さがさないでください。

@pranium

第1話

 先生、ご無沙汰しております。


 突然のメールをお許しください。最近、先生が不思議な話を集めているとゼミの子からお聞きしましたので、資料と合わせて概要をお送りいたします。

 つまらないものですが目を通していただければ幸いです。


 大塚 海人




 このメールが来たのが一か月前の七月になる。私は休日を使って、E県の山奥にやってきた。間伐や整備のされていない暗い人工林に囲まれた集落の一角に、彼の自宅はあった。


 木造の昔ながらのお屋敷といった感じで、きれいに整頓された玄関や木の香りがする壁から、実家であるというこの家を大切に使う彼の育ちの良さを感じられた。私は畳のきれいな客間に通され、障子の向こうの明るい光を眺めながら彼を待っていた。


「先生、お待たせしました。」


 大塚は後ろの戸から姿を現した。彼は大学を出たときのままの姿で、万人に好かれそうな好青年であった。


 彼はおぼんにお茶の入った湯呑を乗せてきて、そのうち一つを私の前に出してくれた。


「わざわざこんな山奥までありがとうございます。遠かったでしょう。」


 大塚は申し訳なさげに、ニコニコしながら言う。


「いやいや、私もこのあたりで他の用があってね、ちょうど会えるならと思って来ることにしたんだよ。」


 これは社交辞令じゃなくて本当だった。観光ついでに寄ることができるなら、ついでに話を聞こうという流れだった。


 彼は私の対面に座り、では、と一拍置いた後、


「夜になってはいけませんので、始めましょうか。あまり期待しないでくださいね。


 これは怖い話とか怪談とか、そういうたいそうなものでもないのですが。」


 と、彼は前置きして、たいしたことないのに申し訳ないといった様子で続けた。


「小学生の時、成績の悪かった僕は夕方まで居残りなんて当たり前でしてね。そこから家に帰ってまた外で遊ぶとなると、このような夏場でもすぐに夕日で真っ赤に染まったものです。


 夏休みになると居残りからも解放され、友達と外で夢中になって鬼ごっこや山遊びをしていました。


 先生も来られる途中にご覧になったと思いますが、この辺、山攀村は山あいの盆地に田んぼや昔ながらの家がまばらにあるだけで、外からは隔絶されたようなつくりになっています。こんな環境だと、遊ぶメンバーなんかは毎回同じで周りの大人も皆知り合いの関係になります。子供ながらにもう村人全員の顔は覚えていたと思います。


 そんなある日、夏休みも終わりにかかる頃でしょうか。僕たちは村の西側のエリアを使って、かくれんぼをしていました。僕は友達の家の植え込みの角に隠れて、鬼が来ないかわくわくしながらしゃがんで待っていました。


 ふと、気が付くと夕方になっていました。そうです、隠れたまま寝てしまったんですね。


 僕は立ってからすぐ横の舗装されていない道路に出てみると、山の隙間に真っ赤な夕日が落ちかけていました。昼間とは違い、ひぐらしの郷愁に満ちた鳴き声とぼんやりとしたオレンジ色の景色が合わさり、美しさと世界が終わるかのような恐怖が混じった、なんともいえない情景を見ている気持ちになっていました。


 とりあえず帰ろうということで、その道をこの家の方向に歩いていると、道端に生えている木に貼り紙がありました。いや、正確には貼ってはいませんでした。キャンプで使う、テントを地面に固定するペグのような大きさの釘で、何やら人の描かれた紙が繋ぎ止められてあるのです。


 僕は触るのには抵抗があったため、目線の少し上にあるその紙を見てみました。


 紙は何年も放置されていたかのように全体的に劣化しきっていて、中心にこちらを向いて笑っている女の子の写真。歳は十歳くらいでしょうか。公園で遊んでいるところにカメラを向けて撮ったのでしょうね。顔は紙の劣化によってよく見えませんが、村にいる子ではないことは分かりました。紙の右端には、山田蓮子、という名前が書かれていました。おそらくその女の子の名前なのでしょう。そしてこれが妙なところなのですが、紙の上部に大きく、


 さがさないでください。


 と、一文添えられていました。


 おかしくないですか?普通、こういう貼り紙っていうのは”さがしています”と書くでしょう。探していないにしても、それをわざわざ貼り紙までつくって知らせる必要はないわけです。


 おかしいところは他にもあります。釘が女の子の頭を狙って刺されていること。何年も放置されたような見た目なのに昨日までなかったこと。


 僕は気味の悪さを感じて、速足で自宅に向かいました。歩いていく最中、改めて周囲を見回すと、村中にさっきの紙と同様のものが打ち付けられていることに気づきました。家の屋根に、神社の鳥居に、足元に、自宅の壁に。どこを見てもすべて、写真の女の子がこちらを向いて笑っているのです。今までなぜこれに気づいてなかったのでしょう。


 僕は早く村人の誰かを見つけて安心したかったのですが、僕以外誰も出歩いておらず、どの家の中にも人がいる気配すらありません。


 僕はその写真の女の子にどこでも見られている気がして恐怖心が最高点まで達し、自宅の玄関を開けると同時に気を失ってしまいました。


 ――以上、僕がここ、山攀村で体験した、奇妙な話であります。どうです?オチもなにもない、ただよく分からなかっただけという話です。」


 大塚はそう言いお茶をぐいっと飲み干した。


「ああ先生、もうすぐ夕方です。お帰りになりますか?よかったら泊まっていかれても問題ありませんよ。」


「気遣いは嬉しいが今日のところは帰るよ。明日も学会の準備をしなくては。」


「あらら、相変わらずお忙しいようで、またぜひ来てくださいよ。」


 大塚は笑みを含んでさらにこう加えた。


「地元の友達にもこれを聞かせたのですけどね。そんな紙は見たことないようでして、ましてや山田蓮子なんてのはこの村に同姓同名はいないようでしたよ。」


 私はそれだけ聞くと、少しの談笑の後に別れの挨拶を済ませて彼の家を出た。庭に停めた私の車に目をやると、フロントガラスとワイパーの間に、ボロボロの紙が挟まっているのが見えた。


 私は車まで歩き、その茶色く劣化しきった紙を手に取った。


 中心には青年の笑顔の写真があるが、額の部分に穴があけられていた。写真の上と右端にはそれぞれ、


 “さがさないでください” “大塚 海人”


 と書かれていた。


 私はとっさに、改めて先ほどまでお邪魔していた大塚の実家を振り返った。


 家の壁は真っ黒に腐って穴だらけになっており、窓は割れ、ゴミだらけの玄関には外側からコンパネ板が釘で打ち付けられており、中に入れないようになっていた。


 焦った私は車に乗り、舗装されていない道を普段絶対出さないようなスピードで飛ばして大学へ帰った。




 後日、私はこの話に関する様々な資料を調査した。


 山田蓮子、大塚海人、さらには山攀村……、これらに関する記録はどこにも存在しなかった。

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