誓約歴1260年10月初旬

「…… ということで、旧暦の世界には魔法の痕跡が一切認められません。つまり、古い時代にはマナが存在していなかったか、若（も）しくは……」

「誰も知覚できなかったとか？」

「私語を慎（つつし）め、ここは最前列の正面だぞ」

　学問に興味を抱く者なら誰もが参加できる公開講義『黎明期』の場にて、右隣から耳元に桜唇（おうしん）を近づけ、小声で話し掛けてきたリィナを咎（とが）める。

　されども密（ひそ）やかに言葉を交わすため、身を寄せた彼女の体勢も相（あい）まって、いちゃついているように見えるのか、考古学の教鞭を執（と）るヴァネッサ女史に睨まれてしまう。

　態々（わざわざ）、ど真ん中の席に居座り、こいつらは何なんだという妙齢な淑女の蔑視（べっし）を反射的に避けて、左隣にいるフィアの様子など窺（うかが）うと澄まし顔で他人を装（よそお）っていた。

「んんっ、私語の指摘があった通り、かつてはエルフやドワーフもおらず、素養の低い只人（ただびと）のみが人類種だったので、マナを感じ取れなかった可能性はあります」

　いずれにせよ、魔法がない故（ゆえ）に先史文明では星渡る箱舟、万物を灰燼（かいじん）に帰（き）す原子の火とか、想像の埒外（らちがい）にある諸々（もろもろ）を生んだ科学が発達したのだろうと講演者は綺麗に纏（まと）める。

　その過程で例示されたのは伝承に謳（うた）われる神代遺物であり、いまいち逸話（いつわ）に現実味がなくとも旧約聖書に記されている手前、無碍（むげ）に否定したら司祭の娘が異論を唱えてきそうだ。

(何故に造ったと疑いたくなる代物（しろもの）も多いが、高度かつ危険な発掘品になればなるほど、稼働可能な状態で見つからないのが救いだな)

　ただ、何事も例外はある訳で、希少な機械鎧を着込んだ帝国の装甲騎兵（ヒトガタ）が初めて戦場に投入された時には、近隣諸国に多大な被害が出たという記録も残っている。

　難儀なものだと考えながら、公開講義の総括に入ったヴァネッサ女史の言葉を拾う傍（かたわ）ら、麻紙に合わせた独自の没食子（もっしょくし）インクと羽筆を片づけていく。

　時計塔の鐘に遅れること十数秒、本時の終了が告げられて騒動しくなり、一部の気忙（きぜわ）しい聴講者や学生は早々に離席する最中、 “ん～” と大きく呻いて半人造の少女（ハーフホムンクルス）が背筋を伸ばした。

「偶（たま）になら面白いけどさ、毎日は御免（ごめん）かも？」

「むぅ、人目があるのにはしたないですよ」

　透（す）かさず奔放な幼馴染にフィアの苦言が呈（てい）されるも、肩が凝（こ）るのは事実なので庇（かば）い立てるように仕草（しぐさ）を模倣すれば、三白眼のジト目を向けられる。

「また、リィナにだけ甘い態度を… 私も公平に愛してください！」

「そう言われても、隙が少ないから微妙に難しいな」

「うぐぅ、ジェオ君のためと思い、手抜かりのない言動を心掛けているのにぃ……」

　よよと机に突っ伏して法衣の袖口を浅く食（は）み、拗（す）ねている “槍の乙女” に苦笑しつつも手を伸ばして、柔らかな蜂蜜色の髪をポフっておく。

　によによと生暖かく見つめてくる外野は気にせず、優しく繰り返すことで口元が緩んだのを確かめてから、彼女が持ち込んだ “昏睡事件” の調査より先に雑事を済ませるため、独（ひと）り学院の中庭へ河岸（かし）を変えた。

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