かなの想いのその強さ
かなの訓練相手は五百人程度の亜人たちだ。一体一体は普通の悪魔程度であり、そこまで脅威とは言えない。何なら悪魔の方が強いし、かなが苦戦する相手ではない。ではなぜかなが戦うのかというと、ただただ遊びたいからである――
そういう経緯で始まった模擬戦であるからこそ、目の前の光景は当然なのだろう。
「ぎゃあっ!?」
「うげぇっ!?」
「ぶふぉあっ!?」
一人、また一人とかなに突撃していく亜人たち。そんな亜人たちが一瞬もしないうちに投げ飛ばされて悲鳴を上げるという景色がかれこれ十分ほど続いている。もうすでに何百人が倒れているのかわからない。
最初の方は勢いよく起き上がって再び攻撃を仕掛けていた戦士たちだったが、やがて圧倒的なまでの実力差に絶望し、言葉をなくして投げ飛ばされたその場でうずくまり始めた。完全に精神をやられているな、あいつら。
まあ、見た目少女のかなにボコボコにされたらああなるのはしょうがないことだろう。中には俺を見た瞬間に絶望の表情を浮かべているやつもいるな。多分、自分たちの隊長がやられたのがよほどショックだったんだろうな。
(かなー、その辺にしておいてやれ。他の区画の奴らも集まって来てやがる)
(ん、終わりにする)
念話でそう言いつつかなはあえて大仰に一人の亜人を投げてやる。受け身をとれるくらいの角度と速度で投げてる技術ってのもすごいよな。相手は百キロ近くあるであろう大柄の亜人だ。それを片手で軽々と持ち上げるだけですごいというのに細かい調整までできるのは本当に達人技と言える。
そして両手を叩いて砂埃を払いつつその場を後にする。デストロイヤーを呼び寄せて亜人たちに何か伝えさせるのを忘れずに。
(なんて言わせたんだ?)
(まだまだ弱すぎる。もっと精進しないとリリアの役に立てないぞ、って)
(あらまあ辛辣ですねぇ……)
かなは天然毒舌なのかもしれない、なんて苦笑いを浮かべるしかできないじゃないか。
乾いた笑いとともにため息を吐きつつ合流した俺たちは、その後デストロイヤーを引き連れてその場を後にした。
後に訓練場では俺たちのうわさが広がり、最前線基地内部での関わってはいけないリストの上位に見事ランクインしたという。
(さて、次はどこに行く?)
(帰る。眠い)
(あれ? 何か体力使うことしたか?)
(最近眠いの)
かなが猫だからよく寝る、というわけではない。確かに暇さえあればかなは寝ているが、自ら眠いと言って眠ることは少ないのだ。あてにされなかったり、本当にやることがなかった時に寝ているだけだ。そんなかながこんな昼間から眠いと言い出すとは、何か疲れているのだろうか。
(まあ、疲れたなら休んだ方がいいよな。じゃあ、リリアのところに戻るか)
(……ちょっと、お外で日向ぼっこしたい)
(そうか? じゃあ、基地の外に出ていいところを探すか)
(ん、行こ)
隣を歩くかなの顔に、少しだけ笑顔が浮かんだ気がした。常日頃から無表情気味のかなが笑うのが珍しく思えて。その笑顔は鮮明に脳裏に焼き付いていた。
楽し気な笑みを浮かべたのも束の間、俺とかなは基地を抜け出して世界樹とは反対側、南の方向に向かって歩いていた。このまま南方向に向かえば人間の国、サキュラにつく。つまり対人間軍最前線である。
ここから先はほとんど荒野で、あたりの地面の凹凸や枯れ果てた植物、充満する重たい空気が長く続いていた戦争の苦痛を伝えてきた。
と言っても、実感何てわかない。殺し合いとか、最近何の疑問も抱かずにしちゃっている。正直、そんな自分を不安に思うこともある。でも、本当に大切な存在を守るために何かを犠牲にするっていうキザったらしい綺麗事が、この世界では正しいんだってそう思っている自分もいる。冷徹者のせいかそこら辺の道徳心が失われつつあってある意味怖かったりするが俺は信念を貫き通そうと思う。
(かな、少し話しておきたいことがあるの)
(ん? どうした? 言ってみ?)
