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Nora
01話.[分かってほしい]
「風邪を引いた? え、今日は入学式だが……」
「ごめんくろちゃん……」
まあ、母親のではなくて自分のだから構わないと言えば構わないが、あれだけ『入学式が楽しみだよ!』と毎日言っていた母が当日にこうだと少し気になる。
でも、こうなってしまったら仕方がないからある程度時間が経過したら家を出た。
春になったばかりだから微妙に冷たい風が吹いていてもう少し暖かくなってほしいというすぐに感想を抱く。
「おはようございます」
それにしても今日から高校一年生ということになるが、なんとなくこうして高校まで来ても実感が湧かなかった。
それでもこうして当日を迎えたら嫌でも入学式がくるわけで、合わせている内にそういうことはあっという間に終わった。
「帰るか」
ずっと終わったなら残っていたって仕方がない、あと、どう過ごせばいいのかも今日の短時間だけで分かったからきっと悪いことにはならないはずだ。
「んぇ――な、何故私は頭の上に手を置かれているのだ……」
目の前に大きいのが立っていたから避けようとしたのにできなかった、ボールではないのだからやめてほしい。
用があるのなら話しかければいい、話しかけられたのに無視をするような人間ではないのだぞと言いたくなる。
「母さんの代わりに来てやったぞくろ」
「え、仕事はどうしたのだ? もしかしてこのために休んだとか言わないよな?」
「元々俺だって行きたかったからな、だから母さんには悪いが丁度よかったよ」
そういえば何度もそんなことを言っていたか、会社の人達にとっては知らないが無理をしている感じは伝わってこなかった。
まあいい、こうしていたなら一緒に帰ればいいだろう、わざわざ別行動をする必要なんかないからな。
「ただなー、くろからは全く緊張が伝わってこなかったんだよな、もう少しぐらい噛んだりしちゃう娘が見たかったんだが……」
「やったことは返事と自己紹介だけだ、緊張する方がおかしいだろう」
「中学のときの卒業式もひとりだけ真顔だったしな」
「毎日しっかり通って卒業したというだけだからな」
しかも私だって緊張するときぐらいはある、結構無表情だからってなんにも感じていないみたいな見られ方をされてしまうのは嫌だった。
そういうことをされたくなければもう少し出していけと言いたいのだろうが、上手くできない人間もいることを分かってほしい。
誰だって明るい方がいいに決まっている、私だってそう考えている。
「せ、せめて親にぐらいはにこりとしてくれ」
「楽しかったり嬉しかったら私だって笑う、間近で見てきているはずなのにその把握度はどうなのだ?」
「うぅ、娘がいじめてくるんだが……」
なにがいじめだ、そんなことをするぐらいなら自分から距離を作るだけだ。
「あ、そうそう、会社の先輩の娘さんがあの高校に通っているみたいなんだ、もし関わる機会がありそうだったら仲良くしてくれ。そうすれば先輩だって会社で俺に厳しい態度を取れな――く、くろは吐かせるのが上手いな」
「なにも言っていないのだが……」
「あ、名字は磯崎な」
「まあ、ほとんどないだろうが関わる機会があったらだな」
同級生が相手のときだってどうすればいいのか分からなくなるのに、相手が先輩ならもっと酷くなるに決まっている、だからそんな機会は訪れないまま卒業となりそうだった。
「「ただいま」」
普段元気な母だからこそ風邪のときは結構酷くなる、そのため、無理をしてリビングで休んでいるとかそんなことはなくてほっとした。
唐突に変なことをしようとするのは父も同じだが、父以上にそうしようとするのが母だからたまに落ち着いてほしいと言いたくなるときがある。
まあ、遠慮をせずに直接ぶつけると「え、そうかなー?」とか言って受け取ろうとしないのが母だから意味がないのだが。
「母さんの様子を見てくる、くろは疲れただろうから休んでいてくれ」
「分かった」
