第14話

長く続く板張りの廊下、その奥でうずくまる少女明理をこのまま放置していくのはとても忍びなくナキは後ろ髪を引かれる思いを抱きながらも決して振り返ることはなく先を進む。

透の視点で星蔵の内装は知ってはいたが、やはりじかに見るものは違うだろうと内心その光景に期待していたのだがまさか、このような真っ暗な筒の中を歩かせられるとは思いもしなかった。

自身の身を守るためだと理解はしているがこの暗さはどうしてもあの洞穴を思わせあまり新鮮な気持ちで見てられない。

透の事、明理の事で泥沼のように淀んだ心を少しでもスッキリさせたかったが、この風景ではそれも無理というもの。

唯一新鮮だったのは今歩いている板張りの廊下だった。

あの穴蔵と違い水のない足元というだけでも彼女からすれば新鮮だったが、何より気に入ったのはこのふみ心地だった。

穴蔵の中は水が張っているせいもあり水底にコケや水草が生えており歩くと足の指の隙間にそれらが絡まりひどく不快だったが、この廊下はそんなことも気にせず歩ける。

むしろこのわずかな冷たさと滑らかな足触りが心地よくナキは意図してすり足で歩く。

そうして玄関までたどり着くと入り口に合わせているためだろう、だんだんと空間の縦と横幅が狭まってきた。

歩くたびに低くなる天井、それはまるで自分が一歩ごとに大きくなっていくような妙な錯覚を覚える。

「頭かがめろ、ぶつけるぞ。透の目線とはまた違うんだ」

先を歩く那岐がそう注意を呼び掛ける。

ナキがいつまでたっても身をかがめることもせずひょいひょいと歩いていたからだ。

ナキは人間ではないが見た目は人に近く体格もそう変わらない。

けれどその白い肌をはじめ見た目は一目で人ではないことが分かるし体格の方も女性であること考えれば、いや男性としても随分と大きい。

恐らくだが190cm近くはあるのではないだろうか?

この国の人間の身長が比較的低いことを考慮しても十分大きいだろう。

そんな彼女が幕を張りただでさえ低くなっている天井を身をかがめることもせず歩いていう。

天井がよけてくれるとでもおもっているのだろうか?

彼女の傲慢さを考えると違うとは言えない。

しかし那岐の言葉に彼女はあっさりとその身をかがめた。

『気を付ける。いやこうも歩き回るのは本当に久しぶりだからな、気がそれていた』

眠りについていた時間も合わせれば約二百年、それほどの時をあの暗闇で過ごすなど人間の感覚では理解が及ぶはずがないことだがそんな彼女からすればこの短い距離の歩行すら周りが見えなくなるほど新鮮なことなのだろう。

だとしたらこの後の出来事はさらにその上を行く衝撃ではないだろうか?

那岐は後ろを歩く女がどのような反応をするのか?

そんな好奇心にも似たいたずら心が芽生える。

そうこの玄関を抜けると外には車を待たせてある。

もちろん玄関から車までの間は室内と同じようにこの布で作り上げた簡易トンネルで覆っており車も完璧な遮光をおこなっている。

まるで無菌室のような厳重さ。

そう彼女にとって日光はその体を犯すウイルスと同意なのだ、こちらとてそれなりの配慮は必要だろう。

なんせ、那岐からすれば待ちに待ち続けた存在、どのようなモノであろうと丁重に扱うしかないのだ。

ちなみに車内でのナキの様子は、初めこそ車の狭さに顔をしかめていた(これでも一般的な車よりは広い)が、先ほどまでと違い窓の遮光をフィルムにしたことで外の風景を楽しんでいる。

車での光景は恐らく透を通してナキも知ってはいるだろうが、やはり実際見る流れる景色や車の振動は全て彼女にとっては初体験の感動なのだろう。

言葉こそ発しはしないが今は食いいるように車外に目を向けている。

それこそ幼子のように。

そんなナキを見て那岐は思う、化け物の分際で随分と人間らしいと。

その考えはもちろんナキは読み取っているはずだが結局黒絵家につくまで彼女はただ黙って風景を堪能していた。



場所は戻り、ナキと那岐が去った後の星蔵家は15分ほどで以前の内装を取り戻していた。

鉄柱や布の持ち去り作業が進む中、その場を動かずうなだれる少女を作業員たちはどうしたものかと目を向けることはあったが結局は触らぬ蛇にたたりなしと話しかけるものは誰一人としていなかった。

そんな彼女やっと動き出したのは作業員たちが帰り終わった後の事だった。

玄関より差し込む夕日に導かれるようにふらふらとした足取りで廊下を歩く。

もうすぐ夕暮れなのだろうか?

