10:メイドのリゼにできること?

 心臓が凄くドキドキしていた。

 身体が他人と入れ替わるのは二度目の経験だ。

 それに、もしかしたらこうなるのでは、という予想もしていたのに、やはり興奮せざるを得ない。


 あー、でも、ちょっと待ってよ?

 違うかも。

 これって、このドキドキって、リゼのものなのでは?


 入れ替わった直後に、これだけドキドキしてるなんて、入れ替わる前からリゼがこれだけ興奮してたってことにならないかしら?

 リゼがわたしに向かって見せていた潤んだ瞳のことを思い出す。

 わたし、マズいことしちゃった……っていうか、マズいこと知っちゃった?


 いきなり同性の、年下の雇い主から口づけを迫られるなんて、誰だって驚くだろうから心臓がこれだけバクバク鳴っててもおかしくはないんだろうけど、この感覚……。

 この後ろめたいような、切なく感じられる感覚は何なのだろう?

 全身が火照ったように熱く痺れている。

 これはわたし自身が感じている感情なの?

 それともリゼの肉体に宿った感情を拾い上げているもの?

 感情が混沌とし過ぎていてよく分からない。


 おっ、落ち着こう……。

 一旦、落ち着くのよ……。


 リゼのわたしは一旦、ベッドの上にだらしなく横たわるアシュリーのわたしから視線を外して部屋の中を歩き回った。


 そうだ。今日はまだご飯を食べてなかった。

 頭を働かせるために何かお腹に入れよう。

 そう思ってテーブルの上に載せられた食事に手を付ける。

 完全に冷めきったハムエッグを二口まで喉に入れたところで全くお腹がすいていないことに気が付く。

 むしろ、ちょっと食べ過ぎで苦しいくらいだった。


 水を飲んで、喉にあったものをどうにか奥に流し込む。

 まあ、でも少し冷静になってきた。

 整理しよう。

 わたしに掛かった呪いはまだしっかり残っていた。

 最初に入れ替わらなかったのは、もしかすると、自分の方からするキスじゃ駄目だってことかしら?

 リカルド様と入れ替わったときもそうだったし、きっと、相手の方からキスされないと呪いは発動しないんだわ。


 王宮のときとは違い、ここは慣れ親しんだ自分の部屋だ。

 一人きりで落ち着いて考えられたことで自分の身に起きていることを冷静に考えられるようになってきた。

 呪いだなんて、本来はなんら喜ばしいことではないけれど……。

 これは、使えるわ。


 わたしことアシュリー・ヒーストンは、謹慎が解けるまで外出できないけど、こうやって他人の身体を借りれば自由に動き回ることができる。

 他の人は入れ替わったわたしのことをアシュリーとは思わないはずだ。

 前回、タッサ王やヴィタリスがリカルド王子相手に話して聞かせたように、アシュリー相手には話してくれないような秘密だって簡単に訊き出せるかもしれない──。


 よし。


 早速外へ……。

 と思ったが気になることが残っていた。

 を、このまま寝かせておいて大丈夫かしら。

 もう一度ベッドの方を振り返ると、アシュリーのわたしはさっき目を離したときと同じように、仰向けで、手を半端に万歳したように曲げてグースカと寝ていた。

 この二日間、もう嫌というほど寝ているのに、一体どれだけ眠れば気が済むのだろうか。

 前回王宮で、自分が目覚めたと聞かされたとき、かなり焦ったことを思い出す。

 あのときはヴィタリスが嘘をついていて、実際は起きたわたしと鉢合わせることはなかったのだけれど、この状態のわたしが目覚めたらどうなるかは確かめておかなければならないと思う。

 そう思ってわたしは、寝ているわたしの身体に恐る恐る触れた。


「…………」


 やっぱり不思議な感覚。

 大きなお人形遊びをしているような気分になる。

 えーと、まず、お行儀悪く放り出されている腕を直して……と。


「お、起きてください……? アシュリーお嬢様?」


 なんちゃって。

 そうやって肩を軽く揺すりながら声をかけても、わたしの身体は全く起きる気配がない。

 次に、思い切って強めに揺さぶってみる。

 ……駄目か。

 ……いや。起きるかな、じゃなくて無理矢理にでも起こさなくちゃ。

 入れ替わっているのだとしたら、リゼが目を覚ましたときに驚いて騒ぎ出さないように言い含めておかないと。


 わたしは寝ているの頬っぺを両手でつねってみた。

 結構強く。

 びよーんと横に伸ばしてみる。

 が、わたしは起きない。

 痛そうに赤くなったわたしの頬を今度は優しく撫でてやる。

 スベスベで柔らかな肌の感触に、自分の顔がうっとりとしていることに気付き、ブルブルと首を振った。


 だから、わたしはナルシストじゃないんだってば!

 ……よ、よし。最終手段よ。

 そう覚悟して、今度はわたしの閉じているまぶたにそっと指を添えた。

 そのままゆっくりと上に持ち上げる。

 起きなさい……、わたしぃ……!

 指でこじ開けられ、パッチリと開いたわたしの瞳はドロリと濁った色をしていた。

 確かに目は開いているのに、こちらを見ていない感じ。

 意識が宿っているような光が感じられない……。


 わたしは少しガッカリした気持ちで瞼から指を離した。

 これだけやっても起きないということは、きっと普通の方法では起きないんだ。

 普通の眠りではない。

 呪いの影響で起きられなくされているのか。もしかしたら、互いに入れ替わっているのではなくて、わたしの魂だけが抜け出て、他人の精神に蓋をして、りついているような状態なのかも。


 ……まあよし。それならそれで好都合よ。

 わたしは気を取り直し、気合万全で部屋を後にした。

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