最初のゲートカット
「それにしても驚いたよ……。
上手いんだな。昔の天〇飯の声マネ」
「キタコとしては、モギ君がグリリバになる前の天津〇ボイスを知っていることに驚いてます」
「そこはほら、昔の劇場版とか見たから。
そもそも、俺が柔道始めたのだってあの漫画に感化されたからだし」
「ほえー……。
意外なところにルーツがあるもんですねえ」
「珍しい話じゃないぞ。
例えば、タカギがバスケ始めたのもジャンプの漫画に影響されたからだ」
「あー、そういえば、体育の授業中にふざけてコート端からスリーポイント狙ってましたね。例の投げ方で」
そのような雑談を交わしつつ、ランナーの底に埋もれた説明書を取り出す。
「おー、限定ってやつだからなのか?
箱の絵は白黒だけど、こうしてカラーで見るとむちゃくちゃカッコイイな」
まずは、中身でなくその表紙を見てそんな感想を漏らした。
しかし、それも無理のないことだろう。
フルカラーのコンピュータグラフィックスで描かれた頭部は、実在するのではないかと錯覚するほどのリアリティであり、緑に輝く量の眼は、マシンでありながら意思や魂といったものを感じさせるのである。
「ムフフ……そのイラストはパッケージにも使われている、商品の『顔』ですからね!
B社もボックスアートには気を使っていて、セル画を使ったり、CGを使ったり、有名メカデザイナーの名を冠した商品では斬新な白パックを使ったり……。
日々、様々に工夫を凝らしたそれが生み出されているんです!
しかも! パッケージ全体のイメージを作るにあたっては、完成品のプラモデルを使用して写真撮影したりしてるんですよ!」
「二次元から飛び出させようって商品の箱絵が、逆に三次元の完成品を使って作られてるわけか。
ニワトリが先か卵が先かって感じで、ちょっと面白いな」
ガノの披露する豆知識に感心しつつ、ぺらりと説明書をめくった。
一枚のペラ紙を折り畳む形だったEGのそれに比べると、これは冊子と呼んでいい代物であり、ざっと斜め読みするだけでも、同スケールのモデルでありながら比べ物にならない組み立て工程が必要なのだと知れる。
「おー……組み立て方の他に、劇中での設定も色々と書いてあるんだな。
へえ、木星で……テロリストみたいなのと戦ったのか。
見た目は海賊だけど、正義の秘密組織って感じなんだな」
「設定の緻密さと膨大さが、このシリーズの売りですからね!
その手の情報を網羅したサイトとか見てると、それだけで一日潰せちゃいますよ」
「あー、あるな。
漫画のキャラとかについて書いてるのを見て、ついつい読みふけっちゃったりするアレだろ?
とはいえ、読んでばっかりいないで作ってやらないとな」
そこまで言って、おじさんが残してくれた工具を取り出す。
小学生時代の道具袋に入れたそれは、ガノの工作室を見れば必要最低限のチョイスだったのだろうと思えるが……。
それでも、素人のモギには何をどうするべきかが分からない。
「まずは、このニッパーっていうのを使えばいいんだよな?
おじさん、他にもヤスリとか残してくれてるけど」
「ああ、それなんですけど……。
モギ君、今回はニッパーだけで作りましょう」
「え、他のは使わないの?」
意外な言葉に、傍らへ立つガノを見やった。
「正確に言えば、デカール類を貼り付けようとすればナイフとピンセットも使います。
装飾系のものはともかくとして、目に関しては貼ってあげないと寂しいですからね。
ですが! まず機体そのものの組み立てに関しては、ニッパー一本でやってみましょう!」
「えー、でも、せっかく色々とあるんだし……」
「――モギ君」
ずい、とガノが身を乗り出してくる。
その目には、有無を言わさぬ重圧というものが宿っていた。
「確かに、せっかくあるのだからヤスリとかを使いたくなる気持ちも分からなくはありません……。
しかし、これはそう……柔道に例えるならば、受け身も覚えてない段階で、あれこれと技ばかり覚えようとするようなもの!」
「受け身も覚えてない段階で、あれこれと技ばかり覚えようとするようなものだと!?」
自分が得意とする分野で例えられ、戦慄する。
「そんなもの……ダメダメじゃないか!
