第17話
帰り道、車の後部座席で透は徐々にその色をオレンジ色に染め上げる太陽をぼんやりと眺めていた。
透が助手席ではなく後部座席を選んだのは運転手の父親の横に座りたくなかったなどという思春期にありがちな反抗心と気恥しさから来るものではなく、単に先ほど転んだときに足をひねってしまったので足の延ばせる後部座席へと座ったのだ。
足を延ばしているおかげで少しは楽になったが軋むかのようなひざの痛みが自分の存在を忘れるなと言うように訴えてくる。
我慢できないほどの痛みではないがまるでねっちっこい嫌味を言われるような小出しの痛みは透のストレスゲージを徐々にためていく。
気分転換にと外を眺めると、オレンジに染まる太陽が山の向こうへとまさに沈んでいくところだった。
あの向こうには、彼がいまだ肉眼で見たことなない広大な海が広がりそのまた向こうには多くの人が住まう本土や違う人種の住まう多くの国々がある。
(結局、見ることはできなかったな)
元々本土からこの島へと移ってきた飯屋家だが、子供が生まれたのを機にこの島へ越してきたので透には外の世界の記憶は一つもない。
幼少時をその地で過ごせば少しは話も違ったのだろうけれど、そんなifを考えても仕方がないだろう。
だから、いつか成人してからでも外の世界を見てみたいというひそかな夢を抱いてはいたが、それも無理そうだと丸太の様に重く感じる己の足をみて思う。
今までこんなこと考えなかったのに、夕日を見ているせいだろうか妙にセンチメンタルになってるなと透は自照する。
もしかしたら、己の終わりが見えてきたからこそ心残りとしてそんな願いが出てきたのかもしれない。
「ねぇ、島の外ってさどんな感じ?」
自身の知らぬ世界、その答えを知っている父に透は何でもないかのように平坦な声のまま質問してみた。
なんとなく、外の世界に憧れを抱いていることがミーハーのようで恥ずかしく思ってしまったからだ。
そんな息子の気持ちを知ってか知らずか父は意外だというようにバックミラー越しに目を見開くとすぐに眉間にしわを寄せ少し考えるようなそぶりをして見せる。
「どうって言われても。・・・そう問われると難しいな。ただ言えることは俺からすればこの島と比べていろんなことが鎖みたいに社会を縛り上げていた」
「規則やルールってこと?そんなものどこにもあるじゃん」
「透、この島は特別、異質なんだよ」
異質、父が放つその言葉はひどく乱暴に思えたが透の胸にはピースがはまるようにすとりと落ち込んだ。
ずっと以前から感じていた、明理や那岐と共にいても常にあったこの島での孤立感。
それは、よそ者だからとかそういった外部的な要因ではなくもっと根本的な精神から来るもの。
まるで狼の群れの中に迷い込んだ狐のような生物として異なる心の構造。
おそらく透とこの島の者たちとでは心の芯の部分がまるで違うのだろう。
それは恐らく神ヒルへの信仰心。
それを持ち合わせない透たちこそがこの島においては異質な存在だった。「ヒルへの信仰、それがこの島で暮らすうえでの絶対的な原則。外の世界とは違う異質なところってこれの事?」
そうだと父は頷く。
「外の世界でももちろん神への信仰はある。けれどそれはあくまで人の支えや伝統を守るものであってこの島の様に生活をも浸食するようなものではなかった。それに神は様々な形で存在していていた。この島のヒルだって外から見ればそのうちの一つでしかない。無神論者だって多くいた」
話を聞きながら透はここが走行中の車内であることに安心する。
もし今の発言が島民の誰かに聞かれでもすれば恐らく母を含めて飯屋家の者は八つ裂きにされ魚の餌になるところだ。
自分から聞いたこととはいえ、その物怖じしないしゃべりに透は肝を冷やす。
「だからこそ外にはいろんな人間の思いや思惑が混沌のように渦巻いていてその渦が今の社会を壊さないようにと人々の方向性を一つにすべく多くのルールで縛り上げていたんだ。けれど、この島にはそれがない。もちろん全くないなんてことはないがそれでも外の世界と比べればここは楽園のように平和だ。みなが同じ方向へ最初っから向かっているから」
「それが、ヒルってこと?」
「うん。俺達からすれば異質だけど、この島はそれである意味完成された一つの理想郷なんだ。人々が同じ思いの下生きている。一つの完成されたシステム。ここと比べれば外の世界は目をふさぎたくなるほど汚いものだよ透」
世界は汚い、それが父が生きてきた末の結論。
だからこそ父と母はこの島に身を置くことにしたのだろうか?
理想郷を求め?
「理想郷、ユートピアか」
でもそれはそこから外れたものにとってはデストピアにもなりうる砂上の存在なのでは?
話を聞いたうえで透の心に残ったのはそんな疑問だった。
少なくとも透にはこの島がそんな素晴らし場所には思えなかった。
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