第16話 養鶏場の従業員
「キャーキャーキャー! 虫ー!」
病院内でリリカが騒ぎながらハエに何かのスプレーをかけていた。スプレーを噴霧されたハエはあっという間に息絶えて床に落ちた。一部始終を見ていたサーキスが彼女に声をかけた。
「すげえなそれ。一体何をしたんだ?」
「あ、これ? 殺虫剤。あんた、知らなかったのね。うーん…。畑に白いマーガレットみたいな花を植えてる所を見るでしょ? 畑を一面使って」
「ああ。花束でも作るためか? スレーゼンの人達は心が豊かだなあっていつも思ってる」
「あれは実はマーガレットじゃなくて除虫菊なのよ。別名シロバナムシヨケギク。
あたしは虫が大っ嫌いだから、これが販売されて大助かりよ! 病院の中は清潔にしておかないといけないから余計に必須アイテムよね」
「すっげー! スレーゼンって何でもあるんだな!」
「うん。殺虫剤は誰からも重宝されてるから、お隣の国でも除虫菊を植えてもらって工場でピレスロイドを生産しているわ。それからピレスロイドは殺虫以外にも虫除けの効果もある。スプレーしておけば虫が寄り付かないわね。…それとあんたいいところに来てくれた。この落ちたハエ、拾ってゴミ箱に捨ててくれる?」
*
「おーい! パディちゃん! 患者を連れて来たぞ! 喜べー!」
ハゲ親父のフォードが相変わらずのタンクトップで今日は病院に中年男性を一人連れて来た。
フォードの後ろを付いてくる、ふっさりとした白髪の男は腹を押さえて苦しそうな顔をしている。
「こいつの名前はポトム・ロギンス。四十四歳、養鶏場勤務だ!」
リリカが気を利かせて問診票を患者の代わりに書き始めた。
「じゃあ、こっちへどうぞ。診察室へ入ってください」
とサーキスが患者を促す。フォードも思うところがあるのかその場に同席した。
「こんにちは、ロギンスさん。僕は医者のパディ・ライスです。今日はどうしました?」
「二ヶ月前ぐらいから腹が痛くなりました。最近酷くて夜中に何回も起きる…。飯を食った後が特にそうです。量が多いと痛みは酷くなる。養鶏場は力仕事が多くて、きつくて近頃、仕事を休みがちです」
パディはロギンスをベッドに寝かせて腹部を触診してみる。彼の腹は中年太りで若干の肥満体系でもあった。パディ医師が指で胃の辺りを押すと患者はうめいた。
「あああああー!」
腹部をあちらこちら触り、何とか最も痛い場所を見つけることができた。
「質問ですけど、以前からご飯を食べる量は多かったですか?」
「うぅ…、はい…、最近は痛みで量も減ってますが…。以前は酒もたらふく…飲んでました」
「サーキス、
「了解。アハウスリース……テュアルミュールソー・リヴィア・
サーキスはしばらくして眉間にしわを寄せて小さな声で言った。
「先生が差してる場所、胃に小さな穴がある。…貫通してるね」
貫通という言葉にロギンスは震えた。
「胃の外側見てくれるか? 食べ物が外に出てないか?」
「だよな! 自然とそうなるよな! …んーっと…。…出てはないな…。穴は小さいし…」
「でも貫通してる?」
「ああ! かなり小さい穴だけどな」
(何て恐ろしい会話をしているんだ⁉)
ロギンスはさらに身震いした。そして、パディが結論を出した。
「こほっ…。…これは
「で、治療できるのか? また手術か?」
「はい、手術ですね。
「ってよ、ロギンス! お前は拒否できないぞ! 大家命令だ! 死んでも文句言いませんって同意書を書け!」
「そんな脅さないでくださいよ、フォードさん。…ロギンスさん。難しくない手術です。すぐに終わりますよ。胃を少し切ったら糸で縫って回復呪文をかけます。胃の大きさも変わることはありません。傷も残りませんよ」
*
「どうです? ロギンスさん? お腹はまだ痛みます?」
手術が終わり手術台の上で目を覚ましたロギンスはしばらくぼやけた顔だったが、やがてパッと明るい顔になった。
「いや全然大丈夫です! もう痛みはありません!」
「よかったなあ、ロギンスちゃん!」
そして、フォードが不敵な笑みを浮かべて説明を始めた。
「それでパディちゃん。後から言って悪いけど、この白髪頭のロギンスは金を持ってないんだよ! 仕事を休みがちで家の家賃を滞納してやがったんだ。…パディちゃん、先に金がないと聞いていたら治療を拒否していたかな? まさか善良なライス総合外科病院がそんなことしないよなあー。まあ、いつものパターンだな。ヒッヒッヒッヒ。どうやって回収する? ツケにするか? 他に方法はあるか? ぶわーっはっはっは! ところで今日の治療代っていくら?」
計算していたのかリリカが素早く答えた。
「二千八百ゴールドです」
ロギンスの本音であろう声が漏れた。
「た、高い…」
(あのままにしておいたら死んでたかもしれないのに…。そんなに高いか? 死亡率を言えばよかったのか…?)
