第3話 怪盗ソルシエ 〜雨ノ森市とお気に入りの喫茶店〜(作:冲田)

 ある夜。テレビカメラは、雨ノ森駅から少し先の高台、いわゆる高級住宅街を映し出していた。

 とある豪邸が仰々ぎょうぎょうしく警官や警備員で包囲されていて、何か事件があったことは間違いないといった雰囲気だ。


『あ! 住宅内に侵入していたと思われる怪盗ソルシエが今! 屋根の上に現れました! 紅い宝石……ルビーの首飾りは、予告通り盗まれてしまったのでしょうか⁉︎』


 現地のレポーターが興奮気味に実況している。


『あ! 花火のような光とともに、何やらやけにカラフルな煙の様な……。煙幕のようなものでしょうか。火事ではない様です。

 ああっ! やはり! カメラは怪盗ソルシエを見失ってしまいましたっ! 私の目からも確認できません。彼は一体どこに……。

 警官隊や警備員が動き出しました。我々も追ってみましょう! ひとまず、スタジオにお返しします!』


 画面は切り替わり、ニュース番組のスタジオが映し出される。神妙な顔をしたアナウンサーやコメンテーターが口々に話し始めた。


『いやぁ……怪盗ソルシエが雨ノ森市に現れてこれで被害は四件目。治安は大丈夫なんでしょうかねぇ。警察は何をやってるんでしょう』

『ソルシエは単なる空き巣とは違います。ですから、彼が現れたからと言って治安が悪くなるというのは、ないんじゃないですかね。警察を責めるのも、気持ちはわかりますが……奴は全世界的な大怪盗。相手が悪い』

『実際、ソルシエは捕まえられないものの、他の犯罪の検挙率はむしろ上がっていますね。市長も連日、安全安心の近未来都市と、アピールしています』

『彼はなぜ、この雨ノ森をターゲットにしようと思ったのですかね?』

『憶測でしかありませんが、急ピッチで開発の進む注目の都市ですから、流入してくる富裕層も多いと考えたのかもしれません』

『ではここで、改めて怪盗ソルシエがどのような人物なのか、振り返ってみたいと思います』


 画面がVTRに切り替わった。これまでに撮られた怪盗の映像とともに、ナレーションが流れる。


『──怪盗ソルシエ。

 トレードマークは黒い燕尾服えんびふくに三角帽子。帽子の下には輝くような金髪がのぞき、紅い瞳が光る。

 国籍不明こくせきふめい神出鬼没しんしゅつきぼつ疾風迅雷しっぷうじんらい眉目秀麗びもくしゅうれい年齢不詳ねんれいふしょう

 主に宝石などの貴金属を、時に貴重な古美術品を盗み出す。

 盗みの前には必ず予告状を出し、こっそり忍び込むどころか派手な演出で登場して確実に獲物えものを入手し、派手に去る。


 己の存在を誇示こじするかのように犯行を行うというのに、誰もその尻尾を掴めない。百年以上前の西洋の記録にそれらしい人物が描かれているとの研究もあり、ソルシエは何代にもわたって襲名しゅうめいされているものだという見方もある。

 彼の素性は 謎に満ちている。


 盗みの手口は一切不明。どんな最新式のセキュリティをも突破してしまう。そのトリックは誰にも解けず、まるで手品か魔法のようだと人々は言う。

 世界にその名をとどろかせる“怪盗ソルシエ”。

 彼が雨ノ森をターゲットにした真の目的は、一体何なのだろうか……』



 とある喫茶店内。

 従業員の控え室兼休憩室となっている部屋で ニュース特番を見ていたこの店のマスター ──白髪混じりの男性は、ふわとあくびをすると テレビを消した。自分には、縁のない話だ。




 雨ノ森駅の北口に鎮座ちんざする ゆるキャラ『雨森くん』の銅像を横目に見ながら、ソルシエは高くジャンプした。いや、その高さはもう、ジャンプではなく空を舞ったと言うべきかもしれない。

 そのまま線路やショピングモールになっている駅ビルを越えて、南側へふわりと降り立つ。さっと物陰に隠れると、彼は肩で息をした。


 ここまで来ればもう大丈夫。線路を越えた先までは追ってこないはずだ。少なくとも警察は見失ったふりをしてくれるはず。テレビカメラや野次馬といった雑多なやからも、追いついてはいまい。

 ソルシエが「はあ」と息をついて気を抜こうとする寸前、彼は自分を射抜く視線を感じた。


「見つけたわよ! 怪盗ソルシエ!」


 見ると若い女性が自分を指差している。ファッション雑誌の表紙にあるような流行のパンツスタイルにスニーカー。警察官……ではないようだ。

 

「私の推理は当たっていたようね。ここで待っていれば現れると思っていたのよ!」


 一体 何者なのか、と思いながらも、何となくどこかで見たことがあるような気もした。


 こんなところに追っ手がいるというのは、ソルシエにとっては想定外だった。

 彼は軽く舌打ちをすると、また高くひと跳び、空を舞った。

「待ちなさーい!」という声が後ろから聞こえてくるが、そう言われて待ってやる怪盗など、この世のどこを探したって いるわけがない。

 けれど、疲労ひろう困憊こんぱいな中のひと跳びでは大した距離はかせげず、商店街を走ることになった。


「しつこいなぁ。もう、時間切れなのに……」


 食らい付いてくる女性を後ろに見ながら、ともかく身を隠さねばと、最後の力をしぼって 手近にあった扉の鍵を開ける。ソルシエはそこに文字通り転がりこんだ。


 ここでまたもう一つ、想定外が起こった。深夜の商店街、誰もいないと思って転がり込んだ扉の向こうには、人がいたのだ。


「いらっしゃい……ませ? とはいえ、とっくに閉店しておりますが」

 喫茶店のマスターが言った。


「……いや、誰もいないつもりで入ったんだけど?」

「それと申し訳ありませんが、こちらは裏口です」

「ちょっと、ストップ! お邪魔した身で悪いけど、すこし黙っててくれる?」

「あなたはひょっとして……ついさっきまでテレビで……怪盗、なんちゃらさん?」

「ああ。だからご存知のとおり、追われてるんだよ。静かにしてろって!」


 ソルシエは扉に耳を当てて、外の音に耳を澄ませる。しばらくすると、自分を追う足音は遠ざかっていったようだった。


「あの……あなたが怪盗さんならば、小市民といたしましては通報しないといけないんですがね。えーと、確か……常連の緑林みどりばやしさん、ですよね?」

「は? 緑林?」


 自分をよくよくみると、“怪盗ソルシエ”のよそおいは完全に解けて、“緑林みどりばやし すばる”の姿があらわになっている。きらきら輝いていた金髪は黒髪になり、赤く光る瞳も黒に。服装も、怪盗ソルシエの正装、燕尾服からスーツに変わっている。


