私があげた毒杯と、もらった嘘について

晴見 紘衣

プロローグ

 酒の味はよく知らない。

 これはおいしいのだろうかと、琥珀色の瓶を目の前に掲げた。ラベルを見てもリシャルトには理解できず、くるりと回しただけで瓶をワゴンに戻す。

 

 一週間前の清掃でこの部屋に初めて入ったとき、小さなテーブルと椅子だけはすでにあった。壁は白く、目立った汚れがないのが意外だった。

 

 明かり取りの小窓から朝日がさしこんでいる。黒いテーブルにはわずかに届かず、リシャルトは陰の中にいる。規定に従い、今しがたワゴンを運び入れたばかりだ。


 取り出したショットグラスをテーブルに置いた。音をたてないように気をつけたのは、少なからず緊張しているせいだった。雑音も雑念も遠ざけておかないと、後悔するような気がしてたまらないのだ。

 

 視線を隣室のドアに固定する。準備が終われば待つだけだ。ゆっくり呼吸するのを意識した。頭の中で手順を確認しているうちに、なんの変哲もないドアは開いた。

 

 まず入ってきたのは、帽子から靴までリシャルトとまったく同じ恰好の男だ。すぐに足を止め、ドアの横にとどまる。

 

 続いて小柄な男が姿を現した。


 先日まで伸びていた黒髪は、きのうのうちに短く整えたらしい。着ているのは白いシャツとズボンだが、真っ白ではなく薄汚れている。支給された服ではなく、もともとの私服だ。

 

 リシャルトを見ると男は立ち止まり、たじろぐような顔つきになった。


「あんたか」


 上擦った声がリシャルトの胸に飛びこんでくる。返事はしなかったが、視線は受け止めた。


 一呼吸おいて、男はふたたび歩き出した。背後から押されたのだ。鎖がこすれる音がする。彼を後ろ手に拘束している手錠は、リシャルトからは見えない。


 男を後ろから押した人物もまた、リシャルトと同じ恰好をしている。体格は大きくて、この場の誰よりも頑健だった。この日を迎えるに当たって何度もリシャルトを心配してくれた先輩だが、今はリシャルトではなく目の前の男に注意を向けている。


 最後に、詰め襟のスーツを着た年配の男が入ってきた。齢七十だと聞くが、老人という雰囲気はない。笑っていないのにふしぎと穏やかな表情に見える、教誨師だ。


 リシャルトは黒い椅子を引いた。


「座って」

 

 後ろ手の男は素直に従った。手錠が外されて両手が自由になると、ニヤッと笑ってリシャルトを見上げる。

 

「おいしいといいなあ」

 

 男の顔をリシャルトは見つめ返した。それが義務だと思ったし、そうしたかった。

 

 笑うと、年齢より幼く見える。まだ十代の少年のような無邪気さが覗くのだ。これまでもそうだったが、こんなときでさえ変わらない。リシャルトを映す褐色の瞳が半透明なガラス瓶のように澄んでいるのも。

 

 今からこの男に渡すのは、毒だ。

 毒と酒だ。


 瓶を持つ手が震えないように、リシャルトは肺の奥まで息を吸いこんだ。

 

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