(うん。あの、あのね――)
辺りの光景に感傷的になっていると、不意にかなから念話が飛んできた。合わせて俺は後ろを歩くかなを振り向く。かなは手ごろな大きさの岩を見つけてそこに小さなお尻を乗せた。
(司が、頑張りすぎかなって、思うの。もっと、ゆっくりしてほしいなって)
神妙に、願うように、悲しそうに。なんと表現していいのかわからない複雑な表情を浮かべながら、かなはそう言ってきた。俺は一瞬首をかしげたが、その後かなの言葉を理解した。かなは純粋に俺のことが心配なんだ。
ここ最近、色々なことがあった。何度も死にそうになって、実際死んで。それでも今を生きている俺は、確かに頑張りすぎと言えるだろう。冷徹者のおかげもある。殺し、殺されることに対する抵抗が限りなく減っていることもあってそこまで疲れは表に出ていないと思っていた。
でもそれが、かなにはばれていたんだと思うと情けない。昔、死にそうだったかなを助けてやった時の記憶が蘇る。猫の恩返し、とでもいうのだろうか。情けは人の為ならず、ってやつなのかもしれない。俺は巡り巡った想いの中で、本当に忠実で優しくて、可愛くて愛らしい従者を手に入れていたらしい。
(ああ、そうかもしれない。ゆっくりしても、良いとも思う。でも、俺はかなにも休んでほしい)
(かなは司に助けて貰った。この姿になったら恩返しできると思ってたけど、違った。全然、役に立てなかった)
やがて、岩に付くかなの手に力がこもる。
(司をいっぱい傷つけて、守れなくて……死んじゃった。悲しくて、辛くて、苦しくて……切なくて最悪で虚しくて。孤独で悲惨で空っぽな、そんな気持ちになって……かなは、司のためになれなかった、って。ずっと、思ってたの)
本当に苦しそうに。心を締め付ける痛みに耐えるように、吐き出すように、嗚咽交じりに、かなは言った。
(司はきっと、許してくれる。かなが悪いなんて、絶対に言わない。かなも、司がそういうなら気にしないほうがいいって思ってたけど、やっぱり我慢できなかった。ごめんね――)
かなはずっと、俺のために頑張ってくれていた。それは知っている。でも、その想いがここまで強くて、ここまで苦しんでいるだなんて気づいていなかった。
今やっと、愛想笑いのような歪な笑みを見て。その頬を伝う雫を見て、理解した。俺は本当に、馬鹿だったんだなと。
(かなはね、本当は眠くなんてないよ。元気いっぱいで、遊びたいよ。でも、司はずっと、寂しそうだった。今も昔も、司はかなに優しいけど。司は、自分に優しくなくっちゃってるよ!)
脳内で叫ばれたその言葉に、投げかけられたその言葉に、俺はただ胸に手を当てることしかできなかった。
俺は、俺に優しくなくなっている。かなはそう言った。確かにその通りかもしれないと思った。でも、それが悪いことだなんて思っていなかった。……昔の俺は、そんな奴ではなかった。
『お兄ちゃん、自分に甘すぎじゃない?』
『自分に優しくできないやつが、いつまでだって他人に優しくできるわけがないんだよ。自分を甘やかして余裕があるやつだけが、いつまでも大切な人に優しくできるんだ。分かるか?』
『……はぁ、本当に自堕落な兄で困るよ。ねえ、かな。お兄ちゃんは猫じゃないのに、かなよりぐーたらだよ』
『にゃー?』
最近の記憶よりも少し背丈の低い妹が、一匹の黒猫を天に掲げるように持ち上げていた。それは俺が、いつまでも大切にしたいはずの記憶で。
感傷的になっている。心が脆くなっている。雰囲気に流されて、涙しそうになっている。俺は決めたじゃないか。本当に大切なことのために例え誰かを殺めても、自分を犠牲にしてでも尽すって。それがなんだ、たった数秒、幼い少女の言葉を聞いただけでそんなことがどうでもよくなってきて。本当に、脆い決意だったんだなって思う。俺は俺に、自分に甘すぎるんだなってつくづく思った。でも、それが俺なんだって、そうも思った。教えられたのだ、かなに。
(さっきの戦いでも、見てて分かった。司、きっと我慢してる。戦いたくなんてないはずなのに、無理に頑張ってる。かなは、元々野生の獣。自分の力だけで生きるのなんて、普通だった。それが出来なくて、死んじゃってもおかしくなかったのに、助けてもらった。だから今、自分のためじゃなくて司のために、野生の獣じゃなくて、司に尽くしたい。生きるために必要なこと全部、悲しいことも痛いことも全部、かながやる。だって、それがかなの願いだから)
歪な微笑みは、泣き顔は、やがて角が取れ、柔らかいものへと変わっていく。
(かなはね、まだよくわからないの。気持ちの伝え方も、正しいことも。でもね、これだけは絶対なの。ずっとずっと、変わらないの)
いつの間にか、日が傾き始めていた。もうこんな時間か、なんて気にする暇はないはずだったけど、かなの頬を伝う涙がとても綺麗で思わずそんなことを考えてしまった。その笑顔が美しすぎて、眩しすぎて。ただちょっと、太陽のように見えてしまっただけで――
(かなは司とずっと一緒にいる。助けられた分、後悔した分、悲しんだ分、ずっとずっと。女の子の分も一緒にいるの。だから、かなを頼ってほしい。それが、かなにとっての幸せなの)
戦場に咲いたひまわり、なんて言葉があった気がする。まあ、他意はない。ただ少し、そんな言葉が脳裏を過っただけだ。でもなんでだろう。俺は自然と、全力の笑顔を浮かべていたように思う。
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