『喫茶・時間旅行』アンソロジー

雨宮 未來

第1話 アウトサイダー・ラヴァー(作:雨宮 未來)

今日は予報通りの雨だった。

待ち合わせの時間を気にしながら、歩き出すサンダルの自分。

透明なビニール傘に跳ねる不規則の雫の音を聞きながら、気持ち早足で歩いている。


雨のせいですれ違う人も少ない。


『時間的にも午前の中途半端な時間っていうのもあるのか?』とか一人分析しながら駅に向かっていた。


玄関を出る時になんとなく思い付いて、『これなら濡れても大丈夫!』と素足にサンダルで来たのは、足元から聞こえる『グショグショ』と鳴る音のせいで、かなり人目が気になって仕方ない。

心なしかすれ違うマダムの目線が足下へと向かっている様な気もする。


認めたくない失敗感を拭えず、なるべく音が鳴らない様に早足を心がけて、俺は必死で歩くのを頑張った。


雨ノ森駅前。


雨ノ森市は数年前に幾つかの都市が合併してできた開発都市だ。

街頭演説で見た、新しく就任した市長が確かとても脂ぎって熱血な人だったのを覚えている。


どうやら近未来系の都市?を目指し、開発真っ只中らしい。

その宣言通りに合併してからというもの、駅前は見違えるように新しくなっていった。

ちなみに旧市の名前はそれぞれ町名となって今も生きている。


自分がこの駅に来たのは電車に乗るためではない。


北口にデカデカと置いてある、ゆるキャラ『雨森くん』の銅像を眺めながら階段を上がり、改札を素通り。


『雨ノ森駅は雨模様』なんて、誰も笑わない駄洒落ワンフレーズが思い付いてしまい、『上手いこと言った!』と一瞬得意げだった自分に『くだらねえ』なんて思いながら。


というか、歩きながらもこんなくだらない事をいくつも思いつくのは、きっと俺の『職業病』なのであろう、と。

なんて、自分を納得させるように鼻の頭を指で擦る。


ショッピングモールと合体した広い駅の中をそのまま南口へと抜けていくと、北口と真反対の景色が広がった。

『近未来』にはほど遠い、開発されてないレトロ感あるれる風景がそこにあった。


北と南で世界観が変わる。

まるでタイムマシンに乗ってっしまった感も味わえるこのギャップ。

最近はこれがなんとなく雨ノ森の魅力なんじゃないかと思っている。


北は北で『近代』な若者が集う感じがあるし、南はもうまさに『レトロ』。

日曜の夕方に見るアニメのような、懐かしさが漂う。


市長がわざと南をレトロな感じに残しているのか、はたまた立退反対の商店街の人が頑張っているのか、その辺の事情は知らないのだが。


『こっちは開発なんかされずにこのまま残ってて欲しいなぁ。』

なんて、自分は思っていた。


南口を出るとすぐ、ひび割れたロータリーに間隔を開け、暇そうに止まっているタクシーが数台ほど見える。

運転手さんも休憩中なのかサボりなのか、窓越しに会話したり一眠りしている姿も見えた。


駅からまっすぐ伸びる横断歩道の先に、数年前の甲子園出場のお祝いの飾りが垂れ下がったままのアーケードが存在感を放っている。


スマホの時計を確認して、さっきより早歩きで点滅する信号を渡る。

走ると濡れたサンダルの音が大きくなった気がして、周りの目を気にしながら急いでアーケードに入った。


誰もいないのに人の目が気になる。

サンダルから聞こえる音は何となく、幼児の歩くと鳴る音と同じ感じだ。

だがこっちはいい大人のおじさん。

もう雨の日にサンダルは履かない。

せめて次は防水加工した靴下でも履いてみると音はならないのかもしれない。


アーケードの入り口で傘を閉じ、濡れた毛先と肩の雫を手ではらい落とし、辺りを見渡す。


賑わってない商店街。

まばらに歩く人が見えるが、シャッターが閉まったままのお店も多い。


そんな商店街からは、レトロな感じの音楽が聞こえてくる。

なんというか、すごい上のスピーカーから聞こえる音、というか。

音楽なんだろうけど、なんの音楽かまでは聞き取れない感じのやつ。


時折商店街関係の業務連絡?のような、FMラジオ?のような声も聞こえてくる謎さ。

それもやっぱり何を言っているかまでは聞き取れないのだった。


アーケード入ってすぐ手前にこじんまりとした喫茶店がある。

俺の目的の場所だ。


『喫茶・時間旅行』

名前からしてもう好きすぎる。

時間を忘れてゆっくりした時間を過ごして欲しいからとついたこの名前さえ、店主のセンスを感じる。


外観的に年季は感じるが、毎日変わるオススメの黒板や、手垢ひとつない窓ガラスが清潔感を感じた。


おずおずと小さめの扉を開くとチリンチリンと扉の開くベルが鳴り、一歩踏み入れた瞬間、マスターと目があった。


「今日はおひとりですか?」


「いえ、待ち合わせです。」


「では……奥の席へどうぞ。」


少し無愛想に見えるマスター。

白髪混じりの髪をオールバックにしている。

白いシャツに黒のベスト、そしてベストと同じ色の蝶ネクタイを結んでいた。


個人的に仕事でよく使う場所なのだが、ここにきてすぐこの店の雰囲気や匂いなどを気に入ってしまい、週2でここに来るようになっている。

そしてここに通うお陰で『コーヒー』に目覚めてしまった俺は、家で飲む用のおすすめの豆をよく相談するので、何となく顔を覚えてもらえている。


ちょっと前までは豆によって味が違うなんて知らなかった。

そして『インスタント』と『本物』の違いなんかのウンチクまでググるぐらいは、コーヒーにハマってしまっている。



傘を入口のカゴに突っ込みながらふと、『1人か』と聞かれたということは待ち合わせの相手はまだ来ていないのだろう、ということに気がついて胸を撫で下ろす。

前回もギリギリだったので、これで先に『相手』が来ていたら、また注意されるとこだった。


マスターのいるカウンターをお辞儀して通り過ぎ、左奥へと向かう。


ふとカウンターで新聞を読んでいる男性に目が引かれた。

何度か見かける彼はよくカウンターに座り、マスターと何かを話している姿を見かけることがあった。

キッチリと固められた髪の毛に派手なスーツ。

その格好が嫌味じゃないくらいの顔面偏差値。

綺麗に微笑む口元のホクロが、妙に色気を見せつけていた。


『どっかで使えそうなイケメンだな……』


いつもそんなことを思っていたが、未だに出したことはない。


そんなことを思いながら俺は彼の横を通り過ぎた。


ここの店舗自体はそんなに広くないのだが、手前にカウンター5席と奥に行けば4人がけのテーブル席が4つもある。


そのうちの一つはいつも『予約席』と書かれたプレートが置かれている。

そこは時折マスターが事務仕事に使っているための『予約席』なのかもしれない。


待ち合わせ相手に見やすいように、入り口が見える手前側のテーブルに座る。

少し濡れた上着を脱ぐと隣の席に鞄と一緒にかけた。


席に着くとマスターがおしぼりとメニューを持ってきてくれる。

俺はそれを手で断りながら『いつもの、それとサンドイッチ』と伝えると、マスターがにこりと微笑んだ。


俺、石蕗 涼(ツワブキリョウ)は一応、8年近く漫画家をやっている。

昔から時間はかかるが絵は上手い方で、特に女性を描くのが得意だった。

もっと詳しく言えば、『意味ありげに頬を赤め、媚びてみせる表情』や『ギリギリスカートの中を見せない肉厚の太もも』『無駄に揺れ動く豊満なバスト』に特化されていた。


田舎でモテはやされ、調子に乗って少年誌に投稿し、審査員特別賞なんかを取ったことが俺の人生で一番最高だった時なのかもしれない。


20歳でデビューし、職歴8年、現在は28歳。

ある程度ベテランの匂いを身体中から撒き散らしているのに、ヒット作がないのだ。


連載やコミックも何冊も出ているが、どれもいまいちパッとしない。


それは自分でわかっている。

話の膨らませ方がワンパターンだからだ。

せいぜい続いた連載は最高3冊で円満打ち切りとなった。

それが結果だ。

それでもコアな固定ファンがいてくれたので、辞めずに続けていられるのである。


そんな三流漫画家は少年誌では心身ともに限界となり、5年前に青年誌に移動することとなる。

少年誌とは違い、青年誌の方が得意なものを最大限に活かせるので、自分にはあってると、最近では思っている。

そこからは呑気に続けていられて、1人で暮らしていくにはお釣りが来るほど十分だった。

何せ趣味のスニーカー集めも続けていられるから。


そして有難いことに連載が終われば次の連載の話をしていただけている。

ただしネームの時点で何度も弾かれることのが多いけれど……。


いつものコーヒーとたまごサンドが運ばれてきた。

ここのサンドイッチはトーストされており、手で持ち上げるとふわりと湯気が出る。

ここに通い出して何か食べたい時はローテーションでサンドイッチとカレー、そしてナポリタンを気分で回していた。


サンドイッチを口いっぱいに頬張り、モゴモゴと口を動かしながら、椅子にかけていた鞄から数枚の紙を出す。


『待ち合わせの相手』が来るまでには書き終わらなければならないもの。

その紙を怪訝そうな顔で見つめていると、つい本音が口から溢れる。


「……こういうの、苦手だなぁ」


思わず口からこぼれ落ちた愚痴。

カウンターに近い席だったため、独り言がマスターに聞かれてしまった様子。

俺の言葉に何かの動作に手を止め、マスターが顔を上げた。


「何かありましたか?」


「え?あっいえ、すいません、独り言だったんです……」


聞かれていると思わず焦る俺に、マスターは目尻を下げた。


「そうですか。

……苦手、と聞こえた気がしたので思わず会話を拾ってしまいました。」


「……はは、そうなんです。ちょっと苦手な事、頼まれましてね。」


困った様に鼻の頭を擦る俺に、マスターはフムと声を漏らした。


「石蕗さんの苦手なこと、ですか?」


ふと、マスターの驚いた顔に俺も驚き顔を返してしまう。


「ええっ、俺苦手なことだらけですよ。」


俺がそういうとマスターは柔らかに頬んだ。


「石蕗さん……私のイメージですけど、飄々となんでもこなしちゃう人に見えましたから。

苦手なことがあった事に、なんだか驚いてしまいました。」


その言葉に今度は自分が再び驚き、自分を取り繕うように早口で喋り始める。


「そんなこと初めて言われましたよ。

……子供の頃はよかったんですけどね、年々人間関係が苦手になってます。

特に年下の扱いがわからない。

仕事柄アシスタントとかが7割ぐらい年下ですし、自分より年上と絡むことがほとんどないので……。

あとは、こういうのですね、質問やアンケート。」


俺はそういうと紙をマスターへと見せながら続ける。


「空気読むのも苦手なので、相手がこの文章にどんなことを汲み取って欲しいかわからないんですよね。

質問の意図の捉え方を間違えると、突拍子ない感じになりますし……あとで何度も寝る前に思い出して反省と後悔しまくりますよ……。」


そうゴチャゴチャと捲し立てるようにため息をつくと、背後から声がした。


「……だからまだ書いてないんですね?

締め切り先週だったのを伸ばしてもらったのに、まだ。」


聞き覚えのある低めの声に身体がびくりと固まる。


「……藍葉さん。」


申し訳程度の愛想笑いで彼の名前を呼んだ。


入店の『チリンチリン』が、全く聞こえなかったようだ。

突然の藍葉さんの登場に青ざめ口ごもる俺を、マスターがため息混じりに笑っていた。


+++


「今回のお話、ちょっとターゲットの年齢層上げたじゃないですか。

30−40代を狙ったはずが、あれがどうも10−20代に支持されているようなんですよね。」


「……へぇー。」


アンケートに悩むのに夢中で、気のない返事を返した俺を、目を細めて睨んでくる。

俺を睨みつつも藍葉さんが片手をあげ、マスターに目配せしながら『アメリカン』と注文を告げた。


「……大事なことですよ?新規のファンが増えるチャンスですから。」


「あ、ですね……。なんで支持、されてるんだろ」


年齢層もジャンルも藍葉さんのアイデア通りに描くだけの俺。

全く見当がつかずに下を向いたままモゴモゴする。

ついでにアンケートを書くふりして、さっきのイケメンの落書きなんかをしちゃったり。

イケメンにホクロとか魅力のステイタスを上げるアイテムにしかならんなとか考えながら。

中々特徴を捉え上手く描けて、ちょっと得意げな顔をしていると。

そんな俺に仕方のない子供に言うように声が上がる。


「話の展開をファンタジックにしたおかげで、今流行りの転生ものと捉えられたのかもですね!

