祭屋 銃銃太郎

第1話 メヅという人、あるいは私

 深く蒼い森、木洩れ日に照らされながら歩く男がいた。

 夏用の薄着は汚れていた。その汚れが、汗か泥かは特定できない。手に入れた時から、この服は汚れていたからだ。

 男が切り株に腰をかけた。腰に帯びた袋に手を入れる。袋から戻した手には、黄色い丸薬が一粒あった。男はそれを飲んだ。

 また同じ袋に手を入れる。戻した手にあったのは鉈だった。続けて、手のひらに乗るほどの黒い石を取り出す。

 男が石へ鉈を軽く当てる。石は簡単に二つへ割れた。

 割った石を袋へと入れる男。そのついでにまた黒い石を取り出す。もちろん、この石は割れていない。

 男が腰に帯びた袋の大きさは拳ほどだ。にもかかわらず、男は袋から黒い石を取り、割ってから戻す、という作業を十回も繰り返した。

 十一回目の石割り。鉈を振るわれた石は粉々に砕け、男の手から煙のように消滅した。

 男は立ち上がり、鉈を袋へしまう。

 そして走り出した。素晴らしい速さだった。木々や岩という障害物も、坂や腐葉土という緩衝装置も、その走りの邪魔はできなかった。

 躍動する肉体は細身で、猫科の猛獣のようだった。

 思慮深そうな若い顔立ち。唇は一文字に結ばれたまま、呼吸の乱れが一切ない。

 流れるような眼。本来の眼差しは柔らかいのだろうが、今は鋭利さが主になっている。

 年齢は二十代か三十代か。十代の少年が、こんな顔だったら反則だ。四十代でこの顔だとしたら、この世の者ではないだろう。

 この青年は、メヅと名乗り、山中で見つけた物を換金して生計を立てている。

 そうした仕事の都合上、メヅは山で何日も過ごす。

 彼にとって山は、生活するのに不自由ない場所だった。

 山に自分の生活を合わせた、と言ってもよいだろう。

 この暮らしを始めて、一年ほどになる。

 今のところ、メヅに他の暮らしをする気はない。

 都会で暮らしたこともあった。人々に囲まれ、昼も夜も騒がしくまぶしい都会での日々は、たしかに楽しかった。

 一晩で百人の友人を得たこともある。

 一日で屋敷を建てられるほどの大金を手にしたこともあった。

 しかし、楽しさの影に潜むわずらわしさがあった。

 よくよく思えば、大勢の友人といっても、顔見知りという程度の仲でしかなかった。

 大金をつかんだ手も、今では妙な石と鉈を握るだけ。かつて得た大金だが、まだ多少残ってはいる。多少、だが。

 青年の姿にも、都会と山の差がある。みずぼらしく……いや、落ちぶれたと言うべきだろうか。

 それでも、メヅは少しも自分をみじめだとは思ってはいない。

 理由は単純。昔とちがって、この生活に不満などないからだ。

 走るメヅは森と道の境が近いと感じた。樹木の群れが前方ではまばらになっていたからだ。

 視界が開ける。草花を足でなぎながら、白く長い道へと降り立つ。

 遠く真横から見れば、緑の山の層に白い層が薄く挟まれているように見えるだろう。

 道から外れると崖だ。ここから落ちた者はいない。

 メヅは道の幅がやや広がった箇所へ向かった。

 そこにはメヅの腰ほどの高さの台があった。幅は高さの三倍ほど。

 台には大きな白い皿が置かれているだけだ。

 腰に帯びた袋を外し、逆さにして皿の上で振ると、メヅが割った石が皿へと盛られていく。

 石の数はちょうど九個。

 両手を勢いよく合わせ、その音が鳴った途端、石は九個とも煙のように消えた。

 供物、というものだ。引き換えに相応の金銭や物品が……。

 ……ハァ。もうだめ。限界だ。私にはこれ以上不可能だ。

 小説風プレイ日記、なんとなく憧れがあったがダメだ。

 操作するキャラクターの行動だけならまだしも、ゲームのシステムまで文章にするのは無理がある。

 そこは無視すればいい気もするが、中途半端なのも気分がよくない。

 まあいい。気を取り直して換金作業といこう。

 品物は割った石あらため妖石、である。売価は日によって変わるが、この数なら新品の鉈を買えるくらいにはなるはずだ。

 皿の横に置かれた帳面を見る。墨汁で記された文字が更新され、いつも通りの値付けが示される。

 ……む、市場に出すという手もあるな。私のいる地域では商業があまり盛んではないが、このままオートで売るよりはよいか。

 ふと、振り向くと、私の後ろに人がいた。竹カゴを背負った女武者。腰の刀は安価なアリツネだ。装束は甲冑だが、肩当だけである。下に着た着物はシンプルそのもの。ゴテゴテとした装飾などは身体のどこにもつけていない。