ソファにではなく部屋に戻ってそのままベッドに寝転んだら楽になった、この時点で私がロボットみたいな存在ではないことがはっきりしたことになる。
ロボットみたいな人間ではなくてよかった、他者を拒絶してしまうような人間ではなくてよかった。
……近づいてきてくれる人間は少ないものの、他者と一緒にいたいのに強がってひとりでいようとする人間よりはいいだろう。
「くろ、入るぞ」
「ああ」
体を起こして少ししてから「母さんはそこまで悪い感じじゃなかったぞ」と教えてくれた。
「うぅ、娘とこうして普通に話せるだけじゃなくて部屋にまで入れてくれるなんて本当にいい娘だよ」
「他所は他所、うちはうちだ、私達はずっとこうなのだからこれからも変わることはきっとないぞ」
「だからこそ恋人ができたらどうなるのか分からなくて怖くなるときがあるんだ」
「恋人か、まあ、そういう存在が現れたら私は求めるだろうな」
「……怖くなったから寝るわ」
別に私に常識がないとかそういうわけでもない、だからそういう心配は全くいらないと言えた。
「危ねえ!」
「きゃ――」
ぐっ、いきなり人間が突っ込んできたせいで私らしからぬ声を出してしまったではないか! ちなみに、倒れそうになったことよりもそのことが凄く気になってなんとかできた。
「廊下は走ってはいけないと教師から教えられなかったのか? そもそも、走ったところでこうして足を止めることになったら本末転倒だろう!」
「わ、悪かったよ……」
「しかもよく見てみたら年上か、後輩にこんなことを言われたくないのなら気をつけるべきだ」
やれやれ、駄目なのはこっちも同じだ、冷静に対応できなければ駄目なのだ。
まあでも、このタイミングでこういうことが起きてくれてよかったと思う、何度も失敗を繰り返した後にこういうことに気づくよりはマシだろう。
「ま、待ってくれ」
「ふぅ、まだなにか用があるんですか?」
敬語は大切だ、特に先輩が相手ならそういう風にしておけば「こいつ生意気」とはなりにくい。
「私は磯崎れんだ、お、お前は?」
「高久くろです」
「そ、そうか」
いそざき、か、こうもいきなり遭遇するとは考えていなかった。
そういう情報があるだけで途端にやりにくくなることを知った、父のせいでこれからも先輩といるときは引っかかるかもしれない。
だが、余程の物好きか理由でもなければきっと私のところにはそう何度も来ることはないだろう、だからそこまで不安にはなっていなかった。
「高久、今度お前のために必ずなにかをする、だからそのときは付き合ってほしい」
「転んだわけでもないですから別にいいですよ、それよりこちらこそ冷静に対応できずすみませんでした」
「よ、よしてくれっ、お前は悪くないだろ……」
「そうですか、それなら言いたいことも言えたのでこの件は終わりでいいです」
失礼しますと言ってから再度歩き出す。
少し校舎内の探索をしているところだったのだ、実際に生徒になってゆっくり見て回れば気付けることもありそうだったからこうしていただけだ。
ちなみにここは反対側の校舎だから先輩が急いでいた理由というのがよく分からない、昼休みだってまだ時間があるから尚更だと言える。
「れ、連絡先を交換してくれ」
「腕を掴む前に普通に声をかけてください」
この前の父といい、そういう行動に出られるとこちらとしてはどうしようもなくなるから勘弁してほしかったし、今回の場合は後ろからやられたからまた変な声を出してしまうところだったからだ。
「すみません、携帯は鞄の中にあるんです」
校則で禁止にされているわけではないが、私自身が持ち歩く人間ではないからそんなものだった。
最近買ってもらったばかりで魅力が分かっていないというのもある、あとは直接話せるぐらい近くにいるのだからいらないと考えている自分も存在していた。
でも、母だけではなく父も「あった方がいい」と何度も言ってきていたから言うことを聞くしかなかったのだ。
「そ、それなら付いて行ってもいいか?」
「急いでいたのでは?」
「いや、ただ走っていただけなんだ……」
「子どもですか……」