あとヒロインの女の子より、友達の獣人に人気が集まっているので、次話でそっちを多めに出しましょ、ね!」


「……あ、っす。」


興奮気味に話をする藍葉さんの声に思わずあたりを見渡す。

自分たち以外誰もおらず、先ほどいたカウンターの男性はどこかへ行ってしまったようでホッとした。


自分の職業をあまり胸を張れないところがあり、外でこういう打ち合わせをするとき、どうしても周りを気にする癖がついていた。


藍葉さんはそんな俺を見つめながら、届いたばかりのコーヒーをため息交じりに口に運んだ。


「てか、アンケート。そんな難しいかな?

てかこのアンケートね、とっても大事なんだよ。

先生方のアシスタントの傾向についてだからね。

求めている技量とか、性別とか、年齢とかね。

誰を紹介するかとか、とっても大事なアンケートです。

先生は自分が欲しいと思う才能についてを書けばいいだけなんだから、そんな難しくないと思うんだけどな。」


熱弁を振るう藍葉さんの鼻息に押されながら、思わず困ったように眉を寄せた。


「……こうやって問題文を見ただけじゃなくて、相手に質問して言っている意味聞けば当たり障りなく書けるんすよ。

なかなか相手の気持ちを汲み取れないもので。」


そこまで言って、思わず口籠もる。


『相手の気持ちを汲み取れない』


この言葉が妙に心の下の方に引っかかる。

しばらく前にあった出来事に『当てはまる事』だったから、慌てて思い出さないように口に手で蓋をした。


そんな俺の様子とは裏腹な藍葉さんの元気なツッコミが胸に刺さった。


「いや、それアンケートの意味がないから!」


手刀の手を払い退け、苦しそうに胸元をさすりながら答える。


「俺ね、可もなく不可もなくって生き方が好きなんす。」


「いや、アンケートだからね?アンケート。

マイノリティな意見を聞きたくて取ってるんだよ。

マジョリティーにすり合わせたものは、アンケートとは言わないの!」


「……そんな曲、ありましたよね。」


「……いやアイドルの曲のタイトルの話じゃないから。」


そういうと藍葉さんは再び俺に手刀を与え、豪快に笑い声を上げた。

日が当たると茶色に見える柔らかそうな癖毛が、笑うたびにふわふわと揺れている。

本人曰く『やわらかい髪質はヤバい』らしいのだが、そろそろ生え際を見るのが怖いそうだ。


自分とは真逆の高身長で体育会系の体つきだが、30を超えたぐらいから何を食べても肉になるらしく、若干ぽっこり気味のお腹が目立ってきたらしい。


元々痩せていた方ではないので、出ているお腹を突っ込まれることはないそうなのだが。

昨年結婚した可愛らしい奥さんと同じぐらいの出っ張りとか。

まぁ藍葉さんと違い、奥さんは太っているわけではないのだけど。


そんな藍葉さんは多分、数年後には編集長になれるだろう。

自分が漫画家として生きていけるのはこの人の腕のおかげだと思っている。


デビュー当時についてくれたのが藍葉さん。

1年担当してくれて、それなりにノウハウを学び、自分の技量、戦術や戦い方も知った。


何度か担当が変わって人によって、自分の作品が伸びたり伸びなかったりするのってやっぱ相性もあると思うんだよね。


少年誌で地の底まで落ちた自分を再び青年誌で救い上げてくれたのもこの人で。

それから5年も担当を続けてくれている。

多分もう自分以外は誰も担当を持っていないんだと思う。


他に仕事があるだろうに、俺を捨てずに側で応援してくれることにはとても感謝していて、どこかで何かを返さなきゃと、そればかり焦ってしまう。

……漫画の結果で返すことは、今のとこ自信ないけれど。


「……そういえば。」


ふと藍葉さんが口を開いた。

だがその後の言葉が続かない。


書き終えたばかりのアンケートから目を離し、藍葉さんの方へ顔を上げた。


+++


俺には恋人がいた。

……いたのだ、一年前までは。


5年前からアシスタントに来てくれていた『佐川アザミ』と言う人物と3年付き合っていた。

いや、付き合っていると思っていた。


彼女が俺のアシスタントとして、初めて会った時、自分がデビューした歳と同じ20歳だった。

といっても当時の俺は23で、3つしか変わらなかったんだけど。


彼女の印象は長身の眼鏡の女性。

膝丈のタイトスカートに、胸にフリルのついたブラウス。

緩く巻いた髪をポニーテールにしていた。

女性らしい体つきで、俺を見つめる大人びた彼女の表情に、目を奪われた。

目を奪われたといってもセクハラ的のものではなくて、ただ良い意味で『20歳』には見えないな、というか……。

うまく言えないけど、第一印象が自分が描く漫画のキャラクターのよう、だったのだ。


「初めまして、石蕗せんせ。

佐川アザミと申します。私まだペンネームとか決まってなくて、本名なんです。」


「ああ、僕もそのまま本名ですね。

石蕗涼ツワブキリョウと、申します。」


俺はそういうと軽くお辞儀をした。

彼女は握手のつもりか手を差し出してくれたのだが、女性に免疫ないのでこの手にふれて良いか戸惑ってしまった。

本契約で雇うことになったら俺は上司になるわけだしね。

コンプライアンスにビビって、差し出されたこの手をどう扱っていいかわからなかった。


俺のお辞儀のせいで宙ぶらりんになった手を口元へ持っていくと、アザミは妖艶にクスリと笑った。


ちょうど一番売れていた時代だったので、臨時でもアシスタント増やすことになったのだが、初めての女性アシスタントということでどう扱っていいかも思案中だったし。


とにかく大人びた物おじのしない女性という印象だった。

まさか付き合う……そういう関係になるとは予想もしていなかった。


付き合う……ややこしいので付き合ってた『テイ』で説明するが、付き合うきっかけとなったのも普段お酒を飲まない自分がうっかりと酔っ払ってしまったことが原因だった。

酔っ払うというより、酔い潰れるといった方が正しいのかもしれない。


気がつくと自分の寝室で、アザミと2人で寝ていた。

もちろん、俺も彼女も何も着ていない状態で。

(記憶を照らし合わせるために、そっと布団を剥がして確認したのでそこは間違いない。)


これが酒に失敗した1回目である。

流石に自分のアシスタントに手を出し、一夜限りとかそんな社会的に死んじゃう態度もできなかったので、アザミとそのまま付き合う事となったのだ。


そこから3年。

他のアシスタントにははっきり言ってないが、アザミの態度や俺の接し方で、付き合っているということは暗黙の了解だったと思う。

まぁ、他のアシスタントはやりにくかっただろうなとはとても反省している。


半年前に突然彼女が「石蕗せんせ、私片桐先生と結婚前提に付き合うことになりました!」という言葉とともに、アシスタントを辞めてしまったのだった。


いわゆる、同じ雑誌で連載している期待の新人に寝取られたのだ。

正確には自分とアザミは付き合っていなかったので、寝取られたという表現もおかしい。

だって付き合っていたと思っていたのは自分だけだったのだ。


正確には知り合って5年、付き合った期間は2年と半年。

別れはアッサリで、それ以降アザミに会っていない。


……正直、引きずりはしたが後は追わなかった。


藍葉さんの『そういえば』の言葉で、意識が過去の回想から引き戻される。


ゆっくりと顔を上げると、藍葉さんが人差し指を俺に向けながら微笑んでいた。


「……弄ばれたんですね?」


「……どうでしょうかね。」


2度目の酒に飲まれた失敗で、実は号泣しながら白状したので、全てを知っている藍葉さんがうすら笑いを浮かべながら俺を見ている。

なんならあの時奥さんも一緒に聞いていたので、夫婦で全てを知られているのだが。


「紹介しといてなんですが、彼女は『強か』すぎて先生に合ってなかったですもん。」


「……今更すぎません?」


俺の引き攣った顔を見て、藍葉さんはまたうすら笑った。


しばらくの沈黙の後、


「石蕗先生は未練残ってます?」


といってきたので、


「いえ、あんな振られ方したんですもん、もうスッパリとありません。」


と即答できるくらいは復活している。

まぁあんだけ年甲斐も恥ずかしげも無く泣けば、もう女なんか懲り懲りだー!は取り消せるぐらいにはね、今の気持ちは。


そもそもアザミは結婚したかったようで、いつまでも人気作品が書けない自分には到底彼女を養えるはずもない。

趣味を諦めれば、彼女と夫婦2人で暮らすぐらいなら、いけたかもしれないが……。

だが将来もし家族が増えた時、その家族に安定した生活を与える自信が俺にはまだなかった。


アザミは実家からの結婚の催促がうるさいといつも愚痴をこぼしていた。

のらりくらりとしている自分に対しての『催促』なのだと思った。

だから愚痴ついでについ、『じゃあ、結婚する?』と聞いてみた。


俺の言葉に一瞬時が止まったような感覚があった。

少しの沈黙の後、アザミは初めて会った時と同じ表情で、クスリと笑った。


『私たち、付き合ってましたっけ?』


そしてこの後に付属するように、さっきの言葉である。


『私、片桐先生と結婚を前提に』


今考えれば、自分はただの『繋ぎ』だったのだ。

多分田舎出身の漫画一筋の隠キャは彼女にとってチョロかったのだろう。


始まりからあやふやな彼女の気持ちが、俺には正直全くわからなかった。

怖くて何も聞けなかったのもある。

何も分からないからこそ、ほんの少しだけ引きずっている。


アンケートの確認も終わり、次のネームの打ち合わせも終わった頃、おかわりを注ぎにマスターがやってきた。

カップから2種類のコーヒーの匂いが舞い上がる。


そんな時、藍葉さんが何かを思い出すように口を開いた。


「……そういえば佐川さん、いなくなったらしいよ」


「……え?」


『イナクナッタ』とは。

言われた言葉を飲み込めない。


彼女は今、幸せ絶頂なはずだ。

彼女の彼氏の新人ルーキーがSNSで惚気ていたのが流れてきたのを見てしまったから知っている。


2人でお揃いの指輪と、握り合う手と手。


ハートいっぱいに縁取られた、そんな写真が目に入った気がする。


「……涼くん、何か知りませんかね?」


藍葉さんが俺を名前で呼ぶときは、プライベートなときである。

なのですぐ、この話がオフレコの話だと悟った。


ともあれ何か知りませんか?ときかれ、知るわけがないと答える。

何せもう半年あっていない。

連絡先は消せずにいるが、向こうにはブロックされているのだろう。

俺の未練ある『君が置いていった荷物、処分する?』というメッセージには既読もつかなかったから。

そしてその未練たらしいメッセージは直ぐに恥ずかしくなった俺の手により、取り消したんだけど。


「……でも確かその、片桐水蓮と結婚目前って話じゃなかったですか?」


モゴモゴと複雑な思いで口を開く俺に、藍葉さんは困った様な表情を浮かべて腕を組んだ。


「ええ、だから片桐先生がショックで今回原稿飛ばしそうなんですよね。

まぁ、僕担当じゃないんでアレですけど、月刊誌ですからね!