 私は皿に向き直り、ささっと操作を済ませた。売却はオート。収支は一応黒字だ。

 順番を替わる際に、竹カゴの中身を覗く。それは実に……相当な苦労をうかがわせる中身だった。

 ぼろぼろになった甲冑の腹当、折れた錆びだらけの刀。鉄兜には穴がいくつも空いている。

 この山に山賊のような輩はいない。おそらく、高価値物品を探していてアルカリ性の温泉にでも落ちたのだろう。

 私は女武者の背後で親指を立てて『ごくろう』を贈った。

 女武者からの反応はない。元よりあとで個人用帳面を見て気づく程度のことだ。別にいい。

 換金台にはもう一人来ていた。

 歌舞伎の黒子のような衣装の人物。背は低め。顔を覆う黒い布には、ドクロの柄が刺繍されていた。かなりの軽装で、柿色の風呂敷を結んで身体へ斜めにかけているだけだ。

 黒子は踊っていた。両腕を水平に伸ばし、波打つ動きを右へ左へと繰り返している。

 こうも怪しい出で立ちだ。敵意がないことをアピールしているのかもしれない。

 私は少し離れてから自分の帳面を開いた。所有する資金と今日の道筋を確かめる。

 資金、これはまあまあだ。まだしばらくは今の生活を続けられそうだ。

 道筋、これは良くない。地図上の赤い筋と、複数のカラフルな点を見て、私は腕を組んでうなった。普段とちがうルートを歩いたが、やはり妖石収集の効率が落ちている気がする。

 もし、メヅというキャラクターの収集系や探索系のスキルをもっと開発していれば、また別の結果になっただろう。

 しかし、メヅは元々戦争サーバーで作成したキャラクターだ。ここのようなまったりとした生活サーバー向きのスキル構成ではない。

 いずれはこの生活サーバーに適応するだろうが、それまでは……少し退屈だ。

 先行プレイヤーの情報によれば、スキルを伸ばしていけば、いずれは自分で鉱山を開発したりできるそうだ。

 それはきっと楽しいことだ。地質調査から施設や道路の整備、労働者の雇用や管理だってある。やることはたくさんあり、しばらくは退屈しそうにない。

 ゲームの中で労働するのも妙な話だが、『嫌ならやめる』を気軽にできるのは他にないゲームの利点だろう。

 斜面を駆け降りる音に振り向く。

 大荷物の男。木箱を担ぎ、その木箱にまた縄で麻袋を二つもくくりつけている。

 重量超過状態らしく、足元がおぼつかない。

 案の定、換金台の手前で転んだ。縄がちぎれ、二つの麻袋が不自然なほどの速度で道を滑る。

 崖から落ちかけた麻袋をどうにかつかむ。もう一つは黒子が拾ってくれた。

 麻袋を男に渡すと、親指を立ててから、頭を下げる感謝のジェスチャーをされた。

 私と黒子も男へ親指を立て『ごくろう』を贈る。

 それから男は女武者の後ろへ並んだ。

 この生活サーバーは音声会話禁止。こうしたジェスチャーでほどほどのコミュニケーションを成立させていく。

 換金台から離れた女武者が帳面を取り出し見始め……その頭上に赤い光輪が現れたではないか。

 私はマナーとして天空へ指をさし、女武者へ注意を促す。しかし気づいた様子はなく、ずっと帳面を見ている。

 横を見ると、さきほど転んだ男にも赤い光輪がついている。

 短い警告音が連続し、視界の上の際で赤いフェードが明滅する。やばい、私もか。

 黒子が天空を指さしながら走り、女武者へ接近して注意している。男のほうはすぐに気づいたのか、その姿はログアウトして消えていた。

 やや雲のある青空。ゴロゴロという不吉な音が私の耳に届く。

「あんたの頭にも輪っかついてるぞ!」

 通じないと分かっていても思わず言ってしまう。

 黒子の頭にも赤い光輪が……。

 私はコントローラーを操作し、ログアウトを行おうとした。こんなことなら緊急回避ログアウトをオンにしておくべきだったのだ。

 黒子はもうログアウトしていたが、帳面を読みふける女武者はまだいる。なにかのバグで赤い光輪の輝きが見えないのだろうか。

 ひどく機嫌の悪い空が、一気に裂けてしまうような音がした。

 その音を合図に、私の視界は真っ暗になった。



「やっちゃったなぁ……」

 私は頭に装着したVRヘッドセットを外した。

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