「うわ……最悪! こんな失態、初めてだ!」


「いつも“喫茶・時間旅行”のご利用、ありがとうございます」

 マスターは、客を迎えるときと同じように頭を下げた。


「ええ、あなたのコーヒーはとても気に入ってるので、また通わせていただきますよ……

 じゃ、なくてだな! なんで俺様より冷静なんだよ……」

 さっきまで怪盗ソルシエだった男 昴は、頭をガシガシとかきながら はあ、とため息をつく。


「冗談ですよ。お客様の秘密は守ります」

「……それはそれで、“小市民”としてはどうかと思うけど……。

 ともかく、今見たことは、全部忘れること。いいね?」

「はあ……」

「一応言っとくと、万一 通報なんてしても、僕の面倒が増えるだけで 無意味だからね」

 捨て台詞のようにそう言って、入ってきた裏口から“緑林 昴”はさっさと外に出た。

 マスターは信じられないという気持ちとともに、それをポカンと見送るしかない。




 世界にその名を轟かせる怪盗が今、日本の、雨ノ森という街にいる。

 雨ノ森はどこか特別な街というわけではない。

 いくつかの市町村が合併してできた比較的新しい都市で、雨ノ森駅から北側は競うように都市開発が進んで高層マンションや商業施設が。

 対照的に駅から南側はそんなことは我関せずと市町村合併より以前からまったく変わる様子の見えないレトロな街並み。

 この街に人を呼び込もうと次々といろんなキャンペーンをうつ 名物熱血市長。そんな場所だ。


 つまり、怪盗が似合う街ではないのだ。有名な絵画の展示された美術館や貴重な文化遺産の眠る博物館があるわけでもなく、宝を持っていそうな特別なお金持ちがたくさん住んでいる場所 というわけでもない。


 そんな街に怪盗が現れた。世間は当然注目した。

 怪盗が現れたという最初のニュースは、山の手のとある屋敷に“予告状”が届いたというものだった。


『紅い宝石を頂戴ちょうだいにうかがいます  怪盗ソルシエ』


 金箔きんぱくの押し紋様もんようの入った綺麗なハガキ大のカードに、豪胆ごうたんな筆文字でこの一言と日時が書かれたカードは、正直なところ、ただのイタズラだと思っている人が大半だった。



 あの怪盗ソルシエが、本物が現れるわけがないと誰もが思いながらも、万が一と屋敷の主人は警備を手配し、報道陣もぱらぱらと予告の日にあつまった。


 かくして突如とつじょあがった花火とともに怪盗は現れ、よく知られた決め台詞が まるでマイクを通したかのように響いた。


「さあ、皆々様、お立ちあい。怪盗ソルシエ──今宵こよいうるわしき至宝をお迎えにあがりました。

 タネも仕掛けもございません。夢と魔法に満ちたひとときを」


 満月を背景に屋根の上にたたずむ、トレードマークの燕尾服に三角帽子。その輪郭りんかくを照らしだす花火と、宙に浮いているたくさんの粒星のような奇妙な灯り。どこからか流れる壮大なバックグラウンドミュージック。その姿にあっとしたかと思った時には、彼はもう消えていた。


 あの予告状は本物だったと世間は大騒ぎ。その後また予告状が届いたとなれば、ニュースはその話題で持ちきりになった。

 ぱらぱらとしかいなかった報道陣も野次馬も警備の人間も、二件目からは山のように増えた。



 ところで、今夜 怪盗のターゲットになった邸宅の主人は首をかしげた。

「紅い宝石といえばダイヤとプラチナで縁取られた、家宝のルビーの首飾りのことだと思っていたが、はて……?」

 厳重に警備をしていた首飾りはまったくの手付かずで、怪盗は去ってしまっていたのだ。代わりに、引き出しの中に雑多に入れられていた宝石のイヤリングがいくつか、なくなっているようだった。





 雨ノ森駅南口から徒歩十五分ほどの場所にある貸しギャラリー。画家やアーティストが個展などを開くようなこじんまりとしたこのギャラリーが、いわゆる怪盗のアジトだ。とはいえ、この街に滞在している間の仮の住まいである。

 一階は作品を飾ってある画廊がろう。一階の一番奥にある階段をあがった二階には、事務所スペースがある。いや、本来は事務所として使うべきこの場所を 怪盗たちは住まいとして使っていたのだ。


「はぁ……やらかしたぁ」

 病人のように真っ青な顔色の昴は ソファに倒れ込むと、もう何度目かというため息をついた。


 その様子をあきれた顔で見ているのは、彼の弟子、ポール。十二歳くらいの少年だ。その歳の割に身長は高いけれど、幼いあどけなさの残る顔立ちをしている。


「あんなに派手な演出をしてを消耗するから、怪盗の姿を留めておく時間が減るんでしょ! カフェのマスターひとりにとはいえ、正体を見られるなんて!」


「はいはい、僕が一番身に染みてますぅ。油断しましたぁ」

 どっちが子供なのかという調子で、昴はすねてみせた。


 まず第一に、雨ノ森駅あたりで追跡が終わるはずだったのに、しぶとく追ってくる奴がいたこと。第二に、無人だと思って逃げこんだ場所に人がいたこと。想定外が重なった。

 本来、その想定外も想定しておかなければいけないのだろうが、あくびが出るほど簡単な仕事内容に、完全に気を抜いていたのだ。


「まあ、一応明日、手土産を持って口止めしに行くよ。雨ノ森にいる間の活動がやりにくくなったら嫌だしね」

「賢明だと思います。そこらの喫茶店のマスターひとりに顔見られたところで、なんにも問題はないんでしょうけど」

「けどねぇ、怪盗は派手に登場して華麗に去るものだよ。それをしないなら、ただのケチなコソ泥だ」

「それで魔力切れになってちゃ世話ないですよ。そんな真っ青な顔して、動けなくなって!」

「ケチなコソ泥じゃあ、価値がない。我はここぞと名乗りをあげてこそ、怪盗である価値があるんだ。多少 無理してでもね」

「なんども言ってますけど、僕は怪盗の何たるかには興味ないんです。怪盗の弟子じゃなくて魔法使いソルシエの弟子なんです!」

「わかってるって。じゃ、弟子なら弟子らしく、師匠に説教してないでいつものアレ、用意してくれる?」

「師匠が寄り道している間に、もう取り掛かってますよ」


 ポールはソファにくるりと背を向けると、事務所の給湯きゅうとうスペースの前に立った。ここは、シンクや一口ひとくちコンロなどがあり、ちょっとしたキッチンのようになっている。