……売れ筋人気作を飛ばすと、その穴が大きすぎて今てんやわんやです。」


「……そう、ですか。」


他に答えようがなかった。

そしてなんだかピンと来なかった。

だからこそ、もう『彼女の話』は他人事なんだと気がついて、ひどくホッとした。


冗談で藍葉さんに『連載と他に読み切り描きませんか』と言われたが、俺の手の速さじゃ逆立ちしても無理である。


「もしよかったら……涼くんがよかったらなんですけど。

佐川さんに連絡取れるなら、どこにいるか聞いてみてもらえたら。

あ、無理にとは言いませんけどね。

ただ、片桐先生が、ね……。」


今の彼の状況を安易に想像でき、自分と重なる。

少しあの時の自分と重なり、同情心も芽生えてきた。


「……まぁ、ブロックされているのでお役には立てるかどうかわかりませんよ。」


とだけ言った。


藍葉さんと別れて自宅に戻り、すぐ原稿に取り掛かっていたので、さっきの話をすっかり忘れていたのだが……ふと寝る前に思い出してしまう。

なので随分と悩んだ挙句に、こっそりSNSを開いてみた。


正直もう開くのも嫌だ。

忘れていたことを思い出し、ドキリとするからだ。


なんで嫌な思いをしなきゃいけないんだと思いながら、人助けだと思い直す。

自分が役に立てるなんてこれっぽっちも思っていないが、藍葉さんには世話になっているから……と意を決して、メッセージ欄を恐る恐る開いた。


開くと日付はあの時のまま。

自分の『送信を取り消しました』以降の変化はない。


ここでまた唸るほど悩んだ末、まるでもう俺は全く気にしてないという空気を作りつつ、考えて考えて唸り倒して、メッセージを送ることにした。


半年前までは交流があったのだ。

そんな人がいなくなったと聞いて、心配したに過ぎない。


なんの未練ももうない。

藍葉さんに言われたから、仕方なくだ。


自分に言い訳して、送信マークを押す。


『元気ですか?藍葉さんに伝言頼まれたので、これを見たら連絡ください。』


考えて考えて、藍葉さんをダシにすることにした。


それから1週間。

送った次の日は気にして何度も見ていたが、段々と忙しくて忘れていた。

布団に入って一息ついた頃にふと思い出し、SNSを開いた。


『……!』


自分が送ったメッセージに既読がついていたのだ。

思わずベッドから転げ落ちるほど動揺する。


ウロウロと部屋の中を動き回ってから、震える手で藍葉さんに連絡をしたが、すでに深夜だったので返信は来ないだろう。


だが何故か動揺しながら気分は変なテンションだったため、


『キミ、今どこにいるの?片桐くんが探しているって聞いたよ。』


『連絡してあげて。』


とりあえず既読のついたメッセージに興奮して、メッセージを書き込んでしまう。

まさか既読がつくとは思ってなかった。

しかも何故『してあげて』なんて上からな文章を送ってしまったのだろうと、ふと思い返し後悔するのだった。


翌日朝イチで藍葉さんから連絡が来て、いつもなら微睡む布団から飛び起きる。

すぐにでも片桐が会いたいと言っているとの事。


……いや『会いたい』と言われても。


一晩明けてみれば『ただ返事に既読がついた』だけなのだ。

全く大したことではない。


それを会って彼に何を説明したらいいのか。

できれば自分は彼には会いたくない。

冷静になれば自ら巻き込まれに行くのは面倒くさいしか残らない。

そんな事を俺がグダグダ迷っている間に、あれよこれよといつもの喫茶店で会うことになってしまうのだった。

……来世では、押しの弱さをなんとかしたい。


俺が急いで支度をして、喫茶店に着いた時にはすでに藍葉さんと片桐がいた。

片桐は憔悴しきっていて、いつかのパーティー出会った時とは別人のようだった。

年上のアザミにかなり溺れているようで、自分を敵視している様子も窺える。


だが俺は言いたい。


『片桐くん、大丈夫だよ。

俺と付き合ってなかったらしいから。』


敵意を持つほどの立ち位置もないと、そう言ってあげたい。

そんなことを思いながら悟りを開いた顔で微笑んでいたら、戦意を喪失したのか片桐は俺にとてつもなく大きく息を吐いてきた。


睨んでもハリがないのか今度は目を合わせてさえもくれない。

肩肘をついたまま、唇を尖らせそっぽを向いている。


片桐睡蓮カタギリ スイレンは確か21歳だったはず。

19歳でデビューし、処女作の読み切りが発表されるや否や、圧倒的なファンからの支持を獲得した。

そもそも投稿は少年誌だったが、彼の独特の思想表現が少年誌では掲載できなかったために青年誌へと来られた理由。


今やうちの雑誌の看板作家として、常に巻頭カラーや表紙などを飾っていた。

デビューから2年ぐらいで俺とは比べ物にならないくらいの本が出た。

羨ましいとは思うが、さほどそうでもないやる気しかないので、その程度である。

多分この差、なんだろうと思う。

だからこそ、アザミは彼を選んだのだろう。


とにかくニコニコしている俺と、小さな子供のように口をひん曲げご機嫌斜めな片桐くんの間で、藍葉さんが困った顔でオロオロしている。

そんな空気を打破するために、俺が口を開いた。


「片桐くん。俺はもう佐川さんとは連絡とってなかったんだけど、藍葉さんに頼まれてメッセージ入れてみたんだ……。

それで、これ。まぁ進展というか、既読がついたってだけなんだけどね。」


アザミに送ったメッセージの画面を見せると、片桐くんが堰を切ったように泣き出した。

思わず藍葉さんと顔を見合わせたが、狼狽えることしかできない俺たちは、彼が落ち着くまで待つことしかできなかった。


小さな喫茶店で、二十代の若者の男が声をあげて泣く姿に他の客がチラチラとこちらを気にしているのがわかる。

丁度お昼休みと重なる時間なので、一つ奥のテーブル席を1人で座っている黒髪短髪のリーマンと目があった。

なんかひどくお疲れな顔に申し訳なくなり、軽く謝罪のつもりの会釈をする。

無愛想な感じなのにいい人そうで、会釈を返してくれ、ナポリタンを頬張った。


片桐くんの啜り泣く音が落ち着いて来るまで、コーヒー2杯分はかかった。

ひとしきり泣いて恥ずかしくなったのか、人目を気にするように下を向いたままボソボソと何かを語り出した。


来月結婚する予定だったと。

連載も来月で一旦シーズンが変わるので落ち着く予定で、次のなんとか編に入る前に式を上げるはずだったと。

式場も招待客も彼女の望み通り豪勢で、それが逃げられて無しになったらもう恥ずかしくて生きていけないと。

……なんとしてもアザミを見つけ、式を上げなきゃと。


なんとなくコーヒーを飲み干したので、クリームソーダを注文した。

こんな苦い話聞きながらコーヒーを飲む気になれなかったので。


『なんとしても式を上げる。』


そこにもう『意地』しか残っていない気がして、口の中と心のどこかが苦味でジャリジャリしていた。


「……片桐くん、そんなんで式あげてもいいことないよ?」


俺のぼそっと言った言葉に、片桐が声を荒げながらテーブルを叩いた。


「だって恥ずかしいじゃないですか。

みんなが結婚決めたのも早かったからーとか言われるの、分かってますもん。

何度もそうやって止められましたし!」


喚く片桐に今度は藍葉さんが口を出した。


「……なんでそんなに結婚したいのよ。紹介しといてなんだけど、そんないい子じゃないじゃん?

正直こんな作家喰いアシスタントとしてはもうどこも使ってもらえないと思うよあの子。」


思わず『喰われた俺がいうのもなんですが』と言いたくなって黙ったが、藍葉さんの言う事はもっともである。


アシスタントの仕事を掛け持ちすることはよくあるそうだ。

勉強のためでもあり、出版社とのつながりや人脈を作るためもある。

だからこそ、アザミが掛け持ちを相談してきたときに俺は止めなかった。


その掛け持った作家どっちも付き合っているとなると、彼女は今後、『漫画家』としてはやっていけないだろう。

そんなアシスタントを紹介する編集はもう1人もいないのだ。


藍葉さんは彼女を紹介したことをとても後悔していた。

俺にも片桐くんにも『良い影響』はなかったからな。


だからこそ、この片桐くんの『執着』の行方を解きたいのかもしれない。


「片桐くん、佐川さんを探してどうするの?」


俺が重い口を開くと、片桐くんは『キッ』と涙で赤く腫れた目で俺を睨みあげた。


「だから、結婚式!どうするか聞きたいんですよ。

こんなの納得できません。色々世間体とか、プライドとか……!」


そう言いながらまたテーブルを叩くと一緒に、ポタリと滴が落ちた。

それを眺めながら俺も腕を組み、考え込む。


「……そうか。

彼女の実家には連絡してみた?」


ふと、話しながら思い出した。

思い出した言葉をつい、口から出ただけだった。


「……実家?」


だから片桐の目の色が変わったことに気が付かなかったんだ、俺。


「うん、確か東北出身だよね、彼女。

一度打ちにお世話になってますとご実家からお歳暮来たことあるけどそれっきり……」


続けてボソボソ話す俺に、片桐くんが飛び上がるように立ち上がった。

そのおかげで周りの客も視線が再び彼に集まる。

勢いよくガツンとテーブルに片膝を置くと、テーブル挟んで座る俺の胸ぐらを掴んで引き寄せた。


「……住所、わかるんですよね?」


彼の鋭い三白眼の迫力に、思わず生唾を飲み込む。


「……多分、どこかに、しまってると……」


いきなり胸ぐらを突然掴まれ、至近距離にある派手な金髪の髪の毛が俺の額を擦り上げる。

至近距離の顔の迫力に呆気に取られている俺に片桐が続けた。


「あんたが探してくださいよ。

俺じゃ既読もつかないですもん。

あんた、俺より暇ですよね?」


「……は?」


言われた言葉が全く頭に入ってこず、『あんた暇か?』というとこだけが反芻して、ムッとする。

眉を寄せる俺に気付き、慌てて藍葉さんが片桐を俺から引き剥がそうとするが、片桐がそれを肩で避ける。


「ちょっちょ、片桐くん!涼くん関係ないじゃない!」


仲裁に入る藍葉さんの腕を片桐は左手で掴む。


「藍葉さんも!!

俺このままだと連載落ちますよ?このままだともう描けないです!」


片桐の迫力に相葉さんも狼狽えだした。


「えええっそれも困るけどさ!?」


「だったらこいつに探させてくれよ!こいつがアザミを見つけて来ないなら、俺はもう描かない!」


片手で人の胸ぐら掴んでガクガク揺らす片桐に、俺は冷静さを取り戻し、呟いた。


「……うーん、完全なる八つ当たり……。」


こうして本格的にアザミ探しを俺も協力することになった。


そもそもだ。

何故結婚するのに実家を知らんのだ。

てか彼はアザミの何を知って、結婚しようと思ったのだ?


