦しくなる。
彼が知る限り、美香はずっと樹のことを想ってきた。そんな彼女の見た目に反した一途な姿にあきらは惹かれたのだった。しかし、樹を想う彼女の気持ちを優先するがゆえに、自分の彼女への想いは胸に秘めてずっと彼女を見守って来た。
そんなあきらだったが、愛おしい彼女の手をそっと握ると溢れる想いが言葉になって出てきた。
「俺ね、美香さんのこと好きだよ」
「ありがとう。同情でも嬉しい……」
「同情なんかじゃないよ。美香さんは樹さんのことしか見てないから気づかなかったかもだけど、俺ずっと美香さんのこと見てきた」
美香はあきらの顔をじっと見つめた。そこにいるのは、いつも飄々としてるバイトのあきらではなく、彼女への熱い想いに瞳を潤ませた一人の男だった。
美香は、店に寄る度いつも自分のことを心配してくれていた彼の姿を思い出し、そんな彼になら自分の弱いところをすべてさらけ出してもいいような気がした。
「樹は優しいけど、私が『好き』って言おうとするといつもはぐらかして……。だから私寂しかったの……」
あきらは黙って頷く。それに促されるかのように次から次へとため込んできた想いが言葉となって吐き出されていく。
「だから誰でもいいから私を求めてほしかった。樹のことなんか忘れるくらいの愛がほしかった……。でもダメね。結局、不倫で与えられた愛なんて虚しさしか残らなかった……」
あきらはそんな話を聞いても呆れたりせず、ただ優しい表情で彼女の手を握り続けた。
「これからは俺がずっと美香さんのそばにいるよ」
「えっ……。私、樹に振られたばかりだよ? そんなすぐには切り替えられない……」
「大丈夫。美香さんが俺を好きになってくれるならいくらでも待てるよ」
あきらの自分を想う気持ちを知り、美香は少しだけ救われた気がした。
「さっ、店に戻ろう。樹さんがきっと心配してる。あの人、表情とか態度には出さないけど、いつも美香さんのこと気にかけてるから」
そう言って彼女の目の前に差し出された彼の手を取ると、二人は並んでゆっくりと歩き始めた。
一方、彼女を追わずに店に残った樹の様子を、同じく店に残った蛍がカウンターに頬杖をつきながら盗み見た。
「あの人たち戻って来ませんね」
いとこが『好きだ』と言って店を飛び出したのにも関わらず、彼は全くうろたえていないようだ。
「あいつらなら大丈夫だよ」
「あの
「あぁ。あいつに言ったことは本心だし。それに今の俺にはお前がいるしな」
そう言うと、樹は蛍を優しく抱き寄せた。
蛍は甘えた様子で彼の胸に顔をうずめたが、心の中では自分の身体の中で起きている変化に気づき動揺していた。最近、樹のことを考える度、樹と抱き合う度、なぜか胸のあたりが温かくなるのだ。そしてその温かさは日に日に増してきている。
しばらくして、あきらと美香が店に戻って来た。二人の手は固く結ばれたままだ。
「樹……、さっきはごめん」
「いや、いいよ」
「これからも“いとこ”としてお店に寄ってもいい?」
「あぁ、そんなの当たり前だろ」
樹は美香の頭をポンと叩いた。美香は照れながらも、『じゃ、これからも特別待遇でよろしく!』と冗談を言って笑った。
そんな二人のやり取りを少し離れた所で見ていた蛍だったが、今度は自分の胸が苦しくなるのを感じた。
(この感じは一体何? 私の中で何が起きてるっていうの?)
それからは何事もなく日々が過ぎて行った。
あきらと美香はまだ付き合ってはいないようだが、美香が彼に惹かれ始めているのは一目瞭然だった。
そんなある日、偶然にも蛍とあきらが店で二人きりになることがあった。蛍にとって彼と二人きりというのは慣れなくて大変居心地が悪い。しかし、蛍は“これはチャンス”と思い、ずっと気になっていたことを彼に聞いてみることにした。
「ねぇ、あきらさん。美香さんと一緒にいる時、胸が苦しくなったり温かくなったりする?」
「ん? そんなのいつもだよ」
「なんでそんな風になるの?」
「そりゃ彼女のことを好きだからだよ!」
好きだから胸が苦しくなったり温かくなったりするの? じゃあ、私は樹のことが好きってこと……? そんなバカな……。私は樹を利用しているだけだし。それにもうすぐ約束の期限なのに、相手にそんな気持ちになっちゃダメだ!
そんな蛍の焦りをよそに、季節は初夏を迎えようとしていた。ちょうど川辺のホタルが蛹になり、まもなく成虫になって夜空を飛び回るのを待ち望んでいるのと同じ頃だった。
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