キタコ脅威のメカニズム

 ガノが住んでいるタワーマンションの一室は、LDKに隣接する形で二つばかりの部屋が存在する。


「では、早速作り始めましょう!」


 その内の一つ……先ほど自室と言っていたのとは別の部屋を指差しながら、ガノはそう言い放った。


「ん? ここで作るんじゃないのか?」


 彼女の言葉に、首をかしげてしまうモギである。

 先日、EGを制作した時はモギ家の居間を使用した。

 で、あるから、今日もこのLDKで製作するものと思っていたのだが……。


「甘い、甘いですよ。モギ君。

 意外と甘い兄上よりも甘いです」


 チッチと指を振りながら、そう言われてしまう。


「お兄さんいるの?」


「いえ、キタコは一人っ子です。

 まあ、確かにGプラをどんな環境で作るのかは自由です。

 他の趣味でも言えることでしょうが、突き詰めようとすればどこまでも突き詰められますし、妥協しようとすればどこまでも妥協できます。

 キタコのパパは、初めてGプラを作った時、爪切りを使ったと言っていました」


「爪切りかあ。

 確かに、作ろうと思えばそれでも作れるだろうな。

 何しろ、こないだは素手で作ったわけだし」


「まあ、EGは例外中の例外です。

 ともあれ、ここは生粋のGプラモデラーであるキタコの家であり、当然ながら工作環境も整えてあります。

 ならば、それを利用しない手はあるでしょうか? いや、ない!」


「なるほど」


 びしりと指を突きつけられ、思わず納得してしまった。

 部活動だって、同じことだ。

 優れた設備を保有する学校に入れたのならば、それを使用しない手はない。

 ここは、彼女の提案に甘えるのが上策だろう。


「それじゃあ、お言葉に甘えてみようかな」


「はい! ようこそ! キタコの工作室へ!」


 そう言われ、ガノがドアを開いたが……。

 その先に広がっていたのは、工作室という呼び名に負けていない空間であった。


 工作に用いるのだろう机は、部屋の壁面を最大限に利用できるL字型となっており……。

 そのうち、右壁側は三つばかりのモニターを取り付けられたPCが占拠しており、これだけを見たならばデイトレーダーの部屋か何かに見えなくもない。

 だが、残る窓側の光景を見て、そんな勘違いをする人間はいないだろう。


 敷かれたカッターマットの周辺部には、種々様々な工具がツールボックスへ整頓され収まっており、主であるガノの几帳面さをうかがわせた。

 それでいて掃除しきれていないプラカスがマットの上に散らばっているのは、製作意欲の貪欲さを感じさせる。


 照明類に関しても、一切手は抜かれていない。

 カッターマット上を照らせるように設置された電球式アームライトは、大光量で細かな作業をアシストしてくれることだろう。


 何よりも目立つのは、窓から直接ダクトでつながれた一角だ。

 プラスチック製の板で囲われたそこは、もしかしたら塗装に使うのだろうか?

 囲われたブースの入口部には、拳銃のような形状をした道具が設置されており、奥部には、五〇センチ四方はあろうかという巨大な吸入口が存在していた。

 このブース自体も、関節付きのデスクライトが取り付けられており、様々な角度から手元を照らせるようになっている。


 その足元には、小型の食器乾燥機……。

 しかし、これが本来の用途で使用されていないのは明らかで、内部には持ち手つきの棒がズラリと並んでおり、その先端部にはバラされたGプラの部品が保持されていた。


 密かな……と言うにはいささか目立ちすぎるこだわりを感じさせるのが、デスクチェアである。

 メッシュを採用した背もたれはいかにも通気性が良さそうであり、ロボットじみた大小様々な姿勢補助パーツは、使用者の肉体にかかる負担を限りなくゼロへ近づけてくれることだろう。


「すげえな……すげえ」


 我ながら、語彙ごいが貧弱であるとは思うが……。

 見せつけられたワークスペースの充実ぶりに、そう言うしかなかった。


「ふふ……長年かけて、こつこつと充実させてきましたから。

 言わば、この部屋こそがキタコの半生そのもの!

 キタコの精神が形になった部屋であると言えるでしょう!」


 胸を張りながら言ってみせるガノであるが、この部屋には自慢するだけの価値があるだろう。


「ささ、入って下さい!」


「おう……なんか、すごすぎて気後れするな」


 部屋の主にうながされ、持ち込んだプラモの箱とおじさんが残した工具類を手にし踏み入る。

 そうすると、室内の入り口側も目にすることができたのだが、そこにはやはりショーケースが並んでおり、内部では種々様々なGプラがポーズを取っていた。


「ガノの作ったGプラ、どれもすごい綺麗な出来だとは思ってたけど、それを実現するためにはこれだけの設備が必要なんだなあ」


「ふふ……これもお料理と同じです。

 美味しいお料理を作るためには、手間をかけるか、お金をかけるかしかありません!

 しかし! 当然ながら! その両方をかけることによって、より素晴らしいものが作れるのです!」


 そう言う彼女の姿は、とても誇らしそうであり……。

 もしかしたならば、先週ファッションについて褒めた時よりも嬉しそうかもしれない。


 ――まあ、それも当然か。


 ――俺だって、柔道で褒められた時は嬉しいからな。


 自分のことに置き換え、納得する。

 言い方は悪いが、モギの柔道に比べれば、彼女の趣味は人に話しづらい種類のものだ。

 人間というものは、誰しもが多かれ少なかれ承認欲求を抱えているものであり……。

 今、この瞬間は、ガノにとって貴重なそれが満たされた瞬間なのだろう。


 ――いや、そんな言い方は失礼か。


 自分の脳裏を駆け巡った言葉に、首を振る。

 これは、もっと単純な話……。

 誰かと好きを共有できた瞬間というのは、とても楽しいものなのだ。


「では! 早速にも始めるとしましょう!

 座って座って……あ、座席の高さとかはお好みで調整してください」


「ああ、済まんな」


 ガノにうながされ、すごく高そうな椅子に腰かける。


「うお! めちゃくちゃ座り心地いいな! これ!

 こう、全身をがっちり支えられてるって感じだ!」


「ふふふ……これは、キタコのパパが買ってくれたのです!

 いわく! 椅子に関してだけは絶対に妥協するな!

 ……パパ、ギックリ腰に悩まされてますから」


「あー……」


 プラモの箱と工具を机に置きながら、我知らず遠くを見やってしまう。

 どうやら、ガノの父親は悲しみを抱えた男の一人であるらしい。

 ……一人の柔道家として、彼の金言は心に留めておくべきだろう。


「まあ、パパのことは置いておくとして……。

 いざゆかん! 開封の儀です!」


「おう!」


 その言葉に従い、プラモの箱を開く!

 開いて、しばし硬直し……。

 再び、箱を閉め直した。


「……あのさ、ガノ」


「言いたいことは分かります」


 家庭教師のように傍らへ立った彼女が、モギを見ながらおごそかにうなずく。


「なんか……めっちゃ細かいのがいっぱい入ってるんだけど?」


 そう……。

 開かれた箱の中には、先日のEGなど比べ物にならないほど細かな部品のつながったランナーが、みっしりと収まっていたのであった。

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