そんな何も知らない女と結婚するとか、片桐くんの恋愛思考が全く理解できなかった。


「涼くんほんとごめんね!会わせるんじゃなかったよ。

あっちの編集担当にも文句言っとくから、佐川さん探すのも、こっちでなんとかするから!」


必死で頭を下げる藍葉さんに、俺は困ったように頭をかく。


「……いや、うーん。

探すとかより乗りかかった船的なやつで……住所知ってるって言っちゃったし、それだけは連絡してみますよ。」


俺の返事に藍葉さんが申し訳なさそうに顔をあげる。


「ほんとに!?それは助かるけど……。

でももういいからね。片桐くんの説得は僕らがやるから。

もう気にしないでいいからね!」


何度も謝られて、藍葉さんは暴れる片桐くんを押し込むようにタクシーに乗った。

結局藍葉さんだけじゃ手に負えないので、片桐の担当編集の人もやってきてのこれである。

藍葉さんと二人で片桐を押し込み、何度も俺に頭を下げていた。


というか、片桐くんとはもう絶対この店で打ち合わせしない。

俺はそこだけ強く誓った。


一旦店に戻ってマスターに騒がしかったことの謝罪をし、店を出る。

歩いて北口へと向かい、そのまま帰路についた。


家に着くと休むことなく、使命感を背負いながら伝票を探す。

しまった所は大体でしか覚えていなかったため、かれこれ1時間以上かかり見つけた時はガッツポーズまでした。


『あれどこにしまったっけ』と『ここに入れたはずなのに』を繰り返し、ようやく見つけることができた。

というか、よく取って置いたなあと感心した。


過去の領収書を入れた箱の隅に紛れて、しわっしわになった伝票を手でぎゅっと伸ばす。

そして意を決したように気合を入れると、『ノリカカッタフネ』と呪文を唱えながら、そこに書かれた番号へと電話した。


何度目かのコールで繋がる。

初めは世間話から。

いつ送られてきたかわからないぐらい前のお歳暮のお礼を再び言いながら、本題へ。

なんでもないように、世間話のように。


『あの、アザミさんってご実家に今……帰ってます?』


ゴクリと生唾を飲む音がシーンとした部屋に響いた。


+++


……結果から言うと、アザミは実家へ帰ってはいないとの事だった。

しかもここ何年も。


それとなく結婚についても聞いてみたが、ご両親はアザミが誰かと付き合っていると言う事さえ知らなかったのだ。


スマホをテーブルに置いて、しばらく唸る。


多分だが、ご両親は俺とアザミが付き合っていたことも知らないんだと思う。

お歳暮については多分初めてお世話になった『会社の上司』というか『雇い主』に送っただけのものだと言うこともなんとなく話の流れで感じた。


そしてその『雇い主』が今現在は片桐くんだと言う認識も。


一度だけ送ってきたお歳暮がその後なかったのは、アザミが止めていたからだと言うことも。


『と言うことは、だ。』


アザミの両親は『アザミと片桐くんが結婚する』と言う事実を知らない。

そして、アザミが消えたことも、知らないのだ。


アザミの話を思い出してみたのだが、疎遠になるような家族仲ではなかったはず。

アザミの下に弟が一人いて、あの時まだ中学生か高校生に上がったかぐらいだったその子が、アザミを訪ねて上京して来た時にチラッと会ったこともあった。

……姉の職場見学に。


漫画家の現場にとても興味を持っていて、目を輝かせてキョロキョロしていた姿をなんとなく覚えている。

まぁ原稿はちょっと、思春期の男子には見せられなかったけど。


その時の会話はもう覚えてないが、姉弟の仲は悪くなさそうだった。

両親が心配してか、たくさんの野菜を持たせられたとうちの玄関を泥だらけにしたこともあったし。


そのアザミが実家の連絡をしていないとは。

少なくとも俺が知る半年前の『別れるまで』は連絡は取っていた様子だった。


『結婚を急かされていた』と言っていた割に、アザミとご両親との温度差。

考えても考えても謎が残るばかりで、頭がパンクしそうだった。

推理は得意ではない。

だが疑問をそのままにしておくと、なんとも言えない消化不良を起こして胃が痛む。


『どうしたものか……』


この事実は片桐くんにはまだ言えない。

だがとりあえずは、結婚式はキャンセルするべきだな。

まだ1ヶ月あるので、キャンセル料は当日よりは安いはず……。

1人じゃどうにもならないので、藍葉さんに報告だけすることにした。


「えええ?ご両親知らなかったの!?」


藍葉さんの驚く声で耳が死にかける。

思わず耳から離したスマホから、藍葉さんが怒りで叫ぶ声が聞こえていた。


「それって結婚詐欺で訴えられるんじゃない?」


自分のことの様に怒る声を、少し離したスマホ越しに聞いている。


「……うーん、そうですね。専門的なことはわからないけど……。」


相手が感情的になるほど、自分の感情が冷えていくのがわかる。


「だったら涼くんも訴えられるよ!」


俺や片桐の代わりに怒ってくれる藍葉さんになんだか和みながら、俺は答えた。


「いや、俺はいいっす……。」


「なんでよ!」


「もう俺は、関わりたくないっす。」


これが本音。

だからアザミを探すなんて事も、もうしたくない。

片桐くんの様子が半年前の自分と重なったから、できる限りの協力をしようと思っただけ。


謎が残って気持ち悪いけど、もう俺の出来ることはここまでと思う。

藍葉さんにもそう伝え、通話を切った。


『片桐くんには実家には帰ってなかった、とだけ言うよ。』


藍葉さんはそう言っていた。


通話が終わってベッドに入ろうとしたら、テーブルに置き去りだったスマホがすごい音を立てて暴れ出した。

藍葉さんの言い忘れかと画面を見ずに通話ボタンをスライドすると。


「どういうことですか!?」


藍葉さんとは違う聞き覚えのある叫び声が聞こえ、再びスマホを耳から離した。


「どう言うことも何も……」


『そう言うこと』でしかない。


ギャンギャン叫ぶスマホをスピーカーにしてテーブルに置いた。

歯を磨いてなかったことを思い出したから。


「ちょっと聞いてます!?」


「……ひーへるヨ」


シャクシャク音をさせながら答えると、スマホからとても大きなため息が聞こえる。


「……あの。」


「ん?」


「あなたがアザミを探してくれるって言うから原稿書くって約束を守ってるんですよ。」


「いあ、いっへないへど……」


「言ってない、言っているなんか今もう関係ないんですけど。」


『関係なくはないだろ……』


流石に片桐の横暴さにイラついてくる。

何やら叫ぶ片桐を放置し、さっさとうがいを済ませると、スピーカーをオフにした。


「……あのさ。俺も原稿とかあるわけよ。

君ほど売れてなくても、同じ雑誌の同じ時期の連載持っているわけだから、書き入れ時なの。

もう関係ないアシスタントと、対して付き合いもない後輩の問題にこれ以上協力する意味が俺にある?

それでも出来ることしたつもりだけど……。」


少し声のトーンを落とし、片桐にぶつける。

そうだ、そもそも俺は関係ないのだ。

そしてこいつはなんで俺の番号を知っていたのだ。


ここでハッと気がつく。


俺の叱責に片桐は黙り込んだ。

このまま無言が続くなら『おやすみ』と切ってやろうと思っていたが……片桐はまた号泣したのだ。


泣かれるのは弱い。

自分がいじめている気分になるからだ。


そして、俺は『慰める』と言うコマンドが苦手だ。

しかも顔が見えない電話口で、という最悪なパターン。


「あの、さ……泣かないで……」


「アンタは俺をバカにしてんだろ!?」


『何でそうなる……。』


俺は大きくため息を吐き、冷静さを取り戻すように声を抑えながら言葉を返す。


「馬鹿になんかしてない。

と言うか、なんならキミの方が俺を馬鹿にしてたろ……」


「してますけど!?」


『してるんかーい……』


そんな強くしてると言われても、なんて言えばいいやら。

エグエグと泣く彼をどうすることもできず、ただボケッとスマホを耳につけたまま黙っていた。


今日はこのパターン多いな……。


そう思いながら思わずテレビのリモコンを押すと、すかさず片桐は叫んだ。


「何繋ぎにテレビ見ようとしてんだよ!!」


「あ、いや、……申し訳ない。」


行動を言い当てられ、思わず素直に謝る。


「だからアザミに振られるんだよ!!」


「ええ……」


思わずぐさっと刺さる何か。

そうか振られた原因を彼は知っているのかと、燃え尽きたように押し黙る。


押し黙った俺に片桐は続ける。


「付き合ってても自分のことが好きかわからなかったってさ!」


「ああ、付き合ってたんだ……」


「はぁ!?何なかったことにしようとしてんの?」


「いや、結婚しようって言ったら付き合ってたっけ?って言われたんだよ。」


「……は?」


「だから、私たち、付き合ってたっけ?って言われたの。」


「結婚しようとしてたの!?」


「ああ、うーん、まぁ……はい。」


俺の言葉に片桐は黙った。

どうやら涙は引っ込んだらしい。


次から泣いている人がいたら、それ以上に驚く何かを言えばいいのか、とちょっと学習した。


しばらく無言が続き、再びテレビをつけようとして思いとどまる。


『そう言うとこやぞ!』が反芻したから。

しばらくリモコンを見るたびこれで胸を痛めそうな……そんな恐怖に思わず息を深く吐いた。


それに反応してか、片桐が言葉を発した。


「……結婚してくれなかったって聞いてた。」


「え?」


「2年以上も付き合ったのに、結婚のケの字どころか、好きとも言ってくれなかったって。」


「……ええぇ」


言ってなかったっけ。

言って……言ってなかった、っけ?


再び考え込む俺に構わず、片桐が続ける。


「だから俺、アザミが望むようにすぐでも結婚してあげようと思ったんだ。

俺、まだ若いし。

例え結婚がうまくいかなくてすぐ別れてたとしても、俺ならすぐ修復出来るし、って。」


「……すごいな、片桐くんって。」


「バカにしてんだろ!?」


「いや、俺がその歳でも思わんよ。

若いからじゃなくて、キミだから思いつけたんじゃないかな。

……アザミくんのこと、本当に好きだったんだね。」


俺の言葉に片桐は黙り、再び鼻を鳴らした。


「……好きだったよ。でも、逃げられた。」


「逃げられたね、俺も。」


「アザミが言ってたのと、アンタ違った。」


「うーん、でも好きって言ってないから、合ってるね。

不安にさせてたんだね、俺。」


「アンタは好きだった?」


「……いや、ごめん。好きではあったけど……。

まぁだから俺も振られて泣いたけど。」


ここで思わず俺はフフッと笑う。

俺に釣られて片桐も笑った気がした。


「でも今となってはわからないな、好きだったかも。」


「……ふーん」


そこから片桐くんはまた黙ったけど、今度の沈黙はもう、テレビのリモコンの存在は気にならなかった。


結局どうなったかというと。


「なんで探すことになったのよ。」


藍葉さんが納得できない声をあげる。

そして俺の肩を掴みガクガクと揺らした。


「……まぁ、成り行きと、いうか。」


揺れる頭を抱えながら、俺はうすら笑みを浮かべた。


結局あのまま話を聞いていて、片桐くんが可哀想になったのだった。

また、絆されたというか。


男女問わず……泣かれるの本当に弱いなと、そこはもう、俺どうしようもないんだろうな。


もう一個絆された?のは、シーズン最後の原稿は差し迫っていて、本当に落としてしまうと雑誌の売り上げがヤバくなるだろう。

そしたらついでに俺の話を読んでくれていた片桐ファンが買ってくれないかもしれない。

そしたら1話抜けてしまった俺の漫画はますます読まれなく……なんて後ろ向きな気持ちになったから。


自分の作品はペン入れさえ終われば、あとアシスタントができる仕事。

と言うかタブレットさえあれば、どこでも仕事はできる。


そしたら俺は自由に動けると、気がついてしまったのだ。


「それで、自腹で佐川さんの地元に行くの?」


そう言いながら藍葉さんは俺に缶コーヒーを手渡す。

俺はそれを受け取り、少し大きめの鞄を抱える。


「いや、必要経費はちゃんと請求していいってさ。

しっかり請求するつもり。

本当だと自分が動きたかったみたいだし。

まぁ、彼が動くと……劇場型だから、色んなことが大事になっちゃうだろうけど……。」


「そうだけどさぁ……」


藍葉さんは納得していない様子。

不満そうに口を尖らせながらスーツのポケットに手を突っ込んだ。

そんな藍葉さんを見て俺は照れくさそうに鼻を親指で擦った。


「大丈夫っすよ。余計なことは首突っ込まないし、行方を探すだけ。」


微笑む俺に藍葉さんはいつもこうやって、代わりに怒ってくれる。

感情がうまく表現出来ない自分的にはありがたくて、照れくさいのだ。


「涼くんがそう言うなら、止めはしないけどさ。

けどもうかなり首突っ込んでるからね?」


「それはもう、自覚ありますよ……。」


俺はそういうと首をすくめた。

時間を確認する様にスマホの画面を見た時、ふと片桐から言葉を思い出す。


「あ、そういえばとりあえず、式はキャンセルしたっぽいですよ。」


「うん、聞いた。

石蕗先生が説得してくれたって。」


「説得はしてないな……。

俺と話してたらなんか冷静になったみたいです。」


振られたもの同士、なんだか変な空気が生まれたような……。

変な団結感が出た感じで、最後は素直に冷静になってたしね……。


昨日の会話を思い出しながら渋い顔をしていると、藍葉さんがブツブツと何かを呟き出した。


「てか式のキャンセル費用、どうするんだろね?

うちも紹介した責任取って、一部払うべきだよね……」


藍葉さんはそう言いながら腕組みをして考え込む。


『費用の責任かぁ……』


片桐くん儲けてそうだし……とかいうのは余計な言葉かもしれないので、黙っておこう。

そんなことを考えながら口を抑えていると、駅からアナウンスが聞こえてきた。


「ではいってきますね」


俺はそう言いながら藍葉さんに微笑んだ。


俺の言葉に少し不安そうな顔をする藍葉さんに、俺は笑顔で手を振る。


藍葉さんと別れ、スマホで時間を確認しながら新幹線のチケットを確認し、改札へ。

ホームにはすでに目的の新幹線が待ち構えていた。


忙しい藍葉さんが一緒に行くわけにもいかないので、俺1人東北へ。

昨日の今日で行動する俺を心配し、藍葉さんはわざわざ見送りに来てくれたのだ。


電車に乗り込み顔を上げると、まだこちらを渋い顔で見つめている藍葉さん。

窓越しに手を振ると、ぎゅっと何か言いたげに唇を噛み、手を振りかえしてくれた。


『頑張ってきます』


と口パクで言うと、振っていた手を拳に変え、ガッツポーズで返してくれた。


電車が動き出す。

旅行用カバンとタブレットを抱えながら、気合を入れるように肩から息を吐く。

そしてゆっくりと視線を流れる窓の外へと移した。


+++


2時間もかからずについた駅で、東北をなめていたと一瞬で悟る。

駅から出て秒で上着(厚手)を着てこなかった事を震えながら後悔した。


え?距離的に2時間しか離れていないんだよ?