走るにしても誰かとぶつからないようなそんな場所ですればいい、そうしていれば文句を言われることはない。
「それと高久、私はお前の話し方が気に入ったから敬語はやめてくれ」
「戻せと言っても聞きませんからね? それでもいいならそうしますが」
「ああ、絶対だ」
私としてもなるべく素の話し方が一番楽だから普通にありがたかった……と言えるのだろうか? なんかこれだとこれからも関わる機会が多くなりそうでそれはそれで微妙な気がするが。
「操作はよろしく頼む、買ってもらったばかりでよく分かっていないのだ」
「分かった」
やはり私は他者といることが苦手とまではいかなくても得意ではないようだ、少し離れて壁に背を預けたら楽になったのがその証拠だろう。
ただ、出会いがあんな感じなら先輩とはなんとなく上手くやっていけそうだと感じている自分もいて、判断が早すぎるだろと苦笑した。
「ご両親以外で私がひとり目とはな」
「卒業式の日に一応持っていったが求められなかったのだ」
あれも言うことを聞いたばかりに恥ずかしい気持ちを味わうことになった、私の方が自分と周りについて知っていたのだから置いていくべきだったのだ。
それでも相手からこうして言ってもらえるのであれば受け入れるか断るかというだけの話だから変わってくる、もっとも、先輩は私と仲良くしたくて求めてきているわけではないがな。
私と同じで日々自分が引っかかることのないように行動しているだけだ、素直に喜べないのはそういうところからきていると思う。
「ははは、なかなかそのタイミングで求めるのは難しいだろ」
「まあ、そうだな、高校が同じではないのならする意味もない」
「い、いや、意味がないとまでは言わないけどさ」
携帯を返してもらってポケットにしまう。
どうなるのかは分からないがいい方に傾くと考えておくことにしたのだった。
「おかえり」
「おう、って、くろがなんか変なことをしているんだが……」
食事と入浴を終えた状態で部屋でゆっくりしていると忘れて朝まで寝てしまいそうだったからこうしたまでのこと、だから変なことでは全くない。
「父が言っていた磯崎先輩とはもう会ったぞ」
「お、そうか! どんな感じだった? 俺も写真でしか見たことがないんだよな」
「どんな感じ……」
女子なのに男子みたいな喋り方をしていたとか、意味もなく走ってしまうような少し子どもみたいな人とか、そういうことを素直に言ってしまっていいのかと悩んだ。
なので結局少し悩んだ後に律儀な人だと答えて部屋に移動した。
「くろさんよ、先輩の娘さんの話だけではなく娘のことも知りたいんだが」
「私のクラスではあっという間に複数のグループが出来上がった、私は依然としてひとりのままだがな」
優れたコミュニケーション能力を持っているようで少し羨ましくなる。
一応、まだ私みたいにどこにも属せていない男子や女子もいるが、四月中にはなんとかしてしまうことだろう。
そういう場合に嫌なのが変に担任がやる気を出すパターンだ、ひとりで過ごしていたら中学のときの教師が何回も来たから嫌な感じしかしない。
まあでも、高校は義務教育というわけではないからそこまで干渉はしないかと終わらせた。
「中学のときと同じようにするなよ? ちゃんと他者と関わりを持ってくれ」
「拒絶しているわけではないのだが……」
「にこにこしていろ、整った顔がもったいないぞ」
「親ばかはよしてくれ……」
そこで電話がかかってきた、父は「腹が減ったからご飯を食べてくる」と言ってここから消えたから応答ボタンを押す。
流石にこれぐらいは疎い私でも分かるというものだ、何故先輩がそうしてきたのかは分からないが。
「だ、大丈夫だったか?」
「ああ、食事も入浴も終えたから全く問題はない」
「それならよかった、ちょっと相手をしてほしいんだ」
「適当に喋ってくれればいい」
反応できることには反応して、そうではないことなら聞いておくだけでいい。
余計なことを言ったところで仕方がないし、そもそも余計なことを言えるほど先輩のことを知らないというのもある。
「私はどうすればお前に詫び……みたいなことができるんだ?」
