第二十話 神龍と饕餮の戦い

饕餮が大きな口を開いて神龍に突進していった。


神龍は、長い尻尾で饕餮を弾き飛ばす。饕餮は「ぎゃん」と一声泣き、壁に激突するが、すぐに立ち上がった。


 饕餮と神龍の戦いを見ながらも、いつ攻撃の矛先が自分に向かってくるか分からない。


 神龍が饕餮を倒したら、次は自分にくるのだろうなと、まるで他人事のように考える。


 饕餮は大きな角で神龍の胴体を突き刺すと、痛みで怒った神龍の長い胴体が暴れ狂う。


蛇のように長いそれは、大廟堂の中を上下左右に揺れ動き、逃げきれなかった劉赫の体に当たる。


 劉赫を攻撃するつもりで当てたのではなくとも、巨大な肢体にぶつかった衝撃は相当なものだった。


 肋骨が折れ、口から血が出る。血の匂いに反応した饕餮が、神龍ではなく劉赫を襲いに向かってくる。


 痛みを堪え、神龍と饕餮、二つの霊獣から必死で逃げると、二か月前の戦いを思い出した。


(そうだ、この前もそうだった)


 消えかけていた記憶が、まざまざと蘇る。思い出さないように蓋をしていたのに、恐怖と痛みが、再び現実のものとなって襲い掛かる。


 いくら武力を鍛錬したとはいっても、人間が霊獣にかなうはずがない。とにかく逃げるのみ。しかし、大廟堂の中は封鎖されている。


(これは……死ぬな)


 逃げながら、劉赫は確信した。


 無理だ、この状況で生き残るなど。


 もしかしたらまたなんとかなるかもしれないと望みを持っていただけに、この絶望的な状況は精神的に堪えた。


(どうせ死ぬなら、変な意地を張らず、雪蓉に想いを告げれば良かった)


 もしも、好きだと言ったら、あいつはどんな顔をしたのだろう。


 思い出すのは、死んだ兄たちではなく、初めて惚れた女の顔。


 振られるのは分かっている。というかもう振られている。


 驚いた顔をするだろうか……。見てみたかったなと思う。


 死を間際にして、なぜか雪蓉の驚いた顔を想像して、笑みが零れた。


 その瞬間、後ろから饕餮の角で体を押された。すると劉赫の体は衝撃で空を舞い、重力によって地面に叩きつけられた。


 腕や足が曲がってはいけない方向に曲がった。全身を貫く痛みで、意識が飛びそうになる。


 薄れゆく意識の中、神龍の牙が饕餮を貫くのが見えた。


 横たわったまま、動かない饕餮を見て、無事に任務は完了したと安堵した。


 今度こそ、死ねるだろうか。


 死ぬことに恐れはなかった。自分はずっと、死にたかった。


自分の中に恐ろしい神龍が宿っていると知った時から。


 あの日、兄たちを失ったあの時に、自分も死んでしまっていたら良かったのにと何度も思った。


 大好きだった母が、まるで霊獣でも見るかのような怯えた目で自分を見た時、ああ、俺は禍々しい霊獣になってしまったんだと思った。


 兄たちを殺した霊獣の一部になってしまったのだと。


 死んだらきっと、人間に戻れるだろう。兄たちが迎えにきてくれるはずだ。


母も、俺の顔を見てくれるに違いない。幼い頃のように優しい眼差しで。


 意識を手放そうとした時、饕餮を倒した神龍が正気を戻し、劉赫の体の中に入っていった。その感覚はとても温かく、気持ちが良かった。


 息をすることさえ苦しかったのに、大きく空気を吸うことができ、しっかりと吐き出した。


 急速に、体が癒えていくのを感じる。神龍が体の中に入ったことで、驚異的な治癒力を発揮した。


 神龍は依り代がなくなることを恐れたのだろう。


本来大人しく臆病な性格の神龍は、外に出ることを嫌がる。人間の体は居心地がいいようだった。


(また……死ねないようだ)


 薄れていた意識が戻り、劉赫は自嘲するように笑みを浮かべた。


(これが、俺の運命か……)


 劉赫は大きく深呼吸をして、瞼を閉じた。



 雪蓉は、北衙禁軍と共に仙術に冒された衛兵たちを一人残らず元に戻し(頭を殴って倒したともいえる)、大廟堂の前でハラハラしながら戦いが終わるのを待っていた。


 中に入って加勢できないのがもどかしい。


扉を開けて中に入ろうとした雪蓉に、仙が「もし饕餮や神龍が外に出てしまったらどうするのじゃ! すべて台無しにする気か!」と一喝され、渋々待っていたのである。


「……終わったようじゃな」


 仙の小さく呟いた声を聞いた雪蓉は、待ってましたといわんばかりに扉の打掛鍵を外した。


門番がいるにも関わらず、雪蓉自ら分厚い扉を渾身の力で開け放ち、だだっ広い大廟堂の中を見ると、黒い毛むくじゃらの大きな動物のように見える饕餮と、劉赫が床に横たわっていた。


(ほら、言わんこっちゃない!)


 倒れている劉赫を見て、急いで駆け寄る。


「劉赫! 大丈夫⁉ 生きている⁉」


 劉赫の顔を覗き込むと、劉赫の瞼が動き、ゆっくりと目を開けた。


「良かった……なんとか生きてる」


 雪蓉が今にも泣き出しそうな顔で安堵すると、劉赫は不思議そうな顔をした。


「雪蓉、どうしてここに?」


 劉赫の声は掠れていた。まだ、息をするのも苦しそうだ。


「心配で駆け付けたのよ。あんたまた、死にかけてるんじゃないかと思って」


 予想は的中だった。やっぱり死にかけていた。


「そうか……」


 劉赫は少しだけ嬉しそうに微笑んだ。


「大丈夫? 立てる?」


「それは無理だな。肋骨が折れてるし、足や手も曲がってはいけない方に曲がった」


「とんでもない大怪我じゃないの!」


 雪蓉は真っ青になり叫んだ。


「実は息をするのも苦しい。少し頭を上げてくれないか?」


「え? こう?」


 雪蓉は倒れている劉赫の頭をそっと持ち上げた。


「そう、そのまま膝に乗せてくれると助かる」


「分かった」


 雪蓉は素直に指示に従い、劉赫の頭を自分の膝に乗せた。いわゆる膝枕である。


「どう? 少しは楽になった?」


「……最高だな」


 劉赫は、生きていて良かったと思った。


 実際は、膝枕しようがしまいが、痛いことに変わりはない。


しかし雪蓉は、劉赫の嬉しそうな顔を見下ろし、よっぽど呼吸するのが楽になったのだなと思った。劉赫にとって、幸せな勘違いである。


「しばらくこのままでいいな」


「早く医者に診てもらいなさいよ」


 雪蓉の的確な突っ込みが入る。


 劉赫にとってご褒美の時間は、長くは続かなかった。


穏やかで満ち足りた時間は、すぐに終わる。


しかも、最悪の形で。

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