彼女のルーティーン
@Alken
第1話彼のためのルーティーン
「またか…」
彼女はその部屋を見て、大きく肩を落とした。確かに片付けておいたにも関わらず、戻ってきたらまるで部屋中をひっくり返して探し物でもしたかのように散らかっていたのである。
しょうがないけど、また片付けておかなくちゃ。この様子だろうと台所やタンスも確認した方が良さそう。
普段の彼女なら相手に雷を落とすだろうが、最近はせっかく大好きな彼との同棲を始めたのだ。短気な女だと思われたくない。別れたくない。それに、片付けのコツは追い追い教えてあげよう。
そう思い直すと彼女は履き慣れた黒いスニーカーをシューズボックスの左下に仕舞い、お揃いのエコバックに手を伸ばした。今日はプレゼンを頑張った彼に夕食を作る予定だったのだ。この前テレビのオムライス特集に美味しそう、と呟いたのを聞いていたので、今日は練習の成果を見せたい。
今夜は残業と零していたので、彼が帰るのは定時をずっと過ぎて且お腹をペコペコに空かした頃だろう。夕食の準備と食器洗い、部屋の片付け余裕があればお風呂を沸かして、と算段を立てる。今は夕方になったばかり。急がなくても彼が帰宅するまでに充分に間に合うだろう。
彼女は台所に駆け袖を捲りしっかりと手を洗うと、手慣れた様子で包丁やフライパン、まな板を取り出した。ふわふわオムライスにするため卵は念を入れてとき、フライパンの温度には注意が必要。自分ひとりなら大きくなりがちな玉ねぎだって、彼を思えば涙に耐えて微塵切りにできる。野菜不足な彼のため、人参を多めにいれてみる。確実に手間は増えるけど、これも愛故。
火傷に注意しながら綺麗に盛り付け、ケチャップで大きくハートマークを書く。これだとバカップルっぽいかも、なんて恥ずかしくなりながらリビングのテーブルにサーブする。スープ労いの手紙を忘れずに添え、ホコリを立てないよう二、三歩後ずさる。
うん、完璧。
ゆっくりと頷くと、彼女は片付けに取り掛かった。
予想はしていたが、いざ手を動かしてみると部屋の散らかりようは彼女の想像を遥かに超えていた。キチンと畳まれタンスに収まっていた洋服はぐちゃぐちゃ、毛足の長いカーペットはめくり上がっているし、コード類は乱雑に引っこ抜かれている。
思わず時計に目をやると彼が帰宅するまで後二十分ほど。予定変更、少し急がなきゃ。
タンスからパーカーやカットソーを纏めて取り出し、テキパキと畳んでいく。動作に合わせてふわりと香る柔軟剤に絆されそうになり、彼女は首を横に振る。
厳しくしなきゃ、いつも畳んであげる訳じゃないんだから。
衣類をきっちりと引き出しに納め、続いてカーペットに掃除機をかける。幸いにもこちらは大して汚れていなかったので早々に終わった。最後はコード。スマートフォンやゲーム機の充電器に家電などのコードが絡まってしまい、もはや固まりとなっている。彼女は丁寧にそれを解すとコードリールに巻きつけていく。確か扇風機などの季節家電は赤、持ち運ぶ充電器は青、その他は白のコードリールだったはず。全てを分類した頃にはとっくに日が傾いていた。
そろそろ帰宅するかと目星をつけた瞬間、彼の帰宅を告げる携帯アラームが鳴り響いた。彼女は慌ててドアの鍵を閉めるとその場を後にし、Bluetoothで繋がったイヤホンを起動した。
彼は心配性で、それは真夏でも全ての窓やカーテンを閉め切ってしまうほど。
日光は健康に良いんだから、少しは浴びなきゃダメって今度言っておこう。
聞き慣れた恋人の声がイヤホンを通じて耳に飛び込んだ。思わず口角が緩み、耳を澄ませる。
「ええ、今日も」
おや。
恋人は誰かとお話し中のようだ。電話だろうか。淀むことなく淡々と答える頭の回転の早さに、何度説明することになっても決して声を荒げることのない優しさ。
あぁ、好きだなぁ。
誰かに自慢したいような、秘密にしておきたいような不思議な感覚。
彼女の心中を露知らず、彼は言葉を連ねていく。
「部屋は片付けてあります。シューズボックスは開いたまま。テーブルの上にはプレゼンお疲れ様、と書かれた手紙があります。オムライス…はどれくらい前に作ったのか分かりませんが冷めてます」
残念、もう全部気がついちゃったの。
彼女は眉を寄せた。もっとリアクションが欲しかった。彼が驚いてるところに遭遇したことがないからだ。
でも、本当はさっきまで部屋にいたけどね。そんなことより、誰に話してるの?
もしかして惚気かもと彼女は考えを巡らせながら、その続きを待った。
「前もお話ししましたけど俺、一人暮らしですよ」
今日がプレゼンなんて誰にも話してないです。
彼は脅えた様子でそう続ける。
それに対し、彼女は笑みを深めた。
一人暮らしなのも、プレゼンを秘密にしてたのも全部知ってるよ。一人暮らしなのは物音から、プレゼンは独り言から知った。
私はずっと聞いてるからね。
彼女のルーティーン @Alken
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