第4話 命尽きる時
ウルガ山の上の方には、神の領域の魔獣、神獣が住むと言われているんだ。
北斜面の白虎ビューラと、南斜面の螺旋二角獣マーヴォーンだ。
だが、本当にいるのかどうかわからないくらい目撃情報は少ない。
なぜって?
簡単さ。
奴らと戦って生き残った人間がいないからだよ。
もしも遭遇したら運が悪かったと思って諦めるしかないぜ。
そんな神獣よりヤバい魔獣がデカント・イーグルだ。
あのデカい鳥には気をつけるべきだ。
なんたってあの鳥の魔獣はいつだって飛んでるし、あっという間に背後から忍び寄って人間を攫っていくんだからな。
本当さ。
昔俺がいた隊が大勢で登った時、おれのすぐ横にいた三人が攫われるのをこの目で見たんだから。
大の男どもが漏らしながら泣いてたぜ。
俺か?
俺はこれで助かったんだ。
この魔除けのマントをかぶっていれば鳥の目には見えないんだ。
本当さ。
しかも雨風も防げる優れ物さ。
さらに神獣にも効果があるらしいときたもんだ。
手放したくないんだが、お前が攫われたら目覚めが悪い。
お前はいい奴さ。
俺にはわかる。
こんなところで死ぬ奴じゃない。
そうだろ?
これは売り物じゃあないんだが、どうしてもって言うなら売ってもいいが、どうするね?
〜ウルガ山の麓の宿屋でよく交わされる外国から来たウルガ山登山初心者と悪徳行商の会話から〜
心に浮かんだ大神の笑顔が春風の震えを止めた。
なぜこんなところにいてこんな事になっているのか。
ゲイルさんは戦っているのになぜ自分だけ逃げ出そうとしたのか。
ひよこに怯え目の前で戦う人を見捨て自分だけ助かっていいのか。
モッちゃんなら見捨てない。
自分だけ助かろうなんてするもんか。
絶対に手を差し伸べる。
二人で元春じゃないか。
なのに俺がここで逃げたら、元春の名が廃る!
春風の心に、わなわなと怒りが湧き両手の拳をこれでもかとばかりに強く握りしめた。
その怒りの根源は、鳥の雛が人間を凌駕するこの世界への怒りであり、鳥からゲイルを助けられない自分の非力さへの怒りであり、そして自分だけが助かりたいと思った自分自身の弱さへの怒りだった。
足元に落ちていた棍棒を拾った春風は、大声を上げながら雛の背中めがけて全力で走った。
すでに重傷を負っていた雛が空宙でバランスを崩し攻撃が遅れていたのが幸いした。
体制を立て直した雛が再び頭を一番後ろまで引いて力を溜めたその瞬間、大きな跳躍をみせ飛びかかり力いっぱい振り下ろした春風のこん棒の一撃が雛の後頭部に命中した。
雛は宙で一瞬よろけた。
春風の攻撃は効いたように思えた。
羽ばたきを止め着地するかに見えた雛は再び羽ばたくと、ゲイルを抑える左脚はそのままに器用にも右脚の爪で背後の春風を蹴り飛ばした。
生まれながらに鋭い脚爪の先端が春風の右の太ももを抉り、春風の腿から鮮血が飛んだ。
「ぐあっ!」
春風は吹き飛ばされてよろめき、尻餅をついた。
春風の渾身の一撃は、雛を止める事が出来なかった。
雛は三度頭を振りかぶるとゲイルに向けて恐ろしいほどの速さで必殺の嘴の一撃を振り下ろした。
だが、嘴はわずかにゲイルの右脇にそれた。
春風のこん棒の一撃で雛の意識がわずかに混濁していたのだ。
勇気を振り絞り自分の心を奮い立たせた春風の行動が窮地のゲイルを救った。
雛の見せたこの隙が雛の元へ死神の釜を誘き寄せた。
手負いとはいえ猛者であるゲイルが見逃すはずのない大きな隙だった。
ゲイルは剣の柄頭を自分の左腰骨付近に置きずれないようにすると、全体重を左足一本に乗せて腰を左に捻りながら深くかがみ、回転力を加えながら剣を押し出して、全ての力を振り絞った一撃を繰り出した。