淡く消え入りそうな光のすじはまるで明理のこれからの未来を現しているようにも感じられた。

そう思うほど彼女は今絶望していた。

名残惜しそうに玄関の扉を見つめるがそこにはもう誰もいない。

ナキが戻ってくるなんていう都合のいいことがあるはずがない。

それでも、明理は扉をただ見つめ続けた、そんな奇跡を信じて。

父が死んだあの日からそばにいてくれたものの喪失、それはあの日の悲しみの振り替えし。

ナキという存在で塞いでいた穴が再び開かれる。

まるで海の底に沈められたかのようなけだるさと、寒さ。

差し込む光が唯一の希望だとすがる様にただただ眺める。

しかしその光も夕暮れ時となった今やもはやか細く、いつ消えてもおかしくはない。

それは嫌だと思う。

こんな心境のまま一人で夜を迎えたくない一人でいたくない。

父が死んでから初めて迎える夜に彼女は恐怖しまたふさぎ込む。

このまま何もかもわからなくなればいいのにそんな妄想を抱きながら。

それからどれほどその体勢でいただろうか?

夢と現実のはざまを揺れ動くようなもうろうとした意識の中、確かにガラリとドアの開く音が耳に届いた。

まさかと驚きながら顔を上げるとそこには己が父親に背負われた透がいた。



空気が止まっていた。

それは、そう思わせてしまうほどの沈黙だった。

星蔵家の玄関で互いに顔を合わせる明理と透。

家に訪れた透を明理が待ち受けるいつもと何ら変わらない光景。

いつもなら軽い挨拶を交わしすぐに家の中へと入るのだが、今はお互いにただ視線だけを合わせる。

重い空気はまるでヘドロのように体にまとわりつき明理の心はさらに深く沈んでいく。

そんな様子を察したのか俯く明理に透は重い口を無理やり開き出来るだけいつもの調子で挨拶をした。

「よぉ明理。今日は家に行くって言ってなかったのに待っててくれたのか?」

軽口はあくまでこの空気を壊す為に。

それでもいつもの違う不自然なぎこちない笑みが、彼もまたむりをしていることを物語っていた。

「悪いねこんな格好で。ちょっと背中打ち付けてしまって、少し動けないから」

そんな透の言葉は耳に入っているのか?

明理は生気のない瞳のまま透を見上げるとおもむろに両手を床につくと頭を下げた。

つまりは土下座だ。

突然のその行動に透は唖然とし父はすぐに明理の行動を制した。

「明理様、何をしているんですか!?顔をあげてください」

島の権力者の突然の行動に狼狽する父の背中から見える明理は透にはいつも以上に小さくとても弱弱しく見えた。

父親はなんとか明理を立たせようするが彼女はかぶりを振るばかりでひれ伏す。

本当は無理やりでも立たせたいだろうが透を抱えている以上それも出来はしない。

「いえいえ。無理です。私は透君にとんでもないことを。本当にごめんなさい。謝ってすむ話ではないことはわかっています。けど、ごめんなさい!透本当にごめんなさい!全部私が悪いの。ごめんなさい!!」

再三にわたる謝罪、そこで二人はやっと彼女が何に対して謝罪しているのかようやく理解する。

「那岐から話は全部聞いた?」

そう聞くと明理は何度も頷いた。

それこそ、床に額がぶつかるのではと危惧するほど何度もだ。

そんな明理のありさまに透は自分の境遇など忘れ哀れだと思ってしまった。

涙を流し土下座をする明理、少なくともこれは友達が友達にする光景ではない。

透はそう感じた。

「父さん。悪いけど明理と二人だけにしてくれるか」

驚いたように振り返る父はその視界の端に映る息子を見返す。

わずかに交わる視線、それで何か伝わったのか彼は透をゆっくりと下ろした。

まだ自分の足で立つことはつらい透は明理の横に腰を掛ける。

「三十分したら迎えに来る」

父はそう言い残し、玄関から出て行った。

二人になった後はまたしばらくの沈黙が続いたが次も口火を切ったのは透だった。

「やっぱ。言いなれないな父さんってあの人を呼ぶの。互いに思い違いやすれ違いがあったってわかっても、気持ちってのはなかなかいうことをきかない。それでも、今までを変えたいから俺はあの人たちをそう呼ぶことにしたよ。・・・明理はさぁ、さっきから俺に謝ってるけどそれは何で?」

腫れ物に触れるようにだが透は自分の思える範囲で優しく明理にそう語りかけた。

明理はまるで口と脳の伝達がうまくいっていないかのように口だけを動かしていたが、やがてぼそぼそと語り始める。

「それは、私のせいで透の体が」

「明理のせい?明理は俺の体がこうなるのを知ってたの?こうなるように仕向けた?」

ピシャリと突き放すように言い切る透に明理の体は竦む。

「そんなことない!こんなことになるなんて思わなかった!考えがいたらなかった」

それだけは違うと必死に言う明理に透は微笑む。

「ならやっぱり明理のせいじゃないよ。俺をこんな体にしたのは明理じゃないし、そもそも話を聞いて首を突っ込んだのは俺の意思だ。体の異変に気付きていたのに放置していたのも俺の責任だ。そういった意味でナキを責めるつもりも俺にはないよ」

これは彼の本心だったし透なりに言い聞かせるつもりで発言した言葉だったが明理はそんなはずないとただただ首を横に振るばかりだ。

これはどうしたものかとしばらく黙っていた彼に一つのアイデアが浮かんだ。

「なら明理、一つ俺に協力してよ。それでこのわだかまりは無しにしよう」

妙に明るい声で透がそういった。

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