なぜこんなに気候が違うんだよ……。


震える肩を抱えながら、辺りを見渡してみる。

目視で上着を売ってそうな場所を探すが、初対面の煌びやかに光る街並みでは確認できなかった。


『田舎って言っても看板とかないし、何ならうちの近所よりおしゃれだし……。』


褒めてるのか貶しているのかわからない独り言を振り払い、仕方ないので震える体を抱えながらタクシーに乗り込む。


「この辺で上っ張り買いたいの?」


「ウワッパリ……?」


「だからぁ、上着のことだろ?」


タクシーの運転手さんがめんどくさそうに俺に言った。


「ああ、そうです……」


小さく答えると、俺の様子に運転手さんは豪快に笑った。


「こんなしばれるのに、アンタ薄着だもんな!」


『ウワッパリに、縛れる……?』


たった2時間の距離なのに、なんだか異世界感が拭えずモゴモゴしてしまう。

そんな俺を鼻で笑い飛ばし、運転手さんが窓の外を指さした。


「こっち行ったらモールあるし、そこかしらでなんか売ってるよ。

てかモールならタクシーいらねーべ。」


「……ああいや、上着は後で買います。

約束の時間があるので、ここに向かってもらえますか?」


そう言って運転手さんに控えてたアザミの実家の住所が書いたメモを渡す。

それを名前だけ確認すると、運転手はすぐメモを俺に返した。


「うん、佐川さん宅か。

こっからすぐだな。」


俺が小さく頷くとまた鼻で笑い、『後で絶対買いに行くように』と念を押される。

方言の壁のせいで身構えていたが、めちゃくちゃいい人で『観光するならここ!』だとか、『デートにはここに行け!』そして『泊まるならここがオススメ!』なんかをとっても詳しく教えてくれた。


一応日帰り予定な気持ちできたけど、温泉付きのいいとこ教えて貰えるんなら一泊するのもアリだなと。

どうせ旅費は片桐持ちだし。

少しぐらいの贅沢はしてもバチは当たらない、と思う。


デート以外のおすすめは是非参考にしたいと言うと、危うく『渡辺さんちの娘さん、バツイチ32歳』を『オススメ』してくれそうになったので、丁寧に辞退させてもらう。


こんな見ず知らないところで名前出される、渡辺さんの娘さんもびっくりだろうな……。


駅から30分ぐらい走ったところで車が止まる。

田舎の『すぐ』が『車で30分圏内』なのにも驚いた。


道中の窓から流れる長閑かな風景に、写真が撮りたくなるのは職業病だろうかとかも含め、こんな状況なのに結構ワクワクする旅行気分を味わっていた。


景色がとある家の敷地に入っていく。

車のエンジン音に気がついたのか、奥の家から2人の人影が心配そうにこちらへ歩いてくるのが見えた。


会計を済ませ車から降りると、2人に向かって深くお辞儀をした。

向こうもお辞儀を返してくれ、『……ツワブキさんですか?』と聞かれたので、ゆっくりと頷いた。


「突然お邪魔してすみません、石蕗涼と申します。

本日は時間を作ってもらい……」


申し訳なさそうな俺に、アザミの父親らしき人がぶっきらぼうに口を開く。


「ああ、ここ寒いから、どうぞ中へ。」


俺の薄着もあるだろう、そういうと俺を案内するように家の方へと歩いていった。

俺はもう一度深くお辞儀をし、父親について家のある方へと向かった。


少し低めの横開きのドアをくぐり、色褪せた蛍光灯で薄暗い玄関を抜ける。

長い廊下を歩き、広い和室が二間続く部屋へと通される。

立派な一枚板のローテーブルに両親と向かい合わせで座った。


「……それで、あの。

アザミが何かしたんでしょうか?」


俺にお茶を差し出しながら、アザミ母が心配そうな顔で口を開いた。


「すみません、電話でお話した通りで……、その。」


なんて言おうかと考えているうちにまた、口籠もってしまう。

出されたお茶を一口いただいて、落ち着きさを取り戻し、何度も考えていた文章を口から吐き出した。


「えっと、実は僕代理で来てまして……。

佐川さん今僕のところではなく、片桐先生のところでアシスタントを頑張っていらっしゃったんですが、先日から突然連絡が取れなくなりまして……。

それで心配された片桐先生と編集の方に頼まれまして……。

ちょうど僕、原稿がひと段落していたので……。」


嘘は言っていない。

だが妙な緊張感のせいで後ひと言、『何か知りませんか?』が出てこない。


出てこなさすぎてそれを察したのか、アザミの母と父がお互いの顔を見合わし始めた。

しばらくの沈黙の後、アザミの母親が口を開く。


「それがお宅から連絡もらって、ウチからも連絡しているんですが、返事がなんもないんですよね……。」


「何か事件に巻き込まれたりしたんでしょうか……?」


ご両親の不安な声に思わず、取り繕うように声を捻り出す。


「……それはちょっと僕的には、可能性的に低いような気がしてます。」


だって結婚から逃げたんだから、とは言えない。

だからと言ってご両親が言う『事件性という可能性』だって捨てられないわけだから、断言もできない。

思わず大きく息を吐く。

俺の吐いた息に不安そうにご両親は見つめていた。


「あの、アザミさんがよく連絡を取るような、仲良い友人って知らないですか?

関東での付き合いある方にはあらかた連絡取ってはみたんですが、抜けがあるかもですから……。もしくは、地元で付き合いあった方とか……。」


俺の提案にご両親は再び顔を見合わせた。

そして何やらお互いに考え込んで、呟くように話し出す。


「アザミが仲良い子、ですか……。

関東に行ってから、仕事以外の方の名前が出てくることがなかったもんですから……」


アザミの父親の低い声に、母親が何かを思い出したように手を叩く。


「あ、でもアカリちゃん!アカリちゃんはアザミのアパートに遊びに行ったとか言ってなかった?」


母親の言葉に父親もハッと顔をあげる。


「ああ、あの子がいたな……。」


そう言いながら、チラリと父親が俺を見た。


『アカリちゃん』

アザミが仲がいい子なのか?


思わず出てきた手がかりに俺はご両親の動きを見送った。


少し考え込んでいた母親が立ち上がり、部屋から出ていってしまう。

とりあえず今言われたヒントを繋ぎ合わせ、俺も口を開いた。


「よかったらなんですが、そのアカリさんと言う方に事情と僕の連絡先を伝えてもらえないでしょうか?」


流石に俺があったこともない女性の連絡先を聞くわけにはいかない。

頼み込むように父親の方を見た。


「それは、構いませんが……」


何だか渋っている父親に、戻ってきた母親が帳簿のようなメモを渡した。


「お父さん、立花さんとこ連絡してみたら?今ならアカリちゃん、仕事から帰ってるんじゃない?」


母親の言葉に渋々と父親が頷く。


「ああ、連絡してみるか……」


アザミ父が立ち上がり、箪笥の上にある子機を手に持った。

そしてそのまま電話と一緒に席を外す。

しばらくアザミの母親と2人きりでモジモジしていると、父親が戻ってきて何かを話しながらそっと子機を俺に差し出した。


『?』っと子機を見つめる俺に、『アカリちゃん、変わってくれって』と小声で言われた。


差し出される子機にじわりと背中に汗をかく。

震える手で子機を受け取り、そっと耳に当てる。


コミュ障の『初対面の女性と電話で話す』と言う高難度の緊急クエストを乗り越え、詳しいことを聞くのに会って話す流れに。


とりあえず駅前に集合する事にして、自分の番号を伝えた。

両親にもアザミと連絡がついたらそちらにも折り返すように伝える事と、警察の相談についてもお任せすると言うことを説明した。


これは片桐くんにも頼まれていた事。

片桐くんから警察に連絡することは今はできない。

『婚約者』という立場から警察に連絡するのは、アザミの立場が悪くなるから。


なので両親から捜索願という形で相談したらどうかという提案を打診してほしいということだった。

俺の『捜索願い』という申し出に、両親はひどく戸惑ってから静かに頷いた。


再びタクシーを呼んでもらい、駅前まで戻ってきた。

待ち合わせの時間まで少しあるので、さっき教えてもらったショッピングモールへと向かう。


関東のモールとは違い、ものすごい広い。

無駄に踊り場に椅子がたくさんあるのはそういうことなのだろう。

目的の場所を案内板で見たはずなのに、辿り着くまでに2度もスマホで地図を検索した。


とりあえずなんとかダウンを買うことができたので、待ち合わせの場所へと向かった。

たった1日のためのダウン。

だがこれがないと、命の危険が迫るぐらいの寒さ。

俺は寒さに弱いのだ。

……暑さにも弱いけれど。


寒さついでにモールの1階にあるはずの、コーヒーショップを探す。

待ち合わせまでに一回ホッとしたいと思い、うろうろするのだが、東京にもあるチェーン店のはずなのに、慣れてない土地だからかなかなか見つからず、行ったり来たりしている所で声をかけられた。


「あの、もしかしてツブワキさんですか?」


背中あたりをトントンと突かれる様な感触に振り向くと、小柄な女性が俺を見上げていた。


「ツワブキです……、すいません難しい名前で。」


多分待ち合わせの方だろうと名乗りながらお辞儀をする。

そんな俺に顔を真っ赤にしながら、両手をぶんぶんと振ってきた。


「あああ、ごめんなさい!電話口だとちゃんと聞き取れてなかったですね!……失礼しました。」


セミロングの黒髪の女性が大きな目をパシパシしながら、恥ずかしそうに両頬に手を当てる。

そして申し訳なさそうに俺を見上げた姿は、耳まで赤くなっていた。


「……初めまして。」


思わず見つめたまま固まってしまう。

それほど、彼女は綺麗な人だった。


+++


「てか、よく分かりましたね。」


「え?」


注文したコーヒーのカップを抱えながら窓の外を見ていた彼女が俺の方を見た。

思わず目があって、ささっと逸らしてしまうのを誤魔化しながら続ける。


「いや、よく俺だって分かったなって。」


俺の呟きにフフッと微笑む彼女。

待ち合わせは駅前だったはず。

そして待ち合わせの時間までも10分ぐらい前だった。


「ああ、地元の人じゃないなって気がしたので。」


「……なるほど、おノボリさん的な挙動不審者だったか……。」


さっきの自分の行動を振り返ると、ストンと納得がいってしまう。

頷く俺に、彼女はまた楽しそうに笑った。


「着てる服がなんかこの辺の人っぽくなかったから、かも?」


うーんと考える彼女に、俺は驚いたような表情を浮かべた。


「服装……、てかこの上着さっきここで買ったんですけどね?」


思わずはてなマークを浮かべるように首を傾げる俺に、彼女は両手を振った。


上着とかじゃなくて、あー、何というか雰囲気というか?

やっぱなんか地元の人と違う感じがあったんです。」


そういうと、また柔らかい笑顔で微笑んだ。

そしてハッと思い出すように俺に向き直ると、

「あ、そうだ自己紹介!私、立花アカリと申します!」と元気よくいった。


椅子に座ったまま綺麗にお辞儀をした彼女は、はらりと顔にかかった髪を耳にかけ俺を見上げた。


「あ……初めまして。突然だったのにわざわざ会ってくださってありがとうございます。」


ダメだな、直視できない。

挨拶もそぞろに思わず目を逸らしてしまう。

そんな俺の態度も気にせず、彼女は俺に微笑みかけてくれるのだった。


「いえいえ、アザミちゃんのことでっていうことですよね?」


「ええ、はい。」


ここで大きく息を吸い、気を取り直すようにアカリにもアザミ両親に話した同じ流れを説明する。


「アカリさんは地元の友達っということで、ご両親に紹介していただきました。

それで、最近いつ連絡取りましたか?」


俺の問いに彼女は顎に人差し指を当てると考え込んだ。


「うーん、いつだったっけな……」


アカリはそういうと、じっと考えてスマホを取り出した。

スイスイっと指をスライドさせて何かを開いてみせた。


「連絡は1ヶ月前ですね。会話はいつも大したことない近況みたいなやつで終わってます。」


開いた画面をチラリと見たが、確かに日付は先月で止まっていた。


「そうですか……。あの、つかぬ事をお伺いしますが……アザミさんって結婚するとか……恋人ができた、とか何か言ってたりしてませんでしたかね?」


俺これ『それとなく』聞けてるんだろうか。

めちゃくちゃ自信がないけど、突っ込まれたら理由が思いつかんな……。


言っといて困っている自分に流石に不審に思ったのか、アカリが口を開いた。


「あの、ツワブキさんはアザミちゃんの編集の方とかですか?」


『編集……?』

なんかそう聞き返されたことに驚いて聞き返してしまう。


「俺ですか?」


思わず腕を組んで宙を仰ぐ。

漫画家、って言ってもいいのかな。


なんて考えている間に、俺への不信感が増していくのが目に見えてわかる。

アカリの眉がぎゅーんと寄ってきた。


俺も徐にスマホを取り出し、自分の漫画を検索してその画面を彼女の方へ向ける。

……水着とか面積が小さい布とかがチラッとしているやつではなく、一番マシに見える表紙のやつ、ね。


「えっとこういう感じの漫画を書いている、漫画家です。

半年ぐらい前まで佐川さんもうちに来てくれてたんで、そういう繋がりというか……」


話している途中でガシッとスマホを持つ手が掴まれた。


えっなに?怖い。


ギョッとしてアカリを見ると、さっきの眉は解けていて、その代わりキラッキラの目で俺を見ていた。


「イシミチリョウ!!!」


「……は?」


「あなた、イシミチさんだったんですね!!」


「……イシミチ?」


「えー嘘!?雑誌と全然違う!

