群狼牙突
百舌巌
第1話 馴染みの風景
「チッ」
立花宗介(タチバナソウスケ)は刑務所の通用口から出た瞬間に舌打ちをした。その音に反応して猫がピクリとしている。
刑期が明けたのでシャバに戻ってきたのだ。ところが、通用口には誰も居なかったのだ。
自分の舎弟ぐらいなら、出迎えに来ても良さそうなのに無人の道路が有るだけだ。
「もう戻ってくるなよ……」
刑務官が発する馴染みの一言に頭を下げて、『さあシャバで羽を伸ばすぞ』と意気込んでいたのに出鼻を挫かれてしまった。
立花は府前市に古くから在る暴力団の構成員だ。もっとも、構成員が二十人程度の弱層団体だ。
彼は杖を突いてモタモタ歩いている老人を、後ろから蹴った若者を半殺しにして刑務所に入る事になった。自分でも分かっているつもりだが、一旦火が点いてしまうと抑えが効かなくなってしまうのだ。
(しょうがねぇな……)
立花は出て直ぐの場所にあるファミリーレストランに入って行った。
一般的に受刑者が出所して、最初にしたい事は女を抱くでも無く反省をする事でも無く、ひたすら甘い物を貪る事だ。
刑務所の中は普通の家庭環境と違うのは間食が好きに出来ない事だ。なので、脊髄液から染み出して来るのでは無いか、と言うぐらいに甘い物を腹に詰めたがる。
「こっから此処まで持ってきて」
「はい、畏まりました」
場所柄、妙な注文に慣れているのか店員は動じずに注文を受けていた。きっと、出所した奴は此処に立ち寄るに違いない。確信した立花はニヤリと笑った。考えることは皆一緒なのだなと関心した。
ファミリーレストランで立花はフルーツメニューの端から端までを注文して甘物を食べている。刑務作業で得たわずかばかりの金を、全て使いそうな勢いだ。最初は無心で食べていたが、やがてこれからの事を考えるようになっていた。
「ふぅー、もう良いや…… 頭のテッペンから足の先まで餡こが詰まってそうだ」
人心地付いた立花は電車に乗って繁華街に行った。所属していた暴力団事務所があるからだ。
繁華街の外れに組の事務所は有った。五階建ての鉄筋コンクリート。表面は威圧感を増す為に黒く塗られている。
「え?」
だが、ビルを見た立花は驚愕の余り声が漏れてしまった。
表に見張り番の組員はおらず、建物内に人の気配は無いように感じる。何より、出入り口にはコンパネが打ち付けられており、ビル周辺には粗大ごみらしき物まで散乱していた。
つまり、建物は荒れ果てて廃墟のようになっているのだ。
「何が有ったんだ?」
構成員がニ十人程度の弱小団体とは言え、それなりに運営されていたはずだった。立花が刑務所に入るまでは。
そこに馴染みの蕎麦屋の店主が通りがかった。よく出前を頼んでいたのだ。
「よお、旦那」
「あー、立花さん。 お久しぶりです」
「どうしてこうなったんですか?」
「立花さん知らなかったんですか?」
店主はびっくりしたように聞いてきた。立花が次の若頭候補である事を彼は知っていたからだ。
「ちょいと馬鹿やってお勤めしてました」
「そうですかあ……」
店主も立花の商売は知っている。お勤めの意味も理解できたようだ。
「組長さんが脳溢血で死んじゃったんですよ」
「え? 親父が??」
「その時にタイミング悪く手入れを受けて、主だった人たちは連れて行かれました」
暴力団根絶をお題目のように唱える警察は僅かな出来事も見逃さずに介入してくる。今回も組織がバタバタしているスキを突いたのであろう。
「そうなんだ……」
「で、残った組員の人たちは散りぢりになっていったみたいですよ」
そう言い残して蕎麦屋の主人は軽く挨拶をして歩いていった。
「…………」
どうりで三年ぐらい誰も面会に来ないなと訝しんでいたのだ。幹部が収監されてしまったので、誰も跡目を相続しなかったのだろう。つまり、組は廃業していたのだ。
「あーーーー、そんな話聞いてないぞー」
頭を抱えた立花は近くのゲームセンターに行った。
ケツモチとして随分と世話を焼いた店だ。繁華街だと酔っ払いや無軌道な小僧がイキりちらしたりする。
それを鎮めるのが自分たちのような強面の役目だ。お陰でみかじめ料を頂けるのだ。
「小川さんは居ますか?」
立花は通りがかった店員に尋ねた。
「?」
