想像的哲学仮説
@motomliu
哲学の黎明
かつて、人間たちはこの世の「真理」を知っていた。幸福とは、人生とは、神とは、その答えを知っていた。村に、一人の少年が生まれた。彼は村で唯一この世の真理を知らなかった。村人たちは、彼を生まれつきの障害者だと思っていた。しかし、村人たちは幸せのなんたるかを知っていたためこの世の真理に沿って彼とも上手く付き合った。彼は幸せだったが、「幸せ」の正体を知らないがために村人たちがたまに話す「真理」についての会話に付いていけないことを悔やんでいた。神様ならなんとかしてくれるかもしれない。その微かな希望は頭の隅っこに絡みついて離れなくなっていた。
何千年も前に、神様が死んで、その娘が新しい神様となった。彼女は非常に恥ずかしがり屋で人に存在を知られることすら嫌っていた。神様であっても、彼女は幸せではなかった。幸せとはなんたるかを知っていても、幸せになれるとは限らないのだ。
彼女が神様になってから幾らか経った頃、ある村人がやってきた。生まれながらにして真理を知らぬという、哀れな少年だ。彼は言った。「私に「真理」を教えて下さい。みんな、上手く説明できないと言って教えてくれないのです。頼れるのはあなた様だけです。」実際、彼は神様を目視できていなかった。村人たちが教えた神の居場所でなにも分からないまま願い事を話していた。すると「かわいそうに」と天から言葉が舞い降りてきた。彼はすぐに神様の声だと分かった。神様は思った。「(彼は私を見ることができない...ここに来なければ話すこともできない...こんな少年がいたなんて...)」神様は少年を憐れんで言った。「では、あなたに真理を教え手差し上げましょう」「あ、ありがとうございます!」「明日、日の昇る頃に、またこの礼拝堂に来なさい。その時に教えましょう」「はい!」少年は弾むような足取りで帰路に着いた。「きっと母さんも喜ぶだろう」そう思った。
次の日、少年は眠い目を擦りながらも、期待に胸を膨らませて、約束の場所に出発した。そして母親が作ってくれた弁当を持って、約束の場所にいた。「神様、どうか、私に真理を教えてください!」少年は叫んだ。しかし、いくら待っても返事はない。もう一度大声で、「神様!約束の時間にここに来ました!お返事をください!」。しばらく経って、声がした。「今ここに神様はいないよ」。親切な村人が教えてくれたのだった。少年はこのまま待ち続けたが、ついに日が暮れてしまった。少年は涙を堪えて家に帰り、何も言わずに床についた。
この日から彼は、人が違ったようになった。よく食べ、よく働き、仕事で実績を残し、しだいに名前も知られるようになった。しまいには、逞しく男らしく成長して、沢山の女性に求愛されるようになった。
神様にはある考えがあった。その考えを形にするために、じっと待った。何ヶ月も、何十年も、何百年も。太陽と月が呆れるくらいにぐるぐると回り、朝と夜をかわりばんこに見守った。そして、ついにその時が来た。
少年は男になり、妻ができた。子供も9人。男の子が4人、女の子が5人だ。その子供らもまた結婚し、子供を作った。そしてどんどんその人数は多くなっていった。少年が老いて死ぬ時には彼の子孫たちは何十人にもなっていた。彼の血筋の者は全員、魅力的でよくモテた。しかし、少年の子孫である彼らは全員、少年と同じようにこの世の「真理」を知らずに生まれてきた。
その時が来たとき、少年の子孫たちは世界人口の2割を占めるまでになっていた。「真理」を知らぬ者たちは自らを「ホモ・サピエンス」と名乗り、次々にあらゆる種族と争いを繰り返した。戦争を好み、嘘を好み、そして神を知らなかった。何百年前と比べ物にならないくらい増えた人類は、神に対して、すがるように懇願した。サピエンスたちに手を余していたのだ。「神様。どうか、彼らをやっつけてください。このままでは私達は滅びます。どうか、どうか...」恥ずかしがり屋の神様は言った。「彼らは横暴で醜く、そして卑劣です。しかし彼らには私が見えません。私は、それで安心するのです。」「どういうことですか?」「私は、この世で最も目立つ存在です。けれどそれが恥ずかしいと、悩んでいました。最初は些細な悩みに過ぎませんでしたが、何千年も考えているうちに、それが栄養となってその悩みを肥やし、ずんぐりと豚のように大きくなっていきました。なんども人類を滅ぼそうかと考えましたが、それは神の存在が消えるということです。そこである少年が私のところを尋ねてきたのです。彼は「真理」を知りませんでした。もちろん、私の姿も見えず、許可なく話しかけることはできません。私はそこに希望を見出したのです。何千年も私を苦しめてきた悩みから救ってくれる救世主に見えたのです。」「私は彼らに「真理」こそ教えませんでしたが、彼に「争い」を教え、「嘘」を教え、「欲望」を教えました。そして彼の血に、その力を込めました。彼らは魅力的に見えますが、実態は醜く卑劣な新種の人類です。私は、私の休息のために、あなた方が彼らに滅ぼされる日をずっと待っています。」人類は絶望した。そして、彼らが「ホモ・サピエンス」に滅ぼされるまで、数百年とかからなかった。
こんにち地球上に住まう人類はみな、その少年の血を引く子らである。我々は「真理」を時空の裂け目にうっかり落としてしまった。そして、「哲学」が産声を上げた。「哲学」とは、「真理の探求」であり、その真理を探求する無鉄砲な阿呆たちのことを「哲学者」と呼ぶ。少年たちの思春期に甘美に漂う「哲学」への薫りと誘惑は、ぽっかり空いた真理の穴を埋めるための本能的な飢餓に違いない。哲学とは神への挑戦だ。「真理」を知らぬなら考えればよい。我々にはその力がある。哲学。真理。その黎明の朝は今まさに明けたばかりである。
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