始動編
第1話 行く末は珈琲のように
その日、エルンハルトには陸軍総司令部からの招集がかかった。
帝都郊外のヴュンスドルフに設けられた地下ブンカー(航空攻撃から避難するためのシェルター)に車を飛ばす。
ベンドラー街にある国防省ビルや総統官邸への呼び出しでないということは、あくまでも陸軍総司令部からの呼び出しということなのだろう。
車をブンカーの入り口のほど近いところに止めて降車すると慌てて歩哨の兵士たちが駆けつけてくるから自分のケンカルテを差し出した。
ケンカルテというのは、帝国軍人の持つ簡易的な身分証明書のことで同じ身分証明書のヴェアパスと比べると記載事項が少なく氏名、階級、所属部隊など必要最小限のことが記載され、所持者の顔写真が台紙にハトメで留められた二つ折りのカードだ。
写真と俺の顔とを何度か見比べた後、歩哨はそれを俺に返し敬礼をした。
階級は、軍曹か……。
敬礼する歩哨を一瞥して中へと入る。
防空意識が開戦前から高く、様々な施設が地下に移動させられいたが各戦線で後退を余儀なくされている今、地下司令部を見ると初めからこうなることを予見していたのでは?と思わせられる。
事実明るい材料の無いそこには、厭戦気分と敗戦ムードの両方が重たい空気を作っていた。
エルンハルトは、ここに来るのが初めてで、呼び出されたもののどこに行けばいいのか分からなかった。
普通、前線にいる分には無縁なところなのだ。
誰に訊けばいいものか……。
と考えているところに声がかかった。
「君が、エルンハルト大尉かね」
声のした方向を見ると、そこには一人の壮年の男が立っていた。
襟章には赤地の上に金モールでラーリシュ・シュティッケライの模様があしらわれており将官であることが一目でわかった。
「はっ!! 召集を受けて参りました」
その場で敬礼をする。
「そんなにあらたまらなくてもいい。気楽にしてくれ」
「はっ!! 少将閣下のお言葉とあれば」
その男が俺を呼び出した、フリードリヒ・フォン・シュタウヘン少将だった。
「立ち話もなんだから私の部屋に来てくれ」
昼でも薄暗い通路を、少将の後に付き従って歩く。
コンクリートの通路を踏む軍靴の音が
「入りたまえ」
ドアマンのような振る舞いで扉を開けた少将は、手招きをした。
「恐縮です」
「呼んだのはこちらだ。コーヒーか、紅茶か?」
コートをハンガーにかけつつ少将はそう言った。
「コーヒーで」
少将の好意を断れば失礼にあたるので断るのはやめた。
やがて、少将はコーヒーをカップを二つ持ってエルンハルトの正面の椅子に腰かけた。
「帝国の行く末のような色だな。君はこの戦争をどう思う?」
コーヒーは黒く湯気は
この質問は答えるのに窮する。
自分の本音を言うべきなのか、それとも体裁を保った回答をすべきなのか。
前者の場合、言えばわが身の破滅を招くことも考えられる。
「小官の答えるべき質問ではない、と愚考いたします。小官は、あくまでも一人の尉官でしかありません」
故に、エルンハルトができる回答は、これ一つだった。
「ふむ、だがこの部屋には親衛隊の手は入っていないし私は、国防軍の将校だ。正直な君の意見を聞きたい」
自分を国防軍の将校だと敢えて言ったのは総統寄りではないということを示すためなのだろう。
親衛隊の手が入っていないということは、盗聴器の類を心配する必要もないのでは?とエルンハルトは判断し口を開いた。
「では、申し上げます。我ら帝国軍は、開戦直後こそ順調だったもののやはり無理が
総統の気まぐれで戦火が拡大したといっても過言ではない。
「国防軍上層部も同じ思いだ。だが、我らには総統の暴挙を止める手段がない。暗殺でもしない限りはな」
総統は自分の親派の将校で親衛隊を組織し、優秀で強力な部隊を編成して戦線に送り込むとともに、自分の身辺の警護も強化している。
よほど上手く運ばない限り、暗殺が成功することはないだろう。
「終戦に至る道筋に必要なものは何だと思う?」
シュタウヘン少将が、
が、現実的ではない。
「総統閣下にも納得いただける方法となると選択肢が絞られますね。
敗北が続く昨今、総統は意固地になるばかりで周りの将校の提案すら受け入れないという。
「大勝か……が、すでに有力な手札はない。国内の予備軍すらろくに残っていない」
ツィタデル作戦や自由共和国に上陸した連合国軍に対しての反攻作戦で多くの有力部隊を消耗したことは記憶に新しい。
「我らに必要なのは、新たな視点による新たな兵器または戦術です。少数で大を打ち崩せるものです」
シュタウヘン少将は、首肯すると顎をしゃくって続きを促した。
具体的なものを言えということか……。
「例えば、空軍に配備され始めた新型のジェット戦闘機などがその一つかと」