受け身は柔道において、全ての基本……。
せめて、最初の一ヶ月くらいは徹底的に受け身とすり足のみをこなすべきだ!」
「そう……ニッパー使いとはGプラ作りにおいて、受け身とありすり足にあたる技術なのです。
正直、柔道のことはよく分からないので、適当に例えましたが」
モギの言葉に、ガノは深々とうなずいてみせた。
「ニッパーを制する者はプラモを制すると言って、過言ではありません……!
ましてや! 今回挑むのは合わせ目隠しを徹底したRG!
きちんと扱えさえすれば、ニッパーだけで素晴らしい完成度の作品が生み出せます!
逆もまたしかり!
ニッパーの使い方がまずいと、あちらこちらが白化した残念な作品が出来上がることでしょう……」
「なるほどな……」
適当に例えとは言っているが、ガノの言葉は
どのような分野においても、基本というものは存在するのであり、それを極めることこそが肝要だ。
そして、あれだけ綺麗な作品を作り出せる彼女が重要性を説いているのだから、ニッパーの使い方こそが、プラモ作りにおける全ての基本であるにちがいない。
「こいつを、使いこなすか……」
ニッパーの刃にかぶせられたカバーを、そっと取り外す。
確か先週、ガノはこれを見て有名な極薄刃ブランドの品と言っていたか……。
なるほど、露わとなった刃は見るからに薄く、それでいて研ぎ澄まされており……。
以前、展示された日本刀を見た時のような……完成された刃物にのみ宿る美しさというものが感じられた。
「――よっしゃ!」
道具はおそらく、最高峰の逸品。
ならば、これを使い切って切って切りまくるのみ!
「あ、ちょっと待ってください」
さっそく、ランナーの入った袋をびりびりと破き始めたモギを、ガノが制した。
「作り始める前に、まずはニッパーの使い方を勉強しましょう」
「勉強って、これを使って切るだけじゃないのか?」
「チッチッチ……」
問いかけると、ガノはわざわざ声に出しながら指を振ってみせる。
「正しい握り方があるんだなぁ、これがぁ!!
そうですね……まずは、この使用済みゲートを適当に切断してみてください」
「ふむ……」
ガノは引き出しの中から、ランナーばかりいくつも入った箱を取り出しその内の一つを渡した。
「あ、あと、細かい作業をする時はライトをつけましょうね」
ついでに、電球式アームライトの電源をオンにする。
そこから放たれた熱すら感じられる光は、モギのごつい手を鮮やかに照らし出してくれた。
「おお、全然ちがうもんだな。
俺が勉強机で使ってるやつとは、段違いだ」
「ふっふっふ……。
椅子に関してもそうですが、自身の健康を考えるなら照明類も手を抜いてはいけません。
目は、交換が効きませんからね。
ちなみに、キタコは両目とも2.0です」
「めちゃすごいな!
……と、それじゃあ切ってみるか」
ガノに言われた通り、黒いランナーを思うがままに切断する。
――プツッ。
……という感触と共に、プラスチックの棒はたやすく切断された。
「へぇー、すごい簡単に切れるんだな」
「ではここで、切断面を見てみましょう」
「どれどれ……」
彼女にうながされ、ランナーの切断面を見る。
ライトに照らされたそれを見て、さっそく違和感に気づいた。
「これ、真ん中ら辺で段ができちゃってるな。
しかも、そこを中心に白く変色しちまってる」
「これが、白化現象です」
そうなのである。
自分では、まっすぐに切断したつもりであったのだが……。
切断されたランナー同士にはごくわずかな
「これは、モギ君がニッパーをねじり切るように使用してしまったから起きた現象です」
「ねじり切るように……。
確かに、ランナーの両側から力を込めて切った形だな」
「そう、それがまずいのです。
では、どうすればいいのか……。
まずは、持ち方を変えましょう」
そう言うと、ガノはツールボックスから自前のニッパーを取り出し、握ってみせた。
その持ち方は……。
「なんか、箸を持つ時とちょっと似ているな」
彼女の右手は、グリップの根元部分……刃のすぐ近くを押さえており……。
しかも、その上側を、親指と人差し指で完全に固定していたのである。
「まさにその通り!