えええー?石に帰路の路で、イシミチリョウサン……?」


ここで俺、たまらず吹き出してしまった。

もうね、腹筋割れるんじゃないかってね。

ここがカフェだって忘れるほど、大笑いしちゃったよ。


なんでね、追い出されました……お店。


さっきからアカリはずっと恥ずかしそうに首の裏まで真っ赤にしながら俺に謝っていた。


昔から名前をちゃんと読まれたことがないのはあったけど、『イシミチ』はちょっとツボにハマった。


セキロ、イシロはあったが、イシミチ……。

だめだまた笑いが込み上げそう。


しかも狼狽えるアカリがまた、小柄の体をピョンと跳ねたかと思うと今度はうずくまって頭をかかえたりと、まるで小動物の様で可愛かったから。


口元を抑え、肩が震える俺に、アカリは謝り続けた。


「漢字、というか、日本語自体、読むの苦手なんです……。」


顔をトマトのように真っ赤にし、両手で頭を抱えながら俺を見つめている彼女。


アカリは中学入るまで海外で生活していたらしい。

両親ともに日本人だから喋るには困らないらしいが、漢字の読み書きがとても苦手だとの事だった。

流石に現在は日常的な感じは書けるようになったが、いまだに音訓読みは不得意らしい。


「うああう……ツワブキと、読むんだったんですね……。

あああ、それでか、やっと納得できました。」


「うん?」


「アザミちゃんがツワブキ先生のアシスタントになったって私にずっと自慢してて、私はイシミチ先生だと思ってたから、普通に『へーおめでとー』って返しちゃって……。

アザミちゃんになんで羨ましがらないのかって、すごく怒られて。

話が噛み合わないなって、思って、ました……。

ああ、イシミチ先生だったのか……。」


なんだか今度は落ち込んできたのが手に取るようにわかる。

慰めるにも人の目があったので、今度は向かいのファミレスへと移動することにした。


「本当にすみませんでした……。」


「いや本当にお気になさらずにね。

むしろごめんね、笑っちゃって……。」


「いや!笑われて当然です!すいません……。」


背筋を伸ばし、赤い顔で何度も頭を下げる彼女を見て、また笑いそうになるのを堪える。


「てか、俺のこと知ってたんですか?」


知られていたことにビビり倒して聞き返す俺に、アカリは輝くような瞳で俺の両手をとった。


「知ってました!!だって、ファンだったんですから。」


「えええ、青年誌にしか描いた事のない漫画家だよ!?

……女の子が読む本じゃない気がするんだけど……。」


まだ疑う俺の反応に、プクッと頬を膨らまして眉を寄せる。


「うちの兄が、ファンで単行本全部持ってるんです。

うちの父が漢字の勉強は漫画が一番だっていうから、いろんな漫画読むようにしてたんですけど……。それでイシ……ツワブキ先生の漫画、女の子の絵、すごく可愛くて……!

私がなりたい女の子があそこにいっぱいあって。

抽選でサインがもらえる本とか色紙とか、毎回応募するぐらいのファンです。」


そこからアカリは如何に俺の作品のキャラクターが好きかを、漫画のタイトル、そのキャラの特徴を俺より詳しく語ってくれた。

おかげで今度は俺の顔がトマトのようになったのだった。


「もう、わかったから勘弁して……」


「えええ?本当にわかってくれましたか!?」


「ワカリマシタ……」


まさかここまで自分の作品を熱く語るファンがいてくれたとは。

気恥ずかしくてなんだか全身がモゾモゾする。

このままいい気分のまま帰りたくなったが、そういうわけにもいかない事を思い出した。


「話を戻させてくれ!」


「ok、わかりました、黙ります!」


『いや黙らなくてもいいけども……』


なんだかペースを乱される子だなと思いながら咳払いをした。


「ぶっちゃけるんだけどさ。佐川さん片桐先生と結婚の約束してたんだよね。」


「え!?」


「なんか聞いてないかな?式の直前でいなくなっちゃったんだけど……。」


「直前!?」


こんな復唱するってことは、何も知らないのかな……。

そんなことを思いながら諦めかけていた。


アカリはじっと考え込むと、またスマホを触りだす。

何か確認するようにそれを眺めていると、手が止まった。


「あの、イ……ツワブキ先生は」


「てか苗字難しいから下の名前で呼んでもらってもいいですよ。」


「ファ!?恐れ多い……!」


「でも俺がね、イって出るたび笑っちゃいそうになるから。

リョウでもリョウさんでも……」


「リョウ先生!」


「先生も、やめて……」


「リョウサン……!」


「……はい。」


素直に返事する俺に、アカリは嬉しそうに笑った。


「リョウサン、は……あの、アザミちゃんと交際してましたか?」


「……ん?……そっから話さなきゃかな?」


俺の反応にアカリが一瞬肩を振るわせた。

だが鈍い俺はその異変には気がつけず、下手くそに微笑んだのだった。


『オネガイシマス』


そう言われ、酔った勢いでアザミとそういう関係になったところをぼんやりぼかしながら、付き合った経緯ときっちり最後の振られた部分をお伝えした。

何度説明するんだこの話、と思いながら。

心がだいぶ抉られなくなったけど、口から吐血しそうなぐらいの衝撃は、何気にまだあったり。


俺の話を結構険しい顔で聞いていたアカリがまた黙り込む。


「付き合っていた……、付き合ってなかった……?

……結婚とか、うーん。」


アカリがブツブツ独り言を言うと、突然顔を上げて俺を見つめた。

じっと俺の顔を見る。


「リョウサン、一度雑誌で顔出しでインタビュー出ましたよね?」


「え!?……ああ、顔?……出したっけ?」


「出してました、3年ぐらい前、新人賞か何かの審査員やったときに。」


「……よく覚えてるね。」


本人も忘れていることを指摘されるのって、ものすごく恥ずかしいのだと悟った。

この子は多分俺より俺の情勢に詳しい。

俺なんて昨日の夕飯も思い出せないぐらい、何かを考えて行動をしていないし。

何となく生きてごめんなさいと自分を恥じるような気持ちになってきた。


そんな俺の様子は気に求めず、彼女は興奮気味に俺に答えた。


「もちろんです。帰って探してみます。多分スクラップしていたと思います。」


「いや探さなくていいけど……。」


俺の否定的な反応に彼女はいちいち頬を膨らますのは、ちょっと可愛いなと思ったり。

思っていたら突然に話が戻る。


「それで、アザミちゃんのことなんですが。」


唐突に訪れた本題に、思わず持っていたコーヒーのカップを置いた。

さっきの審査員の話は何だったのか。

そんな疑問は上の方に置いといて、そして新たな登場人物の登場に俺は唖然とするのだった。


+++


「それで、明日そこに行ってみます。」


『泊まり?ホテル取れたの!?

ごめんね、領収こっちに回してね。

ちょっといいホテル泊まっても経費にするから!』


「いや普通に駅前のビジホ取りましたよ。シーズンじゃないから高くもなかったですし。」


運転手さんが教えてくれたホテルは人気すぎて取れませんでしたけどね……。

あー残念だ。

また今度プライベートで予約してこようかな。


なんて後ろ髪引かれていると、藍葉さんの元気な声がスマホから響く。


『じゃあいいもの食べて!美味しいもの!せめてちょっと贅沢して帰んなよ。』


「ははは、そうですね。ありがとうございます。」


お礼を言いつつ、藍葉さんと少し世間話をして通話を切った。

ホテルの窓から見える空は、もう随分と暗くなってしまった。

一応着替えなどは持ってきていたので、どうせならと泊まる気ではいたのだが……。


片桐くんの様子も聞いたが、今は仕事に集中できている様子。

なので原稿上がるまでは彼に情報は保留にすると言うことだった。


それまでにちょっと状況を進めてあげたいなとは思うが……。

探偵でもないのに、部外者の自分がこんなに動き回って大丈夫なんだろうかと言う不安が込み上げてくる。

ていうか、俺が動かず探偵とか興信所使えばよかったのでは?

片桐くんお金持ってるわけだし……。


考えれば考えるほど余計なことをしている感が溢れてきて、ホテルの領収は自分の名前で取ることにしたのだった。


アカリとは明日も約束をしてさっき別れたばかり。

『お礼にご飯でも』と誘う勇気もないので、1人寂しくルームサービスである。


運転手さんが言っていたデートスポットのことを思い出す。

せめて明日帰りに時間があれば1人で見に行ってみるかな。

せっかくお薦めしてもらったのになんて、そんなことを思いながらその日は終わる。


次の日朝早くに鳴った着信で起こされる。

慌ててとると、アカリだった。


『連絡取れましたよ!今だったら会ってくれるそうです!』


「……今、何時?」


元気のいいあかりの声と寝起きの声ガッサガサな自分との温度差に、思わず時間を聞いてしまった。


朝の5時。

海と魚の匂いが香る、ここはとある市場。


有力情報を持つ人物……の父親に会いにここにきた。


どうも漁師らしいので、朝船から降りるタイミングしかないと、と言われ。

アカリに連れられ、早々にホテルを引き上げてきた。


「初めまして、石蕗と申します。」


俺の言葉に一礼しただけの相手。


「んで、息子になんの用?」


名前にも興味を持ってもらえない俺の間にアカリが入ってきてくれた。


「おじさん朝早くからごめんね、栂池ツガイケくんって今どこにいるんだっけ?」


アカリの言葉に『ツガイケ』と呼ばれた男は口を曲げながら答えた。


「アイツな、美容師なるって関東に行ったっきりだ。

そっから連絡もねえ。」


「やっぱり関東に行ったんだ。おじさん栂池くんが住んでるとこの、住所ってわかる?」


「ああ、頼まれてたやつな。ホラこれ。

アカリちゃんとこまた連絡来たらこっちに帰るように言っといて!おばあの具合がますます悪いって。」


「うんわかったよ、伝えとくね!」


挨拶しかしてないけど、俺抜きで話が進んだ様子。

横で何もできず嘘くさい笑顔を浮かべてやり過ごす。

俺いらなかったな、これ。

もう少しホテルで寝れてたな、何て思いながら。


話が終わったタイミングで、アカリに移動しましょうと腕を引かれる。

ドキドキと腕に全神経集中のまま市場を後にして、タクシーに乗り込み、再び駅前のファミレスへと入った。


流石チェーン店。

24時間営業のありがたみを感じる朝の6時前。


ホットコーヒーで早朝の寒さを癒しながら、俺が話し始めた。


「……昨日の話さ。」


思わず今から話す言葉の気まずさを拭うように、自分の肩をなで下ろす。

ついでにさっき掴まれた腕の感触も忘れよう。


「佐川さんて……その人のとこにいるのかな?」


俺の言葉にアカリが腕を組みながら首を傾けた。

そして重そうに口を開く。


「うーん、確証はないんですよ。

でもアザミちゃんずっと栂池くんのことが好きだったので……。」


昨日のこと。

ずっと考え込んでいたアカリが気になることを言い出した。


『片桐先生の顔写真とかあったら見せてもらえませんか?』


これに関しては俺は持ってないので、急遽藍葉さんから片桐の担当に連絡をしてもらい、仕事中ヘロヘロになっている片桐くんを盗撮してもらったのをスマホに送ってもらった。


なぜ突然に片桐が見たくなったのか、俺が気になってしまったので。

好奇心で見たいと言われたわけじゃないことを祈りつつ。


徹夜明けの片桐の顔を見て、アカリは思いつめた表情のまま、スマホを操作する。

そしてスマホを俺に向け、高校生らしき制服を着た人物の写真を俺に見せた。


「……え?片桐、じゃないよね?」


俺の言葉にアカリが頷く。


「私のメタ推理、聞いてもらえませんかね?」


スマホを印籠の様に向けたまま、アカリは真っ直ぐと俺を見つめていた。


+++


「アザミちゃんと仲良くなったのは、同じ高校に上がってからで……。

それまでは何となく同じグループにいる女友達みたいな立ち位置でした。」


ふーっとカップの湯気をふく。

そしてカップに口をつけるが、そのまま飲まずに話を続ける。


「高校が一緒になってから、漫画をきっかけに仲良くなって。

アザミちゃんは絵がうまかったし、漫画家になりたいって言う夢があったし、私はリョウサンの記事や漫画をスクラップするほどのコアなファンだったしで、同じ漫画研究部にも入ってたんです。」