 ポールはコンロの鍋の中でグツグツと煮立にたっている液体を、フラスコの中に入れた。

 それから、砂糖や塩といった調味料が並ぶ棚から、びんをひとつ取り出す。その瓶の中には色とりどりの宝石がぎっしりまっていた。まるで子供が集めたビー玉やビーズを瓶の中に詰め込んでいるような気軽さで、だ。

 ポールはその中から一つ二つを、ころりと手のひらに乗せた。

 そして、先ほどのフラスコに宝石をぽとんと落として、蒸留器のような器具にセットする。この後の手順はとても複雑なので、本とにらめっこしながら進めた。

 しばらくして 器具の一端からポタポタしたたり落ちたモノを、空のマグカップに受ける。


「どうぞ、お願いします」

「うん、ありがとう」


 昴はポールからマグカップを受け取ると、ワインのテイスティングのように中の液体をクルクルと回し、匂いやとろみを確認する。

 最後にその液体をぐいと飲み干すと、昴の蒼白だった顔色は血の気を帯びた。


「まあまあの出来だね」


「ありがとうございます!」

 緊張して採点を待っていたポールは、ほっと表情をゆるめた。


「でも、いつも僕がやってるからって、マグに入れるのは まだダメ。色が確認できないでしょ?」

「はい! わかりました!」


 昴はソファから立ち上がると、カップをシンクに置いた。


「どんなに価値や美学や何やらと ゴテゴテ装飾そうしょくを付け足してみたって、結局 僕のやっていることは、今日生きるためのパンを盗む 裏路地のネコなんだよなぁ」

 彼は苦笑気味につぶやく。


「ネコはパンを食べないと思います」

「はぁ……うちのネコちゃんはいつになったら僕になついてくれるんだろうね?」

「……僕をいつまでも拾った野良猫あつかいしないでください。

 それより、今夜の獲物はどうなったんです? 最新のニュースではルビーの首飾りは盗まれなかったって言ってましたけど」


「ん? みんな勘違いしてるけど、僕は はじめっからルビーの首飾りを盗むつもりはなかったよ?」

「あ、そうだったんですか?」

「宝石の価値ってものがわかってないんだよね。あんな首飾りを後生大事にしちゃってさ」


 昴はそう言いながら、事務所の片隅かたすみに置いてある箱に手をかける。宝箱としか言いようのない形状をした、豪勢ごうせいで重厚な箱だ。

 彼は、手のひらに取り出した紅い石の耳飾りを満足げに眺めてから その箱に入れた。


「師匠の評価軸と、普通の評価軸は違うんですから。金額になおせば、間違いなくあの首飾りのほうが高い値がつきますよ」

「その見解は否定しないけどね。でも 私が欲しているのは、宝石や美術品の中に眠る“力”だから。

 わかりやすく目に見えないものに 金額という価値がつくことは少ないよね」

「まず、大抵の人には需要もありませんから」

「おお〜。難しい言葉を知ってるね」


 昴にからかわれて、ポールはムッと口をとがらせる。


「ところでさ、僕にはすごくあこがれるシチュエーションがあるんだよ」

「話……飛びましたね。

 なんですか? どうせくだらないことでしょうけど」

「素顔の怪盗がさ、それを追う探偵とか警察と仲がいいやつ! たとえば、お互いある喫茶店の常連で、ちょこちょこと話をするうちに友情が……」

「はあ……」

「はあ……って! つめたいなぁ。憧れを語るくらいいいじゃないか」

「まあ、語るだけでしたらね」

「ふふふ……それがねぇ。その憧れは現実のものにできそうなんだ」

「……嫌な予感しかしないんですが」

「しつこく追いかけてきたあの女の子。“時間旅行”でちょくちょく見るんだよ。今思えば、老若男女問わずいつも違う人とお茶をしていたのは、そういうことだ」

「そういうこと、とは」

「あの子の正体は探偵で、依頼人の話でも聞いてたんだよ、きっと!」


 自分の嫌な予感は的中しそうだと、ポールは顔をひきつらせた。




 怪盗騒ぎのあった翌朝。“喫茶・時間旅行”に、平べったくて抱えるほどの包みをもった昴が来店した。

 喫茶・時間旅行は雨ノ森駅の南側、商店街に店を構える喫茶店だ。昔ながらの、レトロな、そんな言葉が似合う、古いけれど小綺麗にしている、こじんまりとした落ち着いた店。

 昴はおよそモーニングの時間に この喫茶店を訪れていた。この街に来て出会った、お気に入りの店の一つだ。


「やあ、おはようございます」


「いらっしゃいませ」

 若い女性の従業員が愛想良く昴を迎え、カウンター席へと案内した。


 彼女はマスターの孫なのだと他の常連客から聞いた。大学生なので、平日のこの時間にいるのはめずらしい。

 マスターはカウンター向こうで素知そしらぬ顔でコーヒーをれている。


「ねえ、マスター。今日はあなたのコーヒーに敬意を込めて、贈り物を持ってきました」

 昴は、案内されたカウンター席に座る前に マスターに声をかけた。


 いそいそと手に持った包みを開けると、中から額縁に入った絵画が現れる。


「口止め料ですよ」

 昴はマスターにだけ聞こえるよう、ひそひそと言った。


「なんのことでしょう?」

「とぼけんなよ、オッサン」


 不敵な笑みを浮かべながら黒縁眼鏡の奥で細めた目は紅く光り、彼の黒いはずの髪は窓からさす日を反射して金色に輝いた──ように、マスターには見えた。実際は、幻覚だったのかもしれない。


「とはいえ、現金化できるもんでもないけどね。この店に来る連中だってレプリカとしか思わないさ。けど、コイツを所有してるっていう優越感や愉悦感ゆえつかんは格別だよ?」

