第12話 小瓶のバター
キラキラとした太陽に照らされて、濡れた草木が濃い緑を滲ませていた。
安息日である今日は、働くことより親しい人と一日を過ごす日だ。だから僕達は、いつものように朝から畑の手入れをしていた。
「ケイン!ジョウロに新しい水を入れてくるからそこの雑草抜きお願いね!」
「わかった!早く帰ってこいよ」
「はーい」
汗をうっすらと滲ませながら、太陽を背にして立つケインに声をかけたあと、僕は少し錆びたジョウロを持って、広場の外れにある井戸に向かって歩いていった。
ぼこぼことした土の道を歩きつつ、朝の新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込む。森の静かな匂いが鼻を通り抜けていく。
広場に出ると、そこには村人が何人か集まって話をしていた。手に大きなバスケットを持っているのが見える。
数日前、この村には新しく村人が移住してきていた。新たな牧草地を目的に来た人や、農家の三男や四男が自分の所帯を持つためなど、目的は様々だった。
たぶん、広場にいる人達は夫や家族に連れられてこの村に来た少女や御婦人の方達だろう。
僕に気づいた彼女たちに会釈を返しつつ、目的の井戸に向かってまっすぐ歩いていく。
井戸はよくある石造のもので、その上に木の丸太が交差するように地面に埋め込まれており、中心に紐を括り付けた桶をかけて使われている。
「よいしょっと、こんなもんかな」
顔に汗が垂れるのを感じつつ、軋む体をほぐす為に肩や腰を回す。文明が発達していないのは仕方がないけど、前世の滑車付きの井戸と比べてため息をついてしまう僕だった。
「あっ、スフェンだ!」
「こんにちはスフェン」
桶の水をジョウロに移しおえて、汗を拭う僕に後ろから声がかかる。振り返ると、そこには一人の女性と僕より少し幼い少女が立っていた。少女の手には大きなバスケットがある。
「こんにちはマリーさん、マーシュも」
彼女達は、僕の隣の家に越してきた家族で、お婆さんとその娘のマリーさん、旦那さんと娘のマーシュの四人家族だ。以前は農家をしていたけど、ここでは家畜に力を入れて酪農をするらしい。
「畑仕事の最中かしら?」
「はい!ケインと畑の手入れをしてるんです」
「そう、まだ日差しは強くはないけど気をつけてね」
頬に手を当ててにっこりと微笑むマリーさんに僕は思わず見惚れてしまう。マリーさんはその、すごい美人なのだ。ふわふわの黒髪にミモザの花飾りがよく似合っている。
「ありがとうございます」
気恥ずかしさで、俯きながらそう言う僕をマーシュが不思議そうに覗き込む。ちらっと目が合うとマーシュは満面の笑みを溢した。頭上では「あらあら」と、嬉しそうに言うマリーさんの声が聞こえた。
「スフェンにこれあげる!」
バスケットの中に手を入れたマーシュが、小瓶を掴んで僕に差し出す。その小さな手の中にあったのは、瓶詰めのバターだった。
「これね!私がお手伝いして作ったの!」
丸い頬を赤く染めたマーシュは、僕にそう言った。よく見ると、小瓶には緑色のリボンが巻かれている。マーシュの自信作なのかな? と僕は思った。
「ありがとう、大事に食べるね」
「うん!」
落とさないよう、優しく小瓶を受け取りポケットにしまう。溶けないうちに、はやく家に帰らないと。
「それじゃあ、またね」
「スフェンばいばーい!」
マリーさんがマーシュの手を繋ぎ、去っていく。
「ばいばい」
それを見送りつつ、僕は自分のポッケに手を当てる。そこには小さな幸せがあった。
行きより重くなったジョウロを持って帰ると、ケインが「おそかったな」と僕に声をかけた。ケインは外の椅子に腰掛け、朝ごはんのサンドイッチを頬張っている。
ほんの一ヶ月前までは麦粥をもそもそと食べていたのに、今ではサンドイッチを普通に食べられるようになっている。そのことに僕は心の中で涙を流す。やはり、食の充実は人生に彩りを与えるのだ。
そう静かに感動していると、僕に冷めた視線を向けるケインに気が付く。少しの気まずさに、いそいそと近くの日陰にジョウロを置くと僕はケインの隣に座った。
「井戸のとこでマリーさんとマーシュに会ってね、ちょっと話してたんだ」
「ああ、そうだったのか」
もぐもぐと口を動かすケインに、ポケットの小瓶を見せる。
「お土産に貰っちゃった。あとで食べよ?」
緑のリボンが風に揺れる。中身はまだ溶けていなさそうだ。
「食べるなら、神父さまも呼ばないか?紅茶とスコーンがあれば立派な茶会になるだろ」
「いいね!今日は仕事は休みだし、何か軽食作って遊びに行こっか」
空は真っ青で、白い雲が流れている。心地の良い風に吹かれながら、今日は出掛けるのにぴったりだと僕は思った。
それから僕達は、畑に水を撒いたあとバスケットにちょっとした食べ物とバターの小瓶を詰めて教会に向かった。
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