キモオタ
@Aegis1996
生き狂い
手にしたスマホを片手に、深呼吸して。
油ぎったキーボードを叩きながら、溜息を吐いた。
生まれた時からずっと変わらない子供部屋。
少しずつ擦り切れていく家具はあっても、まるでこの場所は時が止まっていたかのよう。
時間が環境を変えることはなかった。
ただ重ねる齢だけが自分と家族を弱々しく変えていき、老いは少しずつ色んなものの"終わり"を現実感を伴って連れてくる。
関係はなかった。このインターネットの世界なら。
少なくとも他者に変化を悟られることはない。
例え僕が今、下着一丁でディスプレイに食らいついていたのだとしても。
例え僕が今、気色の悪いニヤケ顔を浮かべながら女性ユーザーに話しかけていたのだとしても。
相手はわからないはずだ、何も。
僕がどんなにみすぼらしい地位にいたのだとしても、僕の現実は仮想の相手には伝わらない。
だから。
「と、とても、だ、大事な話が、あ、あるんだ」
怠惰の果てにでっぷりと肥えた腹をさすり、顎に蓄えた無精髭をなぞる。
緊張が鼓動を著しく加速させていく。
僕は伝えるのだ。僕は挑戦するのだ、今、ここで。
今までずっと人生から逃げてきた。
周りからいつも置き去りにされてきた。
兄弟も親戚も友人も、みんな順風満帆に夢を掴んだわけじゃない。
それでも、報われない努力はその姿で誰かの胸を打った。
理解者を得て、やがてそれは人に誇れる伴侶となっていく。
僕には何もない。現実から逃げ続けて、たった一つ求めた拠り所がこの仮想世界。
インターネットなら誰とでも気軽に意思疎通できた。
異性にだって距離を置かれることはなかった。
だからこの世界こそがきっと僕にとっての現実なんだと信じて、勇気を振り絞って前を向く。
伝えよう、例えうまく行かなかったのだとしても。
ここで踏み出さなければ、きっと僕は永遠に心だけを残して老いに時間を奪われてしまう。
「いつも、し、親切にしてくれて。いつも、親身になってくれて。素晴らしい、人柄が、好きになった。好きです。はい。気持ちを、伝えたいです」
どもって文脈も前後した、お世辞にも誉められた告白ではなかった。
そもそも三十路も超えた人間が告白で関係を迫るなんて、あまりにも学生的過ぎる。
それでも僕の時間は子供のまま止まっていて、これ以外の方法は知らなかった。
きっと大丈夫なんだ。
だって貴女はいつも言っていた。
真っ直ぐな人間が、正直な人間が好きだと。
外見も身分も関係ない。実直な人間性さえあれば受け入れられる、そう、言っていたハズで———。
「ごめん」
あ?なんだ……?なんで謝られてるんだ?僕は。
情けない。何も分からないふりをして現実逃避していた。本当は何もかも、痛いほど理解しているくせに。
「ネットでそういうのは、考えたことないんだよね。だからまあ、今後も友達ってことで仲良くしよ」
あっさりとしたものだった。或いは、こちらの緊張すらサッパリと拭い去ってしまうほどに。
話が違うじゃないか、と言いそうになる自分をぐっと噛み殺す。
そう、そうだよな。自分の心情として何かしらのセオリーがあったのだとしても、じゃあそこに合致すれば誰とでも付き合えるのかと言えばそうじゃないだろう。
決してモテる人間ではないが、僕だって。
相手が悪人でないと知っていたとしても、それだけで交際できるほど心を許せるかというのは話が別だ。
「そっか、そうだよね。こっちこそごめん。また明日遊ぼう。今日のことは忘れて」
「うん」
人並みに、これを告げれば今までの関係が壊れるのではないかという不安はあった。
だが彼女は拒否した上で、その関係を白紙に戻すことはせず、最も傷の浅い解答を返してみせた。
これほど鮮やかな手際を見せられれば、最早見苦しく喚くのも馬鹿らしくなるというものだ。
相手のスタンスは分かった。
その上で何も失うものはなかった。
結果的に挑戦して良かったんだ。
そう言い聞かせて、その日はパソコンの電源を落とす。
その翌日から。
彼女はなぜか、サーバーにログインすることはなくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます