第13話
人の見る風景というのはただの一日でこうも変わるものだろうか?
星蔵家地下の空洞。
古の神の住まいしその場所はとても厳かでそこにいるだけで身も心も引き締められるような感覚を明理は来るたびに感じていた。
しかし今ここにいてもそのような思いに至ることはない。
あの日初めてここを訪れた時はまるで宝箱でも開けるかのような冒険心に満ち溢れていたが、今はまるでその宝箱が空であったかのようなむなしさだけを彼女は思う。
星のような美しさだと思っていた光る機械の数々は変わらず明かりを灯すが、がらんどうとなってしまったこの空間ではよりもの悲しさが増すばかりである。
もちろんそれは彼女の心のありようの問題であるのだが。
この場所より虚無的になってしまった今の明理ではそんなことを考えることも出来ないのであった。
地下空洞の主が星蔵家を去ってからすでに一日が経った。
別れは唐突で明理にはいったい何が起きたのかわからなかった。
ただいつものようにこの場所に訪れると、ナキ自らこの場を離れ黒絵家に行くと言い出したのだ。
その時はなぜ突然そんなことを言い出したのかが明理にはわからなかったが、ナキが本気で言っているそれだけは理解できた。
なぜ、黒絵家なのか?
疑問は大いにあったがそれよりも彼女を引き留めなければと明理は動く。
神の意志に逆らうなどとんでもない、そうは思いつつもここにいてほしいという独占欲から明理は内心の焦りなど見せずにあくまで冷静さを装いつつ意見をする。
「しかし、ナキ様は日の光に当たることができない身。ここを出るのは危険です」
それが、明理が思いつく唯一にして最大の切り札だった。
日の光を浴びれない。
それがナキに課せられた重すぎる鎖で、故に彼女は外にあこがれを抱きつつも根暗い地下に閉じこもっている。
それも行くと気もの長い間。
だがこれで大丈夫だと思っていた明理の思惑はナキの否定により飛散される。
『明理、そのことはもう対策済みだ。迎えがそろそろ来る。上へ行くぞ』
迎えとは一体何のことなのか?
明理は意味が分からず聞くがナキは取り合おうとせず上へ行こうと洞穴の扉を潜り螺旋階段を上へ上へと昇り始める。
先陣を切り階段を上るナキを追う形でついていく明理。
それは、穴蔵に鎮座する彼女しかしらない明理にはとても違和感覚える光景だった。
そして今回の事でわかったことが一つある。
ナキは体力がないということ。
この螺旋階段、距離がある上に足場も悪いので確かに体力を奪われるが、そんな場所をほぼ毎日行き来している透や明理は上り下りした直後であろうと軽く息が上がる程度だがナキは中腹にも満たない辺りですでに肩で息をするほどに疲れが見て取れた。
そもそも、穴蔵から動くことがほとんどなかったナキ、そんな彼女からすればただ歩くことさえ責め苦となるのだろう。
あるいは、その細く運動には適さないであろう体つきを見るに元々彼女たちはそう言った生命体のかもしれないと明理は思う。
もちろんそんないたたまれない様子に休みましょうと声もかけるがそれでも足を止めることはなかった。
そうしてねじの様な螺旋階段を上りきると、例の薄暗い小部屋にたどり着いた。
『ずいぶん狭隘な場所に出たな。人工物な分より圧迫感がある』
そう独り言を漏らすナキの前に明理は恐る恐るながらも立ちふさがった。
「待ってくださいナキ様。ここら先は日の光を遮るものがありません。今は日中、せめて夜までお待ちを」
自分の邪魔をされたことに一瞬小さな火花のような怒りを覚え鋭い目をさらに吊り上がせるが、その態度に怯えるように唇をかすかにふるわせながらも自らの事を思い止めようとする明理の健気さにそんな小さな火は消え、彼女を安心させるように『心配するなと迎えは来てる』と告げた。
それで、明理の表情が和らぐことはなかったが。
そしてナキは、今か今かと羽化に備える雛のように自らの手で外界へと通じる扉を打ち破るのだった。
ばたんと大きな音を立てた割に木でできた回転扉は壊れることがなかったのは、やはり彼女の非力さのおかげだろうか?