「そんなたいそうなもの頂かなくても、誰にも言いませんよ」

 マスターもつられて、コソコソと小さな声を出す。


「そうだろうとは思いますよ? けど、俺様は確かな約束が欲しいの」

「とはいえ、これはさすがに……受け取れません」


「わ、“ゴッホのひまわり”? でもよく見るやつとはちょっと違うような……? 贋作がんさくってやつですか?」

 マスターの孫娘が興味深げに絵をのぞきむ。


「これが“よく見るやつ”の贋作なら、もっと本物のように似ているはずですよ。ゴッホのひまわりって、その“よくみるやつ” つまり、日本の美術館にあるものとは別に、何枚も描かれてるんです」

「言われてみれば……聞いたことがあるような?」

「と、いうわけで、その中の一枚となります」

「へぇ……そうなんですね」

「でも画商としては売り物にならない・・・・・・・・代物しろものだし、それならお店に飾ってもらおうと思ったんですが……。君のおじいさまは遠慮して受け取ってくれないんですよ」

「売り物にならない……? えーと、レプリカなのかな? でも……なんで突然絵のプレゼントなんですか?」

「ああ、そうですね。申し遅れました。私、こういうものです」


 昴は彼女に名刺を渡した。その様子をマスターは苦い顔で見る。

 マスターの表情の変化を確認して、昴は交渉のターゲットを変えた。一瞬にやりと口角をあげると、人好きのする営業スマイルを作る。


「ギャラリーと画商をやっておりますのでね。このような品に縁があるんです。

 絵画にご興味がおありでしたら、ウチのギャラリーにご案内いたしましょう。ああ、一緒に美術館巡りもいいですね。その後どこかでお食事にでもお連れします。今週末などいかがです? 日曜日なら学校も休みで……」

「わかりました! 受け取りましょう!」


 マスターがさえぎり気味に言った。


「大変助かります」

 昴は満面の笑みで手揉てもみをする。




 カランコロンと入口のベルが鳴ったので、昴とマスターはそちらに目を向けた。

 いましがた店に入った客は すっと“いつもの席”に座る。昴は、きらきらと獲物をとらえた目をした。

 今日、この喫茶店を訪れた二つ目の目的。探偵ちゃんだ。

 昴は孫娘にコソコソとなにやら耳打ちをした。


 歳のころは二十歳前後か、かなり若い。イメージで語れば探偵という仕事で 若輩じゃくはいの女性が信頼を勝ち得るのは難しそうに思えるが、依頼があるということはそれなりに実績も重ねているのかもしれない。

 彼女はスマホを取り出すとイヤホンをつけて動画を見始めた。


 孫娘がおしぼりとお冷、それからコーヒーとガトーショコラをもって行く。


「まだなにも頼んでないですけど……」

「あ……あちらのお客様からです」


 まさかこのセリフを言うことになるとは と思いながら、孫娘は昴を指した。

 まさかこのセリフとともにテーブルに何かが並ぶことになるとは と思いながら、探偵は昴を見た。


 昴は探偵に向かって笑顔をつくってひらひらと手を振り、探偵はじろじろと彼をめまわした。


「どういうつもりですか?」

「席、ご一緒してもいいですか?」

「ああ、それを断れなくするためですね?」

「さすが、ご名答です。名探偵さん」


 昴は彼女の返事を聞かずに向かいの席に座った。


「それで、ご用件は。何か、ご依頼ですか? ケーキセット一つでは動きませんけど」

「いいえ。お友達になりたくて」

「は……?」

「申し遅れました。私、こういうものです」


 昴は名刺を差し出す。探偵も慌てて名刺入れを取り出し、名刺交換の運びとなった。

 彼女の名刺には名前──新見にいみ あきら と、探偵事務所の情報が書いてあった。


「緑林昴さん。ギャラリーの……オーナーさん、ですか。どうしてまた、友達だなんて」


 昴は、あきらが名刺を持つ手を包み込むようにそっと握った。


「玲さん。一人の男が、女性にかれる理由など、そう多くはないでしょう。実はあなたを見かけたのは今日が初めてではないんです」


「は……はあ⁉︎」


 玲は顔を赤くして、さっと手を引っ込めた。腕がグラスに当たって水がこぼれる。


「ああ。了承もなく触れるのは失礼でしたね。濡れませんでしたか?」


「いえ、それは、まあ 大丈夫です」


 昴はどこからか取り出したタオルでさっとテーブルを拭く。その時間を使って、玲は一つ深呼吸。冷静さを取り戻した。

 玲はあらためて目の前の男を観察する。

 まず目に入るのは、その目立つ服装。チェック柄のスーツにカラフルなネクタイとワイシャツ。すごく派手だけどセンスよく調和している。

 そしてこのファッションを着こなしてしまう長身と整った顔の造形。

 少し長めの黒髪は綺麗にセットされて、キツすぎないさわやかなオールバックに。

 黒縁メガネの奥にのぞく切長の目は子どものようにいたずらっぽく光っているかと思うと、微笑ほほえみをたたえる口元の左下のホクロは妖艶ようえんな印象を与える。

 つまり、かなりの男前だ。年齢は……たぶん歳上なんだろうと思うけれど、見当がつかない。


「そんなに見つめられると照れるなぁ」


 玲はハッとして目をらした。

「ごめんなさい! なんというか、職業病といいますか」


「そういえば、名探偵シャーロックホームズも人間を観察しただけで様々なことを言い当てたとか。──何か、わかりましたか?」

「そのメガネが伊達だってこと、私に興味をもっているのは確かだろうけど、本当のところは手を握るような理由ではなさそうなこと、健康上の悩みがありそうなこと……」

「うんうん、なるほど? すごい、だいたい当たってるよ」

「あと、この名刺のお名前、偽名ですよね?」

「うん、正解。ペンネームみたいなものです。自分でも描くので」

「それで……本当のところ、何のご用なんですか?」

「友達になりたいだけだってば。勘繰かんぐりすぎですよ。それも、職業病ですか?」

「そうかもしれませんね」


「僕もあなたのこと、当てましょうか」

 昴は口元に指をあてて、考える素振そぶりをした。


「──うーん……。考え事の邪魔をされて、胡散臭うさんくさい 目の前の男がうざったい」

「ははっ。それ……正解って言って大丈夫なやつですか」

 厳しく寄っていた眉がようやく下がって、彼女は笑い声をあげた。


「ケータイの画面を見ながら難しい顔してたけど、それが考え事?」

「そう。私、今、ちまたを騒がせている怪盗ソルシエを追っているの」


 玲はさっきまで見ていた画面を昴にも見せた。そして自分は、少し冷めてしまったコーヒーをすする。昴のコーヒーもタイミングを見計らったように運ばれて来た。


 玲が見ていたのはニュースの映像やだれかが撮影して動画サイトに投稿された怪盗ソルシエの映像。予告の時間に登場する様子や獲物を手に入れてからその場から去っているものだ。