「本題だ。ロギンスちゃんはヘデラ養鶏場っていう所で働いているんだけど、今月は出勤日数が少なくて、社長のヘデラって奴から金の代わりに鶏の羽や足を大量に貰ったそうだ。それで、こいつ家賃の代わりに鶏の羽とか足をワシにやろうとしてたんだぞ。そんな物食えるか⁉」
「え? 食べられますよ?」
「食えるか! 捨てる部分だ!」
「食べられます!」
「食、え、な、い!」
あろうことかロギンスもフォードに同意した。
「食べられません!」
サーキスも二人に続いた。
「食えないぜ! 食ったことないぜ!」
「いいか、鶏っていうのは釜焼きで丸焼きしないと食えないの。それで足と羽は硬くて美味しくないから捨てるの! 頭もな!」
「仕方ないなあ…。リリカ君、油はある? ああ、この国にはパン粉もなかった…。それとパンもある? 硬いパンでいい。玉子も必要だ」
「玉子と油はありますよ。パンは買いに行かないとないです。…じゃあ、今から行って来ますね」
リリカは看護師の帽子だけを置いてパン屋へ走り出した。ロギンスもパディの言われるがままに鶏の羽と足を取りに行く。
しばらくして材料が揃い、台所でまな板とボール、鍋を前にしたパディが言った。
「例によって僕はフライドチキンなんか作るのは初めてで。あ、料理名ですね。フライドチキン。まず先に鍋を温めようかな。リリカ君お願い」
リリカが
「便利だね、リリカの呪文って」
「まあ、日常生活にはね」
その後、パディはパンを包丁で刻み、砕いてパン粉を作る。それから毛をむしって下処理して貰った鶏肉に、溶いた玉子を付けてパン粉をまぶす。鍋にパン粉が付いた鶏肉を入れて油でじっくりと揚げる。
「もういいかな? 時間がわからないなあ…。焦げる手前ぐらいじっくり? うむむ…。よし、できたかな?」
カラッと揚がったそれはパリパリの表面が食欲をそそり、香ばしい匂いが部屋を充満させた。
フォードが真っ先にフライドチキンを一本奪って野獣のようにむしゃぶりついた。
「ぐあぁぁぁぁ! …うまいっ! これは
続いて三人も手に取って食べ始めた。
「おいしい。外はサクサクで中はふわっとしてるんですね」
「うまっ! うまっ!」
「骨まで柔らかくなってる…」
「軟骨ならよく噛めば食べられますよ」
パディのその言葉にロギンスがコリコリと骨を噛み、明るい顔を見せる。
「…本当だ! おいしい! …油で揚げるという発想はさすがに湧きませんでした…。先生はすごいですね…」
余談ではあるが、フライドチキンの発祥は近代のアメリカからである。そのことはパディも知らなかったようだ。
それからマヨネーズの時と同じく、パディは自分が作ったフライドチキンを口にしなかった。
「ロギンスさんはさしあたりこれを作って売るといいですよ。それからフォードさんには先に言っておきます、改良の余地は十分ありますよ。鶏肉に下味なんか付けるともっとおいしくなるんじゃないですかね。あとパン粉の改良も。それとフォードさんはお年ですし、油物は控えてください。フライドチキンみたいなものは週に一度にしてください。ロギンスさんもですね」
「うるせえぇー! ワシを年寄り扱いするんじゃねえ! こんなうまい物を教えておいて食うななんてどんな仕打ちだ? おう、パディ! 偉くなったもんだな!」
(やっぱり言うことを聞かないか! くそーっ!)
「医者として忠告しましたよ、フォードさん! …では二人とも頑張って。味を間違えなかったら世界を制覇できますよ」
「そんな馬鹿な。はっはっはっ!」
ロギンスとサーキスは笑っていたが、フォードとリリカは真顔だった。
「じゃあ、ワシらは帰るぞ! ロギンスの支払いはまた今度だ! なーに、ワシがしっかりこいつから取り立ててやるぞ!」
帰りにフォードは
「よーし、お前、養鶏場辞めろ。これからはフライドチキンを作って売れ。足と羽はワシが金を払って買ってやる。タダで貰ったら駄目だ。社長のヘデラが羽や足の価値を知ればすぐによこさなくなる。
敵がものを知らない今がベストだ。ワシの交渉力でがんじがらめに契約して養鶏場の羽と足はこちらが全て永遠に頂く。向こうには一本もやらん。儲かったら家賃を納めろ! 病院代は二の次だっ!」
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