贖罪

「桃、おまえ須田ちゃんのところにお見舞いにいくのか? 」

「ん? うん。今度の休みにでも行こうかな」


「そっか。実はな、須田ちゃんの容態はあまり良くないんだ」

「そうなの? 」


私は須田さんの病名は聞いていなかったが、まさか命に関わるものだとは思っていなかった。


須田さんは私の物心着いた頃からすでにこの会社で働いていた。

海水浴で私の乗ったゴムボートが波で転覆、溺れている私を抱きかかえて助けてくれたのも須田さんだった。

家族のイベント、会社のイベント関係なく、いつも須田さんはそこにいる存在だった。


だけど会社が縮小して会社のイベントが少なくなると同時に須田さんはだんだんと存在感のない人になっていった。

昔は豪快な笑顔が絶えない印象も今では部屋の隅にひっそりと佇むような存在になった。


「おまえ、無理していく事はないんだぞ。須田ちゃんも『気を遣わないでくれ』って言ってたしな」

「でも、須田さんはずっと昔からいたし、お父さんの友達でもあるのでしょ? 私、お見舞いに行ってくるよ」


お父さんは軽く息を吐くと、再びPCに向かい見積書を作り始めた。


=========


(東都女子医大かぁ。でっかい病院だな)


お見舞いの手続きをして須田さんがいる病棟と部屋を案内してもらう。

エレベーターで5階に上がると、病院独特の消毒の匂いが鼻をついた。


(え~と、この部屋だと思うけど.. )


カーテンが閉められていてわからない。


「須田さん.. 桃です」


サッとカーテンをどける指が見えた。


「やぁ、桃ちゃん」


須田さんは私を笑顔で迎えてくれた。

それと同時に『わざわざ悪いね』と言っていた。


須田さんは私が想像していたほど痩せてはいなかったが、病院暮らしを寂しく感じているようだった。


「容態が悪いのは嫌だけど、今日みたいに調子がいいと今度は退屈なんだよね」

「じゃ、調子がいい時だけ出勤してみたらどうですか」


「ははは。それは名案だね! 桃ちゃん、ちょっと散歩に連れて行ってくれないかな」


私はナースセンターで病院の敷地内の散歩の許可をもらった。


「外の空気がこれほどおいしいものだとは.. 今になって気が付くことってあるんだね」


須田さんはそう呟くと、少し思いつめた顔で私に語り始めた。


「桃ちゃん、今から言うことは.. 俺はもう君に言う機会がないかもしれない。だから俺の贖罪しょくざいとして聞いてほしい。桃ちゃん、君たち兄妹には本当に悪い事をした。すいませんでした」


私は須田さんがいきなり何を言っているのか理解できなかった。


「ど、どうしたんですか? 頭、上げてください 」


「桃ちゃん、許してくれとは言わない。今さら許せることではない。君の両親が離婚してしまったのは俺のせいなんだ」


「え? .. 」


****


——あの頃、会社の業績は右肩上がりに大きくなり、給与や賞与も今までにないほど多くもらえていた。

俺は徹さんとがんばってきたことが、実を結んだのだと有頂天になっていた。


俺は日を開けずに新宿の繁華街に通っていた。

会社を休んでもここには通ってしまうくらいに盲目になっていたんだ。

たったひとりの女性に。


高級車を買い、店外デート、もしくは休日さえも彼女をデートに誘っていた。

俺には女房や子供もいたのに。


派手に遊ぶ彼女の要望に応え、俺は湯水のように金を使ってしまった

そして俺は自分の金だけでなく店の金にも手を付けようとしていたんだ。


ほんの少額だったが、その使い込みを察知した徹さんは、俺を自宅へ招いた。

そして派手に遊ぶ俺をたしなめた。


自分のやったことにクビを覚悟したが、徹さんは『二人で作って来た会社だ』と言い、俺をクビにはしなかった。


俺は信頼されていたことを思いだし、彼女との遊びも控えるようになった。


そんなとき、俺の自宅に数枚の写真を持った男が訪れたんだ。

しかも俺が留守の間にだ。


男は『妻を寝取られた』と写真を突き付け、謝罪と金を要求してきた。


いわゆる美人局つつもたせって奴だ。


有頂天になって、周りが見えなくなっていた俺はいいカモだった。

女房は激怒して子供を連れて家を出た。


男は仲間を連れて何度も俺の自宅のドアをたたいた。

何といってもヤクザのような連中だ。

俺も怖くて怯えていた。


俺のこんな様子を知って、徹さんが黙っているわけない。

徹さんは警察に相談したが、警察は外側を薄っすらと舐めとるくらいしか動いてくれない。


話はこじれにこじれた。


徹さんは男にまとめた金を払って『これで手を引かなければ、俺もやるところまでやる』とその覚悟を見せると、それ以上は損とみて男は退いた。


俺は徹さんに返せないほどの恩義が出来た。

しかも会社にはまだ居させてくれた。

俺はこの身が粉になるまでこの会社に尽くそうと思ったよ。


しかし、執拗しつようだったのは男の仲間だった。

取り分が少なかったのだろう。

男たちの腹いせが、その矛先が、徹さんの家族にいってしまったんだ。


商店街に徹さんの奥さん、雪絵さんの捏造された写真や噂をばらまいていった。

徹さんは『これは偽物で嫌がらせだ』と商店街を説明して回った。

だが中には変な勘繰りをする連中もいた。


雪絵さんと徹さんの関係は次第に冷めていった。

それをどこからか聞きつけ怒り狂ったのは甲府の雪絵さんのご家族だった。

知ってのとおり雪絵さんは甲府の良家の娘さんだからね。

この会社を立ち上げるためにも力を貸してくださった雪絵さんのご両親は、会社の命綱でもあったんだ。


雪絵さんは君たちを連れてここを離れ山梨へ、そして会社は縮小していった。


君たちが.. 君が苦労したのも全部、全部俺のせいなんだ。

本当にすまない。






こんな話を聞かされて『いいですよ』なんて私は言えなかった。


私はその場に須田さんを置いて帰った。



****


——休日明けの月曜日


「桃、須田ちゃんのところ行って来たのか? 」

「うん。行って来たよ」


私はそれだけ応えて、いつも通り過ごした。


須田さんからの贖罪は正直ショックだった。


でも、それでお父さんを責めるとかは違うと思った。

これは完全に家族全員が巻き込まれてしまったことなのだから。


お父さんの悔しさ悲しみ、お母さんの悔しさ悲しみ、共に同じくらいのものだったのだろう。

だからこそ、今も2人は連絡を取り合える仲なのだと思う。


そしてお父さんが須田さんを憎めない理由も私にはわかる気がする。


『へぇ。なんて聞き訳がいい子なのだろう』といぶかしく思う人もいるだろう。


でもそれはまったくの逆だ。



私はあの日、七海に須田さんの話を聞いてもらった。


「許したくなければ許さなくてもいい事って世の中にはあるはずだよ。もっちんが許せないならそのままふたしてもかまわないんじゃないの? 私たちは聖人様ではないんだから」


そんな七海の言葉でホッとする自分がいる。


そして同時にかつてのお父さんと須田さんの関係が親友だというならば、『須田さん』は私にとっての七海なのかもしれない。


私はかけがえのない親友の七海を完全に憎むことなどできるだろうか?


それはわからないことだけど、ただ、お父さんにとって大切な存在だったって事だけはわかる気がするんだ。

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