「むうぅぅん!」
天に向けて突き出したゲイルの長剣が、覆いかぶさってきた雛の体を一気に貫通した。
青い血を大量に噴き出しながら気絶した雛の脱力した自重が加わり、ゲイルの剣はさらに鳥の奥深く刺さっていった。
ウルガ山脈上空を支配する空の王者デカント・イーグルの生まれたばかりの雛は、小さな悲鳴と共にゲイルの右側に崩れ落ち、その短い生涯を終えた。
「ゲイルさん!」
春風は息を切らし、右足を引きずりながらゲイルに駆け寄った。
「やるな少年。見事だ」
雛の趾の爪から解放されたゲイルがその場に膝から崩れ落ち、駆け寄った春風がゲイルの体を支えた。
ゲイルは春風の胸を借りて横たわる格好になり、数度咳き込んで吐血した。
尋常ではない量の赤い血が二人の体にかかった。
目の焦点が合わなくなって来たゲイルは息を切らしながら
「頼みがある」
と言った。
「はい」
「メールダント酒場の、女主人は、俺の、女だ。これを...渡してく...」
ゲイルはそう言うと、自分の首にかけていたロケットペンダントの鎖を引きちぎり、春風の声のする方向に差し出した。
春風は両手で、ペンダントを持つゲイルの左手を握った。
「俺の事...さっさ...忘れて、いーい男...捕まえ、ろ…。おまえ…いいおん…な」
ゲイルの目はもう何も見えていなかったし、耳にはただ、雨のような雑音だけが聞こえていた。
「月...。赤い...つ、き」
そういうとゲイルの瞳は光を失い、事切れた。
「ゲイルさん…」
涙を堪えゲイルの手からペンダントを取り出し、ロケットを開けるとそこには、赤い髪のきれいな女性の絵が描かれていた。
春風はペンダントをズボンのポケットに仕舞うと、ゲイルの両手をゲイルの腹の上で組ませた。
その時、禍々(まがまが)しい鳥の咆哮が聞こえた。
ぎょっとして急いで南側の巣壁へ行きよじ登り夜空を見ると、二羽の親鳥がもうすぐそこまで迫っていた。
壁の上に立って下を見ると想像していたよりはるかに高く、その下には大きな川が流れていた。
川は森の横の峡谷を走り山を下っていて、森の先にはぼんやりとした明かりが見えた。
春風は高さに少し逡巡したがどんどん近づいてくる親鳥に目をやると覚悟を決め、大きな声を出して叫び巣壁から川へ飛び降りた。
「あーっ!ちくしょー!またかー!」
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デカント・イーグル
分布
ローデンティア大陸ウルガ山脈東部
形態
全長十数メートル。翼を広げると時には三〜四十メートル近くになる。
両目周辺から喉部へ長く伸びる髭のような黒い羽毛があるのが特徴。
生態
山岳地帯に好んで生息するが、ウルガ山中腹の迷いの森にも生息例が観察されている。
主に人間を食べる。生きた人間、死骸を問わない。
武具を身につけている場合は丸呑みにして、強力な胃酸で鎧や兜もろとも消化する。
また、飲み込めないほど強力な魔法武具を纏った獲物を
上空からわざと人間の集落に落として魔法武具を外させたり(盗ませたり)してから食べたりもする。
主に岩棚に営巣し、一個の卵を産む。
羽が生え変わるまでの約一ヶ月間、餌の死体とともに数人の生きた人間を入れ続ける。
人間とのの戦いを生き残った雛でなければを子と認められない。
人食魔獣であるが、魔術師や魔獣調教師によって使役魔獣として使われる事もある。
〜ブリテン魔獣図鑑より抜粋〜
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