そこまで言うと、一息つくように再びカップに息を吹いた。


「田舎の高校ってちょっと不良的な男子がモテるんですけど、それが私はちょっとついていけなくて、アザミちゃんが栂池くんのことがイイっていいだした時、私は共感できなかったんです。

でもアザミちゃんどうしても付き合いたいからって、栂池くんに告白して……。

でも栂池くん、揶揄ったのか断る口実だったのか知らないですけど、アザミちゃんに『立花アカリ』の方がいいって言っちゃったらしくてですね……。

その事で、そこからしばらくアザミちゃんと険悪になったことがありました。」


落ち込むような表情のアカリに思わず話題を振るように話し出す。


「ああ、不良がモテるのは分かるな。俺も本州の端の方の田舎出身だから、俺みたいな隠キャはよくパシらされていたしね。」


「ふふ、リョウサンパシらされていたんですか?」


「焼きそばパンとか買いに行かされてたね。でもお金はちゃんとくれてたから、結構いいやつだったのかもなあ……」


俺の言葉に暗かったアカリの表情に笑顔が戻る。


『確かに』

さっきの話を聞いて、腑に落ちた。

アザミも可愛い方だと思うが、もしアカリとアザミを比べてしまうと……。

多分8割はアカリを選んでしまうのかもしれない、と。


表情が豊かで、名前に恥じない明るさと、そしてこの容姿。

アザミも綺麗な方だけど、少し顔立ちはきつめに感じる。


もしアカリがアザミに負けるとしたら……これはセクハラになるのでこれ以上は黙っておくことにする。


邪な事で黙る俺を他所に、落ち着いたのかアカリが話を続けた。


「それからしばらく連絡とってなかったんですけど……高校卒業するぐらいに、アザミちゃんが関東に漫画の勉強に行くって声かけてくれて、その頃からまた連絡取り合うようになりました。

……今思えば、私に対しての復讐だったのかわからないけど、ツワブキ先生のアシスタントになれた、とか、ツワブキ先生と付き合っているんだって聞いて、私……そん時に同一人物だと思ってなかったので、軽い返事しかしてなかったのも彼女を怒らせる原因だったのかもです。」


そこまで言うと彼女は大きく息を吐き、机にうなだれた。

思わずかわいそうに思い、頭を撫でようと……した自分に驚いている。


「アカリちゃん、片桐先生が栂池くんによく似てたので、リョウサンから乗り換えたのかも?ですけど……栂池くんが同じ関東にいるなら、会った可能性がありますよね?

片桐先生を捨てて逃げたって言うのは、絶対代わりじゃなくて本物に会えた可能性が高いんじゃないかと思ってます。

……アザミちゃんは今、栂池くんと一緒にいるのではないでしょうか?」


そういうと、顔をあげ俺をまっすぐに見つめてきた。

間一髪、ハッと気がついたおかげで伸ばした手の行方を疑われるところだった。


静かに手を膝の上に戻す。

そして今のアカリの言葉が反芻していく。


俺はアザミにとってアカリに対する『復讐』の道具だったということか……。


今思い返してみると、アザミは俺を指名してアシスタントを応募してきていた。

アカリが俺のファンだということで、高校の時に振られた腹いせに、俺と付き合うことでアカリに勝った気分を味わいたかったが、漢字が苦手な彼女は俺を俺だと認識してなかったと。

それで思った以上の反応を得られなくなって、冷めたところに……昔の好きだった男に似た男が!


どんどんと線が繋がっていく状況に、俺はため息をついた。


そして三年前の俺の写真はどんなやつだったのか。

そこは後で藍葉さんを忘れずに問い詰めようと思う。


ああだめだ、これは落ち込む。

最初からアザミは俺を好きではなかったと言う事がはっきりと理解してきて……辛い。


ため息をつきながら段々と小さくなる俺に、アカリが心配そうに見つめていた。


今は、踏ん張ろう。

そして後で一人になったら、こっそり泣こう。


今は先ず、アザミの行方。

このアカリの推理に一縷の望みを託して、アカリを連れ関東に帰ることにした。

まだ早朝だったせいか新幹線のチケットもすぐ取れたので、関東に着いたのは行きよりも時間短縮できた。


メモを頼りにスマホで地図を検索する。

栂池の住所は雨ノ森から都心に出たところにあった。

少し治安の悪そうな場所の古びたアパート。

蔦が茂るその2階の奥に住んでいる様子。


雨ノ森駅の南口とは違う意味での『レトロ』感あるれる建物に、アカリより俺の方がビビってしまう。

バスの『降ります』に似たブザーのような玄関ベルを何度も押したが、部屋からの反応はなかった。


待っていても帰ってくる確証もなく、仕方ないのでもう一度栂池の実家に電話して、職場の住所も聞いてみる。

ここからそんなに離れていないようだったので、その足で行ってみることにした。


詰まるところ、栂池は職場にもいなかった。

ここ1ヶ月職場に来ていないと言うことだった。

連絡も取れないので、職場で心配しているというか、困惑している様子。


とりあえず他にあてもないので、アカリともう一度栂池のアパートへと戻ることにした。

しばらく付近を張り込みしていたが、誰かが出てくる様子もない。

付近を徘徊する男女。

かなり怪しいと自分達で気がついた頃には、昼も過ぎてお腹も空いてきた。


「……どうする?どっかいったん飯でも食ってからまた来る?」


「……そうですねぇ、そうしましょうか。」


少し疲れた様子のアカリを見て、スマホで近所のファミレスかカフェかを検索していた時。

ふと昔読んだ漫画を思い出した。


それもすごい突然に。


『ーー額に傷のある男は借金して逃げた男を追っていた。

その男が隠れているというアパートまで辿り着くのだが、何度扉を叩いても男は出てこない。

『チッまた逃げられたか。』と呟くと、アパートを後にしようと踵を返す。

だが、ふと立ち止まる。

傷のある男は男が住んでいる玄関扉の横の、小さな扉に手をかけるのだったーー』


俺は無言のまま傷のある男と同じ行動をし、電気メーターを確認する。

俺の突然の行動に、アカリが険しい顔で見つめていたが、メーターの扉を開けた瞬間ハッとした。

俺はアカリに向かって頷く。

誰もいないはずの、栂池の部屋のメーターは動いていた。


徐に玄関の扉に耳をつける。

じっと神経を耳に集中させ、静かに様子を伺った。


部屋からは目立った音はしない。

音はしないが、なんとなく誰かがいる感じはする。


そっと扉に手をかけ、新聞受けを覗くようにかがんだ時。


「……あんた、誰?」


俺の後ろから声が聞こえた。


+++


「いやぁ、すいませんね。

そんな驚くとは思わなかったからぁ。」


俺は腰あたりをさすり、アカリに支えられながら立っている。

突然声をかけられて、ビビり倒した挙句、後ろに尻餅をついたのだった。

……情けない。


声をかけたのは一階に住む大家さんだった。


朝から変な二人組がうろうろしているなと思ったらしい。

流石に自分達の行動が怪し過ぎて、顔から火が出そうになりながら俯いていた。


大家さんも最近、栂池を見ていないので心配していた様子。

栂池自体が美容学校に通うせいか、中々派手な格好をしていて目立つ方だったため、姿を見ないことが気になったらしい。


これを踏まえて、チャンスだと思った。

栂池の実家にもう一度連絡を取り、職場も無断欠席していることなどを伝え、大家さんと相談し、鍵を開けてもらう許可をもらった。


大家さんも事件性が見え隠れする現状に緊張感が走る。

慌てて一階へと戻り、栂池の部屋の鍵を持ってきた。


ご両親の許可がもらえたので、大家さんの立ち会いの元扉を開ける権利が……ってなんだか自分が刑事にでもなった様な気分に。

そして反対に冷静な自分もいて、栂池が部屋で倒れているとかいう最悪の方にも緊張していた。


みんなが息を呑みながら大家さんがドアに鍵をさすのを見ていた。

時計回りに鍵が動き、カチャリと音が響く。

と、同時に中で誰かの足音がする。


「……え?」


大家さんがつぶやいた。


ガチャリと開いたはずの玄関の鍵が、再び激しい音を立てて閉まる。


「誰かいるんですか!?」


思わず俺がドアに向かって問いかけると、中からうめき声と聞いたことある声が響く。


「来ないで!!」


「……アザミ?」


思わず俺が声をかけると、震えるような泣いているような声で、ドアの向こうのアザミは言った。


「……なんであんたがくるのよ。どうやって知ったの、ここ!」


叫ぶアザミに冷静に、問いかける様に俺が続ける。

どうやら扉のすぐそばに立っている気配がする。


「とりあえず、中に栂池くんもいる?彼も君も何かトラブルとか、怪我とかしてないか?」


俺の問いかけに、アザミが泣き叫ぶ様に声を上げる。


「なんでもないからもう帰ってよ!!」


激しく内側から扉が叩かれる音。

思わずみんなが扉から一歩下がった状態で、緊張感が走る。


そんな緊迫状態に、アカリが扉に向かってつぶやいた。


「アザミちゃん、私だよ。」


「……!」


優しく話しかけるアカリの声にアザミが黙った。


「アザミちゃん話そう?ここ、開けて……?

お願い、顔を見せて……」


アカリの声に少しだけ落ち着いたのか、アザミの声が小さくなる。


「だめ!あんたも帰って……」


扉に両手を当てながら、唇を噛み、アカリは目を潤ませていた。


「アザミちゃん、中で何かあるの?お願いだよ、顔を見せて……」


さっきのうめき声と、アザミの状態に『危険な状態』と判断した俺が、大家さんにもう一度鍵を開けるように合図をする。


それに頷き、大家さんが前に出ようとするが、扉に張り付いていたアカリが邪魔になり鍵が開けれない。

声を出さずにアカリに合図しようとするが、アザミに話しかけるのに夢中で動かない。

困ったように大家さんが俺を見た。


俺は小さく息を吐くと、アカリの腕をとり、静かに自分の方へと引き寄せる。

俺の胸にもたれ掛かりながら、潤んでいる目が俺を見上げた。


今にも泣き出しそうなアカリを見て、胸が苦しくなる。

気の利いた言葉も見つからずに、思わず彼女の肩を抱きしめた。


アカリを抱きしめる様に落ち着かせ、俺の合図に再び鍵が開く。

その音にアザミは再び鍵を閉め、今度はチェーンをかける音がした。


「ここ、開けてくれないなら警察呼ばなきゃいけなくなるよ。」


そういえばビビって開けてくれるかなっと言う浅はかな思いで……まぁ脅しというか、なんというか。

俺ならすぐにでも開けるな、と思ったんだけどね。


だが俺の言葉にアザミは内側から扉を叩いた。


「いやよ!!栂池くんは私と一緒にいるの!」


予想を反したアザミの言葉に俺の表情も険しくなる。

そしてその時、うめき声が再び聞こえる。


その声はさっきと違い小さく一瞬だったが、とても苦しそうな声だった。


アザミは正常の状態ではなさそうだ。

それ以降アザミ以外の音も聞こえないのも、外側の人間を不安にさせた。


「アザミ、栂池くんは元気なのか?今しゃべれないかな?」


必死で俺はアザミに問いかけた。


「元気だからほっといて。喋れないけど、元気だから。」


「せめて姿を一瞬でも見せてくれないかな?写メでもいいよ。栂池くんのお父さんから頼まれてきたんだよ。」


俺の言葉に、アザミは一瞬黙った。

そして小さくつぶやいた。


「……見せられない。」


「……元気なんだよね?」


「……」


アザミの無言に俺は危機感が増した。

思わずアカリを抱きしめている腕にぎゅっと力が入る。

その腕に抱き締めていたアカリが思わず苦しそうに小さく声を出した。


「……ごめん」


抱き締めていたことを思い出し慌ててアカリと腕から離すと、冷静さを取り戻そうとポケットからスマホを出した。


メモを開きポチポチと文字を打ち、画面を大家さんに見せた。


『大家さん、すみません扉壊れたら弁償します。もう一回俺の合図で鍵開けてもらっていいですか?

