第二十八話 新たな生活
後宮の貴妃という正一品の位を辞して、早三日。
久しぶりに帰ってきた雪蓉は、里山の変わりように驚いた。
何が変わったかというと、まず家屋が建て替えられていたのである。
雪蓉が貴妃になったことにより、驚くべき額の結納金が支払われ、饕餮を鎮める任として支給される税金額が大幅に上がった。
これまで最低限生活するだけの金額しか国から支払われず、世話をする子供が増えたとしても、支給額が増えるわけではないので、家計は当然苦しかった。
自給自足のような生活をしていたのが、好きな食べ物が買えるようになり、女巫たち全員が新しい衣を着ている。
さすがに贅沢できるほどのお金はないが、困窮することはなくなった。
さらに、雪蓉がいなくなり、さぞかし女巫たちは苦労しているかと思いきや、雪蓉がいないことで責任感が生まれ、料理の腕もぐんと上がっていた。
こうなると、なんで帰ってきた? という空気を感じざるを得ない。もちろん子供たちは喜んでくれたし、仙は「出戻ってきたのはお前が初めてだよ」という嫌味のような言葉をかけたが拒絶することなく迎え入れてくれたし、雪蓉の居場所がないわけではない。
ただ、雪蓉の必要性が、この地にはもう感じないというだけである。
そんなことを考えながら、雪蓉は厨房で小さな女巫たちと一緒に饕餮に捧げる料理を作っていた。
ほんのり切ない気持ちになりながらも、料理には一切気を抜かない。最後の仕上げを済ませ、雪蓉は満足げに笑みを漏らした。
「さあ、できたわ。仙婆のところに行くわよ」
大皿には、山盛りの料理が乗せられている。酢豚や焼売、鳥の香味焼きなど品ぞろえも様々だ。
「はーい!」
小さな女巫たちの可愛らしい声が厨房に響き、雪蓉は懐かしい気持ちになった。
(ああこの笑顔、癒される……)
子供たちのためと言いながら、本当は雪蓉が一番心細かったのかもしれない。
大皿に盛られた料理を、仙の住む居宅へ運ぶ。
「仙婆~」
と小さな女巫が軒先から声をかけると、仙はとてもゆっくりとした足取りで外に出てきた。
腰も曲がっているし、いかにも足腰が弱そうな老体に見えるが、雪蓉はそれが演技であると知っている。
「おー、肩が痛い、揉んでおくれ」と言って小さな女巫たちに揉ませ、自分は家事など一切やらず、至れり尽くせりでいたいがための演技なのだ。
知ってしまうと多少複雑な気持ちにはなるが、これまで通りの態度は崩さないし、小さな女巫たちに真実を告げる気もない。
仙はこれでいいのだ。そのために私たちがいるのだから。
「どれどれ」
と言って仙は味見をし、小さく頷いた。味は合格のようだ。あとは、仙術をかければ完成だ。
仙が料理に手をかざし、仙術をかけようとしたところで、雪蓉が口を開いた。
「待ってください! 私にやらせてください!」
雪蓉の言葉に、仙と小さな女巫たちは、またかという呆れ顔を浮かべた。
「えー、もう諦めなよ」
「そうだよ、仙婆に任せればいいじゃない」
小さな女巫たちの非難の声に耳を貸さず、雪蓉は至極真面目な顔でほかほかの料理に手をかざした。
雪蓉の額から一粒の汗が噴き出る。目は真剣そのもので、とても集中しているのがはた目からでも分かるが、一向に何の変化も起きない。
息を止めて料理を見つめていた雪蓉だったが、苦しくなって手をかざすのを止め、息を吐き出した。
「はあ、はあ、……また駄目か」
雪蓉が肩を落とし、がっくりと項垂れている横で、仙婆がいとも簡単に仙術を料理にかけた。
……そうなのである。
雪蓉は、仙術が使えない。つまり、仙になっていなかったのである。
すっかり仙になった気でいた雪蓉は、仙術がまったく使えないことに気が付き愕然とした。
結局、仙術が使えたのは、劉赫を守るためにやった、あの一回だけ。
どうやら、あれは火事場の馬鹿力のようなもので、普段は発揮できないようだ。
仙になってしまったと己を責め、嘆いていた劉赫はこのことを知らない。教える気もないし、もはや立場が違いすぎて伝える機会もない。
(なんだかなぁ……これで良かったのかな?)