 なるほど、よく撮れている。最近のカメラは高性能だ。夜の闇の中だというのに、いくつか かなり鮮明な映像もあった。

 観客から見た“ショー”のなかなかの出来栄えに、昴はニンマリと口角を上げそうになるのをこらえた。

「けっこう綺麗に映ってるでしょう? なのになぜか ぼかしでもいれてるみたいに、顔がはっきりしない。私自身も顔をはっきり見たはずなのに、どんな顔だったか思い出せない」


「不思議ですね」

「そう。この派手な登場と退却シーンもよ。これ、一体どうやってるの? 協力者が何人もいるとしか考えられないのに、付近を捜索してもそれらしい人たちはいないし!」

「まるで魔法のようだ」

「魔法……ね。そんなものが現実に存在するなら、彼の演出や盗みのトリックは全てそれで解決よ。何かタネや仕掛けがあるはずだわ」


 その後も玲は昴に持論を展開する。彼が聞き上手だったからなのだろうか。守秘義務があるような仕事ではないからだろうか。後から思えば自分でも不思議に思うほど、玲は饒舌じょうぜつにおしゃべりをしていた。




「聞いてよ、ポール! 探偵ちゃんとおしゃべりしたよ!」

 昴はギャラリーに戻ると、一階で店番をしていたポールに興奮気味に言った。


 もちろん、ギャラリーは今日も閑古鳥かんこどりが鳴いていて、内緒話をする必要もない。

 最近は使ってくれる画家もいないので、昴やポールが描いた、彼らが抽象画と主張する絵が飾られている。


「……え? 本当に探偵と接触したんですか……?」

「いやぁ、やっぱりいいね。馴染なじみの喫茶店での 人との交流というのは」

「なんでそう、自らリスクを負うようなことをするんですか」

「楽しんだっていいだろぉ? なにせ、今回の仕事はオイシイけどやりたいもんではないんだからさぁ」

「じゃあ“盗みの依頼”など断れば良かったじゃないですか」

「いやぁ、だって貴重な現金収入だよ? これで当面の家賃と生活が補償される!」

「ほぼ、現金収入にしかならないですけどね」

「まあ、ね。本来の目的とは離れるけども、それもたまにはいいんじゃない? お金がないと それはそれで生きていけないしさ」

「それは、その通りです。ギャラリー経営が上手くいってればお金の心配はなかったはずなんですけど。師匠、仕事サボってばっかりだし……」


「まあまあ、怪盗の仕事は頑張るから。しっかりテレビで映してくれるらしいからね、演出も張り切っちゃおう」

「だから、演出ばっかりに力を使わないでくださいってば!」


 ポールが師匠の体を心配して小言を言ったところで、おそらく昴の頭の中は今、登場演出のことでいっぱいだろう。


「さて、ひとまずジャブは何度か打ったし、そろそろ本命・・の予告状を出そうかな。 ポール、用意してくれる?」


「はい、わかりました」





 喫茶・時間旅行で、昴と玲がコーヒーを飲んでいた。

 それは、最近では良く見る光景だった。たいていは昴が彼女の席に押しかけることが多かったが、正直、どうして彼が自分にこんなにかまってくるのか、玲には疑問だった。


 他愛のない会話をしていることが多かったが、今日は怪盗ソルシエが話題にあがっていた。彼の犯行の周期から考えて、そろそろまた動きがあるのではないかと、玲は考えていたのだ。


「この屋敷。それからこっちの屋敷……。雨ノ森に来てからのやつの狙いを辿ると、法則が見える気がするの」

 玲が地図を広げて、独り言のような、誰かに話かけているような調子でぶつぶつと推理を展開している。


「今のところ、盗まれているのは主に宝石。一度目も二度目も盗まれたのはルビーなどの紅い宝石。三度目はダイヤモンドだったみたいだけど……ソルシエは紅い宝石を好むと聞いたことがあるから、また紅いものを狙う可能性は高いわ」

「へぇ、なるほど?」

「不思議なのは必ずしも高価なものを狙っているわけではない、ということ。雨ノ森に現れる以前の犯行を見てもそれがうかがえる。だから逆に、彼が何をターゲットにしているのか読みづらい……」