仮にこの扉を殴ったのが外で彼女たちを待ち構えていた男だったら間違いなくこの扉は粉々に打ち砕かれていただろう。
眼前の先の風景は今朝、明理が地下に降りる前から一変していた。
言うなれば、そこは黒いビニールハウスの中だった。
真昼間だというのに一切の光を遮る黒い謎の布。
みためはビニールのようだがやけに強度があり触ってみるとそうじゃないことが分かる。
それが半円状の鉄心を骨組みとして家の廊下を真っ黒なトンネルへ変貌させていた。
その出来事に唖然とする明理はきょろきょろと辺りを見渡し何が起きたのか把握しようとしているようだった。
そんな彼女たちを待つ男はまるでこの家の主が自分だと言い張るように王者のように不敵な笑みをこぼしながら二人を向かい入れた。
「はじめまして。待ってたぞナキ」
手を広げこちらを迎え入れるさまは父のような寛容さを思わせ、それでいて神すらも自分のものとしようとする悪魔のような傲慢さを持つもの。
それが、初めて黒絵那岐を見たナキの感想だった。
そして過去の経験から思う、たぶんこいつはろくでもないやつだと。
けれど、彼が語った話とあまりにも自信気なその態度に少なからず興味も抱き吟味するようにナキは那岐を見るのだった。
けれどそんな中、声を荒げるものがいた。
明理だ。
「黒絵家の方がなぜここに。誰の許可を取ってここへ入っているのですか?」
そこには静かながらも明確なる敵意が感じ取れた。
彼女をよく知るものなら、ここまで冷たい態度をとるその姿に驚きを隠せないかもしれない。
だが、しょせんは小娘の威嚇。
鍛え抜かれた体と精神を持つ那岐からすればそのようなものは子猫との戯れのようなもので気分を
害するようなことはない。
「許可?もちろん。一応不可侵の掟があったからな」
「私は何も聞いていません!」
「お前はな。もっと上からの許可だ」
その言葉に明理は瞳を見開き驚愕の表情のまま後ろを振り返った。
「そうだ明理、私がそいつを招き入れた」
ショックだった。
そこにどのような思いがあったのかはわからないが、明理からすればそれは明確な裏切りだった。
一体何がいけなかったのか?
そんなにこの場所が嫌だったのか?
どうしてと考えても答えの出てこない疑問ばかりがあふれてくる。
本当は声を出して問いただしたいのに、悲しみの感情を隠そうと声を閉ざしてしまう。
今、口を開けば声にならない思いがこぼれそうで明理は震えるのどを無理やり押さえつけ肩を震わす。
けれど、瞳だけはどうにも自制が効かずその目からは、涙が清水のように伝う。
ナキはそんな明理の姿に何も言うことはなかったが意外なことに那岐がそんな彼女に声をかけた。
「それは一体何に対しての涙だ?」
その問いかけに明理はびくりと肩を震わせた。
今までどこか上機嫌のように見えた彼が一変して明らかな不快感と敵意が混ざった声をあげたからだ。
「お前が流していい涙は贖罪の涙それだけだそれ以外の涙などお前は流す価値がない。もう一度聞くそれは何に対してだれに対しての涙だ?」
詰め寄られ恐怖に身を固くし何も言えなくなったその姿に栄光ある蔵星家の当主としての面影はなく大人に怯える一人の少女がいるだけだった。
『おい。そう問いただしても仕方がないだろう。説明をするべきだ』
自分の行動に水を差されたからか那岐は一瞬ひどく顔を歪めたがすぐに取り繕うように口元だけで微笑んで見せた。
「それをお前が言うか?原因のお前が」
口は笑うがその目には明理に向けられたのと同じ隠しきれない不快感を帯びていた。
明理はそれが分からないなぜ自分がそんな目を向けられるのかがまるで理解できなかった。
「しかし、確かに少し感情的になりすぎたな。ならば俺の話を聞け星蔵明理、それがお前の義務だ。ナキを目覚めさせ透の友人であるお前のな。星蔵明理、透の体は今死へと向かっている。元凶はお前だ」
そこから、那岐の明理に対する責め苦が始まった。
「嘘だ。透が」
その否定は呟きのようなもので、発言の否定というよりは本当に信じられない信じたくないという逃避の思いから来ていた。
これ以上話を聞きたくないのか?