人ではない、仙になってしまったから、劉赫の側にいることはできないと思って、里山に帰ることにしたのに、まさか仙になっていなかったとは。
だからといって、今さら妃に戻る気は毛頭ない。これで良かったのだ。妃なんて窮屈なだけだもの。
無事に饕餮に料理を捧げ、それが終わると雪蓉は畑仕事に、小さな女巫たちは家畜の世話をするために別れた。
久しぶりの畑仕事に精を出す。鍬を持ち、怒涛のごとく土を耕していく。
体がなまっているかと思いきや、全く衰えていなかった。むしろ向上している。
平低鍋を振り回して、男たちの頭に殴りかかった経験が活きているのだろうか。
(妃になっても体は鍛えられるのね)
他の妃嬪たちが聞いたら、全力で否定されるであろうことを、雪蓉は思った。
あの時、雪蓉以外の妃嬪たちは後宮で大人しくしていたし、平低鍋を振り回していたのも雪蓉だけだ。
雪蓉は、あっという間に畑仕事を終えると、鼻歌交じりに居宅に戻った。
部屋でゆっくり休むこともできるが、小さな女巫たちの仕事を手伝ってやろうと思っていた。
(雪姐がいてくれると、楽で助かるわね、なんて言われちゃったりして)
自らの株を上げようと、意気揚々と家畜場に行くと、小さな女巫たちは集まって何やら深刻そうに話し合っている。
(どうしたのかしら……)
彼女たちに気付かれないように近寄って行くと……。
「ねえ、どう思う?」
「やっぱり雪姐は、皇帝陛下に愛想を尽かされちゃったのかな?」
「女らしくないってことが知られちゃったんだよ」
何の話かと思ったら、まさかの自分の話だった。
しかも、何やらあまり好ましくない方に勘違いされている。
「自分から望んで戻ってきたって言ってたけど、もしそれが本当だとしたらそれこそ問題だよね」
「貴妃だよ、貴妃」
「それを自分から捨てるなんて、豚の肉を投げて出汁だけ飲むようなものだよ」
それはもったいない、と雪蓉は思った。
そもそも豚の肉を出汁に使うことすらもったいない。
出汁にするなら骨で十分だろうと、馬鹿真面目に考えていた。そこじゃないだろ。
「皇帝陛下に見初められるなんて、さすが雪姐って思ったのにな」
「雪姐みたいに、いつか私たちもって言ってたのにね」
「帰ってきてくれたのは嬉しいけど……」
「雪姐これからどうするんだろ」
雪蓉は、黙ったまま静かに踵を返した。
どこに向かうでもなく、山道を歩く。
空を見上げると、綺麗な青空が広がっていた。空気も清々しくて、気持ちいい。
なのにどうしてだろう、気持ちはどんどん落ち込んでいく。
気が付いたら、川辺まで下っていた。
倒れている劉赫を発見した、あの川辺だ。
大きな石に腰掛けて、小石を摘んで川に投げる。
ポチャンと音がして、あっという間に沈んでいった。大きなため息を吐く。
(本当、どうしよう、これから……)
帰ってきたら、無条件で歓迎されると思っていた。
「雪姐が突然いなくなって寂しかったよ、大変だったよ」と腰にすがられて泣かれることを想像していたのに。
(皆は、私が帰ってきて、嬉しくないのかな。
……いや、違う。皆は、私が幸せを掴んだと思って喜んでいたんだ。
それなのに……)
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