「ピ」の正体は?
せっかく中華街の後に温泉でのんびり過ごそうと思ったのだが、ウチのお姫様はまだ捜査がしたりないとのことである。
「すいません、カオル。
「あーもう、好きにしろ。どうせ温泉っつっても、オレらの予算ではスーパー銭湯くらいしか入れねえから」
「今度は、ちゃんと観光しましょう」
「約束だぜ。よし、着いた」
夜も遅いと言うのに、H県警のオカルト課は快く捜査に応じてくれた。
「すいません」
「いいんですよ、
涙で鼻をすすりながら、オカルト課の捜査官はカツ丼を貪る。
三〇代後半の男性だ。
蛍光灯の光が、彼の左手薬指に収まっているリングに反射した。
「あ、どうぞ食べてくださいね」
捜査官は、オレたちの分の出前まで取ってくれた。カツ丼と味噌汁である。
「ごめんなさいね。好みも聞かずに頼んじゃって。まあ、あの店はこれしか出ないんだけどね。あはは!」
楽しそうに話す人だ。よほど、一人は堪えるらしい。話し相手が欲しいそうな。
「ではいただきます」
店屋物でも、ありがたい。腹が減っていたので、オレはガツガツと食う。
「おかわりはありませんが、デザートにまんじゅうがありますよ。県の名物なんです」
「ありがとうございます」
お礼として、捜査資料を交換する。
「いいんですか? よそのナワバリを荒らしてしまうようで」
「ああ、構いません。バンバンやってください。ボクの方から言っておきますよ」
他部署の捜査官なんて来たら、普通は嫌な顔をされる。だが、彼は違うようだ。
「一応、他の市にも部署はあるはあるんですよ。でもねぇ。駆り出されるのはいつもボクでして」
「わかりますよ。大変ですよねぇ」
たいてい、スラッシャー刈りには強いやつが選ばれるものだ。彼も、腕を見込まれて課に入れられたクチだろう。
「つい最近、結婚したばかりなんです。が、書類整理が終わるまで帰れないんですよぉ。それに灯芯キリカの案件でしょ? 早く帰って、手料理が食いたいですなぁ」
「いやはや、なんとも」
まずいときにきてしまったか? グチ大会になりそうだ。
「すいませんが」
「そうそう、灯芯 キリカの男性関係でしたな」
こういうとき、緋奈子のKYぷりは役に立つ。話をバッサリと切って、話題を切り替えた。
「小中高と、おとなしいものでした。キリカを狙っている男子はいたようですが、どれも空振りだったようですな」
しかし、どうも実の父に性的虐待されていたのは事実だったようだ。
児相も動いていたという。
中学の頃に父が失踪したことで、結局うやむやになった。
「行方はわからずじまいで?」
「それが、その父親のものらしい血痕が道路上で見つかった以外、手がかりがないんですわ。不可解な事件でした」
今も尚、迷宮入りしているとか。
「で、犯行現場は」
緋奈子が催促すると、捜査官は地図を広げた。写真も数点用意する。
「ここが、被害のあった森です。ここの掘っ立て小屋に、異性と住んでいた形跡が」
焼け跡から、カップなどの食器類が二人分、出てきたたらしい。
「それと、こんなものが引き出しの中から出てきました」
捜査官がオレたちに見せたのは、ウェブ日記である。
誰にも見せないクローズドの日記を、スマホのメモ帳に書いていたらしい。
それを印刷したものである。
「クラウドに残っていたメモ帳を、復元したものです。この裏付けのために、ボクは毎夜毎夜泊まり込みなんですよぉ」
また、捜査官はハンカチで目頭を押さえた。
「拝見いたします」
緋奈子が、コピー用紙を目で追う。
『ピは、いつもあたしにやさしくしてくれる。だいすき』
「……ピ?」
意味不明な単語に、緋奈子が首をかしげた。
「カオル、ピってなんですか?」
「彼氏をカレピとか、好きピ呼ぶらしいぜ」
耳心地をよくするための、呼び方だろうとは思う。詳しくはわからない。
