第72話 ちひさんと、船の上で

 翌日は第5曜日。

 今回の開拓地行きはちひさんと先発だ。


「行ってらっしゃい!」


 夜明け前、結愛と和樹さんに見送られ、大きい方の船で出る。


「今日の予定はどんな感じですか?」


「先々週と同じですよ。定置網を3カ所仕掛けて、あとは釣りです。

 この前みたいにガンガンに釣れてくれれば万々歳なんですけれどね」


 今回もちひさんの海岸までは私が船の操縦をしている。

 慣れたからかあまり意識しなくとも船を動かせる。 

 魔力も何となく前より減りが少ない感じだ。


 余裕があるからか、心がずっと意識しっぱなしだ。

 ちひさんに本当は言うべき事がある、という事を。

 もちろん和樹さんの事だ。


 ただどうにも口に出せない。

 どう説明すればいいかもわからない。

 時系列に沿って説明すれば出来る筈だ。

 そう思ってもうまく文章化できないのだ。


 何故だろう。

 そう思いつつ、それでも言わなきゃと思い、そしてやっぱり言えないまま。

 ただ船を走らせる。


 天気が良くて風も少なく波も穏やか。 

 だから余計に心というか思考力に余裕がある。

 その余裕が全て無駄にぐるぐるしている状態だ。


「ところでこの前の第2曜日、先輩とのデートはどうでした?」


 いきなり核心に近い質問が来た。

 ひょっとしてちひさん、もう全部知っているのだろうか。


 それでも私はすぐには言えない。

 何と言えばいいか、わからなくて。


「先輩は対人関係については器用ではないですからね。ひょっとしたらいつもの先輩と違って会話が不自然だったり論理がおかしかったりしたかもしれません。

 それでも美愛ちゃんに自分の気持ちを伝えようとして、頑張って考えたり機会を窺っていたりしていたと思うんですよ」


「和樹さんから聞いていたんですか?」


 たまらず聞いてみる。 

 ちひさんは首を横に振った。


「いえ、何というか、勘ですね。ただ今の状態は微妙に不安定な感じがする、そして動くなら自分が一番正しいだろう。先輩ならそう判断すると思っただけです。


 私も先輩も似たような失敗をしてますからね。此処で美愛ちゃんに対して失敗したくないと思う筈なんです。

 ただ先輩も対人関係はあまり器用では無いですからね。多少の無理はしたんじゃないかと」


 確かにあの日、机を見た後からの和樹さんの言動は、いつもとは少し違う感じがした。

 やっぱりちひさん、和樹さんの事をよくわかっているなと思う。

 私がどうやっても届かない感じだ。


「ただ先輩は、こうしろとか、こうすべきだとか、自分が決めた選択を他人に押しつけるという事が出来ないんですよ。こうした方がいいと思っても、それを絶対だと断定する事が出来ない。つい色々な可能性を考えてしまいますからね。


 先輩の場合、可能性を考えすぎた結果、自分の意思さえあまり強く押し通せなくなっている。それがまあ、あの押しの弱さの原因なんですけれどね、きっと」


 確かに和樹さんの言葉には強制はなかった。

 『いて欲しい』、『いて貰いたい』、『答えはすぐに出さなくていい』。

 そんなところまで、ちひさんにはわかっている訳だ。

 なら素直に言ってしまうべきだろう。

 あの日、どう言われたかを。


「一緒にいて欲しい、と言われたんです。ただ答は急がないって」


 ちひさんはうんうんと頷く。


「先輩としては上出来ですね。実際、先輩としてはかなりの勇気を振り絞って出した言葉だと思うんですよ。

 だから答はしっかり考えて出してあげて下さい。焦ったりする必要は無いですけれど」


 ちひさんはあくまで優しくそう言ってくれる。

 でもちひさんが和樹さんの事をそれだけ知っていて、それだけ思っているからこそ、疑問というか気になってしまう事がある。


 聞きにくい、聞いていいかわからない、聞くと取り返しがつかなくなりそうな事だ。

 それでも聞かないときっと私は後悔すると思う。

 そして今を逃したら二度と聞けない。 


 ゆっくり呼吸して、そして覚悟を決める。


「ちひさんは嫌じゃないんですか? ちひさん自身以外に和樹さんと女性が一緒にいるのって」


 言ってしまった。

 取り返しがつかないかもしれない言葉を。


 ちひさんは頷いて、そして優しい目で私を見る。


「間違いなく嫉妬しますよ。特に美愛ちゃんは私より若いし可愛いし、それでいて頭も良いし。

 女の子としての魅力ではちょっと勝てないです。私の強みは知りあいでいた期間が長いだけですからね。


 私だって先輩を独り占めしたいと思わない訳じゃないです。自分独りのものにしたい、自分で独占したい。そういう気持ちは間違いなくあるし、否定は絶対出来ないです」


 そこでちひさんは一度言葉を止めた。

 思ってもみなかった程ストレートな言葉だ。

 何と言うか、私に痛い。


 でもちひさんの目はあくまで優しいと感じる。

 何故そうなのか、私にはわからない。

 わからないまま、ちひさんの言葉の続きを待つ。


「でも、私は私自身だけじゃなくて、同じくらい先輩も、そして美愛ちゃんも好きなんですよ、今は。

 だから先輩が美愛ちゃんを好きなのも認めたいし、美愛ちゃんには近くにいて欲しい。先輩と美愛ちゃんにくっついて欲しい。そして家にずっと一緒にいて欲しい。

 それもまた間違いなく私の本音なんです」


 ちひさん自身だけでなく、和樹さんも、私も、同じくらい好き、か。

 何と言うか、私とは視点が違うなと思う。

 私は私だけの視点でしか考えていなかったから。

 和樹さんがああ言ってくれた事で、私なりに舞い上がってしまったというのはあるけれど。


「全てが完璧に思い通りの世界なんて、きっと無いんですよ。私の思いだけで既に矛盾していますから。嫉妬をする、でもくっついて欲しいし一緒にいたいなんて。


 だから0と1との2値ではなく、その間の自然数ではない何処かで最適解を求めるしかないと思うんです。認められる範囲内での最適解を模索するしか。


 その最適解がわからないし、何となくわかってもそこに辿り着く方法が見えない。結果、あがいたりもがいたり、病気になったりしたんですけれどね。

 でもそんな事を十年以上やると、少しだけ最適解の方向が見えてくるんですよ。錯覚なのかもしれないですけれど」


 この辺の表現までちひさんと和樹さんは似ているなあ。

 そう感じる。

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