沸き立つ蜃気楼の桃たわわ
「桃、最近、雪絵に連絡しているか? 」
「ん、ううん」
「たまには連絡してあげなさい。あまり連絡がないとお母さん寂しがっているぞ」
「うん。わかったよ」
連絡不精な私。
たぶんお母さんがお父さんに私の様子を聞いたんだと思う。
日常からの解放。
今まで土日のダイビングは私の心を軽くしてくれるものだった。
だけど、サウザーダイビングにとって私っていったい何なの?
私に対する片岡さんの当たりがますますきつくなっているのはなぜ?
私が未熟だから?
わからない..
それが私の心に余裕を無くしているのだ。
実家へ電話をするという簡単な事への妨げになるには十分な事柄となっている
しかしついにお父さんに言われたとなれば、いよいよきちんと電話しておこうと思った。
「たまには帰ってきなさい。」
電話の要件は予想通りのものだった。
私のクサクサしたような気分、モヤモヤしたような気分は雪だるま式にどんどん溜まる一方だ。
もしかしたら意外と実家に帰ることで気分転換になるかもしれない。
「お母さん.. 帰るよ。今度の休みに」
そう告げるとお母さんの声は1トーン上がって明るくなった。
中央高速を勝沼ICでおりる。
夏の日差しに国道20号線から蜃気楼が沸き立つ。
道路両側に広がる一宮の畑には袋かけした桃が収穫を待っていた。
袋の底からぽってりとした桃の実がのぞいている。
酒折の実家に帰ると髪を白くしたお母さんが待っていた。
「おかえり、桃ちゃん」
「ただいま」
少し照れくさいけど、この言葉を聞くと家に帰って来た実感がわく。
玄関先から庭を眺めると大きなヒマワリが頭を下げていた。
植木鉢の桃の木に目をやると、さすがに実はなっていなかった。
私の帰りを待ちわびたかのように軒先の風鈴が音を鳴らす。
「ねぇ、どうしたの? その髪。何で染めないの?? 」
染めないともうこんなに白いのか.. 私の心は戸惑っていた。
「変かな? 何か染めるの面倒だし、最近の流行りで自然な感じで白くなっていくのもいいかな? って」
「変! 変だよ! お母さんはまだ若いんだから絶対に染めるべき! おばあちゃんになるには早すぎるよ! 」
「そうかな? でも、桃がそういうなら、そうなのかもね。近々、美容室で染めてくるわ」
こういうところはやたらと素直なのがお母さんの良いところだ。
「絶対だよ。そうだ!! お母さんに良い人紹介するよ。美容のプロの友達がいるんだよ。その人もすっごく綺麗なんだから。一度、美についてレクチャーしてもらおうよ。私と一緒に! 」
「あら、また友達を連れて来てくれるなんてうれしいいわ」
(相変わらずおっとりしているなぁ.. )
「ところでお昼はまだでしょ? おうどんでも食べる? 」
「うん。お腹空いた.. 何か手伝うよ 」
「大丈夫、大丈夫。来たばかりなんだからそこで休んでいなさい」
お母さんが料理を作っている間、居間で寝転びTVを観ていた。
これこそ実家の醍醐味だ。
「おかあさ~ん。おにいちゃんは? 」
「大輝なら青年会の集まりに出ているよ」
「へ~、そういうのにも出るようになったんだね、すごいね」
「できたわよ。こらっ! 桃! そんなところに足かけて行儀が悪い! 」
テーブルの隅に引っ掛けていた足をパシリと叩かれた。
「はい、はい」
何か自分が中学生の頃に戻ったようで、こんなやり取りが懐かしくうれしかった。
すると玄関口で靴を脱ぐ音が聞こえた。
「お~、来てたね~」
「おにいちゃん、お帰り」
「ちょうど良かった。大輝、お昼、食べてないでしょ? 今、おうどん作ったから食べなさい」
うどんの横には天ぷらと私の大好物『なすの冷やし煮』が置いてあった。
「お母さん、なすからショウガどけていい? 」
こんなお昼、いつぶりかなぁ..
「それにしてもお兄ちゃん、真っ黒だね」
「桃だって黒いぞ」
「で~も.. ほらっ、やっぱりパンダ焼け.. 私のと違うもん」
私はお兄ちゃんの袖をまくり上げて言った。
「「はははは」」
お兄ちゃんは植木の剪定について語ってくれた。
伸び放題の枝を自分のハサミによって形を整え、『木としての美』を表現するのが楽しい。
そして自分が綺麗にした木を離れた場所から眺めると、充実した気持ちになると言っていた。
「よしっ、桃、少し俺が剪定を教えてやるよ! 」
「外でやるの? いやん、日焼けしちゃう」
「何言ってんだよ! 今さら! 」
お兄ちゃんは、この枝が『逆枝』、これが『車枝』、と説明してくれた。
「思いっきり、ばっさりといけ! 」
お兄ちゃんの顔はとても楽しそうだった。
「こうかな! 」
バサッ
「わっ、バカ、その枝じゃないよ! 」
「あれれ、ほぼ葉っぱがなくなっちゃった? 」
「でも、まぁ、切りすぎても木はまた力強く、すぐに芽をだしてくる。大丈夫だ! 」
その顔は工場で整備をしているお父さんによく似ていた。
「桃、今日は何時までいるの? 」
私は時計を見上げる。
今の時間は午後4時。
『もうこんな時間.. 帰りたくないなぁ.. 』そんな思いになった。
「明日はダイビング仕事があるんだ。だから7時くらいには帰ろうと思う」
「そうなの」
そんな残念そうな顔を見ると『ずっと居るよ』と言いたくなってしまう。
「 ..じゃ、今のうちに食べようよ! 」
お兄ちゃんは奥の冷蔵庫から箱を持ってきた。
正方形の白い箱。
そう、箱の中身はバースデイケーキだ。
「誕生日おめでとう、桃。元気でいてくれてありがとうね」
お母さんが私の手を握って言ってくれた。
「お母さん.. ありがとう」
「桃、ロウソクは25本くらいか? 」
「違います!! まだ23本!! 」
1本1本お兄ちゃんの黒くなった手がロウソクを立て、火を灯していく。
「おまえ、泣いてるのか? 」
「うるさいっ! 」
「さ、一気に吹き消せ」
フッ
私が車に乗り込むとき、お母さんは善光寺のお守りを手に持たせてくれた。
「本当に気を付けてね」
「桃、これ、会社の人や友達と食べな」
お兄ちゃんは大きな箱を積んでくれた。
中には無造作に入れられたぷりぷりの桃がたくさん入っている。
「おいしそう。でも私がこれ配ったら、なんか笑われそうじゃない? 」
「ははは。そうかもな」
お母さんまでクスクス笑っていた。
庭から道路にゆっくりと車を走らせる。
バックミラーにはいつまでも手を振る2人の姿が映っていた。
私は片腕を窓から出して振った。
『また帰ります』心でそう呟いた。
しかしこれは何かのジョークで入れたのだろうか? ..まったくわからない。
桃の中から出てきたのは..
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