「ところで、この推理の過程をなんで僕と?」

「対話形式で考えると、情報が整理しやすく、ひらめきやすいので」

「はあ……なるほど……。じゃ、僕もアイデアを出せばいいんですか?」

「いえ、相づちを打ってもらえれば、それで十分です。あくまで、思考のプロセスですから」

「でも、これ、意味あります? ソルシエはどのみち予告状を出すんだから 次のターゲットを割出さなくても……」

「それはそうなんだけど……。なんというかな。彼のことを知りたいのよ。考え方のクセや行動のクセが分かれば、逃亡の先回りもしやすい」

「ゾクゾクするね。きっと君が熱烈な愛情を向けていることを彼が知ったら、大喜びするよ」

「愛情なんかであるわけがないでしょ! 探偵と怪盗っていうのは対決するものなの!」

「僕は探偵と怪盗は、喫茶店やバーで語らうものだと思ってるよ」

「そういう作品もあるけどぉー! それ大抵、探偵や警察のほうが残念に見えるから 私は好きじゃないわ」

「そう? それは失礼」

 昴はクツクツと声を押し殺すように笑う。


「それで、捕まえたらどうするの?」

「どうするって……そりゃあ警察に窃盗せっとうの現行犯で突き出してやるのよ。怪盗を捕まえたとなれば私の実績にも箔はくがつくし?」

「“箔”が必要だから、怪盗さんの扶持ぶちを奪っちゃうんだ?」

「違う。そもそも窃盗は犯罪でしょ? 箔はオマケよ。ともかく、私が予想するに、次に狙われるのはこの邸宅よ。理由は……」


 テーブルに置いてあった玲のケータイからピロンと通知音が鳴った。ニュース速報が画面に表示される。


『怪盗ソルシエが予告状。つぎのターゲットは雨森くん像⁉︎』


「はぁ⁉︎ あ、雨森くぅぅうんん?」


 彼女はガタと立ち上がり、握りしめたケータイの画面を顔に近づけた。ひょっとして、近くからよくよく見れば 違う文章でも書いてあるんじゃないかとでも考えているようだ。

 大きな声と音をたてたので、かなり視線を集めていたけれど 彼女はまったく気にしていない。


「推理、外れちゃったみたいですね」

「なんでこう、予想の斜め上、しかもはるか上空な行動をするのよ……この人……」

「本当、僕にも信じられない。怪盗ソルシエが盗むものっぽくないよね。雨森くん」

「ええ、ええ、本当に。 何? 実はすごく芸術的価値でもある像なの? コレ?」


 雨森くん像──そもそも雨森くんとは、雨ノ森のゆるキャラだ。かわいい河童かっぱ合羽カッパを着て自信なさげな表情をしているデザインの 街のシンボルキャラクターで、残念ながら、ゆるキャラランキングとは無縁だった。

 その銅像が駅前北口に堂々鎮座し、待ち合わせスポットとして使われている。


「ともかく、私は現地視察に行ってくるわ。コーヒー、ごちそうさまでした!」


 玲は急いで荷物をまとめると、喫茶店から出て行った。

 しかし、残念ながらこの視察は失敗に終わる。ニュースを見た人たちが彼女と同じように、雨森くん像にはなにか秘密があるのかと、雨ノ森駅北口に、詰めかけていたからだ。




 予告状で指定された日時、雨ノ森駅の周辺は封鎖された。

 ネズミ一匹通さない。財産を守る側には、そんな気概きがいが見える。

 雨森くん像があるあたりにはさらにバリケードがめぐらされ、その中や外にも警官隊が待っていた。その円の一番外側や雨森くんが望めるビルの屋上は、許可を得た一部の報道関係者が陣取っていた。

 テレビのレポーターが、中継のカメラに向かってしゃべっている。


『予告状の現場、雨ノ森駅からの中継をお送りいたします。

 ここ、雨ノ森市は市町村合併でできた新しい街です。豊かで住み良い都会の中にオアシスとなる公園もあり、交通アクセスに便利な雨ノ森駅周辺には駅ビルや百貨店など商業施設が充実しています。一方では閑静かんせいな住宅街もあり子育て支援も充実しております。

 今は怪盗騒動で注目の街、雨ノ森の市長が今、現場に駆けつけております。少し、お話を聞いてみたいと思います。

 市長。怪盗ソルシエが現れたということで一躍いちやく大注目となった雨ノ森ですが、対策はどうなっているでしょうか?』


『ごらんいただけます通り、全力を尽くして警備に当たらせております。ただし、相手は怪盗ソルシエ。誰も捕まえることができないと言われ、現に各国の警察も彼の確保はできておりません。それを言い訳にはできませんが ともかく、全力を尽くす、それだけであります。

 また、市民の皆様におかれましては 大変不安な日々を送られていることかと思います。怪盗ソルシエに関連しない犯罪の発生率は下がり、検挙率はむしろ上がっており、雨ノ森は安心安全の街と胸を張って言えます。また、子育て世帯への社会補償も充実しており待機児童はゼロ! 介護も……〜。それから若い世代には……〜。企業誘致におきましては……〜。また、近々雨ノ森では大きなイベントとして……〜』


『……あぁ!! 怪盗ソルシエだ! 怪盗ソルシエが、今、予告状通りの時間に現れました!』


 市長の長々とした話の途中で、レポーターがカメラに向かって叫ぶ。別のカメラがレポーターが指差す夜の空を追う。

 いったいどこから現れたというのか。ヘリコプターや飛行船のような空飛ぶ乗り物はどこにも見えないというのに、彼は明らかにはるか上空から、雨ノ森駅北口付近で建設中のビルに 降り立った。


「どうも皆々様、こんばんはごきげんよう。それから……おやすみなさい」


 声とともに降り注ぐ音と光。それからふわりとただよう、若葉や花々のような芳香ほうこう

 雨森くん像を囲む警備員や警察が、頭上のソルシエを見上げ、身構える。

 しかし、一人、また一人、バタバタとその場に倒れ始めた。


『な……なんということでしょうか! 雨森くんの周囲を守っていた警官隊たちが、次々と倒れます。まさか、催眠さいみんガスか何かがかれたのか⁉︎ 確かなことは言えませんが、現場は混乱しています。

 我々は無事です。雨森くん像から距離があるからでしょうか? このまま中継を続けたいと思います!』


 レポーターが興奮気味に叫んでいる。


『しかし、怪盗ソルシエはいったいどのように 三百キロほどもある銅像を動かすというのでしょうか⁉︎

 あ たった今 警察から入った情報によりますと、重機やトラックなど、銅像を運べそうな車両や協力者の姿は見られないようです』



 怪盗ソルシエはふわりと 雨森くん像のすぐ横へと降り立った。そして、大きな布を闘牛士マタドールのようにはためかせる。

 テレビカメラも人びとの視線も一斉に彼に向けられる。

 誰もが──もちろんテレビを見ている人も含めて、手の届きそうなところにいる怪盗を目に焼き付けようとする。しかし、まばたきするまでの間しかその顔を覚えていられないという、不思議な感覚を味わっていた。

 当然、警官は怪盗に駆け寄ろうと試みていたが、彼らは、まるで暴風か水流にでもはばまれているかのように前に進むことができず、その場で足踏みしている。それはとても奇妙な光景に見えた。


 怪盗はそんな様子に可笑おかしそうな笑みを浮かべながら、手に持った布を雨森くん像にかぶせた。


「さあ、皆々様、お立ちあい。怪盗ソルシエ──今宵、麗しき至宝をお迎えにあがりました。

 タネも仕掛けもございません。夢と魔法に満ちたひとときを」


 怪盗が手品師のような口上を述べながら深々と頭を下げる。

 そして姿勢を戻しながらサッと布を取り去ったその場所から、雨森くん像は消えていた。


 騒然そうぜんとした人々やカメラが、雨森くん像の鎮座していたからの台座に注目している間に、ソルシエもまた、姿を消した。


「雨森くん像、たしかに頂戴いたしました」

 その声だけが、駅前に響く。


 雨森くん像はいったいどこに? どうやって持ち上げた? どうやって運んだ?