あと、警察と救急車の手配を……。』


アザミに悟られない様にするために、スマホで会話する。

流石に大家さんも青ざめていて、俺のメモを見てゆっくりと頷いた。

そのまま大家さんは警察に電話をするために、無言で一旦その場を離れた。


すぐに警察に電話を終えた大家さんが戻ってくる。

お互い意を決する様にゆっくりと頷き合うと、俺は指で合図をした。


『3、2、1……』


カシャンと開いた鍵と同時に、俺は思いっきりドアノブを引く。

扉は少しだけ開いて、チェーンがガツンと扉を阻んだが、すかさずそこに足を入れる。

アザミは咄嗟に扉を閉めようとしたが、俺の足で閉まらない。

俺の足に鈍い痛みが走ったが、再度手をねじ込め力を込めて扉を開ける。

チェーンが思いっきり開けたことによって、少しねじ曲がったようだ。

それにアザミがびびったのか、扉から離れて奥の部屋に走っていった。


俺が扉をガチャガチャやっている間に、大家さんが自宅から大きなペンチのようなものを抱えて戻ってきた。


それでチェーンを切ると、俺とアカリは中へと押し入った。


ぐったりした片桐によく似た男が口をガムテープで塞がれ、縛られた状態で倒れている。

それにまとわりつくようにアザミがいて、何かを言いながら泣き叫んでいた。


縛られた男に駆け寄ろうとしたところで、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。

そこからはもう、怒涛の時間が流れていく。


+++


「ほんっとに、大変だったね涼くん……。」


喫茶・時間旅行でまったりと向かい合ってコーヒーを飲んでいる。


ほんの数日の出来事なのだが、本当に目まぐるしく過ぎていった。


結局、片桐は原稿を書き上げた。

原稿を落としたのは、俺の方だった。


『作者の都合により……』この文字は意外に漫画家の心を抉っちゃうやつ。

えー、俺の都合なのかなぁ……?

俺の都合なのか……。


あれから。


あれからアザミは俺たちと一言も言葉を交わすことなく警察に連れて行かれ、俺たちはそれを見送るしかなかった。


そのまま事情聴取で俺たちも警察に連れられ、何日も事情を聞かれるという拘束状態で、アシスタントが上げてくれた原稿の仕上げができなかったのだ。


まぁ俺が一回落としたところで、売り上げは変わらず。

得をしたのは差し替えで載った読み切りを描いた新人だろう。


……悔しいが、中々俺の作品より反響良かったようだ。

本当に、悔しいけど。


藍葉さんがブツブツと言っている言葉を聞き流しながら、ボケッと振り返る。


こうやってボケっとできることが、今はとても幸せに感じる。


なんてったってあの事件からもう1ヶ月もたっていた。

この平穏が嘘のような日々だったために、俺は心身ともに疲れ切っていた。


ましてはこんな身近で起こるとは、というぐらい頭が現実逃避をしてしまうぐらいに。


先月の原稿が落ちたので、今月はもう入稿済み。

次回のネームもゆったり仕上げた余裕感。


だからこそ振り返れるのかもしれないな、といつものコーヒーに口をつけた。


「兎も角、先月落としちゃったけどさ。

精神的なもろもろとか、お詫びとして原稿料名目で、払うからね。

後、いろいろ経費もね。」


と、藍葉さんが色々と説明しているのを、気が入ってない相槌を打つ。

それをわかってか、藍葉さんが俺に深いため息をついた。


「てかあんな危険な目に合わせるなら、こんなこと頼まなきゃ良かった。

涼くんが無事で本当によかった。

僕ね、ニュースで事件見て奥さんと一緒に泣いちゃったよ。」


「え、泣いたんすか?」


「無事で良かったー!!って泣いたよ、本当に。」


「まぁ、聴取済むまで何も話せなかったですしね……。というか、しばらく警察と家の往復で連絡もままならなかったですし……。」


ははは、と乾いた笑いで愛想笑い。

ものすごく心配して貰ったのだろうと、自分的には少し嬉しい気持ちに。


「もうそんな恐ろしい事、本当に……!」


ガタイのいい大人が目を潤ませると、釣られて俺も泣きそうになる。


「俺も泣くかと思ったほど怖かったっすね。

……人が目の前で死ぬかもしれない、ってちょっとちびりそうでしたしね。」


栂池は一歩間違えば死んでいただろう。

監禁されて2週間以上あのままだったらしいし。


『2週間以上』


警察では詳しい日にちは言われていないが、ニュースではそう取り上げられていた。


アザミが消えて1ヶ月。

少なくとも姿が消えてすぐ、栂池は監禁されていたとしたら……。

とてつもない長く辛い地獄だっただろうな……。


あの現状を思い出す。

夢中だったから、部屋の様子をまじまじと見ていたわけではないから、思い出せる情報は少ない。

だけどあそこにあった臭いや、覚えているだけの環境に『自分だったら』と思うと体が震えてくるのだ。


栂池はあのまますぐ救急車で運ばれ、全くの他人な俺は会ってさえもいない。

あの一瞬すれ違っただけの人物。


彼は精神的にかなり参ってしまった様で、未だ入院中。

その後は職場も退職し、ダラダラと通っていた美容学校も辞め、田舎に帰って療養するようだ。


そりゃ『2週間以上』も監禁されてたら、そうなるよな……。

俺には想像もできない恐怖だっただろう。


アザミの動機は栂池が『アザミを覚えてなかった』からだった。

片桐と結婚することに不安だったアザミは偶然にも繁華街で栂池に会う。


久しぶりだと問いかけるアザミに、栂池は『誰だっけ?』と返したらしい。

田舎の同級生、5年も立ったら面影も変わるかもしれない。

俺たちにとっては『たったそんな理由』だった。


アザミは好きな人を忘れられなかった。

それを考えると最初からアザミにとって俺という存在は『部外者』だったのだろうな。


栂池が好きだった『アカリ』が憧れていただけの存在。

それを手に入れて優越感に浸りたかっただけなのだろう。


こんな結末に、笑いさえ込み上げてきた。

結局俺は彼女にとって『何』だったのか。


今となってはもうどうでもいい話。


再び心ここに在らずの俺に、藍葉さんがぶっ込んできた。


「てかアカリちゃんとどうなったの?」


「……どうなったとは!?」


思わず口に含んだコーヒーを噴き出すとこだったなんて、むせて咳き込む俺をニヤニヤしながら見つめている。


「あれから連絡とったのー?」


「……」


どうもこうもなんて、言葉を詰まらせる俺をさらにニヤニヤ顔で迫ってくる。



アカリはあれからーーー


「そのままうちに居着いてしまって……」


「へぇー?」


「てか一昨日も会ったじゃないすか。

知ってるでしょ……」


アカリはあれから一緒に警察に聴取されるため、関東に残らなければならなかった。

東北から通うわけにも行かなかったため、うちに泊まってもらったのだ。


決して言い訳ではなく、アシ様に部屋が一つ余っていたし、予想外のことで暫く泊まるホテルも取れなかったしお金もかかるしこんな可愛い子をマン喫なんか泊まらせられないし……!


下心もない。

……なかったはずなんだけど。


「佐川くんと付き合った状況に反省してなかったっけ?」


「……おっしゃる通り。」


3度目のお酒に失敗してしまったのだ。


女の子を家に泊めるという緊張感……いや、逆に緊張をほぐしてもらおうと思って一緒に飲んだのだ。

彼女もこんな事件で不安だったと思うし、次の日も警察に行かなきゃだったしね?

栂池クンの家にも報告しなきゃだったし!


……お酒の勢いって怖い。


「俺もう一生酒飲まないっす……。」


俺の言葉に藍葉さんはフフフと笑う。


「でも今回のは結果オーライじゃない?」


藍葉さんの言葉に反論しようと思った時、ふと背後から影がかかる。


「オーライですね!」


驚いて声のする方へ振り向くと、後ろにアカリが立っていた。


「……オーライなのかなぁ……。

俺、アカリの両親になんて謝ろうかとそればっかだよ。」


頭を抱える俺に目を丸くしながら首を傾げた。


「別に謝らなくてもいいじゃない?そのまま娘さんを下さい!っていえばいいんだよ。」


「……言えるか!」


今回の事件で、警察から事情を知ったアザミの両親は、事の顛末をアカリの両親に所在に話したそうだ。

もちろん事件の聴取にこっちにしばらくいることをアカリ本人からも伝えてはいたのだが……。

アザミ両親の謝罪で全て説明するのに、一緒にいるのが『俺』で、その『俺』の家に泊まっていることも全て暴露される結果となったのだ。


当のアカリはケロリとしていて、お酒を飲み過ぎた俺とのあの一夜に関しても、なんかもう筒抜けな気がしている。


「……言えないの?」


俺の言葉にウルウルとした顔で見つめる。

ダメだな、俺はこの顔に弱い。

多分出会ってすぐに、この顔は俺の弱点になったんだろう。


「……イエマス」


即答すると、アカリは嬉しそうに微笑んだ。


「涼くんバリバリ働いて、ヒット作作るため頑張らなきゃね!」


藍葉さんが俺にそう言いながらガッツポーズをした。


「……ガンバリマス」


そう言って項垂れた。


「知り合って1ヶ月で、この展開早すぎませんかね?」


モゴモゴと口元を手で覆い、誤魔化しながら喋る。

俺の言葉に藍葉さんもアカリもまた目を丸くした。


「確かに1ヶ月は早いかもだけど、その分2人で濃厚な体験をしているわけだしねぇ?」


「てか出会って1ヶ月ですが、私はリョウサンに対しての想いはもう何年も募ってますからね?私のスクラップブック見ますか?

後はリョウサンの気持ちが私に追いついてくれたらって感じですけど。」


アカリはそう言いながら鼻息を荒く踏ん反り返った。

そんな明かりを見ながら、藍葉さんはまたフフフと意味ありげに笑う。


「あ、アカリちゃんそう言えば昔ファンレター書いてくれたって言ってたよね!多分まだ探したら涼くんちから出てくるんじゃないかな?

この人もらった手紙全部納戸にしまってるから。」


「本当ですか!?……あーでも恥ずかしい。自分で見つけるのは恥ずかしいです!」


ニコニコ笑う藍葉さんに、恥ずかしそうに首を振るアカリ。

何気にこの人たち、何となく似てるなと。

気恥ずかしさに入れない会話を目線だけで参加していた。


そして何となく思い出す。


「そういえば編集からアカリに何か謝礼があるとか言ってませんでしたっけ?」


俺がそういうと、アカリと藍葉さんが顔を見合わせる。

そして顔を見合わせて2人でニヤリと笑ったのだった。


「もう、貰ったよ?」


とアカリが笑うと、藍葉さんもニヤニヤと笑った。


「え、いつ?」


「んー1ヶ月前ぐらい。」


俺の質問に歯切れの悪いアカリ。

何か変なものをもらったのかと心配になったが、藍葉さんのニヤニヤ顔が不審すぎて聞くに聞けない。

それでも何とかヒントをもらおうと質問してみる。


「……え?お金かなんか?」


俺のこの問いにアカリは顔を真っ赤にしたが、そして満面の笑みで微笑んだ。


「ううん、『攻略情報』をもらった。」


『攻略、情報……?』一体何の何だろう。

俺だけ蚊帳の外。

だがそれ以上深く突っ込めなくて、思わず生唾を飲み込んだ。


「……何の?」


「一生の、秘密。」


「だよねーアカリちゃん!よかったねー上手くいって!」


あとはもう2人でニヤニヤするばかりで、わからないのは俺のみ。

楽しそうに笑い合う2人を見て、ため息をついた。


いや、知らぬが仏?

こうなったら平和で幸せだったら、それでいい。


俺は今度こそ……ちゃんと付き合ってる、よね?

そう思いながら、俺はポケットの中の指輪を握りしめるのだった。


ーhappyend?

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