第十一話 姑と対決!?
後宮へ戻る道すがら、明豪の斜め後ろを歩きながら、雪蓉は肩を落としていた。
(お母様との間に何かあったのかしら……)
自分の顔が嫌いなのは、筋金入りのようで、それが雪蓉には勿体なく感じた。
(顔だけはいいのに……)
失礼なことを胸の内でぼやきながら雪蓉はため息を吐いた。
チラリと明豪の顔を盗み見る。
(彼なら、何か知っているかしら。皇帝付きの専属護衛よね、確か)
今ではすっかり雪蓉付きの護衛になっているが、文句も言わず、不満も顔に出さず職務を全うしている。
「あの……」
雪蓉が声を掛けると、明豪は睨むような眼差しを向けた。途端に背筋が凍るが、負けじと姿勢を正す。
「劉赫とお母様との間に何かあったのですか?」
雪蓉の問いに、明豪は渋面を作った。聞いてはいけないことだったのかと思い、萎縮すると別のことで怒られた。
「劉赫様と呼べ」
「あ、すみません」
明豪の気に障ったのは、お母様とのことを聞いたのではなく、皇帝を呼び捨てにしたからだった。明豪は、ふんっと鼻を鳴らすと予想外のことを教えてくれた。
「本人に直接聞いてみればいいだろう」
「聞きましたけど、教えてくれませんでした」
「劉赫様ではない。劉赫様の母君に」
「え?」
口をポカンと開け、驚いている雪蓉に、明豪は不敵な微笑みを投げかける。
「劉赫様の母君は、後宮にいらっしゃる」
明豪から劉赫の母君が後宮にいると聞いてから、早三日。
饗宮房で、劉赫の昼餉を作っている雪蓉は、行くべきかまだ決めきれていなかった。
劉赫の母君について雪蓉なりに調べたところ、劉赫の母君は離宮に住んでいるらしい。後宮とはいっても、今上帝が頻繁に立ち寄る若い妃たちがいるところとは離れているという。
母君なりの気遣いなのかもしれないが、今のところ劉赫が後宮に来たのは一度きりだ。
(同じ後宮内っていっても、気軽に行けるような距離じゃないのよね。広すぎなのよ、後宮は)
雪蓉は、ほかほかのご飯をふんわりと握りながらため息を吐いた。鰹節と醤油の香ばしい香りが広がる。
劉赫は、昼餉は握り飯だけでいいという。公務の傍ら食べるので、邪魔にならず気軽に食べられる握り飯が最適なんだとか。
今まで昼餉は食べていなかったらしいので、握り飯だけでも食べるようになったのはいい変化かもしれない。
(そういえば、焼きおにぎりを食べた時、もの凄く感動してたわね。三食三晩これだけでいいとか本気で言ってたわ。どんだけ好きなのよ、握り飯)
米は温かい状態で食べるものという価値観があり、冷めた握り飯は下賤な者が食すものという考え方が根強い中で、握り飯が好物という皇帝はやっぱり変わっている。
あっという間に作り終えてしまい、雪蓉は手持ち無沙汰となってしまった。
後宮にいても、やることがない。他の妃たちもさぞ暇だろうと思っていたが、妃たちは美を保つために様々なことをしており、忙しいのだという。
湯浴みもカラスの行水の雪蓉にとっては理解に苦しい話だ。
(そうだ、久々にアレを作ろう)
雪蓉は、厨房にある残り物を使って、琥珀糖(こはくとう)を作ることにした。
琥珀糖とは、宝石のように美しい見た目が特徴的な寒天入りの砂糖菓子である。
凝った見た目とは裏腹に、原材料は少ないので、饕餮山にいた頃はよく作っていた。お菓子は高級品で買えないので、自ら作るしかない。
中でも琥珀糖は、持ち運んで気軽に食べられるし、何より見た目が可愛いので、小さな女巫たちの大好物だった。
それに、劉赫も。疲れた時などにそっと差し出したら喜ぶだろうと思った。
原材料が少なく、簡単なものだからこそ、料理人の細やかな腕の違いが如実に現れる。
鍋に砂糖、水、寒天を入れよく混ぜる。ぽつぽつと泡が出てきたら、焦がさないように混ぜながら、とろっとするまで煮詰める。
様々な色合いを宝石のように輝かせるため、雪蓉は丁寧に琥珀糖を作る。作っていると、今にも小さな女巫たちの笑い声が聞こえてくるようだ。
(会いたいなあ。元気かな。私がいなくて、大変だろうな。泣いていないといいんだけど)
小さな女巫たちへの思いを琥珀糖に託すように、ゆっくり時間をかけて鍋の中身を煮溶かす。
(やっぱり、頭で考えて計画を練るより、とりあえず行動に移してみよう。どうやって聞き出すかは、その時、その場の雰囲気で考えればいいのよ。なるようになれ、よね)
悶々と考え込んでいた雪蓉は、琥珀糖を作っているうちに吹っ切れてきた。
鍋から器に移し、様々な色の食紅を加えて、周りを氷水で冷やして固める。
食紅を加える際、あえて透明な部分を残すことにより、宝石のように輝く洗練された色合いの琥珀糖が出来上がった。
元々、考えるより先に体が動く体質だ。悩んでいても仕方ない。
昼餉は握り飯しか作らなくていいから、訪問するなら明日の午後だなと算段する。
かくして、後宮にいるという劉赫の母君に会いに行くことにした雪蓉だったが、思わぬ形で横槍が入る。
劉赫の母君に会いたいから取り次ぎしてと頼んだら、女官が血相を変えて反対したのだ。
皇太后様に拝謁を願い出るなど例外がない、非常識だと散々喚き散らされ、雪蓉は反省した様子でうんうんと頷き、殊勝な態度で聞いていた。
最近、雪蓉付きの女官の態度が変わってきていた。
距離を置き、用がない時は近付こうとすらしないが、雪蓉が暴力を振るったりすることはないと分かったからか、容赦なく文句をぶつけてくる。
しかしながら、そこで諦めるような性質ではなかった。
反省しているように見えたのは、一刻も早く説教を終わらせて、自力で皇太后の宮に潜入しようと企てていたからである。
そして、雪蓉が反省したとすっかり信じきった女官が、立ち去るのを確認してから、雪蓉はそろりと動き出した。
皇太后の住まいは、後宮の北側、太麗宮(たいれいぐう)にある。
後宮の奥地にひっそりと建つ広大な屋敷。
金緑石色に輝く瓦をのせた大邸宅の奥に、寝殿や対の屋がある。
美しく整えられた庭院には、四阿(あずまや)があり、梅の花が咲き乱れこの世のものとは思えぬほど見事な景観だった。
雪蓉は木の上から太麗宮を見渡し、品が良く趣味のいい主(あるじ)が住んでいるのだなと思った。劉赫のお母様はどんな方なのだろうと想像を巡らせる。
(意地悪で厳しい方だったら嫌だな……)
初めて姑に会いに行く気分になり、雪蓉は気が重くなった。不本意とはいえ、現在の雪蓉の位は、貴妃。皇太后にとっては、雪蓉は嫁のような存在だ。
(サクっと聞いて、サクっと帰ってきましょう。とはいっても、どこから忍び込むか……)
入り込むだけなら案外簡単そうに思えた。
後宮内なので、女官はいても警備の者はいない。
だが、女官に見つかれば追い出されることは必死で、運よく皇太后に会えても不審者と思われるのが関の山。
(貴妃です! なんていっても、だから? で終わって締め出されそう。どうしよう、何の策も考えてこなかったけど、やっぱり無謀だった?)
とにかく会えればなんとかなるだろうと思ってここまで来た。その後のことは、天に任せるしかない。
(ええい、ままよ!)
雪蓉は、木から下りると、今度は高塀に手をかけよじ登った。
軽やかな身のこなしで太麗宮に潜入すると、まずは梅の花香る四阿へと歩みを進める。
四阿からは、くゆらせた高価な香(こう)の匂いがした。梅の花の匂いと、香の匂いが互いに喧嘩することなく見事に調和している。
(素敵……)
思わずうっとりしてしまい、気が緩んでいて、雪蓉は四阿の後ろにいた人物に気が付かなかった。
「あら、可愛らしい方ね」
鳥のさえずりのように優しい声音だった。雪蓉は、慌てて草陰に隠れる。
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