「その話は終わったはずだ」
「そういうわけにもいかないだろ、耐えてくれたからよかったけど怪我をさせてしまった可能性だってあったんだから」
「だが、怪我をしたわけではないからな、これ以上続けたところで意味がないのだ」
可能性の話をすればいくらでも広げることは可能だが、もうこの件はこれからは気をつけてほしい、これからは気をつけるという話でしかない。
「この話を続けるというのなら切るぞ」
「わ、分かった、じゃあもうこの話はしない」
「ああ、それなら問題はない」
棚に置いてあった本を持ってきてベッドに座る、それから適当なページを開いて読もうとしたところで「あ、あのさ!」と大きな声を出されて落としそうになった。
このスピーカーモードというのも一長一短だ、耳に当て続けなくていいというのは楽でいいが。
「もう少し声量を抑えろ、そんなに大声を出さなくても聞こえる」
「わ、悪い……」
「……それでどうしたのだ?」
なにもしないということはいますぐにでもこの距離感は終わるかもしれないということだ、だって友達というわけではないからそうなるのが自然だろう。
だからなんとなく言いづらくて、頑張ろうとしたため声が大きくなってしまったのかもしれない。
まあ、終わりでも続くのでもどちらでもいいが、なんとなくこうして交換しておきながらすぐに終わるというのも……。
「な、なんかこうして話していたら直接、会いたく……なってさ」
「一目惚れをしたとかそういうことではないのだろう? 何故そんな風に思うのだ」
「いやー、そういうところも……あるのかもしれないぞ?」
「何故自分のことなのにそんな曖昧なのだ」
「しゃ、喋り方もなんかギャップで可愛かったから……」
先輩は女子で私も同じだ、なにを言われているのかという話だ。
適当に喋ってくれればいいとか口にしておいてあれだが、これ以上自由にさせると疲れることになりそうだったから会うことにした。
これでもまだ二十時半とかそれぐらいだから問題はない、そこまで早く寝る人間というわけでもないからいい時間つぶしになってくれるはずだ。
「か、勘違いしてくれるなよっ? 別にそういうつもりで気になっているとかそういうことじゃないからな!?」
「なにを慌てているのだ……」
「悪い……」
この際微妙だったのは自宅の近くで先輩が待っていた、ということだった、家を教えたわけではないからもしかしたら尾行をされていたのかもしれない。
連絡先を交換したいと言ったり、気に入ったとか言ったり、そんなことをするわけがないとは言えないのが先輩なので、特にデメリットもないが少し危ない人間という風に情報を更新しておいた。
「で、こうして直接会ったわけだが満足できたのか?」
「やっぱり直接話せるのが一番いいな」
「便利な道具があるのに天の邪鬼なのか?」
便利……な道具だからこそ多くの人間が高い契約金を払って使っているのだろう。
なにかを確認したい場合には確かに便利だからきっと私としても使用頻度というのが増えていくと思う。
これまた本当は使いたいのに天の邪鬼を発揮して使おうとしない人間よりはいいだろう、どれだけ悪くなってもそんな人間にはなりたくなかった。
「声だけだとどんな顔をしているのかも分からないだろ? 例えば、さっきの話を続けていたら――あ! こ、これはノーカンになるか?」
「はぁ、続けろ」
「……さっきお前が『切るぞ』と言ったときの顔も分からないわけだからさ、もしかしたら調子に乗って続けてしまうかもしれないだろ?」
「声音で十分分かるだろう、先程の私の声音からは冗談を言っているように伝わってきたのか?」
「いや、違うけど……。と、とにかく! 私はこうして直接話せた方がいいというわけなんだ! 分かってくれ!」
それならこれからこうして何度も付き合わされることになるということなのか? もしそうなのだとしたら少し面倒くさい人間と出会ってしまったと言うしかなかったのだった。
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