緋奈子は、理解できないとばかりに首を振った。
さすがにオレも意味がわからないので、日記をさかのぼってみる。
ウェブ上の日記はほとんど潰れていて、読めなかった。
「そこのクラウド、負債を抱えて閉鎖されちゃってるんですよ」
「誤字も多いですね」
赤丸で誤字を指摘し、赤字で予想できる文章に書き直している。
断片的に残っていたものを、とにかく読み漁るしかない。
『バイト先で、好きピができた。聞いたら同級生だった。この間助けてくれたのも、彼だった。運命じゃん!』
「ここまででは、交際相手と魔王との関与は感じられませんね」
「それなんですが、これを御覧ください」
捜査官が、箸を舐めて丼に置いた。指で、メールの文面をパシパシ叩く。
『ヤバイ男たちに追いかけ回されていたら、とある男性が助けてくれた。名前はわからない。声をかけようとしたら、一人で男たちに立ち向かっていった。あたし逃げちゃったけど、一人で大丈夫なの?』
これは、高校卒業時のことだろう。
「こんなときから、魔王は暗躍していたことになるな」
「おそらく、認識されていなかった可能性があります」
「たとえば」
「復活したばかりだったなどの理由が、考えられますね。力が弱かったからなのでは?」
となると、魔王が蘇ったのは高校卒業した辺りか、もっと前か。
『パパは、ピが食べてくれたらしい。その後、ママもいなくなっちゃった。ピがやったんだって』
「食べてくれた」という響きが、引っかかる。
「親と不仲だったのでしょうね」
「性格が歪んだのも、両親が原因だろう」
『これまであたしを苦しめていたヤツラは、みんなピが食べてくれた。うれしい』
つまり、そのピなる人物は、キリカがガキの頃からずっとつきまとっていたと。
陰ながら、キリカの障害を排除していたってわけか。
「ピが魔王と関係しているのかも、しれませんね」
「うん。なんか怪しいな、コイツ」
ピという人物は、魔王を利用してキリカに接触を試みたのかもしれない。
好意を持った相手に振り向いてほしくて、手を尽くしていたのだろう。
「それにしても、魔王を蘇らせるなんて、相当の魔力がなければいけません。ピとは何者で、魔王復活の材料をどこで調達したのでしょう?」
H県警の捜査官に話を振ってみたが、首をかしげている。
「この交際相手に関してですが、犯歴にも載っていないどころか、存在自体しているのかわからんのです。学校に尋ねても、知らぬ存ぜぬでして」
どうやら、この「ピ」探しが、この事件のカギを握っているかもしれない。
「ありがとうございました」
「いやいや、大したおもてなしもできず」
H県警を後にし、今度こそ休むことにした。
「犯行の映像に、ピなる男性はいませんでしたね?」
「だな。でも別れたって感じじゃない」
「ということは、殺害されたのでしょうか?」
「誰に?」
「弥生の月」
ピは、退魔組織『弥生の月』に殺されたのではと、緋奈子は推理する。
「じゃあ、キリちゃすの動機は怨恨ってことになるよな? 恋人を殺されたんだもんな」
だとすると、関係者が命を狙われていることは辻褄が合う。
「でもよ、弥生の月はヤーさん絡みではあっても、殺人集団じゃねえよ」
退魔師であることはたしかだが、暗殺までするとは。
「第一、ピはなんで弥生の月に狙われたんだよ?」
「魔王を復活させたから、と考えられないでしょうか?」
「焼け跡から、死体は上がっていない」
バラして処分する必要性も時間も、あったとは考えられなかった。
「調べ直す必要がありそうですね」
「ああ。だが……」
オレは、緋奈子の肩を組んだ。
背後にまとわりつく気配にさとられないように。
「なんです?」
「つけられている」
先にやるべきことができそうだ。
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