麻宵先生は迷い続ける

Naka

第1話 その教師は答えを出せない。

 迷うという行為には一体、どれだけの価値があるのだろうか。

 パンを食べるかご飯を食べるか、甘口か辛口か、きのこかたけのこか、ビアンカかフローラか、我々現代人は生きている中で様々な迷いと直面することになる。

 迷いながら選択をして、残る一方を捨てている。この残った方を捨てたことで自分の人生にどんな影響を及ぼすのか。きっと選択をした人はあえてそれを考えずに生きているのだろう。その選択に後悔をしたくないから。

 今、高校の学食の券売機の前にいる僕こと麻宵(名字かつペンネーム)も日々迷い続けている。パンを食べるかご飯を食べるかで迷い続けるうちにそもそもご飯を食べるか否かで迷い始め、甘口か辛口か迷っていたらカレーを食べることにすら迷い、きのこかたけのこか選べなかったのでパイの実を買ったり、ビアンカとフローラを選べずに二台並列でゲームをしたりしている、普通の男だ。

 そんな僕も高良束女子高等学校に赴任し、そして1-Aの担任となった。長年の夢を叶えた僕が直面しているのはA定食にするか、B定食にするかというものだった。


「……」


 この学校は女子高ということもあってか、男性が好む大雑把な味付けで量の多い物が出てくることは激しく稀だ。今日はAがフレンチトースト、Bがマカロニグラタンだった。最近、米が無性に恋しい僕だった。


「あのー」


 背後から僕を呼ぶ声が聞こえた。


「先生、一体何十分そこで悩んでるんだよ?」

「……僕はフレンチトーストが食べたいのか、マカロニグラタンが食べたいのか……分からない……僕は何が食べたいと言うんだァァァァァァ?!」

「知らねー、つか速く選べよ」

「ていうか、さっきから僕に慣れ慣れしいお前は一体何者だ?!」


 後ろを振り返ると、そこにいたのは僕が担任するクラスの女子。とっさに名前を言おうとして、言い留まった。

 確か名前は何だったけか。五月蠅いとかやかましいとかそういう連想をする名前だった気がする。でも仮に間違っていたらどうしよう。間違えて五月蠅いとかそういう連想をする名前で呼んでしまったらそれは相当に失礼な行動だ。失礼罪に値する。教師と生徒という関係で、基本的に僕の方に権力があるとしてもダメだ。下手したら家族が介入してくるかもしれないし、警察沙汰になるかもしれない。そんなことになれば僕の人生は終わりだ。ここまで長いことやってきた努力も全てが水の泡になる。あああああああ……。


「先生、私の顔を見て長考しないでよ。通報するよ?」

「通報だって……?! それはダメだ! 僕の人生が終わる! 生徒の名前が思い出せない程度で人生が終わるなんて嫌だぁぁぁぁぁ」

「名前が分からなかっただけかよ。ていうか赴任して一か月経つんだからいい加減、覚えろよ!」

「かさ増し……かさ増し……」

「マジで忘れてるし。樫増だよ。樫増五月かしましさつき。生徒の名前忘れるとか担任としてマジでヤバいからな」


 やっぱり僕の記憶は正しかったみたいだ。それは良かった。樫増五月。茶髪の女子だ。見かけは地味そうだが、髪を染めていたりスカート丈を短くしたりと、確実に高校デビューを狙っている生徒だ。

 何を参考にしたかは知らないが、教師である僕にすらタメ語で話しかけてくる。まあ変に緊張されるよりかは別にいいのだが。


「そうだった。樫増さんでしたね。で、樫増さん。僕に話しかけるなんて何の用ですか? ちなみに僕は忘れていたのではなく、記憶が正しいのかどうか迷っていただけです」

「いやアンタが販売機の前で、じっとしてるから並んでるんだよ。記憶に確証持てないってよりヤベぇじゃねえか」


 樫増さんがくいっと後ろを指差す。その先には壁サークル並みの長蛇の列が出来ていた。


「僕のファンか」

「どう見ても違うだろ」

「しかし樫増さん。君はA定食にするか、B定食にするかもう決めているのか」

「そりゃあ決めてるに決まってるだろ。Aだよ」

「その心は?」

「いや単純に甘い物が好きだから……って何を言わせてんだよ」


 彼女は彼女の中での指針に基いて既に選択を終えているらしい。全く持って羨ましい限りだが、彼女の基準は僕には当てはまらない。何故なら僕は甘い物が苦手だからだ!