それとも、その苦悩からか、耳を両手で抑えしゃがむ明理。
自らの行いのせいで友人の命が危機にある、そのことを考えれば気持ちを理解できなくもないが、その逃げるような行動は那岐をよりいらだたせるものとなる。
「話はまだ終わりじゃない」
自らもまたしゃがみ込み、明理の手をつかみ上げると声をわざとらしく張り無理やり話しの続きを聴かせる。
「お前だって気づいていただろう?透の体の不調には、だがお前はそれを見て見ぬふりをした。大方今のこの関係が壊れるのを恐れたいや、透を巻き込んだその現実から逃れようとしたのか?卑怯な女だ」
「そんな、私はそんなつもりは」
「どうあれ、結果的にお前たちのせいで透の寿命は大きく縮んだ。そんな者たちをこれ以上一緒に居させるわけにはいくまい。透にどのような悪影響が出るかわからないからな。故にナキは今日この時より私が管理する。彼女を御せなかった貴様だ文句はないだろ」
こちらの言い訳など聞く気はさらさらないと自分の告げた決定を告げる那岐。
明理としてはそもそも御する気などなかったという思いがあったがそんなことを言ってもやはりいいわけであるし、透の事を思うとそんなことは口に出すことができなかった。
そして、この決定はナキ自身もすでに把握済みの事だろうと察しがついた。
このめちゃくちゃな決定にナキは何も言わずただ聞き入るのみ。
他者の決定で動くことを嫌う彼女がこんな状況に付き合っている時点でつまりはこれはナキの決定でもあるということだ。
そしてナキの決定に明理が逆らうわけがないことも把握済みで話をしているのだろう。
「星蔵からナキ様が出ていかれれば透の命は助かるの?」
そうでなければ困る、そんな言いようだった。
そんな態度に溜息をつきたくなる気持ちを抑えて那岐は事実を語る。
「これ以上、急速に命を知事めることはないだろうという意味ではな。結局のところ透の短命の原因はナキからの干渉、契約?っていうんだったなそれにあった。」
手を広げながら語りだす那岐はまるで舞台に立つ役者のかのように仰々しくときには静かに抑揚をつけ話す。
これでスポットライトでもあればまさに演劇でも見ている気分になるだろう。
大げさなその語りはなぜか人を引き込む力があり明理の乱れた心もだんだんと落ちる気を取り戻しまるで観客のように話に聞き入る。
「感覚の共有それにより起こる脳への負荷、そしてより一層共感覚を強めようとするための細胞の変化この問題はナキが感覚共有をやめない限りどんどん悪化する。だからナキに感覚共有をやめ去るために、この屋敷から連れ出すんだ。結局、彼女があのような形で透を利用したのは外への憧れ。暗い地下世界しか知らない女の外界への夢。なら誰かがその夢を叶えれば透もそんなお役目から解放されるわけだ。そして私なら彼女を外の世界へ連れ出すことができる」
まるでご覧のようにと、那岐は手のひらを周囲のビニールハウスへとむけた。
この日の光を一切遮る謎の布もこの時のために那岐が用意したものなのだろう。
そしてナキもそれを知っていた、だからこそ彼女は何の迷いもなくあれほど望みながらも出ることの叶わなかった外へつながれた鎖が外れたかのように迷いなく出れたのだろう。
「急だった為お粗末で簡易なものとなったが、時間さえあればより自由に歩き回れることも約束しよう」
相手の思考を読み取るナキの前で嘘は効かない。
そんな相手を前に断言するということはもうそれも確定事項なのだろう。
少なくとも嘘がないことはナキが何も言わないことから事実であろう。
「ナキの望みそして透の命をこれ以上縮めない方法だ、不満はないだろう。それとも貴様に手段はあるのか?」
あるわけがなかった。
ないからこそこのような事態になったのだ。
ナキを外に出す手段も透を救う手段も明理には無く押し黙るしかなかった。
「無いようだな。ならば予定通りナキは私が連れていく。この廊下を囲う布は彼女が屋敷を出次第取り外すので心配無用だ」
そんな心配などしてはいなかったが、廊下の奥を見ると見知らぬ男たちが何人か待機していた。
恐らく彼らが取り外し役なのだろう。
顔を知らないということは恐らくは島の人間ではない。
それは当然の選択といえばそうだった。
いくら黒絵家当主の指令とはいえ、同じく島を二分する星蔵の家に入るなど島の人間では臆してしまうものだから。
何も言わず座りこむ明理にナキは自ら身をかがめ向き直る。
それはナキが初めて他者と人間と同じ目線に立とうと試みた瞬間でもあった。
『明理。私はここを出ていく。それが私の願いを叶え、透を救い、お前を重圧から解放する唯一の手なのだ。今日までよく尽くしてくれた。感謝する』
「重圧なんて!私はただ貴方が好きで仕えたかったんです。昔から話に聞いていた貴方様に出会えて、嬉しかったただそれだけで」
『私もだ。明理に出会えて良かった。これが今生の別れとなるわけじゃない、また会える』
ナキは最後のまるで幼子をあやすように彼女に抱き着き頭を撫で別れを告げた。
そんな二人のやり取りを那岐は冷ややかに見ながらも何も言うことはしなかった。
こうしてナキは235年もの日々を過ごした星蔵家に別れを告げたのだった。
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