高度6,000mでの水平飛行で870km/h、緩降下においては900km/h以上の飛行速度を誇る新型ジェット戦闘機me-262は他のどの航空機より150km/h以上も速く優れた速度・上昇力と高高度における一方的優位性によって多くの敵機を撃墜していると聞く。
「うむ、それなのだ。今日エルンハルト大尉を呼んだ目的は。そろそろ本題に入ろうかね」
me-262の話と自分とになんの関りがあるのかエルンハルトにはさっぱり見当がつかなかった。
◆❖◇◇❖◆
「さて、我が帝国陸軍が新兵器の導入を計画していることは知っておるかね」
シュタウヘン少将から聞いたそれは、初耳だった。
「いえ、まったく」
「そうか、機密保持がうまくできているようで安心した。防諜体制もうまく機能していることを願うばかりだが。我が陸軍は昨今、秘匿呼称StahlBirdmanの配備を検討している」
注目の新兵器であれば、ある程度の将兵が知っていそうなものだが秘匿呼称StahlBirdmanというのは全くもって聞いたことがない。
敵国の諜報員に知られることを恐れて、機密保持に力を入れているのだろう。
つまり、それだけ敵に対しての効果が期待される兵器ということでもあるわけだ。
「鋼鉄の鳥人という意味のようですが、小官では想像しかねます」
me-262の話から続いているから戦闘機なのだろうか……いや、それなら空軍の管轄になるはずだ。
「ふむ、なら解説しよう」
「感謝します」
少将は何枚かの書類をエルンハルトへ差し出してきた。
「それを見ながら聞くといい」
与えられた資料には、StahlBirdmanの写真が貼られている。
それは、斬新な切り口による全く新しい考え方の兵器だった。
「これは……」
エルンハルトは、予想の斜め上を行くその兵器に声が少し裏返っていた。
「StahlBirdmanのルーツは、me-262にある。陸軍総司令部で検討を重ねたところ、レシプロにするという案もあったが、新しいもの見たさとプロペラでは翼が無ければまともの飛行はできない。そういった理由からジェットエンジンを使用することとなった」
StahlBirdmanの試作機を写した写真は、期待感に満ちた一枚だった。
「空からの歩兵の戦闘を支援すること、敵の有力な陸上部隊を空から叩くことを想定して開発された兵器だ。我らには兵力がない。切り札もない。そんな状況から脱却する兵器であると陸軍総司令部は確信している。まさに貴官の言う新たな視点による新たな兵器ではないかな?」
これが空を飛び、敵の装甲部隊に打撃を与える。
その光景を想像するのは容易だった。
搭載する兵器は、30㎜の対戦車ライフルだという。
戦車の正面装甲は破れないが、上から狙う分にはエンジン回りなどの装甲の少ない部分を撃てば、かなり強力な一撃になるだろう。
「これがつかえれば、かなり前線は楽になるかもしれませんね」
「ああ、そうだ。それに一応、上昇限界の高度は、爆撃機の迎撃も想定して高度だ。ライフルの射程の500メートルを考慮しても、高度7000メートル弱の敵までなら迎撃できる。連邦軍の爆撃機を相手取るなら迎撃は
連合軍の爆撃機の爆撃高度は、大凡10000メートルだが連邦軍の爆撃機は、そこまでの性能を持っていない。
「新たな視点による新たな戦術も可能になると思わんか?」
少将は、その年齢に似合わない悪童のような笑みを浮かべている。
「ですが、まだ開発段階なのでは?」
「そうだ、だがあと一つのピースが埋まれば大凡完成したといってもいい」
もうそこまで、開発が進んでいたのか……試作機を作るくらいには、ということなのだろう。
「で、その最後のピースというのは?」
シュタウヘン少将の目が真っすぐに俺を見据えた。
「君だ、エルンハルト大尉」
「どういう意味です?」
もったいつけるように少将はコーヒーの入ったカップに口をつけた。
「必要なのは、優秀なテストパイロットだ。君は今でこそ陸軍に所属しているが以前は空軍でバトル・オブ・ブリテンにも参加して生き残ったと聞く。そんな君に、テストパイロットを頼みたい」
テストパイロットということは、エルンハルトがこの威信をかけたといっても過言ではない新兵器に意見をするということになるのだ。
「小官なんかでよいのでしょうか?」
空から離れて時間が経過してしまった彼は、そんな大任をやりおおせる気がしなかった。
「ああ、是非にも頼みたい。すでに、メッサーシュミット社とユンカース社の開発チームには話を通しておいた。向こうも了承済みだ」
どうやら、断ろうにも初めから退路は用意されていなかったらしい。
「……わかりました。謹んで拝命いたします」
「頼りにしておる。いい兵器にしてやってくれ」
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