 種も仕掛けもないと言っていたが、なにかトリックがあるはずだ! ともかく、周辺を探索しろ! まずは倒れた警官の安否では? 様々な場所で、様々な声が上がる。


 その喧騒けんそうを背に、怪盗ソルシエは南口へと降り立った。

 いつもそうするように、お気に入りの物陰に隠れると、長い長いため息をついて呼吸を整えた。


「捕まえた!」

 ソルシエは、突然 ぐいと腕を引っ張られた。


 探偵ちゃんだ。彼女は間髪入れずに、彼の腕を後ろ手に捻ひねると、うつ伏せ向きに地面に押し倒す。


「あなたみたいなおごった自信家は、なかなか自らの行動を変えられないのよ。やっぱり、同じ場所に現れたわね」


「……あーあ。捕まっちゃった」


 その声がしっかり地面に押し付けている目の前の人物からではなく背後から聞こえたので、探偵、新見玲はバッと振り返る。


「なぁんちゃって。忍法、変わり身の術〜」


 玲がつか拘束こうそくしているモノは、いつのまにか燕尾服を着た案山子カカシに変わっていた。ふざけた調子の彼に怒りを覚えながら、玲は立ち上がって怪盗に対峙たいじする。

 すぐに逃げ出すのかと思いきや、怪盗はおとなしくにらみつけられていた。その余裕がまた 玲をイライラさせる。

 さらさらと風になびく金髪、闇夜にあやしく浮かび上がる紅い瞳。それから口元のホクロ。玲は彼の顔をしっかり目に焼き付けようとジッと見つめる。


「君にも、誰にも、俺様を捕まえることはできないよ」

「こうやって会話できるほどには捕まっているんだから、怪盗としてはあなたの負けよ。観念して盗んだものを出しなさい」

「もし仮に『わかった』って言ったら、本当に今、受け取ってくれるの? 雨森くん」

「え、あ、そうか。今日盗んだの雨森くんか。う……うーん……」

「そうそう。女一人で運べないもの渡されても困るだろ?」

「男だからって簡単に運べるものでも……って……! そうじゃなくて!

 誤魔化されるところだったけど、そういう問題じゃないわ! とにかくあなたはまず、逮捕されるべきなのよ。それから、今まで盗んだものを全て持ち主に返してもらう」

「そうだねぇ。考えとくよ」

「そもそも、あなたはどうして盗みを働くの?」

「宝石や美術品には人をきつける魔力がある。俺様も、その魔力に魅了みりょうされてとりこになった一人 というだけのことだよ」

「つまり、やっぱりただのコソ泥ということね?」

「生きるためさ」

人様ひとさまの財産をうばう言い訳にはならないわ」


 玲は、ジリと一歩、慎重に怪盗に近づいた。もう不意はつけないから、真正面から捕まえに行くしかない。


「ところでね。こうやって君とお話ししてるのはすっごく楽しいんだけど……。そろそろ俺様、時間切れなんだよね」

「は? 時間切れ?」

「シンデレラの魔法が夜中の十二時に終わってしまうように、怪盗の魔法も永遠じゃない」

「ただここから逃れたいだけのことに、そんなキザったらしいセリフ……」

「ひそやかな逢瀬おうせは楽しんでもらえたかな? じゃあね。可愛い探偵さん」


 怪盗は臆面もなく玲に近づくと、そっと包み込むように彼女の手を握る。その手が離れると玲の手のひらに残ったのは雨森くんのキーホルダー。

 それに気を取られているうちに ひらひらと手を振りながら、歩き去っていく怪盗。ほんの少し駆ければ簡単に手が届きそうなのに、なぜか足が動かない。


「完全にバカにされてる」


 一度は捕まったフリをして、いつでも逃れられる状況での のらりくらりとした会話。全ては手のひらの上だったのかと思うと、玲は悔しくてたまらなかった。



「──それで、なんでまた裏口からウチに入り込んでるんです? 緑林さん」

 疲れ果てて床で伸びている昴に、喫茶・時間旅行のマスターがため息混じりにたずねる。


「探偵ちゃんとお話しするためにちょっと無理しちゃったからさぁ。駅からギャラリーまで遠いんだよ。徒歩十五分! そりゃあお客もなかなか来ないよね! だから、プレゼントした絵画の分だけ、ちょっとだけかくまって?」

「やはり……あれは受け取ってはいけないものでしたかね?」




 ギャラリーの二階、事務所兼アジト兼住居なこの場所で、留守を守っていた弟子は、帰ってきた師匠をしかりつけていた。


「だから、なんでギリッギリまで無茶するんですか! 魔法使いって頭が良くないとなれないものだと思ってましたけど? 僕にはいつも失敗から学べと言っているくせに!」

「だって、失敗したとは思ってないからね。予告通りの時間に登場してプラン通りの演出。目的のものはちゃあんと手に入って、今回なんか、探偵さんとおしゃべりまでできた」

「また喫茶店のマスターにお世話になったでしょう?」

「それだって、すでに支払うもの支払ってるし」

「もう! 子供みたいに言い訳しないでください!」


 ポールはぶつぶつと文句を言いながらも、ソファで伸びている昴に、グラスを手渡す。

 宝石から抽出した“魔力”を含んだ飲み物だ。昴はこのような形で魔力を摂取せっしゅし続けなければ生きていられない。それは“魔法使いだから”というわけではなくて、彼の特殊な事情だった。


「呪いのようなものだとおっしゃってましたけど、そうと分かっているなら本当に無理をしてはダメですよ。毎回毎回、一応心配してるんですからね?」

「ポールがいてくれると思えばこそ、無理ができてるんだよ。いつもありがとう」

「そうやって……もうっ!」

 ポールは嬉しいようなこそばゆいような、恥ずかしそうに顔を背けた。


 体調の少し戻った昴はうーんと伸びをした。


「さあて。依頼された仕事は無事に終わったし、もうこの街は離れて問題ないんだけど。喫茶店が気に入ったからもうしばらく居ようかな。来月以降の家賃だって余裕で払えることだしね」