「あの、店長の人なんですが……」
「当店の店長は小川とは言いませんけど……」
「え?」
「……」
改めて店内を見ると何だか雰囲気が違っている気がしてきた。
「この店って経営者が変わったのですか?」
「はい、ニ年程前に運営会社が変更になりました……」
「そうですか…… 失礼しました」
店は経営者自体が変わっていた。そう言えば従業員も見知らぬ人ばかりだ。
立花は携帯電話を取り出して片っ端から掛けてみた。繋がらないか留守電になるかの違いはあるが、誰とも連絡は付かなかった。
立花が刑務所に居る間に何もかも変わってしまったらしい。
(随分と世情に取り残されているようだな……)
少し寂しさを感じながら、これからどうしたもんかと立花は思案に暮れてしまった。
所属していた組は無くなってしまっている。仲間の連絡先は不明だ。立花は任侠団体の幹部から無職のおっさんに成り下がってしまったのだ。
(ここに居てもしょうがない…… 少し歩いて頭を冷やすか……)
仕方が無いので場所を移動しようと出口に向かった。すると、階段付近で何やら揉め事が起きているようだった。
「ちょっと!」
「こっちだ!」
「離してって言ってるでしょう!」
「うるせぇ、大人しく車に乗りやがれ!」
「いったぁあい」
「暴れるんじゃねぇー」
まだ、年端も行かぬ少女を車に押し込めようと脂ギッシュなおっさんが悪戦苦闘していた。少女も必死になって抵抗している。
おっさんは片手で少女の腕を掴み、もう片方の手で何処かに電話をしているようであった。
(親子かな……)
こういった繁華街では厳格な親元を嫌って家出する少女が多い。時期的にそういう季節なのだろうと立花は考えた。
そして、娘を見つけ出して連れ帰る父親も良く見かける光景だ。
電話が終わったのか、ポケットに電話をしまうと少女を殴りだした。バチンと痛そうな音が聞こえてくる。
少女は殴られるのを避ける為か、腕で頭をガードしている。
(いやいや…… いくら親子でも娘を殴るのはやりすぎだよな……)
立花は声を掛けるべきか躊躇してしまった。親子の問題に他人が関わって良いものでは無いのは分かっているからだ。
「いやあ、拐われる!」
少女が大きな声で泣き出し、その瞬間に立花と目が合った。
「助けてよー」
少女が立花に叫んだ。
(しょうがない、助けてやるか……)
そう思った立花が助けようと一歩踏み出した。
「何だ! テメエはっ!!」
最初は自分に言われたのかと立花はギロリと相手を見たが、脂ギッシュなおっさんは立花では無く違う方を見ている。
そこには中肉中背の若い男が少女の肩を掴んでいた。
若い男は少女と脂ギッシュなおっさんの間に分け入った。こういう場面には慣れているようだ。
「アンタ。 みっともない真似は辞めなよ」
彼は諭すように静かに言った。人前で女に手を上げるおっさんみたいな手合には大声出しても無駄なのを知っているのだ。
「何だテメェはーー!」
だが、激昂したおっさんは若い男に殴りかかっていく。若い男はおっさんの腕を掻い潜るようにして避け、短めな足を払いのけた。
無抵抗な若い娘には無敵の強さを誇るおっさんも彼には通じなかったようだ。あっさりとバランスを崩してしまう。
「んあ!」
若い男はバランスを崩したおっさんの首筋に手刀をお見舞いした。
「ぐふっ」
おっさんは妙な声を漏らして床に大の字でうつ伏せになってしまった。うめき声が聞こえるので失神はしていないようだ。
彼は瞬く間に脂ギッシュなおっさんを伸してしまったのだ。格闘技の経験者であるのは間違いなさそうだ。
「……」
少女は車に轢かれたカエルのように伸びているおっさんを見ていた。唖然としていたの方が合っているかも知れない。
「さあ、今の内に……」
若者は少女の手を引いて建物から離れようとした。
(俺が出る幕は無かったか……)
問題は解決したようなので、立花はその場を離れようとした。
だが、一台のワンボックスカーが乱暴に停まり、中から面相の残念な連中が降りてくる。どいつもこいつも腕やら首やらにタトゥーを入れていた。
揉め事はまだ終わっていない。始まったばかりのようだ。
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