正しい刃の動きは、正しい箸の動きと同じです!
このように、刃の上側だけを動かします」
言いながら、ガノがグリップの下側を動かす。
そうすると、下部グリップとつながった上側の刃のみが動いた。
「言うなれば、下側の刃はまな板にあたるわけですね!
こうすることで、ねじり切るのではなく切断する挙動になるわけです」
「なるほどなあ……。
いや、言われりゃ当然って感じだけど、これ自力では気づけないわ」
自分でも同じ持ち方をして、上側の刃のみをくいくいと動かす。
「プラスチックというのは、案外もろいですからね。
過度な力を込めると、あっさり変色してしまいます。
まして、それが両側からとなれば……!
このように正しい使い方をして、一方向からのみ力が加わるようにしましょう!」
「よし! 気を付けてやってみるぜ!」
その後、何度かいらないランナー相手に試し切りをし……。
ようやく感覚が掴めてきたので、今度こそRGのランナーを取り出す。
そして説明書をしっかりと読み、最初の部品――コクピットにもなる戦闘機の核となるらしい部品を切断しようとしたのだが……。
「さて、ここでも注意しなければならないことがあります」
再び、彼女の待ったがかかった。
「まずは、切る順番を考えましょう」
「切る順番?」
「はい……」
モギの言葉に、ガノは重々しくうなずいた。
「人間のやることですから、どれだけ気を付けても白化の危険性は伴います。
そして、白化リスクはつながっているゲートの数が少なければ少ないほど高まるのです。
それだけ、大きな負荷がかかりますからね」
「なるほど……。
そうすると、どこから切るのが正解なんだ?」
「この部品ですと、このメカっぽくなってる両側のY字状パーツからいきましょう。
ここは、ごくわずかですが、ファイターが完成した際に露出する部分となります。
完成した際に、見える部分から切断していく……これは覚えておいてください」
「なるほど、見得ないところを着飾る江戸っ子じゃあるまいし、見えてない部分ならごまかしがきくもんな」
「それと、もう一つ必須テクがあります。
――二度切りです」
「二度切り?」
「ええ」
聞き返すと、ガノはまたしても重々しくうなずいてみせる。
「ここまで繰り返した通り、白化というのは過度な力が込められた時に発生します。
それを抑えるために、いきなりゲートから完全に切り離そうとするのではなく、あえて少しだけゲートを残した状態で切り離してから、あらためて残ったゲートを切断するのです。
具体的に言うと、このくらいゲートを残して切ってください」
言うが早いか……。
ニッパーを握るモギの手に彼女のそれが重ねられ、切断すべきゲートを二ミリほど残した地点へ刃が導かれた。
意識してはいないのだろうが、そうするとツインテ―ルにまとめられた彼女の髪がほんの少しだけ頬に触れてしまい……。
それが何やら、くすぐったい。
「このように、必ず刃の背中をパーツ側へ向けるようにしてください。
……それではいきましょう! 記念すべき! 初の! ゲートカットです!」
「お、おお……」
彼女の手が重ねられた上体で、ニッパーの刃を動かす。
――プッ!
……という音と共に、最初のそれが切断される。
だが、モギの記憶にはその感触よりも、ガノの髪から漂う良い香りの方が色濃く刻まれたのであった。
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