今更いまさらながら よくもまあ、こんな依頼を受けましたよねぇ」

「条件がすごくよかったからね。現金とこの街での治外法権!」

「市長も市長ですよね。ソルシエに盗みの依頼か」

「今までだって、依頼を受けることは ないこともないよ」

「そういえば、どうやって受けてるんです?」

「ん? インターネットで? SNSのアカウントとか、匿名掲示板とか」

「はぁあああ、現代ですねぇ。それ、足つかないんですか?」

「僕を誰だと思ってるのさ。地に足つけないよ」

「ちょっと意味が違うと思います」

「ともかく、僕のもとには宝石や美術品はあっても、現金がなかったんだ。これは切実だよ」

「それで? その雨森くん像、どうするんですか? ここにずっと置いとくつもりですか?」


 事務所の一角に堂々鎮座している雨森くん像を、ポールはあらためて観察してみた。なんの変哲もない、ゆるキャラの銅像だ。


「そうだねぇ。所有欲はそそられないし。元の場所にでも戻しておこう。 ──目的を果たしてからね」

「市長の依頼は話題づくりのための“消失マジックショー”でしょ? 怪盗ソルシエがやってきて像を盗むとなれば、ニュースが勝手に雨ノ森を宣伝してくれるって寸法で。もう目的は果たしてるじゃないですか」

「ふふん。私が本当に、現金獲得のためだけにあんなチンケな依頼を受けると思うかね?」


 口調が変わるほど得意気にもったいぶって、昴は雨森くん像をころりと横たえた。重い銅像だというのに、まるでプラスチック製の置物でも扱っているようだ。

 雨森くん像の足の付け根あたり、普通に建っていれば見ることもなければ、構造上、手でまさぐることもできないであろう場所に、ひとつ、きらりと光るものが見えた。

「オスカー・ワイルドの『幸福な王子』の王子像のようにね、この像にはお宝が隠れている。この像の場合は人目につかないところだけれど。

 悔しいかな。市長の思うツボだよ。ただただ『金をやるから銅像を盗む狂言をしろ』と言ったところで僕が動かないとわかった上で、像を作る段階で仕込んでいたんだ。まったく、恐れ入るね」


 昴は、光るものを像から取り外し、手のひらの上に転がした。


「あ、コレは!」

「そう、レッドダイヤモンド……と思しき赤い石のブローチ。匿名の所有者が日本にもいるらしくてね。市長は我こそがそのコレクターだと、暗に伝えてきたんだよ。それとその隠し場所を」


 昴は雨森くん像の足元を指差した。


「なるほど、そういうことだったとは……」

「けど、これはガーネットだね。市長がニセモノを掴まされていたのか、はたまたそれと知りながら僕に話をもってきたのか」

 昴はよくよく見もせずに言った。

「師匠だって、もとより期待なんかしちゃいないでしょ。レッドダイヤがこんなに簡単に見つかるなんて」

「まあね。けど、僕が紅い宝石で動くと気づいたのはさといよね。目論見もくろみはアホだけど」

「そのガーネットも元の場所に戻すんですか?」

「いやいや。盗難届けも出されない、足のつかない宝石だよ? 打ち上げの焼肉代のたし・・になるに決まってるじゃない」

「焼肉‼︎」

 ポールはきらきらと目を輝かせる。彼は魔法使いの弟子なのであって、怪盗の弟子ではないのだ。宝石よりも美術品よりも、美味しいごはんにこそ価値があると考えている。

 だって、美しいものなんて見ても腹はふくれないのだから。




 雨森くん像消失騒動のあと、怪盗ソルシエによる盗みはピタリとなくなった。

 雨森くん像も程なくするとなぜかもとの場所に戻ってきた。その一瞬だけまた怪盗の話題に沸いたが、世間の怪盗ブームはかげりをみせはじめる。

 昴は、喫茶・時間旅行でコーヒーをすすっていた。今、頭を占めているのは宝石や美術品ではなく、ギャラリーのことだ。

 依頼の成功報酬として当面の現金を手に入れたとはいえ、あるとあるだけ使ってしまい、ポールに怒られた。次の展示も決まっていない。このままではまた、自分が描いた抽象画風なそれっぽい絵を場所埋めに飾っておくしかない。


 ふと、テーブル席を見ると、コーヒーと軽食はテーブルの端に寄せて 熱心に絵を描いている人物がいた。昴は獲物を見つけた目をしながら、許可も得ずにその彼の向かいの席に座る。


「ねえ、うちで個展開いてみませんか?」

「……は?」

「ああ、失礼しました。私、こういうものです」

 昴は、男性に名刺を差し出す。


「ああ……ギャラリーを経営されていると……。編集と相談しなきゃですけど……、俺エロい絵しか描けないっすよ」


 男性は怪訝けげんそうな、自信のなさそうな、なんとも難しい顔をし、昴は対照的な満面の営業スマイル。


「裸婦画は芸術の基本でしょう⁉︎ 大歓迎ですよ!」

「それに、絵画じゃなくて漫画ですし……」

「漫画の個展、いいじゃないですか! 編集さんとの相談よろしくお願いしますね! いつからなら展示可能ですか?」

「ああ……ええっと?」


「やっぱりここだった! 昴さん!」

 ポールが突然割り込んだ。つい今しがた、昴を探して時間旅行に乗り込んできたのだ。


「今日こそは ちゃんとギャラリーの仕事してください! 僕じゃあ、お客が来ても格好つかないんですよ」

「いやいや、今仕事してんの。こちらの画家さん、勧誘してるんだから」

「心底困ったって顔されてますよ! この方! さ、とにかく帰りますからね!」


 昴はポールにずるずると引きずられて店を後にした。マスターや店内の客はその様子をポカンと見送る。

 入れ違いで店に入ってきた玲も例外なく、なんだか珍しいものが見れたなぁと去っていく二人を眺めた。




「──ともあれ、平和でなにより」

 マスターは豆をひきながら、自分の城の中を見回す。


 孫娘が水を注いでまわっている。常連客が笑い合っている。漫画家さんが仕事をしている。あれ、あの席の人にはおしぼりとお冷出したっけな?

 怪盗騒ぎがあったことなど嘘のような、のどかな昼下がり。これは取り戻した日常か、嵐の前の静けさか。



 ピロンと、誰かのケータイの通知音が鳴った。


「怪盗ソルシエ! 最近おとなしいと思ってたのに、また予告状ですって⁉︎」


 玲はガタと派手な音を立てて立ち上がると、雨森くんキーホルダーのついたカバンを引っ掴む。そして、千円札をカウンターにバンと置いて 喫茶・時間旅行を走り出て行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る