第2話 アプローチは突然に

「さっきの女の人、一体何だったんですか?」


 店がひと段落し、皿を洗っていた天堂が俺に声をかけてきた。かつての恋人あかりに瓜二つな女であること以外、俺にもよく分からない。

 女は『やっと見つけた』と言っていたが、一体何のことだ? 俺を探していたのなら、何で用件も言わずに帰っていったんだ? 

 それにしても、昔観た映画のように、死んでしまった恋人が生き返って俺のところへ戻ってきてくれたのかと思った。しかし、あれは映画の中の話なだけで、実際にそんなこと起こるはずなんてない。


「それにしても、めっちゃ美人でしたね! また会えないかな〜」


 天堂はあの女のことを想像しているのか、顔がニヤけたままだ。

 まるで、自分の恋人が別の男に厭らしい目で見られているような妙な感覚に陥った俺は、天堂の背後を通った際、大人げもなく彼の背中に肘打ちを食らわした。




 次の日、俺が一人でランチ前の開店準備をしていると、ドアベルの音とともに店の扉が開いた。

 『まだ準備中なんです……』と言いながら振り向くと、そこにはなんと、昨日の女が立っているではないか。女は俺の目の前までやって来ると、突拍子もないことを言い出した。


「私のこと覚えてますか?」


 俺はかつての恋人あかりのことを思い浮かべたが、「ごめん、分からない」と首を横に振った。

 女は表情一つ変えず、俺を尋ねてきた理由を一方的に話し出した。


「私は、13年前、ホタルがたくさんいた川沿いの道で、一人でいたところをあなたに助けられた子どもです」

「13年前……。あぁ! あの時のひどく汚れた子か!」


 彼女は、そんな俺の失礼な発言を全く気にすることなく、クスッと笑った。


 13年前、確かに俺は、川沿いで出会ったあの少女を警察に連れて行き、そこで保護してもらった。その後のことは聞かされていないし、気にも留めていなかったので、あの少女のことなんてすっかりと忘れていた。

 この女があの少女というのか? 俺は女の言葉を信じるべきか迷った。女は悩む俺のことには構わず、再び話し始めた。


「あの時のお礼がしたいんです。でも私、あなたにあげられる物は何も持っていなくって……。だから、物の代わりに私の全てをあなたにあげます。お礼として、どうか抱いてくれませんか?」


 この女、一体何を考えているんだ!? 会ったばかりの見ず知らずの女を抱くわけないだろ! 


「はっ!? よく分からないけど、お礼とかいいですから……」


 女は『私の誘いを断るなんて信じられない!』という顔をした。それでもなお、お礼を……と言って引き下がらないので、俺は“抱く”以外のお礼の方法を考えた。すると、一つの名案が頭に浮かんだ。


「じゃあさ、この店でバイトしてよ」


 今度は女が驚く番だ。


「えっ? なんで私がバイトしないといけないんですか!?」

「だって、俺にお礼したいんだろ? ちょうど人手が欲しかったんだ。同じ身体を差し出すなら、礼は働いて返してくれたらいいよ」


 女はしばらく考えたが、他に手がないと分かると、渋々俺の提案をのんだ。


「君の名前は、確か……“蛍”だったよね? 今いくつ?」

「はい。清水蛍きよみず ほたるといいます。20歳はたちです。私の名前覚えててくれてたんですね! 嬉しいです。樹さん」

「そっちこそ、小さかったのによく名前覚えてたね。そう、俺は高木樹。この店のオーナーだよ」


 男に連れられて来た昨夜の彼女は、人形のように無表情で、何の感情も抱いていないようだった。一方、今日の彼女はというと、可愛らしい笑顔で興味深そうに店内を見回している姿から、昨夜よりは年相応に見えた。


「そういえば、バイト始めるのにご家族の許可はいるかな?」


 面接もせず採用してしまう形になったので、通常であれば事前に確認しておくべきことを、俺は今さらになって聞いた。


「私、家族も家もないんです……」

「は!? 今までどうやって暮らしてたの!?」

「色々な人のところを転々としてましたけど?」


 それのどこに問題があるのかというかのごとく、女は堂々と答えた。

 “色々な人”とは言ったが、きっと昨日のような男の所を渡り歩いているのだろうと直感した。女の綱渡りのような暮らしぶりに、俺は大きなため息をついた。乗りかかった船だ。俺がこの女を保護しなければ、いつか危ない目にあうだろう……。


「この店の二階が俺の家だけど、部屋が余ってるからここに住むか?」


 女は『じゃあ、抱……』と言いかけたので、俺はその言葉の続きを手で遮った。内心、元恋人と瓜二つの女とひとつ屋根の下にいて、理性が保てるか自信がない。俺は自分自身にも言い聞かせるように女に宣言をした。


「抱きもしないし、抱かれもしない! ただの同居だ! いいな?」


 こうして二人の奇妙な同居生活が始まった。

  

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