第30話 フローラの家へ

 店を出たときにはそんなに大きなできごとが起こったとは思わなかった。さっきと同じ街の様子だとほっとしたくらいだ。

 でも、このパン屋からフローラの家まで戻るあいだに、たしかに様子が違っているのに気づく。

 大きい豚が、のそのそと、自分の体をもてあますようによろめきながら歩いていた。そんな豚が何匹もやってきては、すれ違う。

 さっきは小さい豚がたくさんいて、元気よく歩き回っていた。大きい豚は見なかった。ところが、いまは大きい豚ばっかりで、小さい豚はほんのたまにしかいない。

 ここに入ったときには、街のそこここに植わっているりんごの木はほとんど葉を落としていたはずだ。ところが、りんごの木にはいまは葉がいっぱいに茂っている。

 フローラが歩けるぎりぎりの速さまで歩く速さを上げて歩く。その足の下にふとやわらかい感触があった。見ると、アンの靴は道に落ちて腐って黒くなったりんごを踏んでいる。その踏まれてつぶれたりんごに、大きい豚が八方からのそのそと集まってくる。

 アンはぞっとしてその場所を離れた。

 見上げると、りんごの木の茂った葉のあいだにりんごがかたまりになって実っていた。その葉のあいだから、白いりんごの花が開けた場所を求めるように懸命に広がって咲いている。

 りんごって、葉がつくのと、花が咲くのと、実が大きくなるのと実が落ちるのが同時だっただろうか?

 少なくとも、ウィンターローズ荘のりんご園では違ったはずなのだが。

 「こっち……」

 小さい声とはうらはらにきっぱりとフローラが引っぱってくれなければ、急いでいてテューレ婆さんの家を素通りするところだった。

 どうしてか、庭に入ってからわかる。

 さっき、この横を通りかかったときには、庭には何も植わっていなかった。殺風景な庭だと思っていた。

 ところが、いまは、そこにたで虎杖いたどりがいっぱい生えてごちゃごちゃになっていた。家までほんの短いあいだを歩く道さえ見つけるのがたいへんなくらいだった。アンの長いスカートがすぐに引っかかってしまう。

 そこへ、大きい豚が柵を越えて、二匹、三匹と入ってくる。やっぱり歩き慣れないらしくふらふらしている。それが蓼や虎杖の根もとを鼻でほじりだした。

 「姉ちゃん早く!」

 フローラに言われるままに家に入る。

 家の中はさっきと少しも変わりない様子だったので、ほっとする。フローラがしっかりと戸締まりをした。

 アンはいまのが何だったのか、フローラにきこうとした。けれども、その前に、テーブルの奥から気配がして、テューレ婆さんが出てきた。

 「フローラや!」

 歩きかたはさっきと同じようにゆっくりしているが、声は絞り出すようだ。

 「無事だったかい?」

 「うん」

 フローラはおばあさんのほうに体を向けて背筋を伸ばして言った。

 「お姉ちゃんが守ってくれたんだよ。あの光が光ってるあいだ、ずっとわたしを抱いてくれてたんだ。だから、わたし、ぜんぜん浴びてないよ」

 テューレ婆さんがアンを見上げる。アンは軽く会釈えしゃくしたが、テューレ婆さんはアンをじっと見ているだけだった。

 「ばあちゃんは? だいじょうぶだった?」

 「わしは心配いらん。いつもどおり、奥の部屋におったからな」

 フローラはテューレ婆さんに駆け寄った。きゅっと抱きつく。

 テューレ婆さんもフローラの肩を抱いた。二‐三度、うん、うんとうなずいて、頭や肩のや首の後ろをでてやる。

 かわいい孫なのだ。仲のいいおばあさんと孫なのだな、と思う。

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