11:こちらリゼ。お嬢様、潜入は……失敗です

 リゼになったわたしは、こっそり屋敷を抜け出して一路王宮へと向かった。

 幸い王宮は頑張れば歩いて通える程度の距離にあったし、リゼはこれまでもヒーストン家のお遣いで王宮を訪れる機会がよくあったので、メイドの身分でも出入りは可能なはずだった。


「駄目だ。ヒーストン家の者は中に入れるなとのお達しだ」


 他の多くの者が出入りしている通用門の前でわたしは思いがけず足止めを食らった。


「何故です? 謹慎はアシュリー様だけのはず」

「殿下のお心をお騒がせするなということだ。リカルド殿下以外のかたへの手紙であればここで預かるぞ?」


 門番がそう言って手を差し出すが、わたしは手元の封書を見つめてから、そっとそれをしまった。

 わたしが自分で書いて持参した手紙はリカルド様に当てた手紙だったからだ。


 困ったわ。

 手紙は王宮に入るための理由付けで、本当の目的はメフィメレス家の企みの証拠をつかむために中で訊いて回ることだったんだけど、その計画が狂ってしまう。

 正直言って、入口で止められると、それだけでもう為すすべがなかった。


 門番の前から離れ、どうしたものかと王宮の高い塀の前で悶々もんもんとしているところへ、通りがかった人影から声を掛けられた。


「あら、リゼじゃない。どうしたの?」


 あら。リゼもこの子と知り合いだったの?


 王宮で下働きをしているこのヨナとは、わたしも顔見知り。

 王宮内でリカルド様を待つ間、時々おしゃべりをする仲だったけど、まさか共通の知り合いだったなんて。

 意外な繋がりに驚きつつも、他に相談するあてのなかったわたしはヨナに事情を打ち明けた──。


「任せてよ。その手紙、私がリカルド殿下に届けてあげる」

「いいの?」


 もしも手紙を仲介したことがバレたら、ヨナが罰を受けることになるかもしれないのに。


「私、あのヴィタリスって女、大嫌いなの。リカルド殿下にはアシュリー様の方がお似合いよ。断然、応援しちゃうわ」

「え、知ってるの? ヴィタリスのこと。その……、リカルド様と……」


「当然! 私たちのネットワークをめないで欲しいわね。王宮内の出来事で、私たちが知らないことなんてないんだから」

「じゃ、じゃあ……」


 メフィメレス家のことで、何か知ってることはないかしら?

 そう尋ねようとして口を開いたわたしの言葉がそこで途切れる。

 ヨナの背後から、こちらに近づく大きな人影があったのだ。


「あっ、申し訳ありません。ミハイル様」


 後ろを振り返ったヨナは、騎士団長の姿を視界に入れるなり頭を下げて、あっという間に駆けて行ってしまった。


 あ、あれ? 手紙は⁉

 リカルド様に渡してくれるんじゃなかったの⁉


 そう声を掛ける暇もなかった。先ほどまで彼女がいた場所に、ミハイル様がずいと割り込んで、間を遮ってしまったからだ。


 あれぇ? これって、わたしリゼに用がある感じ、かしら?


 無言で立ち尽くすミハイル様のお姿は、何でもないのにヨナが謝って逃げ出してしまうのも頷ける威圧感があった。

 わたしだって、できることなら今すぐ逃げ出したいぃ……!


「ヒーストン家の者だと聞いたが?」


 低く落ち着いた声。

 わたしはアゴを高く持ち上げて彼の顔を見つめた。


「はい……。リゼと申します……」

「では、リゼ。何をしにここに参った?」


 ひぃっ。なんか怒ってない?


「えっと……、あの……」

「なんだ? やましいことがあるのか? そうでないなら堂々としろ」


 やましい?

 いや、謹慎中の身を偽って出歩いているというのは十分やましいことだけど、それを正直に言うわけにはいかないし……。


 わたしがどう答えたものか分からずモジモジとしていると、ミハイル様はため息をついて、頭をきながら、あらぬ方向に顔をそむけた。


「どうもいかんな。俺が話しかけると皆を怖がらせてしまうようだ」


 そうつぶやくミハイル様のお顔を、わたしは下からこっそり覗き見るようにして観察する。

 わたしの知るミハイル様は、もっとずっと厳めしい印象だった。

 王宮でお見かけしたことがあるとはいっても、いつも決まって遠くの方にいらして、他の団員のかたたちを厳しく指導していらっしゃる姿ぐらいしか知らない。

 このように間近でお話しするのは始めてのことだった。

 見下ろすようにされるのは正直怖かったけど、そうやって困ったような表情を浮かべるミハイル様のご様子は、少し意外で、少し親しみが感じられた。


 こんな人通りのある往来でミハイル様を困らせてはいけない。

 どうやったらお助けできるだろうかと考える……。

 わたしはピンと背筋を張って一歩後ずさり、ミハイル様を正面に見据えて言った。


「失礼いたしました、ミハイル様。ですが、さらに失礼を承知で申し上げます。

 その……、あまり近くにお立ちになられますと、背の低い女性は萎縮してしまいます。このように、見上げずに済む距離でお話しいただければ、逃げ出す女性もいなくなるかと……」


 ミハイル様は少し驚いた表情になったあと、口角を上げ目尻にしわを作った。


「なるほど。それは済まなかった。今後はその助言、存分に役立てるとしよう」


 お怒りを買わなくて良かったと、わたしはほっと胸を撫で下ろす。

 そして、初めて見るミハイル様の笑顔にしばし見惚みとれてしまった。

 常に険しいお顔をされて、厳格なお方だという印象しかなかったけれど、根はお優しいかたなのかもしれない。


「それで?」

「あ、はい……」


 リゼであるわたしは、自分の主人であるアシュリーから託されたリカルド様への手紙があることを告げた──。


「なるほど。ならばその手紙、私から殿下にお渡ししよう。と、言ってやりたいところだが……」

「では、やはり……」


「うむ。王直々の下達がされている。ヒーストン家の者と王子との接触を絶つように、とのことだ」

「そんな……」


「私も厳しすぎると思う。特に殿下とアシュリー様の仲を知っている者たちからすればな」

「…………」


 そこまで徹底されているなんて。

 それがどのような理由かは分からないけど、あのヴィタリスのメフィメレス家と婚姻を結ぶのは、よほど国益に適うことなのだわ。

 やはりただの伯爵家の血筋に過ぎないわたしは、リカルド様とは釣り合っていなかったのだ。

 仕方がない。もう諦めて身を引こう。

 わたしがどうこうできる手段もないのだし。


 そう思い、屋敷に帰ろうとして会釈をすると、そのわたしをミハイル様が引き留めた。


「待て、リゼ。君がヒーストン家の者だと聞いて引き留めたのだ」

「なんで……ございましょう?」


「私とアシュリー嬢との引き合わせを頼みたい」

「わたしと?」


 引き合わせるも何も、今お話ししているではありませんか。

 と思ったけど、わたしは今、アシュリーではなくリゼなのだった。

 どうも自分の名前が出るとそのことを忘れてしまう。

 あ、ほら、不味い。ミハイル様が困った顔をしているわ。


「あ、失礼しました。わたしの主人とですか、と言いたかったのです」

「う、うむ。そうだ。直接会ってお尋ねしたいことがある」


「それならば、直接当家をご訪問いただけばよろしいのでは? あ、そうか。わたしがその言伝をお父さ……、旦那様にお伝えすれば良いのですね」


「いや、アシュリー嬢は謹慎中の身だ。正面からお願いしても会ってはもらえぬだろう」

「内密に、ということでございますか……」


「できるか?」

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