「甘い物苦手なら答え出てんじゃねえか。Bにしろよ」

「だが苦手を苦手なまま放置しているといい大人になれないと、両親から調教されてきたからな」

「先生もう大人だろ」

「それに僕がここでBを選んで、マカロニが切れたらどうするんだ。もしも甘い物が食べたくない生徒がいたとして、マカロニが無いからAにしろと言われて、その子がどういう気持ちになると思うか。苦手なフレンチトーストを苦虫を嚙み潰したような気持ちで口に入れる彼女の悲哀を君に想像できるか」

「知らねえよ。大体の女子は甘い物好きだわ。好きが高じて自制してんだわ!」


 後ろの生徒からの視線が痛い。しかし僕には女子高生からの汚物を見るような目よりも、選択をすることの恐怖心が勝っていた。


「先生。選べないならいっそ目を閉じて押せばいいんじゃない」

「それは考えましたが……券売機を見過ぎているせいで、何がどこにあるのか正確に記憶してしまっているんですよ」

「担任やってるクラスの生徒の名前に確証持てなくなる程度の記憶を信用するなよ」

「それに僕は目を閉じていても、両手の位置が感覚的に分かるんです。だから目を閉じた所で、僕が選ぶことには変わりないので無理なんです」

「そういうことを言ってる暇に選べるだろ。早くしないと昼休み終わるだろ。私の時間を返せ」


 フレンチトーストのフレンチはフランス料理とかフランス的なものに使われるアレではなく、アメリカ人のジョーゼフ・フレンチが自分の名前を料理名にしたからだ。全く持って紛らわしい。フレンチトーストなんていうのだからフランス料理だと思ってしまうだろう。


「……フレンチトースト……か」

「決めたのか?」

「いや……でもな……うーん……」

「いけ、一瞬でもいいと思ったならそれにしてしまえ!」

「うーん……ううーん……うううーん」


 どうしよう。この選択が後々何かの伏線となって僕の身に降りかかるのではないかと思うと、決断が出来ない。小学校中学校高校大学とずっと流されてきた僕に、大人になってから今更自分で決断しろと言われたって到底無理な話だ。


「先生。私はこういう時の選択が後になって負債になるんじゃないかって、いつもビクビクしてるんだよ。でも迷おうが迷わなかろうが多分どこかでその選択はする。だから今の自分がしたいことに嘘をついたらダメだと思うんだよ」

「でも、この選択が宇宙崩壊を引き起こすとしたら? 樫増さんは後悔はしないんですか?」

「宇宙崩壊なんて、する時はするんだよ」

「……」

「実を言うとさ、私もAにするとか言いつつ、Bにしようか迷ってたんだよ。でも決めた。今は甘い物が食べたいからAにする」


 人は誰しもが迷いながら生きている。一度決断したことにだって迷いは生まれる。生きていく限りこれから逃れることは出来ないのだろう。

 選ばなかった選択が、後悔が、人を成長させていく。

 まさか自分の生徒に教えられてしまうとは。教師として情けない。情けないけど、なんだかいい気分だった。


「樫増さん。僕は決めましたよ」

「先生」

「僕は……」


 券売機のボタンを押そうとした瞬間、学校内にチャイムが鳴り響いた。それは昼休みの終わりを表しており、そして僕と僕の後ろにいる数十名の生徒たちの昼飯抜きが確定した音だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

麻宵先生は迷い続ける Naka @shigure9521

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